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1-3 お見舞い

 放課後。

 幸人は病院に運ばれたものの、結局、怪我の具合はたいしたことないということらしい。が、それでも念のためということで、少しの間入院することになったらしく、純也はその旨を昼休みに本人からメールで教えてもらった。

 幸人は特に落ち込んでいる様子もなく、というよりも、入院と言う経験が初めてのことらしく、逆になんだかテンションが上がっているようだった。

 お見舞いを期待してるぜ。と、いつもよりもテンションが高めのメールをもらったからには、とりあえず顔くらいは出しておいた方がいいだろうと思って、電車に乗って辺野市で一番大きい病院である中央病院に足を運んだ。

(見舞い品とか買ってないけど別にいいよな)

 メールの文面を見る限り、十分元気そうだし、なんとなくわざわざ土産を買って行ってやるのも癪だった。

 十階建ての中央病院の佇まいはいつ見ても壮観だ。駐車場も含めた広い敷地内をぐるっと一周すると、一キロメートル近くあるという噂を聞いたことをある。計測したこともないし、わざわざ病院の敷地を回るなんて行為を好んでやるつもりはないから、今後もその噂に確証を得ることはないだろう。

 中央病院は無機質な形で、色は真っ白だ。建物の高さは辺野市で一番らしい。

 中央病院の中にはいくつもの診療科が入っているのだが、中には純也には聞きなれないような診療科も存在する。

 これだけの診療科があったら、自分の抱えている問題をどこの科に相談したらいいのか困るのではないかと思うのだが、そのあたりはどうしているのだろうか。そんなことを考えながら、受付へと向かった。

 受付で、自分の身分と幸人の見舞いであるという目的を告げ、幸人の病室を教えてもらった。エレベーターで幸人の病室のある八階まで上り、キョロキョロとしながら、友人の病室を探す。

 廊下を歩いていると、病院特有のどんよりした空気が肌を包み込む。純也自身は病院に対して、悪い思い出があるというわけでもない。それどころか、怪我どころか病気とすら無縁の純也には、病院に来ること自体ほとんどない(一度だけ妹のやんちゃに巻き込まれて、医者に診てもらったことがあるが、その程度だ)けれども、病院に来るとなんとなく落ち込んでいるような気分になってしまう。

 あたり一面から漂ってくる消毒液の臭いも、この落ち込んだ気分を演出するのに一役買っているような気がする。

 真っ白な壁に挟まれている長い廊下を、辺りを見回しながら歩く。病室に掲げてあるプレートを見る限り、どの病室もそれほど患者はいないようだった。実際に廊下を歩いている途中でも、誰ともすれ違わなかった。

 幸人の病室は廊下の一番奥ということだったので、そこで立ち止まり、病室を確認すると「春宮幸人」と書かれたプレートが掲げられていた。

 プレートに書かれていた名前はひとつだけで、どうやら幸人と同室に他の患者はいないらしい。

 扉の前に立つと、怪我をした瞬間の幸人の顔を思い出した。

 いつも飄々としている幸人が苦痛に顔を歪めて、悶えていた。

 メールでは元気そうな文面を送って来てくれたが、あれは純也に心配させないようにと、幸人なりに気を使ってくれたものなのかもしれない。

 そう思ったら、なんの手土産もなしで、来てしまったことが急に申し訳なくなってきた。とは言っても、ここで引き返すわけにもいかないし、手土産はまた今度にして、とりあえず顔だけは出しておいた方がいいだろう。

『アハハハハハッッ!!』

 扉に手をかけようとした瞬間、幸人の病室から楽しげな笑い声が聞こえてきた。思わず、純也は手を止めて耳を澄ましてしまう。

「そうだ。ねえ幸人。皮、剥いてあげよっか」

 扉の向こうから聞こえる女の子の声。

 誰の声かなんてのは、その姿を確認しなくてもわかる。だって彼女と一緒に過ごした時間は、幸人よりも長いのだから。

「じゃあお願いしよっかな。俺、昼飯食ってないんだよね」

 幸人の楽しげで弾むような声。

 部屋の中にいるのは、幸人と美月の二人だろう。

 何か、心の奥底でチリチリとしたものが沸いてくる。

 純也は普段からその二人と一緒に遊んだり、ご飯食べたりする仲だ。二人の空間に純也が割って入っていったところで、幸人と美月は普段通りに純也を歓迎してくれるだろう。

「はいはい。いつもこうやって甘えてくれれば、少しは可愛げがあるのにね」

 少しの呆れが混じった、けれども楽しそうに弾んでいる美月の声。

 純也は病室の前に佇んで、その声を聞くことしかできなかった。たった扉一枚しか隔てられていないはずなのに、二人との間には大きな壁が立ちふさがっているような、そんな錯覚を覚えた。

 廊下の端っこでぼーっと突っ立っている純也を、病院のスタッフが発見したら、どんな風な印象を抱くだろうか。きっと不審者を見るような目つきで見られることだろう。

(ここに突っ立っているわけにもいかないし、とりあえず中に入ろう)

 もう一度扉に手を伸ばそうとするも、体が脳の命令を聞いてくれず、手が伸びない。

「ははっ、手厳しいね。だけど、そんなの俺のキャラじゃないし……」

 幸人の笑い声が聞こえ、それにつられるように美月も笑い声を上げた。

 もやもやとした何かどす黒くて、汚いものが心の奥で渦巻いている。

 それはきっと諦めとか、絶望とか、嫉妬とか、そういう感情からくるものだと思う。

(俺はなんで、こんなところにいるんだろう)

 ぐらりと世界が歪んだ。

 奥歯をぎしりと噛みしめることで、なんとかその歪みに耐える。

 きっと今の自分じゃ、素直に幸人のお見舞いができない。

 それに今の自分はひどい顔をしているだろう。こんな顔をした男が、病人を見舞いするなんて、ギャグにしかならない。幸人を見舞いに来たってのに、幸人に心配されてしまうかもしれない。

(やっぱり帰ろう。美月がいるんだし、俺はいらないよね)

 胸中で呟いたその言葉は、きっと自分自身を納得させるためだけの言葉。自分自身の気持ちを騙そうと、自分に吐いた嘘の言葉。

 でも自分自身を騙すことは、他人を騙すよりも遥かに難しい。だからどれだけ自分自身を慰めるために言い訳の言葉を並べても、慰めにはならず言い訳にしかならない。

 病室の中の会話に耳を傾けないようにしながら、純也は踵を返して長い廊下を歩き出した。

 重い足を引きずるようにして、来るときの倍以上の長さにも感じられた長い廊下を渡りきり、エレベーターに乗って、中央病院を後にした。

 お見舞いをしなかった罪悪感とか、後ろめたさとか、色んな感情が純也を支配する。

 自分の居場所は一体どこなのだろうか。あの二人の隣に自分の居場所はあるのだろうか。

 もし幸人がいなかったら、自分は昔と同じように美月と二人で遊んでいたのだろうか。自分の気持ちを素直に美月にぶつけて、幼馴染と言う関係から恋人同士という関係になれたのだろうか。

(幸人がいなかったらだと――? 馬鹿馬鹿しい)

 そんなことを想像しそうになって、そんな自分が情けなくて、この気持ちをどうぶつけていいかもわからなくて。

(まさか……)

 その時、一つの考えが脳内でつながった気がした。

 先日、夢で出会った少女が、純也の願いを叶えてくれると言っていた。願いの内容は結局思い出せずじまいだったけど、今になって思い当たる節があった。

(俺は、心のどこかで幸人がいなくなるのを望んでいるとでもいうのか? そんなはずはない――)

 だけど絶対にないとは言い切れない。

 幸人は、間違いなく純也にとっての一番の親友だ。そんな親友がいなくなることを望むなんてのは、冗談でも有り得ない。いくら幸人が自分の好きな人と恋人同士で、その存在が邪魔だと感じたとしても――、

(ははっ、幸人が邪魔? 何考えてんだ俺は――)

 いっそのこと、美月に対するこの気持ちさえなくしてしまえば、すべてが丸く収まると思う。そうすればきっと昔と同じように二人と付き合えっていけることだろう。しかし、それが現実的かと言われればそうではない。自分の気持ちなんてのは、自分でもまったく制御できやしないのだから。

 やり場のない、どうすることもできない黒い気持ち。ヘドロのように汚い何かが心の奥底で蓄積して渦巻いていた。

 帰り道、茜色に染まった空の下、純也はどこか遠くで聞こえるカラスの鳴き声を聞きながら、自分も鳥のようにどこか遠くの世界に旅立てたらいいのにな、なんてことを思っていた。


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