第百四十八話 殺人鬼夜行
「クククッ、成功したぞ! これでボクの世界を脅かす存在は消滅した!」
ロズウェルが手で顔を覆い、愉悦の表情を浮かべていると倒れていた光一が起き上がった。白目の部分が赤黒く塗りつぶされているそれは、ロズウェルに操られてきたものたちと同じであった。
世界設定に対応できるとすれば、現実の能力でAWOのロズウェルに勝たなくてはいけないというのに、その可能性をもった神の従者である谷中光一は洗脳に飲まれた。
「それじゃあ最初の命令だ。……この女を始末しろ」
ロズウェルが命令を下すと正気を失ったままの顔で、光一はゆっくりとリースの前に歩き出す。右腕には紫の魔力が渦巻き、直撃すればリース程度あっさりと消し飛ぶだろう。
「……」
リースは逃げる素振りも見せず、光一の方を見つめていた。
「抵抗させようとしても無駄だよ。今、彼の中ではボクのことこそが自分の命よりずっと重要になっているのさ」
これこそが世界設定の能力の一つ、内面世界の改竄である。人の持つ精神的な世界、認識や感情の源流とも言えるそこを改竄し、強制的に自分という存在の上位にロズウェルという男の存在を差し込むことで洗脳しているのである。
そして、光一の手刀がリースを貫こうとした瞬間。
「光一」
ここまで無言を貫いていたリースが一言、光一の名を呼んだ。光一の手刀はリースの首筋の皮一枚で止まり、ほんの僅かに血を滴らせるに止まっていた。
「ばっ、バカなっ!? ボクの命令が止まっただとっ!」
ロズウェルが叫び、リースの存在が葛藤させていると判断したロズウェルは、トランプを構えてリースを自ら排除しようと動く。リースのAGEでは、魔法での迎撃は不可能。だが、
「光一、目の前の敵を、アレを倒してくれないかな」
リースがとった行動は、光一の胸に体を預けて頭を当てながら一言呟くと消えた。リースは彼女自身の魔力を使って召喚されていたのだが、その能力は人間程度まで弱体化されているのもあり魔力の限界が訪れたのである。
「どうやらバグかどう知らないけど、キミの神様の方ももう限界だったみたいだね」
ロズウェルからすれば、世界設定の挙動がおかしくなったのはあくまで神という存在が近くにいたせいで起こったバグのようなものだと思えた。その原因であるリースがいなくなったのならば、光一の洗脳に付け入る余地はすでにない。
「自分の神を殺させるのは、中々面白い余興だと思ったんだけど仕方ない。代わりにキミ自身の手で街に残ってる奴らでも掃除してもらおうかな」
軽くため息をつきながら、光一についてこいと命令を出して歩き出すロズウェル。傀儡となっていても神の従者が仲間になったとなれば、この戦は管理教団側の勝利が揺らがない。
ギリギリと油の切れた絡繰りのように光一は振り返る。その瞳は不規則に動き、まるで正気を保っているように見えない。そして、
「!? なん……の、真似だ!」
「てき」
光一はロズウェルの背中に襲い掛かった。ロズウェルがトランプで受けた腕が痺れる程の一撃、世界設定を使用したときの魔力も強化に回しているのだろう。今の光一が使用できる魔力は普段の最大値よりも上。つまり、強化幅もそれ以上ということだ。
(クソッ、一体なにが起こっているんだ! ボクの世界設定は完璧のはず。なのに、なぜコイツはボクに逆らえるんだ! 今のコイツにとってボクの存在は自分の命よりずっと上なんだぞ!)
光一の攻撃を捌きながらも、ロズウェルの脳内は混乱していた。光一の動きはキレこそ多少鈍っているが威力と速度は格段に上がっている。
(世界設定による精神世界の改竄が決まった時、最初は命令を聞いていたはずだ。だが、今はボクの制御を離れている。つまり、命令が上書きされている)
防がれこそしたが、トランプでの連撃で光一を押したところでロズウェルはとある可能性に気づいた。それはありえないと脳内で理性が三回ほど否定したが、やはりこれしかあり得ないとようやく理性を説得できたともいえるが。
「まさかとは思ったけど、キミの中では自分の命よりあの神の方が大事らしいね」
それは、ロズウェルからすれば信じられないと吐き捨てたくなる価値観であった。
神の従者は神の力を集め、魂の器を拡張することで能力を強化し、最終的には神の座に至ることが目的のはず。あくまで自分を担当する神は、自分を高めるための踏み台であり神の力を得るための存在。そんな相手を自分の遙か上に存在させる、ひいては文字通り命より大事などロズウェルの価値観ではありえないことなのだ。
「それなら話は簡単さ、もう一度改竄してしまえばいい。世界設定! 今度こそ物言わぬ傀儡にしてあげよう!」
ロズウェルが光一に掌を向けて能力を発動する。しかし、ロズウェルが感じたのは幾度となく使ってきた世界設定のものではなかった。
「こ、これは……世界設定の権限を浸食して……ッ!」
世界設定は確かに人の内面に干渉できる能力である。しかし、内面という自身の世界を自在に操作できる能力が自身操作であることも事実なのだ。
突如、光一の全身からドス黒い魔力が噴き出した。ロズウェルの紫色の魔力ではない。明らかに別物に変異している。
「……」
光一の瞳は、不規則に動くそれではなく、赤と黒に塗りつぶされた目で真っ直ぐにロズウェルを見つめていた。その手にはいつの間にか一本の短刀が握られていた。
(コイツはヤバいね……ここで倒しておかないと確実にボクの計画は破綻する。殺すのは惜しいけど仕方ない)
その姿を見てロズウェルも覚悟を決めた。神の従者を戦力にできれば、計画は盤石であったがここまでの異常が起こっては、放置することは出来ない。
ロズウェルの周りに数十枚のトランプが螺旋を描いて浮遊し、ハートのカードが五枚発光することで光一の視界を一瞬失わせた。
「エルダーハンド」
視界を奪って急接近からのエースを持っての切り上げは防がれた。が、
「……!」
「二身組符 分身がキミだけの専売特許じゃないんだよ」
後ろに居た、もう一人のロズウェルによる一閃で、光一の左腕は切断こそされなかったものの半ばまで切られた。適切な処置をしなければもう左腕はつかえない、それでも光一の表情に変化はない。
ロズウェルが反応しきれないような速さで後ろに回り、魂喰らいを突き刺すが、それは分身。白煙とって消える分身の内部に隠されていた、爆散符組が爆発する。今の光一の速度であれば、それを見てから爆炎の範囲外に逃げることなど容易い。しかい、
「四身組符」
爆炎から避難した先は四方を囲まれていた。光一は片手で印を組んで後ろからの攻撃を土壁で防ぎ、左右は紙一重で避け、正面はカウンターの掌底で逆に吹き飛ばす。ロズウェルの分身は、本体以外はAI駆動。フェイントを入れるだけの高度な動きをしないのであれば、今の光一がパターンを見切ることなど容易である。
「流石だね。でも、本命はこっち」
四体のロズウェルが吹き飛ばされた後に、地面に手を置いた。その手に持つのは、スペードの10,J,Q,K。そして、
「空間丸ごと粉微塵になれ! 極空消滅!!」
五人目。本体のロズウェルがスペードのAを手に光一の上から叫んだ。各トランプに囲まれ、光一のいる空間が丸ごと消滅しかねない爆発が発生し、大技の連発で疲労したロズウェルは膝を付いた。
(危なかった。もう少し時間をかけていたら……世界設定を完全に乗っ取られていればどうなっていたことか)
一息ついたところで、ロズウェルが立ち上がったその刹那。彼の意識を揺さぶるような殺意が突き抜け、回避行動をとるのも間に合わず彼の胸に魂喰らいが刺さった。
「ガッ!?」
痛みだけではない。体の内から力が抜けていくような感覚、いつもならそれでもすぐに動けたかもしれないが、疲労もあってさらに次の行動が遅れてしまった。そして、それは、
「絶技」
この谷中光一を相手にしている今、致命的な隙である。
「殺人鬼夜行」
一瞬、目を合わせたロズウェルが“ヤバい”と感じた時には、彼の首はすでに胴体から切り離されていたのであった。