4-4 下らない話
気づけば、時刻は十六時半。
四人は、バッティングセンターを後にして、駅前にある公園に来ていた。このまま解散というにはまだ少し時間が早いということでこの公園で少し駄弁ろうということになったのだった。
この後に適当な流れで解散ということになるだろう。
野外の休憩スペースのようなところに、四人は腰かけた。そこは四人掛けの丸いテーブルがあって、軽食などが食べられるような空間となっていた。
「とりあえず、俺、幸人と飲み物でも買ってくるよ。二人はちょっと待ってて」
純也が言うと、幸人は頷いて付いてきた。ユーリもついて来ようとしたが、純也が制すると彼女は素直に従った。
近くに自動販売機がないため、公園の端っこの方まで歩かないといけない。かなり広い公園のため、自動販売機まで結構な距離がある。
休憩スペースがあるんだから、その近くに自販機くらい用意しておけよと思うのは、いつものことだ。しかし、今日に限っては自販機まで距離があることに感謝した。幸人に話さなければいいけないことがいくつかあるからだ。
(こいつにはちゃんと言わなきゃいけないよな)
ホームランも打ったし、決心もついた。気持ちを伝える決心と、諦める決心。
綺麗な緑が並んでいる周囲の景色を視界に入れながら、純也は大きく深呼吸をした。
二人の間に緊張が流れた。いや、純也が勝手に緊張しているだけだ。これから何が起こるか知らない、幸人はたぶん何も意識していない。
「俺さ、美月のことが好きなんだ」
唐突な純也の言葉に、幸人は、純也の正気を疑うかのように目を見開いたまま、時が止まったかのように数秒間何の反応も示さなかった。
どうしてその言葉が簡単に口に出せたのか。そしてどうして今までこんな簡単なことを言えなかったのか。純也は不思議でしょうがなかった。
(きっと自分の中で、諦め? ちょっと違うな。踏んぎりがついたとか吹っ切れたというのが正しいかな)
幸人は、純也の言葉を聞いて、ハトが豆鉄砲を食らった時のような顔をしていたままだった。彼はどう返すべきか悩んで、逡巡したのちに、
「な、純也、急に何言ってんだ? 冗談だよね。なんだよ、急に。意味わかんないよ」
幸人の言葉はもっともだ。彼氏の目の前で「おまえの彼女が好きなんだ」なんて告白しても、普通の人間は悪い冗談だと受け取るしかないだろう。しかも今はダブルデート中だ。幸人の中では何の疑いもなく、純也とユーリが付き合っていると思い込んでいるため、余計わけのわからないことになっていることだろう。
「ははっ、まあ普通はそう思うよな。本当は墓まで持っていこうと思ってたんだけどな。なんか自分を騙すことにも、親友に隠しごとをし続けるのが疲れたんだ。なんか今日一日、本当に楽しくてさ。こんな純粋に楽しんだのは久々だよ」
そもそも、いくら隠しごとをしたくないという気持ちがあったとしても、幸人にこんなことを告げる必要性なんてどこにもないだろう。だけど、ずっとくすぶっていたこの気持ちを誰かに知ってほしかった。その相手が他の誰でもない、幸人だったというだけにすぎない。
幸人としては、とんだとばっちりを受けたということになるわけだ。
「俺だって今日は楽しかったよ。だけどそんなことはいい。それよりも、美月さんのことが好きだっていうのは本当なの? それってあれだろ。友人として好きとかそう言うことだよね。英語で言うと、ライクってことでしょ。だったら俺も、純也のこと好きだよ」
こんな風に取り乱している幸人を見るのはいつ以来だろうか。きっと美月に告白しようと彼女を呼び出した時以来だ。
幸人の問いに答えることなく、純也は真剣な瞳でじっと幸人を見続けた。
「なんか、本気、みたいだね」
ようやく友人は、純也の言葉の真剣さに気づいてくれたようだ。
「だってさ、美月さんを紹介してくれたのも、仲を取り持ってくれたのも純也だよ。純也は自分の気持ちをずっと隠してたの? 自分の好きな人を俺に紹介してくれたの? どうしてそんなことを……」
「人を好きになる瞬間って自分でもよくわかんないんだよな。おまえは美月に一目ぼれしたって言ってたけど、俺は違った。ずっと一緒にいて、距離が近すぎたんだろうな。俺が美月を好きになったのは、中学三年の時だ。そのころには、おまえらはとっくに付き合っていた時期だな。中学校の最後の大会で負けた後にさ、あんとき、幸人めっちゃ泣いてたよな」
「うん、覚えてるよ。だけどなんで今さらそんな話をするのさ?」
「その時に、幸人を慰めてる美月を見てさ。『ああ、あいつもちゃんと女の子なんだな』って、そうしたらいつの間にかそう言う目であいつのことを追うようになってた」
それだって、言ってしまえばただのキッカケに過ぎない。その瞬間に急に美月に対する恋心を抱いたなんて言うわけではなく、美月を意識してきたという気持ちに、そのイベントを通して純也自身が気づいたというだけのこと。
二人の間に沈黙が流れる。幸人は依然として事態をどう対処するべきか図りかねているのだろう。
純也は自分が言いたかったことをすべて言い終えたことを示すために、一度肩を竦めて見せた。
「それで? こんな時に、突然そんな話を聞かされて、俺にどうしろっていうの?」
幸人の声に棘があった。
意図が理解できない純也の言葉に、彼は多少苛立っているのかもしれない。
「ただ聞いてほしかっただけだ。俺がずっとこの気持ちをしまいこんでたら、きっとこれから二人と仲良くできないと思ってな。だったらいっそのことぶちまけちまえば楽になれるかもってな。まあ俺の身勝手な判断だな」
「俺に美月さんから、身を引けと言うつもり?」
今までの話の流れからどうしてそう言う話になるのか、純也は理解できなかったが、幸人からしたら、別れるように脅しをかけられていると思っているのかもしれない。
「俺は今さら美月と幼馴染以上の関係になりたいとは思わないし、おまえに美月を紹介したことも後悔してない――いやそんなことはないな。やっぱり少し後悔してるかもしれないし、もし幸人と別れるようなことがあったら、美月にアタックするかもしれない。けど、まあ幸人と別れるって前提条件が多分有り得ないだろ」
言えた。言ってしまえばなんてことない。なんだか言葉と一緒に自分の中にヘドロのような薄汚いものが放出されたかのように、すっきりとした気分だった。
「あ~すっきりした。なんかこんなことでずっと悩んでた俺が馬鹿みたいに思えてくるよ。こんな話に付き合わせちまって悪いな。まあ過去に美月を紹介してやった分のツケが回ってきたとでも思って諦めてくれ」
「ははっ、それを言われちゃ俺は何も言い返せないかな。それに、こんなもんでそのツケが返せるとは思ってない。それくらい純也には感謝してる」
自分が悩んでいたことなんて、本当に下らないことだったと、純也は改めて思う。
「おまえと美月はきっと大丈夫だよ。最近は美月自身が忙しくなったからそんなことはなくなったけど、昔なんて美月が俺の家に来て、延々とお前のいいところを話したいだけ話して、満足したら帰っていくんだ。そのときの美月の顔がすごい幸せそうでさ。好きな人が目の前で自分の彼氏の話をしているっていう、頭を抱えて発狂したくなるような状況なのに、美月の幸せそうな表情を見てると、この状況も悪くないなって思えたりするんだ」
それは純也なりの強がりだった。本当は美月が幸人の話をするたびに、暗い気持ちが沸いていたものだ。実際に、美月が帰った後に頭を抱えて部屋の中で叫びそうになったこともある。
幸人は、そんな純也の言葉にどのように反応すべきか考えあぐねた末に、照れたように頬をぽりぽりと掻いた。
そして話が一段落ついたところで、幸人が何かに気づいたように、
「そういえばユーリちゃんは? ユーリちゃんはなんだったの? 彼女じゃないの? 今日はダブルデートってことになってたはずだよ」
「あ? いや、最初に言った通りだよ。ユーリは俺の昔の顔なじみで、幼馴染みたいなもん。それ以上でもそれ以下でもないよ。そうやって言ったんだけど、勝手に変な解釈して勝手に盛り上がったのはおまえらだぜ」
幸人は渋い顔をして頭を掻く。
「くくっ、なあ、純也。俺ってかなり馬鹿だったんだな。今日実感した。親友だと思っていた人間のことを何にも知らなかった」
「そりゃあそうさ。言ってないことを知られてたら困るからな。それと、おまえが馬鹿だったら、俺は大馬鹿者だ」
そして二人は笑い合った。
幸人がどうだったかはわからないけど、純也は心の底から本当に笑った。きっと幸人も同じように心から笑ってくれていることだろう。
仲直りをする時に河原で殴り合ったりするシーンを見かけることがあるが、あれだって根本的なところは、お互いが腹を割って話すことで一層の友情を深め合うという儀式みたいなものなのだろう。
そう考えると、こうして腹を割って話した純也と幸人は河原で殴り合った後と変わらない状況なのだと思う。純也は幸人の笑い顔を見て、そんなことを考えた。
「まあお互い多少の隠しごとはあるだろうけどさ。あんまりため込んだりしないようにしようぜ」
自分の事を棚に上げて純也が言うと、案の定幸人から「お前が言うな」とツッコミが入った。
「さてそういうわけだから、幸人、これからもよろしくな。とりあえず、あいつらを待たせるわけにも行かないし、ちゃっちゃと買って戻ろうぜ」
「どういうわけなのか、俺にはさっぱりだけど、さっさと戻るってことには賛成だよ」
お互いに二個ずつ自動販売機から飲み物を購入して、ほのかに朱色に染まる空の下、緑に囲まれた道を引き返した。
美月と二人きりになったユーリは、することもなかったので、とりあえず美月の横顔を覗き見た。彼女はユーリと違い、髪が短いのできれいな顎のラインがしっかり見える。
そんな風に眺めていると、その視線に気づいた美月が、こちらを向いてニコリと微笑む。
その微笑みはユーリから見ても、かなり魅力的だった。すなわち、純也の目を通して見ればもっと魅力的に見えるのだろう。
(そうだ。ここで言わなきゃ。純也のために誤解を解かないといけない。じゃないと、純也の恋が成就しないのだから)
純也にはこの偽物のデートが終わるまでは言わなくてもいいと言われていた。だけど、この場を逃したら、意志の弱いユーリはきっとこの心地よい関係から逃れられなくなる。
なによりも優先すべきは、純也の願いなのだ。
「み、美月さん!」
「…………?」
緊張からユーリの声が少し声が上ずってしまい、美月が首を傾げる。
「す、少しお話があります。できれば二人が帰ってくるまえに話したいことです」
「うん、なにかな? 私でよかったら相談に乗るよ。何だったら、純也の弱みくらいなら、教えてあげられるよ」
美月は、ユーリの話の内容が予想できていると言わんばかりに、微笑ましいものを見るような目でユーリを見つめて、穏やかな笑顔を浮かべている。
でもきっと彼女が考えていることと、ユーリがこれから話す内容は絶対に異なっている。ユーリにはその自信があった。
「今さらかもしれませんが、誤解を解かないと、と思いまして」
バチが当たってもおかしくないほど、今日という日をユーリは楽しんだ。あれだけ自分の中で覚悟を決めたつもりだったのに、結局は自分の欲求に負けてしまった。だけど夢を見る時間は終わったんだ。ここらで自分の使命を果たさないといけない。
「誤解? なんか誤解するようなことあったかな?」
美月はそう言って、唇を指先でなぞりながら思い当たる節はなんだろうと思案に耽った。
「わたしと純也の関係についてです」
「――?」
やっぱり意味がわからないという様子で首を傾げる美月。彼女の綺麗な顔一面に疑問符が浮かんでいるのが見て取れる。
「まず前提として、わたしは純也の彼女じゃありません」
「ん、んー? えっ、ちょっと待って。えっと、えっ――」
わけがわからないという具合に、あたふたと取り乱す美月。
「純也は優しいから、今日一日わたしの我がままに付き合ってくれましただけなんです。しかも純也は自分が好きな人の前で、わたしと恋人のフリをしてくれたんです」
「ちょっと状況がわからない。一旦整理しよう」
美月は頭を抑えて、顔を伏せる。それでもユーリは言葉を続けた。
「わたし本当にうれしくて、楽しくて。だから純也に甘えてしまいました。自分の欲求を満たすために、純也の想いを台無しにしたんです。本当に純也は馬鹿でお人好しです。そんなんだから友人に気を使って、自分の気持ちをおしこめて、一人で苦しんで……」
早口でまくし立てるように、自分の脳裏に沸いた言葉をなんの飾りつけもすることもなくそのまま吐露する。
「美月さん。一つ純也に関して大事なことを言います。もしかしたら、純也はこんなことを望んでいないのかもしれない。だけど、わたしはこれ以上、自分の気持ちを押し込めて苦しんでいる純也を見たくありません」
純也が望んでいないことにも関わらず、純也のためになるとユーリが勝手に判断して行動する。それはユーリの存在意義と多少矛盾しているのかもしれない。
「純也のこと……? ええ、わかったわ」
どんなことを言われるのだろうと、美月は身構える。
「純也には好きな人がいます。もちろんそれはわたしではない人です」
きっとここまで言えば、このあとどんなことを言われるかはなんとなく察しが付くだろう。だけど美月は口を挟まず黙っている。
「純也が好きなのは、他でもない。美月さん、あなたです」
ユーリが言うと、美月は目をぱちくりとさせて、信じられないものを見るような目つきでユーリを捉える。その目からは、「この子、急にどうしちゃったんだろう。大丈夫かな?」と、可愛そうな子を見るような色が含まれていた。
「う、嘘よね。ええ、そんなこと有り得ないもの……」
きっと本当に信じられないのだろう。美月にとっては、純也は弟のような存在であり、それ以上でもそれ以下でもなく、家族のようなものと認識しているのだろう。
そう考えると、ユーリと純也の関係に少し似ているのかもしれない。ユーリが純也に向けている好意は、間違いなく純也が美月に向けているものと同じものだ。だけど純也自身は、ユーリがそんな思いを抱いているとは露にも思っていないだろう。なぜならば、純也にとってユーリは、どんなに姿を変えようと昔飼っていた猫に過ぎないのだから。
純也が自分に多少の好意を向けてくれているのもわかっている。じゃなきゃ、こんなことにまで純也が付き合ってくれるはずがない。だけどその好意は友人とか、家族とかに向けるものに過ぎないのであって、なんかそう思うとどうしようもなく歯がゆくなってきて。
きっと純也も、今の自分と同じような気持ちをずっと抱いて過ごしていたのだろう。そんな純也の気持ちを、少しだけでも知ることができた。今の自分には、それだけでも十分幸せなことだ。
「いえ、本当のことです。そしてわたしは純也のそんな気持ちを知りながら、あなたの前で恋人ごっこをしたんです。わたし、最低ですよね」
言葉にすると、自分の愚かさとか、浅ましさが、ずしりとのしかかってくる。
「ユ、ユーリちゃん? 私、急にそんなこと言われてもなにがなんだか……」
「すみません。わたしのことはどうでもいいですね。事実だけを述べます。純也は美月さんのことが好きなんです。だけど、美月さんは純也の親友の幸人さんと付き合っている。もし自分の気持ちをぶつけてしまえば、二人が困惑するだろうからって、その気持ちをずっと隠してるんです」
ここでユーリは大きく深呼吸して、
「今日だって、純也が見ていたのはあなたの方です。純也はわたしの方なんか、ちっとも見てなかったです」
自分で言っていて心が折れそうになる。ユーリは今日一日、美月の方を見ている純也を何度も見た。そのたびに心が抉れるような思いだった。
「そんなことを言われても……。だって、確かにもう純也は高校生になったし、良い感じに男らしくはなったけど、それでもやっぱり純也は、純也で――ちょっと待って混乱してきた。それに今日だって、こうやって二対二で遊ぶのを了承したのだって、あいつがユーリちゃんに好意を抱いているからでしょ。だってこの間、私と幸人がデートする時は、『もう俺を誘うな』って純也に釘を刺されたばっかりなんだから」
自分の主張がしっくりきたのか、美月は話しているうちに声の調子が上がっていた。
「今日こうやって純也がここに来たのは、純也の好意に甘えたわたしの我がままに付き合ってくれたからにすぎません。美月さんが純也を弟のような存在と思っているのと同じように、純也にとってのわたしも似たようなものなんです」
この恋愛感情はすべてが一方通行だ。だからこそお互いの間に感情の齟齬が起きている。
相手がこんなことを思うはずがないっていう思い込みが、話が噛み合わなくさせている。
ユーリは虚しくなってきて、歯をぎしりと噛んだ。そうやっても、きっと話が噛みあうことはないだろう。
「ユーリちゃん、落ち着いて。少し冷静になった方がいいよ」
美月の言葉にイライラするのは、純也と自分の境遇を重ねているからだ。純也の想いが美月にとって冗談だと思われるならば、同じ境遇のユーリも、自分の気持ちを純也に伝えても、それが冗談だと思われるかもしれない。だからこんなにイラついているのだ。
「ど、どうして――どうしてわかってくれないんですか!」
美月は思わずテーブルを叩いてその場に立ち上がった。そうすると、ユーリは美月を見下ろす格好になる。
「純也は、あなたが好きで――それなのに……」
言葉を継ごうとしても、肝心の言葉が出てこない。目から溢れてくる温かいものは一体何なんだろう。
「ありがとうユーリ。でも、もういいんだよ」
背後から聞こえてきた突然の声。振り返らなくても、声の主の正体が誰かなんてユーリには明白だ。
本当は純也が帰ってくる前に終わらせたかったのに。こんなふうにでしゃばってしまった自分に純也は怒るかもしれない。幻滅するかもしれない。そんな恐怖が体の芯からふつふつと沸いてくる。
でもやっぱりここで終わるわけにはいかない。
「純也……? よくないよ。どうして? 友達が大切って気持ちはわたしでもわかる。だけどそのために自分の一番大切な気持ちを我慢するなんて絶対に間違ってるよ」
「よく言うだろ。人間、諦めが肝心ってな。っていうか、おまえの声、向こうまで届いてたぞ。そんなでけえ声で、俺の話なんてしやがって。めっちゃ恥ずかしいんだよ」
買ってきた飲み物をユーリに手渡し、ポンと彼女の頭に手を置いて頭を撫でた。
そして一緒に飲み物を持って帰って来た幸人とともに、空いている席に腰かける。
「純也……あのさ……」
気まずそうな声で、美月がおずおずと純也の方を覗き見る。
「二人の話が全部聞こえてた訳じゃないから、二人が具体的にどんな話をしていたかは知らないけどさ。まあ断片的に聞こえてきた限りは、ユーリの話は本当だよ。ちょうどついさっき、幸人にもこの話をしたんだ。俺は美月のことが好きだった。もちろん恋愛感情的な意味でだ。だけどもういいんだ。たったこれだけの気持ちを伝えるのに、阿呆みたいに遠回りした気がするけどさ……」
悟ったような純也のその顔は、何かを諦めた表情だった。
その顔を見て、ほんの一瞬。本当に一瞬だけだけど、ユーリはほっとしてしまった。原因はわからない――いや違う。自分がその原因をわかろうとしていないだけだ。それを考えるのを理性が拒否したのだった。
「うん……」
ようやく純也の気持ちが冗談ではないことを察したのだろう。美月は、純也の言葉を噛みしめるように小さく頷いた。
「返事なんて、わかりきってるけどさ。だからこそ返事はしなくていい。言葉にされて、きっぱりと拒絶されちまったら、結構傷つくしな。だから聞いてくれたってことだけで、俺はいいんだ」
純也はそう言って、身体を仰け反らせて天を仰いだ。
「ありがとう純也。いつまでも私の弟でいてね」
呟いた美月の目の端には、涙が浮かんでいた。彼女が今、どんな気持ちでいるのか、ユーリには推し量ることができない。
「ああ、それだけ聞ければ、俺は満足だ」
空に広がっている夕日は真っ赤に輝いている。
「じゃあ、これ飲んだら、そろそろ帰るか。もういい時間だろ」
視線を空から腕時計に移して、純也が言った。それを聞いて、飲み物に口をつけていた幸人が、
「楽しい時間は本当にあっという間だね。毎日こんな感じだったらいいのにって思うよ」
「そうね。でもきっと、毎日こんなに楽しかったら、きっとどっかで楽しいことにも飽きるでしょうね。たまにだからいいのよ。こういうことは」
「俺は美月に賛成だな。っていうか、毎日こんなことをしてたら、体力が持たねえよ」
笑いながら、純也は自分の肩をマッサージする。
三人の中で、しんみりとした時間はもうおしまいになったのだろう。数分前と何ら変わらない空気が流れている。
「おいおい、純也。君はいろいろと悟ってしまってせいで、少し老けたんじゃないのか?」
幸人がからかうように言うと、
「かもしんねえなあ。最近悩み事が多かったからなあ」
腰をポンポンと叩いて、純也はおじいちゃんの真似をする。
「なによ純也。恋愛相談ならお姉さんが乗ってあげるわよ」
「くははっ、実は俺、さっき失恋しちゃってさ……」
深刻そうに告げる純也。その隣では、幸人が笑いをこらえている。
「ホントに? 純也の魅力に気づかないなんて、その女きっと馬鹿ね。救いようがないわ」
自嘲気味に憂いを含んだ表情で微笑んで見せる美月。
「そんな人間に惚れた俺が一番馬鹿だったんだなって思い知ったよ。なあ幸人」
純也が幸人に話を振ると、幸人は純也から視線を逸らし、
「悪いね。俺からは何も言えない」
三人は本当に楽しそうに会話を繰り広げている。純也があれほど心配していたギクシャクした感じにはなりそうもない。ユーリはどうやって輪に入っていいかわからず、蚊帳の外でそれを眺めていた。
純也の願いを無視して、彼の気持ちを美月に伝えるという、ユーリが勝手にした行為が正しかったのかはわからない。けれどもその光景を見て、自分がしたことは決して間違った選択ではなかったような気がした。
それがユーリの唯一の救い。