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3-1 休日のショッピング

 第三章 楽しい日常


 すべての事柄は始まった瞬間、終わりへと近づいていく。

 誰かが後ろで手ぐすねを引いて、キミを終焉へと向かわせる。

 キミはその力に抵抗できるだけの力は持ち合わせていない。

 だったらどうするべきか。

 限られた時間の中で、その時間を精一杯堪能する。

 これが唯一の抵抗なんじゃないかってボクは思うよ。



 本日は日曜日。すなわち休日である。

 休日とは学生にも社会人も平等に与えられるご褒美であり――例外的にこのご褒美が与えられない社会人も存在するが――身体を休めるもよし、明日からの仕事や学業に備えるのもよし、気分転換に友人と遊ぶもよし、自分の好きなように時間を使える数少ない一日である。

「暇だ……」

 だがそんな自由に使えるはずの時間を持て余してしまう者もいる。それが木下純也という男だ。

 普段より少し遅い午前八時に一度は目を覚ましたが、そのまま起きるのはもったいないということで、そこから二度寝。そして三度寝、四度寝、と続くころには、正午近くになっており、そこでようやく布団から起き上がった。

 そこから朝食兼、昼食を済まし、「さーて今日一日何をしようかな」と意気込んではみたものの、特に何もすることがないことに気がついて今に至るというわけだ。

 だが、こんな風に何をするべきか悩むのは、今日に始まったことではない。こんな時のために、純也は暇をつぶす手段を何種類か用意してあるのだった。

 その中から、今日は何をするべきかと考えて、ふと窓の外を見る。

 真夏の太陽が燦々と輝いているが、今日はそれほど温度が上がらないと、昨夜に天気予報士のお姉さんが言っていたことを思い出した。

「散歩だな」

 呟いて、外出ができるような恰好に着替える。

「ついでに駅前の本屋にでも行くか」

 ただ散歩するだけより、何か目的があった方がお得な気分になれる。

 本日の予定も決まったところで、家を出た純也だが、その足はすぐに止まってしまった。

 木下家の隣の部屋――ユーリの部屋の前を横切る瞬間、彼女が今何をしているのか、猛烈に気になってしまったのだ。もともと、出掛けることにそれほど乗り気ではなかったことも相まって、散歩なんか行くような気分ではなくなるほどに一度気になりだしたら四〇二号室の前から足が動かなくなった。

 かつては純也の飼い猫に過ぎなかったとはいえ、今のユーリの姿は年頃の女子中学生だ。異性である純也が、そんな彼女の家を気軽に訪ねてよいものか、と計りかねていた。

 それでも僅かばかりの勇気を振り絞って、チャイムに人差し指を伸ばす。

(急に訪ねたら迷惑じゃないかな)

 チャイムに指が触れる直前に、そんな考えに支配され、そこから指が動かなくなる。

(着替えとかしてたらどうするよ?)

 思わずユーリが着替えている姿を想像してしまい赤面する。

 冷静になって考えてみれば、ユーリはかなりスタイルもいいし、出るとこも出ている。身長は少し小さめだが、そもそも女の子の可愛さに身長は関係ないと純也は思っている。

 ――その時だった。

 ガチャリと音を立てて開いたドアが、純也の目の前に迫ってきた。人差し指に神経を注いでいた純也は、ドアが自分に襲い掛かってくることに気づかず、

「いだっ――」

 額に衝撃が走り、思わず呻き声を上げた。

 痛む額を手でさすりながら、ドアの向こうに目を向けると、そこには驚いたような、呆れたような表情でユーリが立っていた。

「なにしてるんですか?」

 抑揚がなくて、容赦のない彼女の問いに、純也は、

「いや、その……」

 曖昧な返事をした。疾しいことは何もないが、直前に自分がしていた妄想のせいもあり、後ろめたい気持ちになって、彼女を直視できなかったのだ。

「何か御用ですか?」

「いや、暇だったからさ。ユーリが何してるかなあ、と気になって――」

 純也が視線を少し落とすと、彼女の服装が自然と目に入ってくる。

 縞模様のタンクトップにデニムのショートパンツ。もはや下着と言っても大差ないようなその装い。

 露出した肩や、すらりと引き締まった綺麗な太腿が眩しい。

 純也は彼女の健康的な肢体に魅了され、釘付けになってしまった。

 するとユーリは呆れた調子で、

「わたし、不審者ってものを、今初めて見た気がします。その目つきが俗にいうHENTAIってやつなのですね。勉強になりました。日々の勉強って大切なんですね。これからはおろそかにしないようにします。それじゃあ――」

 ユーリは、純也を責めるように目を細め、不機嫌そうな声色で言って、扉を閉めようとする。

「ちょ、ちょっと待て――」

 ――バタン。

 純也が弁解しようとするも、無情にも目の前の扉が閉められてしまった。

「おい、ユーリ。話を聞け! おい!」

 ドアをバンバンと叩いて、ユーリに訴えかける。

 もしご近所さんが今の純也の姿を目撃したらどうなるか?

 一人暮らしの女の子の部屋に向かって、ドアを思いっきり叩いて部屋の中にいる少女の名前を叫ぶ男。

 事案発生と通報されても、文句を言えないような立場に純也は立っていたが、純也はユーリに弁明しようと必死で、そこまで気が回っていなかった。

「いい加減にしてください。近所迷惑ですし、変な噂を流されても知りませんよ」

 ユーリが溜息をつきながら、心底呆れた表情で、ドアの隙間からひょっこりと顔を出す。

「そんな風な目で見られるとは思っていなかったので、なんか恥ずかしいです。着替えてから、そちらの部屋に伺うので、純也の部屋で待っていてもらえませんか?」

 唇を尖らせて、俯き加減にもじもじと恥ずかしがりながら告げると、ユーリはこちらが返答する前に扉の向こうに消えてしまった。

 純也はおとなしく彼女の言うことに従って、自室に戻ることにした。

 どうやら散歩で休日を潰す計画は早々に破綻となってしまったようだ。



「お待たせしました。それで、何の用だったんですか?」

 少しツンとした様子で言うユーリは、先ほどの無防備な装いから、中等部の制服にチェンジしていた。

「あれ? どうして制服なんだ?」

「純也に厭らしい目つきで見られるのは、勘弁願いたいですから着替えて来ました。それともさっきの服装で出直して来いということですか?」

「いやいや、そうじゃなくて――」

 それはそれで魅力的な提案だな、という思いは心の中だけでしまっておく。

「ひょっとして、ユーリ。外出用の服って制服しか持ってないとか?」

 冗談半分でいったセリフだったが、どうやら図星だったようで、ユーリは俯いて唇を尖らせている。

「やっぱり……年頃の女の子が、制服しか持っていないっておかしいのでしょうか?」

 上目づかいで、ユーリは掠れるような声で恥ずかしそうに呟く。純也は恥ずかしそうにしているユーリを見て、たじろいでしまう。

 四六時中制服姿でいるというのは、一部のマニアには受けるかもしれないが、普通か普通でないかいえば、普通ではないだろう。司なんて私服で出かける機会なんてほとんどないはずなのに、結構な種類の私服を所有している。

「まあ悪いというつもりもないさ。俺だって、身だしなみに気を使うようなタイプじゃないし」

「でも、今の言い方だと、悪くはないけど、普通ではないってことですよね……。そうですね。わたし、変ですよね」

 ユーリは肩を落としてシュンとなってしまう。

「じゃ、じゃあさ。もう少したら、司が帰ってくるだろうし、そしたらあいつも連れて、ユーリの服を買いに行くってのはどうだ?」

 すると、ユーリは複雑そうな顔で、

「それは大変魅力的な提案なのですが、一般的な感覚で言って、休日に制服で出かけるというのは、いかがなものなのでしょうか」

 服を買いに行く服がないとはまさにこのことなのだろうか。

「もしかして、さっきの部屋着の格好で出かけた方がマシだったりしますか?」

 その提案には、いくらなんでも承諾しかねる。

 あの格好で出歩くとなれば、数多の男どもがユーリにいやらしい視線を向けることだろう。それこそ先ほどの純也のように。

「いや、それだけは絶対にダメだ」

 真剣な口調で、諭すように純也が言った。

 ユーリは自分だけのものだからあんな姿を他の男どもには見せたくない、なんて舞い上がったことを考えていたわけではない。しかしユーリが好奇な視線に晒されることに抵抗を覚えたのは事実だ。

「まあでもほら、休日でも部活に行くときは制服を着るのが義務だし、司だって、ちゃんと制服を着て部活に行ってるしさ。『部活帰りです』みたいな顔をしてれば大丈夫だって。なんだったら、司にも制服着たままで付き合ってもらえばいい」

 中等部の制服を着た女の子二人を連れて歩く純也は、そこはかとなく危ない香りが漂っている気がしないでもないが、背に腹は代えられない。

「そうですね。それでしたら……」

 語気が弱くなっているのは、服を買いに行くという、初めての行為に不安を抱えているからだろう。

 普段から、服を買うという習慣のない純也は、ユーリの気持ちがよくわかる。

「じゃあ、司が帰ってくるまで待ってるか」


「制服で買い物するのも新鮮でいいかも」

 帰って来た司に事情を説明すると、彼女は楽しそうに言った。

 そんな司と、どこか不安そうなユーリを連れて、純也は家を出た。

 三人がやって来たのは、近所にある業界最大規模の某有名アパレルショップだった。

「ここでまずは定番のものを揃えよう」

「なるほど、勉強になります」

 司の言葉を聞いて、ユーリはメモ帳を開いて、何かを書き記していた。今の流れでどこをメモしたのかは、純也にはわからない。とりあえず勉強熱心なのは、良いことだと思う。

「まあここだったら大抵のものは揃うからな。それにしても司のことだから、もっと洒落た感じの店に行くと思ってたんだけどな」

「物事には順序ってものがあるんだよ、お兄ちゃん。ユーリちゃんは、あんまり服とか買ってないって言うし、まずはこういう場所で場馴れしていかないと」

 相変わらず、ふんふん、と頷いているだけのユーリ。

 そう言えば、ユーリは司に自分の身の上話などはしているのだろうか。

 女子中学生がアパートで一人暮らしなんて、少し考えてみればその異常さに気づくだろう。

 そのへんの事情はユーリが適当にごまかしているのか。あるいは、司がそう言った諸々の事情をまったく気にせずにユーリと接しているのか。

 妹の性格を考えて、きっと後者なんだろうなと思う。だからこそ、色々と複雑な事情を抱えているユーリが、気兼ねなく司と接することができるのだろう。

 ちなみに先日聞かれた純也とユーリの関係については、引っ越す前に通っていた幼稚園で知り合った友達ということにして、司に説明しておいた。

 ユーリの両親も忙しい身で、同じように多忙な両親を持っていた純也と遅くまで幼稚園に残っており、自然と一緒に遊ぶようになって、そこから自分たちの関係が続いているという筋書きになっている。

 その話を司にすると、彼女は、なるほどね、と言って納得してくれた。

「とりあえず、せっかく来たんだし、俺も夏に着れるようなものをさがそうかな、っと」

 この一年間で純也は成長期を迎えたため、去年まで来ていたTシャツもサイズが合わないものが出てきた。この機会にそれらも買い換えないといけない。

 本来夏に着るべき服は、夏が来る前に揃えるべきなのだろう。が、純也はこんな機会でもなければわざわざ服を買いに来るという発想を持ち得ていない。

「じゃあ、ユーリちゃん、あたしたちは色々と見てまわろう」

 司がユーリの手を引っ張って店の中に進んで行く。その時、ユーリが不安そうな顔をこちらに向けていたが、ここは司に任せておいて大丈夫だろうと思う。というか、女の子のファッションについて何一つ知らない純也じゃ、ユーリの役に立てそうもない。

 二人の背中を見送って、純也は純也で男性用コーナーへと足を運んだ。

 ――店内を見て回り、お目当てのものを探す。

 その最中、ユーリと司の姿を発見し、純也は声も掛けずに二人のやりとりを眺めていた。

 楽しそうに服を選んでいる二人の姿を傍から見たら、友人同士というよりは姉妹のように見えないこともない。この場合、二人のうち、どちらが姉になるのだろうか? 純也はそんなことを考えた。

 普段だったら、ユーリの方がしっかりしている分、ユーリが姉という方がしっくりくるだろう。だが、今日は司が主導権を握っているため、司の方がお姉ちゃんに見えなくもない。

 司がウキウキした表情で、ユーリに服を勧めて、ユーリはそれを手に取って思案する。そのやりとりが続いていた。それを見て、なんだか穏やかな気分になれた。

 キリのいいところで、二人のやりとりから切り上げて、自分の用事を済ませることにした。

 ささっとTシャツ二枚とポロシャツ一枚を購入し、純也は自身の用事をこなした。

(まあ、こんなもんでいいか)

 これらをヘビーローテーションすれば、きっと暑い夏も乗り切れるだろう。

 自分の買い物も一段落したところで、二人の姿を探す。ほどなくして、試着室の前で真剣な表情で佇んでいる司を発見し、今度はその背中に声を掛ける。

「ユーリは、試着中?」

「うん。お兄ちゃんはもう用事済んだの?」

「まあな。そっちはどうだ? まだ時間かかりそうか?」

「う~ん。もう少しかな」

 と言っているうちに、試着室のドアが開いた。

「お待たせしました。あっ、純也も戻って来てたんですね」

 ユーリがこちらを向いて微笑んだので、純也は右手を上げて返した。

 ユーリが身に付けているのは、丈が長いデニムのパンツに、上半身は半袖の白いブラウス。

 どこででも見かけるような格好だが、ユーリが着るとなんだか特別な格好をしているように見えるのは、身内の贔屓目というやつなのだろう。なんとなく、親ばかと呼ばれる人間の気持ちがわかったような気分だった。

「ユーリちゃん、サイズはどう?」

「う~ん、ウエストがちょっと緩い気が……」

「えっ――」

 司は驚いた顔をして、口元をヒクつかせがら、ユーリの身体を覗き込む。

「た、確かに、ちょっとサイズが合ってないね。じゃあ、ちょっとサイズ違うやつ持ってくるからちょっと待ってて」

 ユーリを試着室に残して、司は商品のあった場所へと早足で向かった。

 その背中は敗走する兵士を連想させた。

「こういうのも、楽しいですね。わたし、司ちゃんにはお世話になりっぱなしです」

 司の背中を目線で追いながら、しみじみとした調子でユーリが呟いた。

「ああ見えて、司はかなり面倒見がいいらしい。イマイチ信じられない話だが、陸上部の後輩とかもけっこうあいつに懐いてるらしいし」

「司ちゃんの面倒見がいいのは、意外でもなんでもないと思いますよ。わたしたちのクラスメイトも同じことを思っていますよ。たぶん、そう思ってないのは、純也だけです」

「いやいや、そんなことはないだろう」

「司ちゃんは純也を信頼しているんでしょう。だから、安心して純也に甘えることができるじゃないですか? そういうのは、少し羨ましいです」

 ユーリは少し淋しそうな顔で下を向く。

 その表情の下で、彼女はいまどんなことを考えているのだろうか。

 少し沈黙が流れたところで、ユーリがその空気を嫌ったのか、小さく笑って、

「なんかしんみりしてしまいましたね。せっかく楽しい時間なのですから、こういう話はやめにしましょう。ところで、純也はこういう店によく来るのですか?」

「いや、俺もファッションはからっきしだからな。こんな機会でもなかったら、去年まで着用してた、サイズが合わなくて、ボロボロで、よれよれのTシャツでこの夏を越してたかもな」

 あながち冗談ともいえない冗談を言って、純也は肩を竦める。

 それから少しして、ユーリが今着ているのとサイズ違いのものを持って、司が帰ってくる。司がそれをユーリに手渡すと、ユーリが試着室に引っ込んだ。

「さっきのやつ、わたしがいつも着ているのと同じサイズのやつなんだ。ユーリちゃん、わたしと背丈がほとんど変わらないはずなのに……」

 ユーリに聞こえないように声のトーンを落として司が呟く。

 ショックで呆然としている妹に、純也は書ける言葉が見つからず、彼女の横で苦笑いを浮かべていた。

「わたしとユーリちゃん、一体何が違うんだろう……」

 その答えは司本人もわかっているのだろう。だからこそ、純也は彼女のことを慮ってあえて何も言わなかった。


 結局、ユーリは先ほど試着した試着した服を購入した。その装いがよっぽど気に入ったのか、彼女はその服を着たままの恰好で店を出た。

 店を出て、しばらく歩いたのち、何かに気づいたように、はっ、とした司が、

「あれ? ユーリちゃんが着替えちゃってるから、制服着てるのあたしだけになっちゃうじゃん」

 司は首を捻った後、あっけらかんとした調子で、

「まあ、いっか。買った服をその場で着て帰るって、あたしもよくやるし、その気持ちはよくわかるしね」

 女の子ってそんなものなのかと、純也は誤った知識を植え付けられることとなった。

「これからどうする?」

 時計を見て、純也が二人に問いかける。

 太陽が隠れるまでは、もう少し時間がかかりそうだった。とは言うものの、用事も終わったので、純也としてはこのまま帰宅してもいいような気分でもあった。

「このまま家に帰るのもなんだか寂しいし、マックにでも行かない? あたしちょっと小腹が空いちゃった」

 司の提案に、

「わたしは賛成です。純也はどうですか?」

「俺も異論はないよ」

 こうして、三人は駅前にあるマックへと向かった。

 冷房の効いた快適な店内で、一通り注文を済ませ、三人は四人掛けのテーブルに腰かける。

 純也とユーリは自分のトレイにアイスコーヒーだけをのせていたが、司のトレイには、ハンバーガー二個とフライドポテトが乗っかっている。

「あたしってほら……、育ち盛りだからさ」

 純也が司のトレイに視線を向けると、こちらが何かを言ったわけでもないのに、司は言い訳を始めた。

 そんなに食べてるからユーリに比べて腰回りが太くなるんだよ、という指摘はさすがに自重した。言い訳をしたということは、こうやって間食をしていることが原因だという自覚はあるのだろう。

「ユーリはもう学校には慣れたか?」

 司が大口を開けてハンバーガーにかぶりつき始めたので、ユーリに話を振ると、

「そうですね。割と――」

「ユーリちゃん。すごいんだよ。まだ転校してきてから一週間も経ってないのに、男子からすごい人気で――」

「ちょっと――司ちゃん。やめてください」

 ユーリが、ケチャップを付着させている司の口を押さえにかかるが、司はそれをものともせずにしゃべり続ける。

「ほら、金曜日に大和やまと君から手紙もらってたよね」

 転校初日から、教室を騒がせていたという話は以前に司から聞いている。

 だが、より具体的な話を聞かされて、なんだか純也の心の奥がざわついた感じがするのはなんでだろうか……。

「具体的に行動に移したのは、今のところ大和君だけだけど、あたしの予想だと、これからそういう男子はどんどん増えるだろうね。そういうわけだから、お兄ちゃんも、ユーリちゃんを連れ回してるところを誰かに見られたら、恨まれるを通り越して、憎まれるかもしんないから気をつけてね」

 司の隣ではユーリは恥ずかしそうに、小さな身体をさらに小さくさせて、コーヒーを啜っている。

「ああ、肝に銘じておくよ。それで、ユーリはその……、大和君になんて返事したんだ?」

 別にユーリがどう返事をしようと、彼女の自由であり、そこに純也が干渉する権利はない。そんなことは百も承知だが、それでもその問いを彼女に聞いておきたかった。

 きっと今の自分は、保護者としてユーリのことを心配しているんだと思う。きっとそうだ。

「その場ですぐお断りさせていただきました。わたしは、そういうのはあんまり……」

 顔を赤らめて、今にも消え入りそうな声でユーリが呟いた。

 その答えを聞いて、ほっとしてしまったのは、いったいどうしてだったのだろうか。

「ですから、このへんでこの話は終わりにしませんか?」

 しおらしくなっているユーリを見て、司もこのへんにしておくべきと判断したのか、これ以上司はこの話を掘り下げなかった。

 純也としては、司たちのクラスの男子がユーリをどんな目で見ているのかもう少し聞いてみたかった気もしたけど、自分からそういう話題を振るのもなんだか不自然な感じがしたので、自重した。

 それからは学校の話や部活の話を、司がほとんど一人でしゃべっていた。純也とユーリはほとんど聞き役に徹していたが、司の話に聞き入っているユーリの横顔がとても楽しそうに見えたので、たまにはこうやって妹の話を聞いてやるのも悪くないなと思った。

 様々な人生が溢れているこの世の中から見れば、今日みたいな日だってありふれた休日の一つに過ぎないのかもしれない。

 それでも純也は今日という日を生涯にわたって忘れないと思う。

 ――二度と彼女との思い出をなくさないために。


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