聖女様と不機嫌そうな男
――両手を組んで、膝をつき、聖女が世界の平和を願えば神は愛おしい聖女の願いを聞き届けるために自然を操る。――
「それがこの世界の“聖女の伝説”なの?」
不機嫌そうな男に問えば、男は小さく頷いた。正直に言わせてもらえば、私だって機嫌はよろしくない。
突然あたりが真っ暗になり、停電かと驚いた。
次に明かりがついてあたりが見えたら、見知らぬ場所に立っていた。
突然の停電に動く間さえなかったのに、私はさっきまでいた一人暮らしのワンルームマンションから移動していたのだ。ありえないでしょ、びっくりでしょ?
光をあびたステンドグラスが室内を淡く照らす。
神秘的な雰囲気の部屋。
幻想的なその景色に呆気にとられ立ち尽くしていれば、背後のドアが開きこの男が現れた。
この男は最初の対面から眉間にしわを寄せ(私が問い詰める前から眉間のシワは寄っていた、だからノンストップで自分の疑問を話し続けた私のせいではない……はずだ)、不機嫌を隠すことなく私との会話を続けている。
男によればここは神殿で、男はこの神殿の司祭という最上級の職に就いているらしい、見た目若そうなのに凄いね、とオバサンみたいなことを考えながら長身の男の顔を見上げ続けていたら、私の首が悲鳴を上げた。
身長差がありすぎて、首が痛い。
恐らくこの男、190以上ある。
顔も恐ろしく整っていて、美しいという言葉がこれほど似合う男もいないだろう。
「その髪の色にその顔立ち“聖女”か?」
「違います」
思わずくい気味に否定した私は悪くないと思う。
なんだ“セイジョ”って私はただの一般市民だ。
それから男が淡々と告げる言葉に耳を傾けていれば、どうやら世界が違うらしい。
目の前の日本語がとってもお上手な外人さんは、日本語がとってもお上手な異世界人さんらしい。
ま、男から……この世界から見れば、異世界なのは私の方なんだけど、とにかく世界が違うせいで、黒髪を持つ人種はいないらしい。
そして代々の“聖女”は黒い髪の持ち主だったことからこの世界では黒い髪=聖女という方式が出来上がっている。なんてはた迷惑な方式なんだ。
“聖女”はごくごく稀に現れる彫りの浅い顔立ちで、髪と目が黒い少女、そして神がその声を聞き届けることから“神の愛し子”とも呼ばれている。純日本人の私は(男の容姿を見る限り)欧米人(っぽい人種)から見たら彫りも浅く、黒と言えなくもない髪と目のしている=この世界の人間には“聖女”にしか見えないそうだ。
「私、成人してるんだけど」
数年前に成人式も終わらせている私は確実に“少女”ではない。だから聖女じゃないよと遠回しに言ったつもりだったが、ジロジロと頭のてっぺんからつま先まで見られた後にこの世界の少女並の成長しかしていないから大丈夫だ。とよくわからない保障の言葉をもらった。
確かに身長も胸も小さいけど、そんなので“少女”認定とかいらないわ!
男に聖女が暮すための部屋へと案内された。その間にも聖女じゃないアピールは続けていたんだけど、全て無視された。
泊まる気ないんで帰してと言えば“聖女が帰る方法など知らない”と取り付くしまもなく……今までの聖女もこの世界に骨を埋めたそうだ。突然人生がガラリと変わったことに私の思考能力が追い付かず、与えられた部屋のベッドに横になってもなかなか眠ることは出来なかった。
そして翌日の朝食時、冒頭の“聖女の伝説”の説明を受けた。
ご飯を箸で口に運んでいる最中だったので、男からはしたないとたしなめられる。
「そういうことで、聖女様には今日からその祈りの間で祈ってもらう」
聖女(仮)が聖女様にランクアップしていた。どうやら神殿のお偉いさんと話し合った結果間違いなく聖女だという結論に達したらしい。
男も同じテーブルに着き、焼き魚に箸を入れた。キレイな箸使いに思わずジッと見つめていれば問いかけられた。
「私の国の料理と一緒だと思って……あと、この料理ダレが作ったの?」
私の疑問に男は一度頷いて、説明を始めた。
料理が一緒なのは、過去の聖女様がホームシックに罹り、食事を食べなくなったので聖女様から料理の方法を聞き再現したからだそうだ。
突然こっちに来たのならそれは仕方ないとこだろう……他人事ではないソレに私も神妙に聞いていた。それにしても、味噌や醤油なんてよく作れたなぁ。っとわかめのお味噌汁を味わう。
料理を作ったのは料理人だそうだ。
神殿には料理人がいるらしい……日本の教会をイメージしていただけにちょっと違和感があったけど、目の前の男が作ったと言われたほうが驚くので取り敢えず納得しておく。
それから食事の間はこの神殿の成り立ちや、“神とは……”みたいな小難しい話しになったので適当に流しておく。
それからお風呂に入り、服を着替えて、“祈りの間”へと案内された。
そういうのって女の人の役目じゃないの?と聞けば、聖女様のお世話を出来るのは神殿の中で一定の地位を持ったものでないとダメならしい。
聖女様を介して神様に擦り寄ろうとするのを止めるためらしい。それで見知らぬ女の世話をしなければならないとは、とちょっとだけ男のことを不憫に思った。
案内された“祈りの間”というのは、私が最初に立っていた部屋のことだった。
最初に目につくのは、立派なステンドグラス。
外からの光がステンドグラスを通して室内を淡く照らす。その光景にやっぱり幻想的だと見入っていれば、男の“やはり聖女様で間違いないでしょう”という言葉が聞こえた。
それに問いかけると、この部屋のステンドグラスは神から初代の聖女様に贈られたもので、歴代の聖女様がこの部屋に入ると外からの光を通し室内を淡く光らせるらしい。聖女様がいなければどのように細工してもステンドグラスは光を通すことはなく、室内は闇に包まれたままになるらしい。
さすが異世界、なんでもありデスネ。
それから私の異世界での軟禁生活が始まった。
朝、いつもと変わらず不機嫌そうな男に起こされ、支度を整えて朝食を食べる。
食後は“祈りの間”でお祈り。不機嫌そうな男が呼びに来れば中断して昼食。
食後は気分転換と運動の為に、不機嫌そうな男と人払いが済んだ中庭で散歩。
散歩後は、不機嫌そうな男にこの世界のことを教えてもらうか、男の手が空いてなかったら一人で読書、子供向けの絵本ぐらいなら自力で読めるようになった。言葉が通じるんだから文字も分かるようにしといてほしかった。
それから不機嫌そうな男と夕食。食後には今日あったことや分からなかったことを男に質問する。
それからお風呂に入って就寝。
着替え関係は全て不機嫌そうな男が部屋に持ってきてくれるのを着ている。それ以外に着る服ないしね。
こうして続いた聖女様としての生活に、なんの違和感もなくなってきた頃。とあるきっかけでずっと不機嫌そうだと思っていた男が、小さいものや可愛いものが好きなことが発覚した。不機嫌そうな眉間のシワはただの標準装備で、身長の低い私は男の“小さいもの”の括りに入り、全く他の人に会えないのも、“聖女様の世界はこの世界より平和”だと前回の聖女様のお世話係の手記に書かれていたので危険にあわないようにとの処置だったらしい。
それならと神殿から出たい、他の人とも会いたいと男に言えば悲しそうな、捨てられた犬のような表情で“聖女様が望むなら”と頷かれた。
なんとなく馴れた男のそんな様子に、何故か悪いことをしたような気持ちになって慌ててフォローをすれば、男から質問攻めにあった“苦手ではないか?”“邪魔じゃないか?”“苦手なものはないか?”等に“うん”と肯定し続けていれば“結婚してくれるか”と続いた。
さっきまでの調子で“うん”と返事をしてしまって、慌てて否定しようと男の顔を見ると……眉間のシワがなかった。
そのことに驚いて否定するのを忘れて見入っていれば“言葉にしてよかった”“断られたら悲しくて死んでしまう”と男は続けた。そんなことを言われれば嫌いじゃないだけに余計否定しづらい。
「でも、聖女って結婚できるの?」
遠回しに結婚できないんじゃ……と問いかけても問題ないと男は頷いた。
なんでも聖女様の結婚相手には審査があるそうだけど、それさえ通れば問題ないそうだ。元々、聖女としての力はこの世界に現れた当初が一番強く、それからは緩やかに衰えて行きゆくゆくは一般人と同じようになるそうだ。
聖女の力を発揮できるのは長くても五年。
お世話係はその五年間、聖女様に祈りをさせ、この世界の常識を教えて普通の人として生活させるのも役割の一つらしい。
私はこの世界のことや文字は教えてもらったけど、一般常識は教えてもらってなかった。力が消えたら何もせずに放りだすつもりだったのかと男を詰れば、ニコリと綺麗に笑って(笑うところ初めて見たけど、同時に寒気もした)なにも知らなければ自分に頼るしかないだろうと言いきった。
そんな言葉に恐怖でドキドキと鼓動が速くなった。
そんな私の様子など無視して、今まで必要最低限しか話さなかった男はもう我慢しないといい、距離を詰めてきた。
男の綺麗な顔がだんだんと近寄ってくる。
耳元まで唇を寄せて、生きていたなかで聞いたこともないような美辞麗句とともに囁かれる愛の言葉に恐怖とは別の意味で鼓動が速くなった私はなんてお手軽な女なのだろう。
顔を赤くしながら、男の言葉にどうにか首を振り否定することは出来た自分を褒めてあげたいくらいだった。
こうして、私と男の攻防戦が幕を開けた。
が、日々繰り出される男の甘い言葉に、真っ赤になりながら頑張って否定していた私は、数年後聖女としての力を失ってからとあることに気付いた。
そしてそのせいで、聖女として力を失い神殿から出されたときに男の手を取ることしか出来なかった。
そう、私は男の言葉を否定することが精一杯で、この世界の一般常識を男から教わることが出来なかったのだ。
そうして、私の聖女生活は終わりを告げ、私は男が所有する神殿近くの屋敷で男の使用人に囲まれて暮らすことになる。屋敷とか使用人とか、聞いていない!と半分パニックになって怒る私は男に、この世界は危ないからや今までのようにずっとそばに入れなくて心配だかと言われ、使用人から常識を学べばいいと宥められ。
何とか納得して、男の使用人から言われたとおりに常識を学べば、それはこの世界の貴族として過ごすための常識だと気付いた時にはもう遅かった。
毎日毎日、愛を囁かれ続けた私はほだされて男の恋人→婚約者→妻と身分を変えたのだった。