第百六話 嫉妬
「…………」
リンは、一人控室で試合を見ていた。セイクやケンの試合は勿論、彼女が一番注視していたのは、
(アイツ、また強くなってる)
ライトの試合だった。彼女が知っている限り、ライトという男はそこまで闘いが得意ではなかったはずだ。特に、先ほどの闘いのように、無尽蔵ともいえる集中力を持つような者ではなかった。だが、このゲームが始まってから、いや、その少し前から彼は変わったような気がする。
(もう、私は負けない)
それは嫉妬とも言える感情だった。リンは現実世界でも、武術家の娘として鍛錬を受けてきた。純粋な力はともかく、技術ではそう簡単に異性だろうと遅れをとらない自負はあった。それは、国崎家の一族として、幼い時から積んだ鍛錬に裏付けられた確信じみた自信だ。
それに対して、ライト、いや光一はどうだろうか。ハッキリ言って、彼は才能のある人間ではない。それを自覚した上でがむしゃらに努力した者ならリンも苦戦しただろうが、彼は才能がないことをを理解し、目の前の課題をのらりくらりとかわすような生き方を選んでいた。
その生き方を否定するつもりはない。別に努力をしないわけではない、一つの事だけに全ての力を注いでいないだけで、そのような生き方はごくありふれたものだ。だが、リンは一度ライトに負けている。それも直接対決で、その事実は今も彼女の心の奥底に突き刺さっている。
普段は意識もしないようなことだったが、この大会の組み合わせを見たとき、心の奥にあったライトへの感情が顕在化した。ケンが負けるとは思いたくないが、ライトの試合を見た様子では、ケンとライトではライトの方に分があるだろう。
「……二回勝てば、闘える」
そんな事を考えながら、この二日間を過ごしていた。相手の戦法は、スキルは、アーツは、それらを考えて脳内でシュミレートを繰り返す。
『さあさあ、そろそろ一回戦の試合も終わりが見えてきました! お次の試合はなんと三人目となる、夜明けからリン選手VSこちらは攻略組の炎剣使い、サイア選手です!!!』
ふと気づくと、もう既に試合開始直前だった。目の前でサイアは剣を構え、こちらを睨んでいた。
『それでは、第七回戦、開始でーす!!』
「炎剣、サラマンドラ!!」
サイアは、手にした剣に炎を纏わせて、リンに襲い掛かる。武器に付加させる属性としては、炎は最もありふれたもので、それだけに強力でもある。
サイアはその付加された炎が引き起こす、状態異常と不規則な軌道を描く剣の軌跡をもって相手を追い詰めるのを得意とするプレイヤーであり、この本選に出ているのも運ではなく、実力をもって出場している。だが、
『おおっと、これはリン選手、サイア選手の猛攻に何もできないのかぁ~!!』
リンが防戦一方になるほどの高みにいる存在ではない。それなのに、彼女はこの試合開始から刀を鞘から抜いてすらいない。
「久しぶり、隣いい?」
「シェミルか、珍しいな。一人だなんて、セイクあたりでもいると思ったんだが」
「居たら逃げるでしょうが、それにこれから闘うかもしれない相手と会わないでしょ」
「どうだか、あのお人好しなら普通に会いそうなものだがな」
試合開始直前、ライトは会場の一番奥にある通路から遠目に試合を眺めていたところ、シェミルに声をかけられた。彼女の手には飲料が握られ、買い出しの帰りだろうということが見て取れた。ただの挨拶をすませて、自身の席に戻るかと思っていたが、
「それで、ライトはどっちが勝つと思ってるの?」
「……戻らなくていいのか?」
「別にへーきよ、フェニックスが席取ってるし、それに出場者のパーティーは指定席でしょ」
そう言って、ライトの隣に立って試合の観戦を始めた。どうやら、この試合が終わるまでは動きそうもない。それなら、こちらからどこかに行こうとしたのだが、
「ちょっと、どっちが勝つかって聞いてるのに、無視することはないでしょ」
裾を掴まれて、動きを止められてしまった。無理矢理振り払ってもいいのだが、仮にもリアルからの知り合いだ。無下にするのも悪いと感じ、ライトは渋々彼女の一メートルほど脇に立つ。
「この試合が終わったら、俺は行くぞ」
「別に良いわよ、それじゃ賭けましょ、どっちが勝つか、私はリンに賭けるわ」
「それだと賭けにならんな」
「どうしてよ」
「俺も、リンが勝つ方に賭けているからだ」
そう言いいながらライトが見せた紙には、リンに賭けたという内容が書かれていた。
「ほらほらどうしたの! 夜明けはこんなものなのかい!」
サイアが煽るように叫ぶも、リンは依然として刀を抜かない。ただ、柄を握ったまま体捌きで四方から迫る炎を避けていた。全てを紙一重とは言えないが、それでも急所は確実に外している。
着物の端が焦げ、HPゲージが危険を示す黄色に差し掛かっても、リンの顔色は見えない。妙にうつむき加減で、サイアすら彼女がどんな表情をしているかはわからなかったが、自分には関係ない。ただ、このまま焼き尽くしてしまえばいいだけだ。
「獄炎剣! サラマンドラドラ!!!」
なにか狙っているのかもしれないが、それなら出させる前に決めてしまえばよいだけだ。サイアの持つ剣に、灼熱が集まり彼女の顔をオレンジ色に染め上げていく。これが、攻略組の一員として、本選に出場するほどの存在の切り札。その熱量に、並のプレイヤーなら委縮してしまうだろう。
「…………スーーーーッ」
リンはそんな相手を前に、柄を握り深呼吸を一つ。
勿論、そんな隙を晒せば、サイアからの追撃は免れない。リンは、右側から迫る炎をギリギリ急所を外し、体捌きで避ける。HPが赤になるのを気にせず、前に出る。
今度は上から迫る炎をステップで避け、その先に待ち構えていた二本の炎をハイステップで躱す。
「ッ!」
そこでサイアは見た、リンの表情を。まるでこちらを見ていない、自分は、なにか、その先にある目標の前にある小さな障害とも言わんばかりの表情だった。
「サラマンドラドラ、豪炎舞!!!」
その表情が、恐ろしかったのか。それとも挑発と受け取ったのか、サイアは最大の一撃を放っていた。炎の筋が、数十とリンに迫る。恐らく熱量だけで言うならば、あのオバンドすらも超えるであろう一撃。四方から迫る灼熱を見て、リンは一言、
「縮地」
その一言で、彼女とサイアの距離は一気に縮まった。このタイミングでは、サイアに防御手段をとることは出来ない。
そして、リンは腰の剣を居合切りの要領で振りぬきながら、サイアの横を走り抜ける。サイアの首元に寸分たがわずあてがわれた刀は、目にも止まらぬ速さで彼女のHPをゼロにしていた。
「黄泉送り 一閃」
小さく呟くと同時に、リンは刀を鞘にと仕舞う。見るものからすれば、リンがいつのまにか刀を抜いて、納めたと思ったらサイアが倒れていた。とも見えるほどの一撃だった。
『け、決着です!!! なんということでしょう、リン選手、神業ともいえる一撃で、一刀の下にサイア選手を下しました!!!』
「さて、もう終わったからいくぞ」
「…………え、もう行くの?」
「これ以上いても仕方ないだろうが」
試合の終わりを見て、ライトはシェミルから離れようとする。すぐにでも人込みに紛れてしまおうかと思ったが、立ち去る前に、
「そうだ、リンに伝えといてくれよ。いい居合いだった。だが、次は相手見ないと大けがするぞってな」
「え、っちょっと居合いってなによ…………」
そう言伝を残して、シェミルの視界から消えたのであった。