第百七話 記憶
「はぁ……」
控室の中、一人の少女がメニュー欄を見つめ、小さくため息をついた。画面に映る名前は“ロズウェル”の文字。
「あの人は一体誰なんだろう…………」
彼女の名前はリュナ、見る人か見れば、管理教団の連絡にも見れるだろう。だが、その実態は違う。今の彼女には“管理教団”であったという記憶すらもほぼない。辛うじて覚えているのは、自分を正面から負かしたとある忍者のことと、彼に敗れた自分を解放してくれたロズウェルという男のことだけだ。
「…………ここは?」
「ああ、気が付いたんだね。よかった、倒れてたから連れてきたんだ。痛むところがないならいいけど」
ライトとの闘いの後、気が付くとリュナはどこかに寝かされていた。傍らには金髪に黒スーツの男、見たことがあるような気がするのだが、頭にもやかかったように思い出せない。
「僕はロズウェルという者でね、今はここでひっそりと暮らしているよ」
男はこの森の奥で拠点を構え、攻略に精を出すことなく隠居したような暮らしをしているらしい。素性も知らないリュナにも優しく接し、心優しい男だと普通は考えるはずだ。だが、
(なに? この妙な気持ちは)
リュナは、目の前の男から感じる気配から底知れない不気味さを感じ取っていた。言動も、立ち振る舞いも普通のそれだ。しかし、理屈ではなく自身の感覚が“怪しい”“早く逃げろ”と囁いている。
悪寒すら感じ、背に冷や汗が伝うような気がする。一刻も早くこの男の下から離れたい。
「…………助けて頂いてありがとうございます。今は何か恩を返せるような者はありませんが、いつか返したいと思います」
言葉だけとれば、まともな感謝もせずにただ社交辞令的な単語を並べ、恩も返さず去ろうとする失礼な人に見えるかもしれない。だが、そんな事を考えるよりも、この男から逃げ出したいと思う気持ちの方が上だった。
「…………ふーん」
ロズウェルは、少し驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間には冷めた目線でこちらを見ていた。
「っ!」
恐怖から悲鳴を上げるのは辛うじて抑えた。次の瞬間には、ロズウェルはまた底の見えない、薄っぺらな笑みを浮かべていた。
「まあいいよ。これは餞別さ、少しの間くらいなら暮らせると思うよ」
「あ、ありがとう」
それからは逃げるようにその場を離れ、近くの町を拠点に生活し始めた。自分がどんな生活をしていたか分からないが、体が覚えているとでも言うのだろうか、戦闘には困らなかった。だが、どうしようもないこともある。
「…………私は、誰?」
色々調べて分かったのは、自分は記憶を大きく失っている状態だということ。生活が安定して、住居にも困らなくなると途端に不安が押し寄せてきた。
分かっているのは、メニューにも表示されているリュナという名前と、唯一フレンド登録されていたロズウェルという男の名前。やはり、彼は自分の事を知っているのだろう。もう一度会うのは怖いが、それでも行かなくては前に進めないと判断し、彼女は再度ロズウェルの下を訪ねたのだが、
「いない……?」
何度訪れても留守だった。いや、留守というよりも既にここから出ていったと表現した方がよいだろうか、それほどまでに人の気配、生活の様子というものが消えていた。
こうなると、リュナが頼れる存在。というよりも“昔のリュナ”を知っている存在の心当たりは殆どない。適当な人に聞いてみても、知らないと言われるのが普通。もう、既に自分の本当の名さえ満足に言えない状態だ。仮に昔のフレンドがいたとしても、こちらからは分からない。
「いや…………まだ手はある」
一つ、可能性が思い浮かんだ。自分があの時倒れていた原因になったと思われる、あの忍者の存在だ。名前は知らないが、かなりの強さなのは覚えている。もしかしたら、あのロズウェル以上に危ない気配を出す存在かもしれないが、もう彼ぐらいしか頼れそうなプレイヤーはいない。ならば、もう覚悟を決めよう。もしかしたら、自分の記憶を丸ごと持っている可能性すらあるのだ。
「…………どうやって探そう」
そこで問題なのは、その謎の男をどうやって探すのかということだ。掲示板で探してみても、それらしい情報はない。聞き込みも同じ、半ば諦めかけていたその時、
「Decided strongest?」
このイベントの事を知った。これなら、本選までのこれば他のプレイヤーに大きなアピールとなる。となれば自分の事を知るものが見つかるかもしれない。それに、
「あの人も出るかもしれない…………」
あの謎の男も出るかもしれない。あの腕前ならば、本選まで行けば会える可能性は高そうだ。そんな考えで彼女は大会の参加を決めたのであった。
『さあさあ、一回戦もこれでラスト! 最後は二人揃って無名ながら、予選を突破
してきた実力者! 一体どんな試合を見せてくれるのでしょうか』
リュナが控室で悩んでいる間に、試合の時間が来てしまった。先ほど見たライトの試合、あれは間違いなくあの時の男だ。あの戦闘スタイル、見間違うはずがない。まだ話すことはできないでいるが、二回勝てばいやでも会える。
「よお、あんたリュナか。団長から聞いたぜ、幹部の座を追い出されたって」
「!?」
この会場のどこかにいるであろうライトの事を考えていると、目の前の男から衝撃的な言葉が聞こえてきた。内容はどうであれ、この男は昔の自分を知っている。
「あなたは…………私を知っているの?」
『それでは、一回戦ラスト、リュナ選手VSレヴィン選手の開始でーす!!』
疑問の言葉の返答は、レヴィンのかぎ爪だった。何らかの強化を施し、紫に光るそれをリュナは辛うじて短刀で受け止める。競り合いの形になってから、レヴィンが口を開く。
「知ってる…………ああ、あんた記憶を失ってるのか。そりゃそうか、でも都合がいい。なんせ幹部の席が一つ空いたお蔭でいい思いさせて貰ってるからな」
競り合いの最中、レヴィンは言葉を続ける。
「管理教団の幹部となりゃ、こっちの世界じゃ大抵の奴はビビッて言いなりになる。ありがとうよ、追放されてくれて」
「管理…………教団」
STRの差もあって、リュナはかぎ爪で弾き飛ばされ体勢が崩れたところにレヴィンが追撃を仕掛ける。両の手から繰り出される連撃に、リュナは防ぐのに精一杯。
「毒の十字爪!!」
連撃を防ぎきれなくなってきたところに、強力なアーツの一撃をくらいリュナは闘技場まで吹き飛ばされた。辛うじてHPは残っている、彼女はポーションを口に含みながら、レヴィンの言葉も飲み込もうとしていた。
管理教団、話くらいは自分の事を探るついでに聞いたことがある。この世界で最大の規模を誇る闇ギルドで、PKだって容赦なく行う上にその実力も折り紙付き。
レヴィン曰く、自分はそんな組織の幹部であったらしい。それならば、この実力も納得だ。殆ど体が記憶している動きとセンスだけで、この本選に出れる。その時点でこの世界で指折りの実力者で、自分はそんな実力者の中でも善人なんかではなかったらしい。
「しかし、あんたがこの大会に出るとはな。お蔭で俺の実力を証明できるってもんよ、ただ空席ができたから昇進した穴埋めじゃなくて、実力で勝ち取ったってな!!」
レヴィンが迫る、彼も管理教団の一員だ。それも十分上位に来れる程の実力と野心がある。ステップを使い高速で接近し、一撃を放とうとした瞬間、
「がっ!?」
逆に一撃を貰ってしまった。見ると、リュナは既に後ろに回りその手には陽炎のように揺らめく短刀を持っていた。
「へっ、今更本気出したところでもう遅いぜ!」
レヴィンが再度突撃を繰り返す、短刀の軌道は陽炎のように揺らめき読みづらいが、それを動かす体は依然そのままである、大きく良ければ被弾することはない。理屈ほど簡単なものでもないが、それをできるくらいには実力があるからこそ、彼は管理教団の幹部でいられるのだ。
さらに、彼にはまだもう一段先がある。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
咆哮と共に彼の瞳が赤く染まっていく。反応速度、攻撃力、それらが大幅に強化されリュナを追い詰める。息もつかせぬ連撃に、こちらの攻撃を見てから避ける強引な敏捷、並のプレイヤーなら何も出来ずに仕留められるであろう。
「…………幻影忍法、霧隠れ」
リュナが印を結ぶと、あたりが濃い霧に覆われ視界が白く塗りつぶされていく。
(目くらましか。だが、無駄だ、気配が、音が、地面の振動がお前の居場所を教えてくれる)
視覚に頼らなくとも、レヴィンはリュナの位置を補足する。普段なら難しいが、今の状態なら十分可能だ。だが、リュナはそんな戦法を軽々と超える。
「!? な、なんだ。足音が二つ、気配は…………十八!?」
レヴィンが感じ取ったのは、気配も音もまるで出鱈目。気配の出どころと音の出どころが一致しない。それどころか、十八もの気配にかく乱されて察知どころではない。
「…………」
それからの戦闘は、リュナにとって酷く簡単なものであった。混乱する相手に四方から切りかかり、時には水遁を混ぜることでレヴィンは混乱のままやられるだけであった。
「ケケ、これじゃ俺はただの補充要因だよ。さすが幹部だ…………その腕、錆びてねぇみたい…………だな」
途切れ途切れの一言を残してレヴィンは消えた。
『しょ、勝者、リュナ選手!!』
(昔の私は、こうやって色んな人をキルしてたのかな…………)
勝利の余韻に浸ることもなく、リュナはそんな事を考えながら短刀を握る自身の手に視線を落とすのであった。