第百五話 腐食
「終わったか……」
控室で座っていたケンは、「よっこらしょ」と言いながら戦斧を肩に担ぎワープポイントに入る。
よく考えれば、ライトの闘いを見る機会は最初の町でのこと以来なかった。なんだか、ずいぶんと彼が遠くに行ってしまったような気がする。一応フレンド登録はしてあり、何度かメッセージを送ったこともあるが、どれもこれも素っ気ない返事ばかりであった。
ライトがメッセージで素っ気ないのは、昔からそうだったのだが、それを見るたびにセイクがかつてのことを悔やむような表情を見せるので、ケンもライトとのメッセージを教えることは無くなった。
このゲームを始める前、“一緒にやろうぜ”と帰り道に語ったあの時間が、はるか昔のような気がする。
「アイツは勝った。なら、俺が負けるわけにはいかねぇな」
それでも、自分は彼を友人だと思っているのには何も変わらない。新たな一面があるなら、それを理解するだけだ。
『さあさあ、お次の試合は今大会唯一の魔法使い、ミスト選手VS先ほど激戦を繰り広げたセイク選手と同じ、夜明けのケン選手!!』
紫の髪をだらりと下げたミストが無言のまま杖を構え、離れた位置にケンが斧を担いで出現する。彼の記憶が確かなら、ミストは攻略組の一員である魔法職だったはずだ。直接闘ったことはないが、水系統の魔法と補助がメインだと聞いたことがある。
『それでは……第六回戦、開始でーす!!!』
だが、ケンは何となくミストから以前とは違った雰囲気を感じていた。それは、“しばらく会っていなかったから”や“気のせい”と言われてしまえば、納得する程度の違和感。
そんな違和感を感じた次の瞬間、
「…………」
「ぬおっ!?」
ミストが掲げた杖から激流が流れ、ケンはとっさに斧を盾にして防ぐ。さらに鋼体のアーツで、対魔法への防御を上げた上で、彼のHPのうち三分の一近くが消し飛んだ。
これは明らかにおかしい。盾役のHPを大きく消し飛ばす一撃を、ミストは無詠唱で行ったのだ。このゲームでは、一部の例外を除いてアーツやスキル、魔法は発声をして発動した方が効果が高くなるという特徴がある。特に魔法はその特徴が顕著であり、殆どのプレイヤーは詠唱を持って発動するのだが、無詠唱でこの威力は攻略組のトップをも超えかねない威力だ。
「魔斧 三連刃!」
「……」
ケンは瞬時に反撃に出る。大斧を一振すると、三つの刃が宙に出現しミストに襲い掛かり、彼自身もミストへ接近を試みる。水弾で宙の刃は相殺されたものの接近には成功し、斧を振り上げ追撃を仕掛けたが、スルリと横を抜けるように紙一重で回避されると同時に、彼女の足元から噴き出る水流を背中に受けて吹き飛ばされてしまった。
その時に、ようやく明確な変化に気づいた。
「…………」
(なん…………だ? あの赤い目は)
ケンの記憶では、ミストの瞳は紫色だったはず。少なくとも、今見えているような赤色ではなかったはずだ。
(確か、さっきティーダもこんな目してたな)
この目の色には見覚えがある。それは、第二回戦でのティーダが劣勢状態からこの目になった途端に戦況を盛り返したアレだ。だが、ケンは知る由もない。それが神の従者の仕業であり、このゲームの枠組すら超えかねない能力で起こっていることなど。
(ま、どんなスキルかは分からんが、全力で叩くまでだ)
彼からしたら、ミストもティーダも何か自分が知らないスキルを使っているようにしか見えない。ただ、いつものように戦うだけだ。
ポーションを砕き、斧を握る手に力を込めて相手を見据える。ミストは既に次の魔法の準備を終え、杖の先から水の柱と紫色をした毒の柱がこちらに狙いを定めていた。
「鋼鉄の信念!!!」
ケンが、そう叫ぶと同時に彼の体はメタリックなシルバーに覆われ、鈍重かつ地面を揺らすほど力強い踏み込みから大斧を振る。多くの柱が一振りするごとにで砕かれ、幾らか直撃しようとも鋼鉄の体は揺るがない。
「斧創造」
ケンの右手に装備とは別に、鉄製の斧が生成されていき彼はそれをアーツを使い投げる。凄まじい圧力を持って投げられたそれらを、ミストは眉一つ動かさずに躱していく。四つ目の斧が自身を超えるような軌道を描いて落ちるのを見て、彼女はその隙に詠唱を終える。だが、
「…………!?」
「オラァ!!」
ここで初めてミストの顔に驚愕の表情が浮かんだ。これまでの斧の投擲で、ケンは避けられるのを分かった上で、避けた先の彼女の位置が丁度距離を詰め切れる場所に来るように調整していたのだ。
このタイミングならそうそう避けられない、出の早いアーツが当たれば大きく流れは変わるはず。そう信じて彼は斧を振るった。しかし、
「な…………んだ?」
「霧気体」
刃がミストの体に触れた瞬間、彼女の体は毒々しい色をした霧にへと変化し、ケンの攻撃から逃れた。それだけではない、彼の周りを覆う霧は、鋼鉄の信念で強化された毒耐性すら貫通しダメージを与えていく。
「ぐ、…………あああああああ!!!!」
それは腐食ともいえる攻撃で、見る見るうちにケンの体が黒く錆びて動きが鈍くなる。ほどなくして全身が錆び付いた彼から離れたミストは、実体化して止めの呪文の詠唱を始めた。今まで詠唱無しでこれだけの威力を出していた彼女だが、邪魔の入らない今、確実に倒すための威力と範囲を持った呪文を詠唱するたびに、紫のオーラがあふれ出し津波と言う実体を形作る。
「侵略する毒津波!!!」
彼女の目の前に現れたのは、まさに巨大な壁が崩壊するかのような毒の大津波。もはや逃げ場はなく、仮にあったとしても今の錆びついた足で走ることもままならない。
「…………」
それでも、彼の目はまだ死んでいない。全身を錆びつかせられても、彼の心はまだ錆びついてなどいない。今だ離さない斧を持つ力をさらに強め、ゆっくりと腰を回して斧を構える。腕、腰、背中、遠心力、それら全ての力を集約するべく錆びついた体を動かしていく。そして、
「大地切断撃!!!!!」
ケンの全力をもって斧が振るわれ、バリバリとその回転に耐えられなくなった錆が腐食した部分ごと剥げていき、彼の体が銀色の輝きを取り戻しながら斧から巨大な衝撃波が放たれる。
その一撃は会場の地面を大きく削り、凄まじい速度で一筋の軌跡を残しながら毒の津波を切り裂き、
「が…………ぁ!?」
その奥にいたミストごと両断した。
『決まったぁ!!! 決まりました、素晴らしい逆転劇で勝利したのは、ケン選手です!!!!』
こうして、まるでモーゼのように自身を境に両断された津波の中心で、ケンは両手を挙げて勝利の喝采を浴びるのであった。