第百十八話 エゴ
ポタポタとライトの体から水が滴る。先ほどから彼が呟いていたのは、“妖精召喚”の呪文である。魔法言語も精霊言語も持っていない彼だが、完全翻訳を使い無理やり妖精魔法を起動してトイニを召喚したのだ。スキルの補助が無い状態では、長い呪文を魔力を込めた声で一説一説発音しなければならなかったが、ギリギリで間に合った。
そうしてトイニの水魔法で体に付着した土を洗い流し、ケンの鋼鉄の呼び声を不発にさせたのである。
「おいおい、お前忍者じゃなかったのかよ。そんなの聞いたことないぜ」
「セイクの奴も似たようなものだろ」
「そういやそうだな」
状況は一転、ケンの勝ち筋は大幅に減少した。自力では負け、相性で食らいついていたのだが、それもトイニの登場でライトの方に傾いてしまった。
それでも、
「へへっ」
ケンは笑っていた。鋼鉄と化した彼の体に、トイニの魔法が突き刺さり大きくHPが削れていく。
「何笑ってるんだ?」
「なーに、お前がここまで本気になってくれるのが嬉しくてな」
「……そうかよ」
その言葉と笑顔はライトの心に少しばかり刺さった。彼がこんな大会で活躍できるのは、彼自身の力ではない。だが、そうでもしないとケンにも、リンにも、そして…………セイクの敵となれるほどの才能はライトにはないのだ。
そんなことはとっくの昔に理解しているし、この現状を後悔したことはない。が、それでも目の前で正々堂々、同じ条件で戦った上で清々しく負けを受け入れようとしている友人を見ると、少しばかり顔も曇るというものだ。
「雷精の加護!!」
トイニの魔法によってライトの右手に紫電がやどり、その一撃は残り少ないケンのHPを消し飛ばすであろうことは、お互い何となく察していた。
「なあ、ライト」
「これが終わったら、またゆっくり話そうぜ」
「そうだな」
ケンは鋼鉄の呼び声を使い、地面に突き刺した自身の大斧を引き寄せると、大きく腰を回して力を溜める。この試合最大の一撃を放つつもりなのだろう、これから自分を破る彼への祝砲と言わんばかりに、
「大地切断撃!!!」
地面を割き、巨大な衝撃波がライトがいた辺りを丸ごと削っていく。ただのプレイヤーなら、その圧倒的な攻撃範囲に飲まれていただろうが、
「縮地」
もはや残像すら視認する事が難しい速度で、ライトはケンの後ろに移動する。放つのは紫電の貫通力を最大限に生かした一撃。
「錐通・螺極豪雷!!!」
極限まで高められた貫手は、金剛石の腹を突き破りそこから侵入した雷が残り少ないケンのHPを焼き焦がす。縮地から一連の流れは、観客の大部分からすればいきなり落雷でも落ちたかのような音と光であったが、それが収まった時には、
『けっ、決着!!!!!!! この激戦を制したのはライト選手です!! やはり彼はあの、最速討伐をやってのけた謎のソロプレイヤー、ライトなのでしょうか!!!』
前のめりに倒れるケンと、一人のソロプレイヤーの勝敗をけたたましく叫ぶ実況の声があった。
試合後、歓声で揺れる会場を後にしたライトは一人、控室で横になっていた。トイニは適当にGを渡しすとミユと共に出店巡りに行ってしまった。
「さっきの試合、私を呼ばなかった。いや、出させなかったのは何でだい?」
そんなライトの傍らにリースが現れる。彼が呼び出したのではない。彼女が自身の魔力を使い現出したのだ。これまでもそんなことは何度かあったが、こうして問いかけるのに出てきたのは初めてかもしれない。
事実、ケンとの試合でもリースに自身の魔力で出てきてもらえればもっと楽に決着がついたはずだ。なのにライトはそうしなかった。それを彼女は問いただしているのだ。
「俺は…………色々とチート使っている身だ。そこにリースの力まで借りるのは不公平だと思っただけだよ」
「そうは言っても、君の力自体は私があげたものだし、今更気にすることかい?」
「これはただの俺のエゴさ」
彼は目を閉じる。その瞼の裏には、かつて友人として天河らと遊んだ時の事でも思い浮かんでいるのだろうか、それは彼にしか分からない。
「でも……こういう時くらいこのくらいのエゴを通せないとアイツにはずっと勝てないと思うんだ。だから、俺はこの大会の間だけはこのエゴを通したいんだ」
「そうかい、なら私が言う事はもう何もないよ。丁度、お客さんも来たみたいだしね」
そう言い残してリースはその場から消える。それと同時に、控室のドアがコンコンと二回ノックされる。
「誰だ」
ライトがドアを開けると、そこに居たのは、
「ライト、ちょっといいカナ」
意外な人物であった。