第百六十ニ話 克服
HPを減らしながらも、ライトの動きに衰えは見えない。切り裂いた直後は、本物のような赤い液体が垂れていたが今は赤く光るエフェクトに変わっている。かつてのリンのように衝撃で意識が戻るかもと思ったが、この程度の衝撃では駄目なようで、それどころか、
「……bろr」
「!」
「! やばいッ!」
今まで言葉を発してこなかったライトが、一言意味の分からない何かを呟いた途端、動きが変わった。縮地でリンの目の前に貫手を構えて現れた。彼女は何とか反応し、刀の柄で防御の構えを取るも、それを読んでいたとばかりにライトの蹴りが脇腹にささる。
蹴りの威力で僅かにリンの体が浮きあがり、踏ん張りも効かず距離を取ることも出来ない一瞬をライトは見逃さない。ゲーム世界の速度と現実世界の威力をを切り替えることで実現する高速の連撃、
「影糸包括、槍手繰り」
その連撃に影を束ねて作られた槍が割り込んできた。一度は強引に突破しようとしたライトだったが、リュナの操る影糸の前に距離を取らざるをえなかった。
「アンタ、その目は……!」
助けられたリンがリュナの方に視線を移すと、そこには“白目を赤黒く染めた”リュナの姿があった。
「幻影分身、多重影装」
体制を立て直したライトが、再度襲い掛かる前にリュナは最大規模の幻影分身を展開。さらに、その分身に影糸で作った鎧を纏わせることで、見せかけだけのはずの幻影分身に疑似的な実体を持たしライトに襲い掛からせる。
「……こんな足止め、そう長く持たない」
「そう長くは持たないって……だとしてもその力、またあの野郎に洗脳されたの!?」
そこまで口にしたところで、違和感に気づいた。これまでロズウェルの洗脳に飲まれている者たちは、目の前のライトのようにまともな受け答えができなくなるのが大半で、リンのように多少理性が残っていたとしても洗脳中に他人と協力するような協調性を発揮することはなかったはずだ。
あの、心の奥から無理矢理溢れさせられてたようなドス黒い感情のことは、今でも色濃く覚えている。しかし、目の前のリュナは見た目こそ洗脳時の時と酷似しているが、その纏う雰囲気は決定的に違う。
「ロズウェルの洗脳は、あくまで命令を利かすことがメインで力の増幅に関しては、その人が封じ込めている力の幾らかをこじ開けるきっかけに過ぎない。……そう言ってた」
一気に力を放出した反動で、肩で息をしながらリュナは言葉を続ける。
「……だから、あなたも怖がらないで。あれだけの精神力を持っているなら、飲まれることはない筈だから」
「飲まれる筈はないって、そんな適当な……」
リンが文句を言い切る前に、リュナは短刀を構えてライトの方に襲い掛かってしまう。ポツンと取り残されたリンだが、リュナの加勢に行ったとしてもこの状態では、また足手まといになるのが関の山だ。
「スゥーーッ」
ずっと気が抜けない戦闘状態にあったリンだが、ここで彼女は目を閉じると小さく息を吐きながら意識を精神の底に沈めていく。久崎流に伝わる呼吸法の一つで、試合前などに短い時間で集中するためのものと教えられた呼吸。現代スポーツではルーティーンと呼ばれるそれを、天才である久崎凛が使うことで、彼女の意識は一瞬の内に没入する。
ロズウェルの洗脳から助け出されて以降、リンはこの呼吸をしたことがなかった。ライトを奪還するという大きな目標のために力を求めると、また洗脳されてしまうのではないかという不安が心の奥底に残っていたのだ。
「やあ、久しぶりだね」
見渡す限り黒い世界の中で、金髪の男が待っていたとばかりに声を掛けてくる。それだけで、力が湧いてくるような気がすると同時に、意識が徐々にぼんやりとしてくる。
「この手を取るといい、それで君が望む力は手に入るよ。そのためにここに来たんだろう」
白い手袋をした手をこちらに差し出す姿は、まるで出来のいい御曹司のようで、観るだけで信頼してしまいそうになる。虚ろな目をしながら、ゆるゆるとした動きでリンの手は動き始め、
「あ……れ? ま、それが君の選択ってやつか」
「もう二度と、私はアンタなんかに飲まれない!」
金髪の男を両断した。
「くぅ……ッ」
(やっぱり、私一人じゃ止まりきらない!)
リュナの幻影分身は既に三分の一以下にまで減らされていた。そもそも、大雑把な指令しか出せない幻影分身は直ぐに見破られてしまう上に、直前で方向転換や瞬身を使われるとどうしても同士討ちを防ぎきれない。
それでも、なんとか隙を見つけようと苦心していると、ほんの一瞬ライトが目の前で分身の処理に木を取られてこちらから視線を外すのが見えた。分身を消されてしまえば、幻影分身の半分が消えてしまうがこのタイミングならライトは無防備。千載一遇のチャンスとばかりに、リュナは短刀を構えて、ライトの真横から一気に切り裂く。
「え?」
(刃が、止まった?)
だが、その判断は致命的に間違っていた。これまでのロズウェルに洗脳されてきた相手は、出力こそ上がっているが耐久に関しては殆ど上がっていない。新しいアーツやスキルが芽生えるというのが大半であり、自分で体験していたリュナだからこそ、“ライトは脆い”という先入観に囚われてしまったのだ。
それに気づいたのはもう遅く、振りかぶったはずの短刀はライトの腹に刺さりはしたもののそこで静止する。そして、この戦いの最中、ライトと本体はできるだけ一定の距離を取るという自分に課したルールも破ってしまっていたことを悔いるよりも速く、ライトの左腕がリュナの首を掴む方が早かった。
「がッ!?」
(振りほどけない!? この力、私なんかよりよっぽど……)
ゲーム世界のままなら、リュナが渾身の力を込めればライトの片腕など簡単に抜け出せるはずだが、首に伝わってくるのは、圧倒的な圧迫感。
「か……っ、はっ」
(く、苦しい。痛い、た、助け……)
そのままライトが腕を少し上げると、リュナの体はあっさりと地面から離れ、首にかかる圧迫感は呼吸も満足に出来ない程であった。
リュナは目に涙を浮かばせながら必死にライトの手に爪を立てて抵抗するが、首の圧迫はますます強くなるばかり。意識すらまともに保てなくなり、全身から力が抜ける。
「断・空・斬・波!!」
その瞬間、どこからか飛来した赤黒い衝撃派が、リュナとライトの間を両断した。
「大丈夫!?」
「ゴホッゴホッ……なんとか、そっちは」
「うん、もう吹っ切れた」