第百二十三話 狂気と理性
目の前に赤黒いオーラを纏ったリンが迫る。このタイミングでは避けられない、来るであろう痛みを予想して無意識に目をつぶったその時。
(! …………な、何!?)
リュナの心臓がドクンと大きく跳ねる。体の芯が熱くなり、妙な力が湧いてくる。気力で押さえつけようにも、それ以上に湧いてくる力の方が大きい。
「う……あぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
リュナが叫ぶと同時に、その体から無数の影糸が四方に放出される。リンもその波に吞まれ、一度後ろに下がる。その影糸の量は、今までとは比べ物にならない。
「…………」
その糸の津波とも呼べる噴出が終わったと思うと、そこに居たのは影糸を全身に巻き付けたリュナの姿であった。
「なーんだ、アンタも使えるんだ」
その目は、赤く染まっていた。
それでもリンが怯むことはない。仮に、リュナがロズウェルからの力を使えたところで、その力の扱いにはリンに分がある。そう考えていたのだが、
「!? なっ」
リンが振るった刀をリュナは片手ではじき返す。今までからは考えられないSTR。さらにギシギシと足に絡みついた影糸が音を立てて力を溜めるたと思うと、今までの鋭い加速とは違い、爆発するような急加速。
影糸を右手に集め、一回り大きくなった拳での殴打。刀の腹で受けたリンがその威力で一瞬、中に浮くほどの衝撃。明らかに今までのリュナとは違う。
「ははは!!! いいね、面白くなってきた!!」
リュナが軽やかに逃げ回り、リンがそれを追いかける今までの闘いとは違う。会場中央での近接戦闘
(インファイト)。リンが刀を振るえば、その腹を打つようにリュナが拳を振るい。返しの拳を刀で受け流す。
「影糸包括…………力結び」
ここまでのSTRの増加。そのタネはリュナの体に巻き付いた影糸包括である。まるで筋繊維のように編まれたそれは、リュナの体の動きをサポートする事で莫大な筋力を得ているのだ。技量と才は均衡、だが、近接戦闘となれば速さに勝るリュナがやや押していた。
「影縛布」
「ッ!」
リュナの拳をギリギリで躱し、縮地を使ったバックステップで距離を取るリン。距離が開けば斬空や閃空で戦況を変えられるとの判断なのだろうが、それを許すリュナでもない。体に絡みついていた影糸が爆発的な勢いで解け、フィールドを覆いながらリンにへと迫る。
これが直撃すれば、影糸包括と似たようなことになるかもしれないが、その圧力は段違いだ。絡めとられれば、脱出する前に押しつぶされるのがオチだろう。
「……」
目の前に迫る影糸の脅威は、よく分かっている。黒い津波のように迫るそれを前にして、彼女は刀を横にして頭の上に構えた。霞の構えのようで、それにしては高く構え過ぎな格好。
ギラリ。と、リンの瞳が赤く光り彼女の持つ刀に、今日一番の魔力が集まり輝いたと思うと、
「断・空・斬・派!!!!」
それを振り下ろすと同時に、影糸の塊ごと地が裂け、空が割れんばかりの勢いで赤黒色の斬撃が発射された。
断空斬派は影瀑布を貫きリュナに迫り、それを避けようとするも力結びを解いた今では完全には避けきれず大きく左腕が削げた。プラプラと重力に任せた動きしかできないそれは、辛うじて繋がっているだけであり、回復しなければ到底動かすのは無理そうである。
「あは、当たった」
だが、それで手を緩めるようなリンでもない。影糸が緩んだ隙に、縮地で一気に距離を詰めて刀を振りかぶる。
「影糸結び…………腕結び」
目の前に迫ったリンを見ても、リュナは冷静に影糸を戻し左腕を固く縛り腕の形に形成することで動きを補助。振りかぶられた刀を左腕ではじき返す。
「ははっ!」
「…………」
赤い瞳同士の闘いは、この大会に参加する猛者たちでさえ見たことのないような激しさで、繰り広げられていながら。リンはこの戦いに終わりが近いことを感じていた。互いの力はそろそろ底を見せてきている。リュナはまだ理性を取り戻してはいないようだが、あちらも本能的にそのことには気づいているだろう。
リンに残された手段は、最後の力を振り絞って最後の一撃を放つだけだ。構えは自分にとって一番信頼した居合の構え。
「抜刀連・十重断空!!!」
赤黒の波動を纏った斬撃が、高速の居合術を持って放たれる。一撃の威力なら断空斬派の方が上だが、速度と手数ならこちらの方が大きく上回る。
それでも、今のリュナならそれに対応できる。そのはずだったが、
(!? 目が、まさか私と同じ……)
リュナの瞳が赤から変化する。その変化は、今のリンと同じロズウェルからの力を使いこなし、狂気と理性の均衡を保つ第二ステージ。今、その状態に成ったのならば、リンに勝ち目は無くなる。だが、
「…………え」
まず一つ目の斬撃を避け、二つ目と三つ目を幻影で錯覚を起こし外させ、四撃目を左腕を犠牲に防ぎ、五撃目と六撃目は水遁と火遁で作った壁で目くらましをして避け、七撃目を幻影斬で相殺しようとしたところで体制を崩し、八、九、十撃目でリュナは切り刻まれてHPをゼロにして倒れた。
「なん…………で」
リンは、地面に倒れるリュナに絞り出すように問いかける。そう、確かにあの瞬間、リュナはロズウェルの力を抑え込んだ。そこでリンと同じように狂気と理性の均衡から狂気に寄れば、更なる力を得ることができだだろう。
しかし、リュナは狂気に寄るのではなく、理性で狂気を抑え込んだ。結果、狂気を基とするロズウェルの力による強化はなくなり、大幅に力を落としたのだ。
「だって……アイツの力は、私の力じゃ…………ないから」
「!?」
その言葉で、リンは勝者とは思えないほど狼狽する。後ずさりして、どこか頭が痛む。まるで思い出せない事を、無理やり思い出しているかのような痛み。
『き、決まりました!!!! 二日目、最終戦の勝者は夜明けのリン選手でーす!!!!』
「…………」
万雷の拍手で送られるリンの顔は、思いつめたような顔で、対照的に敗北し消えていくリュナの顔はやり切ったと言わんばかりの清々しい顔であった。