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2-2 騒がしい朝

 これは、昨夜ユーリと名乗る少女と出会った後、布団の中でゴロゴロしている時に、突然よみがえった、断片的な過去の記憶。

 ――昨夜出会った少女は、自分が昔飼っていた猫が人間の姿になったものだった?

 それはとても突飛で、馬鹿馬鹿しいと一蹴してもおかしくないような空想だ。にもかかわらず、どうしてもその空想を一蹴できない自分がいた。それどころか、半ば本気で純也はあの少女がユーリの生まれ変わりなのではないかと信じ始めてすらいた。

 それよりも、もっと気になることがある。どうして、ユーリと過ごした日々を忘れていたのだろうか。それが思い出せない。

 そもそも忘れていた理由を思い出すなんておかしな話ではあるのだが、ユーリという子猫と暮らした時間は、あっさり忘れてしまうほど薄っぺらいものではなかったはずだ。

 最終的には、ユーリと何らかの形での別れがあったはずなのだが、それについてはまったく思い出せない。

 辺野市に引っ越してきた時には、ユーリとすでに別れていたはずだ。なぜならば、このアパートはペットを飼うことを禁止されているのだから。

 ――こっちに引っ越してくる直前に別れたのだろうか?

 やっぱり思い出せない。

 魚の骨がのどに詰まっているかのようなすっきりしない気持ち悪さがあったが、思い出せないものはしょうがないということにして昨夜は眠りについたのだった。

 そんな感じで、昨夜は寝る直前にずっと考え事をしていたせいで寝つきは悪かったが、今朝の目覚めは珍しく快調だった。

 一度伸びをして、時計を見るとまだ七時ちょうどだった。目覚ましが鳴るギリギリまで布団に潜ってようか、という考えがよぎったが、ここは潔く起きることにした。

 カーテンを開けると窓の外は、あの時と同じように空一面に雲が覆っていた。

(雨が降るかもしれないから、傘を持っていかないとな)

 そんなことを考えながら部屋を出てリビングに行くと、テーブルにラップ掛けしてある朝食が並んでおり、リビングに人の気配はなかった。

 母はすでに仕事に行き、司はまだ寝ているのだろう。司は今朝は朝練がないと言っていたし、まだまだ起きないだろう。朝練がない日の司は、遅刻ギリギリまで睡眠を取り、陸上部で鍛えたダッシュ力を持って登校している。

 ラップ越しに朝食のスクランブルエッグに触れると少し冷めていたので、一旦温めようと、電子レンジの扉を開けた時、玄関でチャイムが鳴った。

「――? 誰だ。こんな朝早くから」

 何かの勧誘とかだったらどうしようかとも考えたが、さすがにこんな朝早くからは来ないだろう。

 もしかしたら、美月あたりが一緒に登校しようと誘いに来たのかもしれない。そんな期待をわずかながら――針の先ほどの大きさくらいに――抱きながら、とりあえず玄関まで行き、扉を開けた瞬間、その向こうにいた人間の姿を認識して息が止まりそうになった。

「あっ、純也。おはようございます」

 あっけらかんとした調子でぺこりとお辞儀したのは、栗色の髪に、宝石のような真っ黒い瞳と、形の良い眉、小柄だがどこか大人びたような雰囲気を併せ持つ可愛らしい顔の少女だった。

 まさしく昨日の夜、電柱の下で出会った、自らをユーリと名乗った女の子だった。

 今目の前の少女を改めて見て、最初に思い描いたのは、かつて純也とともに時間を過ごしたユーリという猫の姿だった。目の前の彼女の栗色の髪と黒一色に染められたつぶらな瞳。それらはまさしく、ユーリという子猫の特徴と一致していた。

 純也は完全に確信を得た。

 過去の記憶と現在の記憶。その二つがぴったりと重なり合う。確かに目の前の少女は、純也が知っている姿とは異なっている。どれくらい違うかと言えば、猫が人間になっちゃっているくらい違う。

 だけど、その人――人と表現するのは多少語弊があるが――の持つ雰囲気とか、それこそ匂いというのは、形を変えても変えられないものなのだろう。今なら、ユーリが十年越しにあった自分のことをすぐに言い当てられたというのも納得がいく。

「ユーリ――久しぶり……でいいのかな?」

 少し照れの混じった笑顔で、純也は右手を上げて挨拶する。

「純也……」

 一方のユーリは噛みしめるように呟き、一度目を大きく見開いてから少し照れくさそうに笑みを浮かべた。

 彼女の瞳がうっすらと湿っていた。それを見て、純也はいつか見た宝石の涙を流す女の子の話を思い浮かべた。きっと彼女が浮かべている涙にも、宝石と同等の価値があるのかもしれないという、自分でも訳のわからない想像をしてしまった。

「なんで昨日の時点で気づかなかったんだろうな。昨日、別れた後、ふと思い出したんだ。どうして忘れてたのかもわからないし、あの頃の記憶を完璧に思い出したわけでもないんだけどさ」

 純也は申し訳なさやら、色んな感情を抱きながら後頭部をぽりぽりと掻く。

「ううん。思い出してくれたなら、それで十分です。それに、忘れてたのもきっと、そうしないといけない理由があって、それが運命だったんです。そして、今こうして純也とまた会えたのも運命だと思います。だから心配しないでください。きっといつかちゃんと思い出しますよ」

 昨日と同じように、どこか含みのある言い方だった。きっとまだまだ純也が思い出さないといけないこと、知らないといけないことはたくさんあるのだろう。だけど、今はそれを気にするよりも再会を喜びたい気分だった。

 それにしても昔飼っていた猫が、美少女の姿になって自分の前に現れる。

(こんな与太話、誰かに話しても絶対に信じてもらえないだろうな)

 別に誰かに信じてもらおうというつもりもないし、そもそも誰かに話そうというつもりもない。

 純也が知らないだけで、この世の中にはこのような不思議なことがそこら中に転がっているのかもしれない。

 そんなことを思った。

「それで、こんな朝からどうしたんだ?」

 昔飼っていた猫相手に、普通にこんな会話をしていることに若干の違和感を覚えつつ問いかけた。

「いえ、実はですね――」

「ああーーーっ! ユーリちゃん!」

 二人の間に、突然割り込んできた甲高い声は紛れもなく司のものだった。

 純也が振り返ると、司はスキップをするような軽い足取りでこちらに近づいてくる。

「こ、これはだな……。あの――」

 何かいけないことをしていたかのように、純也は何かを必死に誤魔化そうと言葉を探していた。きっと自分自身でも、何を誤魔化そうとしているのかは、わかっていないだろう。

 そんな挙動不審な兄貴を尻目に、司は純也の肩口から、ユーリに向かってひょいっと顔を出す。

「ユーリちゃん、おはよう。ごめんね、今起きたばっかりだからこんな格好で」

 司はパジャマのままで、髪の毛の至るところに寝癖が残っている。ぼっさぼさの髪は紛れもない寝起きの証拠だ。

「うん。司ちゃん。おはようございます」

 ユーリはそんな司を見て、微笑ましいものを見るような穏やかな笑顔を浮かべ、ぺこりと頭を下げた。

 二人の間に流れる空気は明らかに初対面のそれではない。というか、二人ともかなり親しげに会話しているようだった。

「司、おまえ、ユーリのこと、知ってるのか?」

 猫だったころのユーリを飼っていた記憶は純也の中で曖昧なため、確信は持てなかったが、司がユーリを可愛がっていた記憶はない。その当時、司はずっと病院で暮らしていたはずだ。

 そもそもどうして司が、ユーリが人間になったことを知っているのだ?

 脳内で色々な推理が組み上がる。しかし答えは意外なところに落ちていた。

「ん? おにいちゃん、何言ってんの? それはむしろこっちのセリフだよ」

 司のその反応を見て、自分がこの場で置いてけぼりになっていることに気づいた。何やらどこかで、齟齬が発生しているらしい。

「お兄ちゃんこそ、なんで昨日転校してきたユーリちゃんのことを知ってるような感じなの?」

 ――昨日。転校。

 どっかで聞いたことのあるキーワードと自分の記憶を結びつけた結果、純也は一つの結論を導き出した。

「もしかして昨日、司が言ってた転校生って、ユーリのことなのか?」

 純也が言うと、司は不審者を見るような顔で、

「ちょっと待って。お兄ちゃん、それを知っててユーリちゃんと話してたんじゃないの?」

「いやいや、確かに転校生の話は聞いてたけど、転校生が可愛かったって情報以外は、俺聞いてないんだけど。その転校生を見たこともないし……」

 司は物わかりの悪い兄を責めるような目で見る。

「ふ~ん、じゃあ改めて紹介するね。ユーリちゃんはね。昨夜のあたしの話に登場した転校生なんだよ。あたしはユーリちゃんとすぐに仲良しになって、昨日の帰りに、明日から『一緒に登校しようね』って約束したの。理解した?」

 司は、捲し立てるように一気に言った。

 そこに至って純也は、ようやく状況を飲み込むことができた。

「うん。とりあえず事情はわかった」

 これで話は一段落ついたとばかりに、純也が話を切り替えようとすると、そうはさせまいと司が、

「ちょっと待ってよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんとユーリちゃんは、あたしの知る限りは初対面のはずなのに、なんでそんなに親しそうなのか聞きたいんだけど」

 ずいずいっと、司が顔を寄せてくる。その目には、謎を暴きたいという好奇心や、「あたしの友人にあたしの知らないところで手を出しやがって許さんぞ」というような、純也を責めるような色が含まれていた。

 司に事情を説明するべきなのだろうか。だがどこをどうやって説明しても納得してもらえない気がする。だいたい純也自身だって、頭のどこかではこの状況を信じていない節があるのだから。

「あのちょっといいですか?」

 二人の睨み合いを眺めていたユーリがおずおずと口を挟んできた。

「わたしがこんなことを言うのもなんですが、話を整理するのは後にするべきでは?」

 ユーリの提案を聞いて、純也と司は顔を見合わせる。そして、朝の貴重な時間は一分一秒ですら無駄にすることはできないことを思い出した。

 こんなことをしている場合ではない。

 司も今がどういう状況なのか理解すると同時に我に返り、

「ユーリちゃん。ちょっと上がって待ってて」

 司はそれだけ言い残し、ドタバタと足音を立てながら洗面所に向かった。

 玄関には純也とユーリだけが残される。

「そう言うわけですから、これからよろしくお願いします。先輩」

 楽しそうに、そして意地が悪そうな笑みを浮かべるユーリ。その笑顔に不覚にも心臓が大きく跳ね上がってしまった。

 どうしてそんな気持ちを抱いたかといえば、これからきっと大変な日々が続くだろうなと想像したから。でもそれ以上に心が躍るような楽しい日々が待っていると思ったから。そう思うことにした。

「あ、ああ、こちらこそよろしくな」

「それと、わたしの正体はあまり他人に言わないほうがいいですよ。きっと正直に話すと、この世界では間違いなくおかしな人だと認定されるでしょうから」

 当たり前のことを注意する自分におかしくなったのか、ユーリは口に手を当てて、くすっと笑った。

「ああ、間違いないな。俺だって、ユーリの正体を疑っているわけじゃないけど、理屈の部分では、信じられるわけないって思ってるしな」

「そうですね。きっとそれが普通の反応だと思います。いえそれどころか、すんなりとわたしの存在を受け入れてくれる純也はすごいと思います」

「まあなんて言うんだろうな。俺は物事を深く考えないで、あるがまま、目に見えたことをとりあえず受け入れるタイプなんだな、と改めて思い知らされたよ」

 言い終えると純也のお腹が、ぐう~、と情けなく音を立てる。

 そうして、純也自身も朝食をまだ食べていないことに気がついた。

「とりあえず上がって行けよ。俺も司もドタバタしてるから、おもてなしはできないけど、玄関で突っ立てるよりはマシだと思うぞ」

「そうですね。それではお言葉に甘えて」

 そう言って彼女は靴を脱いだ。

 その時、彼女の髪がファサッと舞った。そこから漂ってくる甘い香りを純也は生涯忘れることのないように、記憶に刻み付けた。


 今度こそ朝食を温めていたところ、衝撃の事実が一つ発覚した。とは言っても、猫だったユーリが人間の姿になって現れたという衝撃に比べれば、どんなものでも霞んでしまうのだが。

 昨日まであった自分の中での常識や、有り得る事やそうでない事の境界線は既に意味をなしていないことを純也は理解している。

 ユーリをリビングのテーブルに案内すると、彼女はそこで一言。

「この度、お隣に引っ越してまいりました。『田中』と申します。こちら引っ越しの挨拶として、粗品ですが」

 彼女は自分のカバンから白い包みを取り出して、のし紙が巻かれているタオルを純也に差し出した。

「こりゃまた。ご丁寧に」

 あまりにも有り触れた、常識的な彼女の引っ越しの挨拶に、純也は素っ頓狂な返事をしてしまった。だが、問題はそこではない。

「って、ちょっと待て。ユーリが引っ越して来たって? 俺の家の隣に?」

「はい。そうですよ」

 それが何か? とでも言いたげに首を傾げるユーリ。

「あ~、そう言えば……」

 昨夜コンビニに出かけた時に、四〇二号室に新たな入居者がいることをこの目で確認したことを思い出す。あまり関心がなかっただけに、その入居者とユーリがイコールで結びつくまでに、多少の時間を要した。

「そういうわけですから、これからお隣さんですね。よろしくお願いします」

「なるほどな。お隣同士に同級生がいたら、朝早くにやってきて、一緒に登校するのも、まあ普通に有り得ることなんだろうな」

 パズルのピースが埋まっていくかのように、背景と事実が合致した気分だった。

「そうですね。きっとそれが普通なんだと思って、司ちゃんと一緒に学校行くことにしました」

 純也はスクランブルエッグを口に運びながら、向かいのテーブルに腰かけているユーリの言葉に耳を傾けた。

 純也自身も小学校の頃は、幼馴染の美月と毎日一緒に登校していた。そのおかげでクラスの男子にからかわれたりもしたのだが、今となってはそれも遠い日の懐かしい思い出の一つに過ぎない。

 ユーリはテーブルに両肘をついて、手の平に顎を乗せて、何かを言うわけでもなく、ただじっとこちらを見つめている。

 色々と彼女に聞きたいことはあった。

 どうして今になって自分の前に現れたのかとか。どうして司と同じ学年に転入してきたのかとか。なんでそんな姿になったのかとか。このように突っ込んだ質問もしたかったが、いつ司が洗面所からも戻ってくるかもわからないし、なんとなくそんなことを聞く雰囲気でもない気がした。

「いろいろと聞きたいことはあるんだけど、まあ今はいいや。へんてこりんな状況だが、まあとりあえず受け入れるしかないだろうしな」

 あまりにも有り得ない現実を目の当たりにしたとしても、案外人間はすんなりと状況を受け入れるもんだなと、純也は内心で自分に感心していた。

「ふふ、そうですね。わたしがどうしてこんな姿をしているのかっていうことと、わたしがどうしてこうやって純也の前に現れたか、ということは、すぐにでもお話するべきなんでしょうけど――」

 ユーリは大きな瞳を純也の背後に向ける。彼女はおそらく純也の背後に位置する洗面所にいる司に視線を向けているのだろう。

 やはり純也以外の人間には、自分の正体や詳しい事情を知られたくないらしい。

「まあ事情は追々聞いていくよ。ところで、その『田中』って名字はどうして?」

 色々考慮した結果口を出た質問がそれなのはどうかと思うが、まあ言ってしまったものは仕方がない。

「それは簡単です。有り触れた名字を使ってみただけです。名字がないと色々不便だと思いまして」

 平然と言い放つユーリ。世の中の田中さんに、なんて失礼なことを言うんだ、とも思ったが、そこは黙っておくことにした。

「じゃあ、転校手続きも入居手続きも『田中ユーリ』っていう名義になってるわけか。っていうか、そういう手続きって、それなりの身分とか、お金が必要だったんじゃないのか? そういうのはどうしたんだよ」

 ユーリの口元が不敵に歪んだ。

「それは、内緒です」

 ユーリは人差し指を口に当ててウインクする。

「女の子はたくさんの秘密を着飾って、美しく綺麗になるんですから」

「ったく、その知識はどこから入手したんだよ」

 純也が呆れたように溜息をつくと、

「それも秘密です」

 これ以上聞いたところで、同じような答えが返ってくるのだろう。無駄に時間を消費するのも嫌だったので、話題を少し変えることにする。

「ユーリは隣の部屋に独りで住んでんのか?」

「そうですね。当たり前ですけど、家族なんてものもいないですし。わたし一人です」

 事実を淡々と告げるユーリの口調にはどこか、寂しさとか切なさのようなものが混じっているように感じられた。

 純也の自宅は3LDKと言う間取りである。もちろんすぐ隣のユーリが住んでいる部屋も同じような間取りをしているはずだ。

 この家で暮らしてから随分時が経つが、物理的な意味で肩身が狭いなどと思ったことは一度もない。三人で暮らしていて、丁度いい広さだった。

 純也はこの家に一人で暮らす自分を想像してみる。

 きっと、だだっ広い空間を持て余すに違いない。

 そうするとどうなるか。持て余した空間を埋めるように、寂しさが侵食してくることになるだろう。

「まあ何かあれば、俺を頼ってもいいし。司もああ見えて結構しっかりしてるしな。ユーリがいたころ、司はずっと入院してたから、あいつのことはあんまり覚えてないかもしんないけど。まあ仲良くしてやってくれ」

 独りぼっちの家で過ごすユーリの姿を想像して、純也は同情を込めてその言葉を発した。

 本当だったら、ここに一緒に住むか? なんて提案したいところだったけど、今の姿のユーリと一緒に暮らすのは色々と問題が発生するだろう。

「そうですね。その時はよろしくお願いします。確かに司ちゃんとの思い出はあんまりないですけど、クラスで最初に仲良くなった女の子ですし、きっと大丈夫だと思います」

「そういえば、そんな話だったな」

 クラスに馴染んでいるユーリの姿がイマイチ想像できないのは、彼女が猫だったころの印象が強すぎるからだろう。

 そんな先入観を捨てて彼女を評価すれば、突如現れた美少女の転校生、しかも礼儀正しい子。

(まあそう考えたら、男子が浮かれるのもわかるな)

「どうしたんですか?」

 少しの間考えに耽ってしまった純也を見て、ユーリがキョトンと不思議そうな顔をする。

「いや、別に……。まあそういうわけだから、別に用事とかがなくても今日みたいに、遊びに来ていいから」

「そうですね、それではお言葉に甘えさせていただきます。それと、もし二人で話したいこととかがあれば、純也がわたしの部屋に来ていただければ、すぐに二人きりになれますよ」

 ユーリはそう言って、年不相応な妖艶な笑みを浮かべた。

 どうにかして言い返そうとした純也だが、二の句が継げなくなって黙り込んでしまう。思わず、彼女の不敵な笑顔に見入ってしまったからだ。

「わたしの勝ちですね」

 何の勝負だったのかはわからないが、間違いなく純也の負けだった。ユーリは満足そうに口元を綻ばせた。

 純也は敗北感を味わいながら、目を伏せて無言で箸を進めた。

 一方で、ユーリはテーブルに両肘をついて勝ち誇ったような顔で、純也の顔をじっと見つめていた。何か言いたそうにしている彼女の顔を意識的に見ないようにしていると、 ドタバタと足音を立てて、司がリビングにやってくる。

「ユーリちゃんゴメンね。こんなに早く来ると思わなかったから」

 時刻は七時半を少し過ぎたところ。普段の朝練がない日の司であれば、まだ布団で眠っているところだろう。

「あはは、こっちこそ、こんなに早く来てゴメンなさい。何時に来ればいいかわからなかったもので。今度から気をつけます」

 笑うユーリの顔は、中学三年生の女子に相応しい笑みだった。

 というか、こういう場合は、普通司が気を利かせてユーリを迎えに行くんじゃないのか、という言葉は胸にしまっておいた。

「うん、そうしてくれると助かるかな。今度はちゃんと時間を決めておこうね。それにしても――」

 司はユーリの隣に腰かけて、純也にビシッと箸を向ける。

「人に箸を向けるんじゃあない」

 純也の忠告も聞き流して、司は言葉を続ける。

「それで、なんでお兄ちゃんとユーリちゃんはそんなに仲良さそうにしてるの? 会話の内容までは聞き取れなかったけど、洗面所まで二人がすごい楽しそうに話している声が聞こえてたんだけど」

「それはな――あの……」

 純也は思わず言葉に詰まってしまう。

 いっそのこと、しっかり説明してやろうかとも思ったが、それは思い止まった。困った顔でユーリの方を見ると、彼女は純也が困っている様子を見るのが楽しくて仕方ないという笑顔でこちらの様子を眺めている。

 そう言えば昔、ユーリが和室の障子を破ってしまって、純也が母に叱られたていた時、ユーリはその様子を他人事のように毛づくろいしながら眺めていた、なんてことがあった。あの時もきっと彼女はこんな表情をしていたのだろう。

 ――ここはどうするべきだろうか? いやこの試練を突破できる自信がないなら、取る手段は一つしかない。

「まあそれはほら。またあとで! じゃあ俺、今日日直だから先行くから――二人ものんびりして遅刻するなよ!」

 白飯を一気に駆け込み、お茶と一緒に飲み下す。食器を台所に持っていき、鞄を持って家を飛び出した。この間、約五秒。背後から、妹が静止するように呼び掛けてきたが、純也は全力で聞こえないふりをした。


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