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プロローグ

 プロローグ


「ふふっ、やっと会えましたね」

 突然、透明感のある綺麗な声が鼓膜を揺さぶった。それは耳元でささやかれているような感じもするし、どこか遠くから呼びかけているようにも聞こえる。不思議な声だった。

 どことなく優しさを感じる声で、ずっとその声に浸っていたいと思えるほどに心地よい刺激を鼓膜に与えてくれた。

 その声に反応して、目を開いて声の聞こえてきた方に顔を向ける。しかし、視線の先に声の主と思われるものは何もなかった。

 キョロキョロと辺りを見回して、美しい声の主を探すとともに、自分が今立っているこの世界を観察する。

 あたり一面に広がる、真っ白な景色。真っ白な世界。

 それはどこまでも続いているように見えるし、手を伸ばせば壁に触れてしまうほどの大きさの空間にも見える。不思議な場所だった。

 だけどどうしてだろう。この空間にいると、妙に心が落ち着く気がする。

 何もない世界。現実から隔離されている世界。

 きっとこんな世界で暮らしていれば、今の自分が感じているしがらみとか面倒くさいこととか、そういうことを考えないで生きていけるんだと思う。

「ここですよ」

 またしても女の子の声が聞こえ、背後からトントンと肩を叩かれる。振り返ると、さっきまで何もなかったはずの空間に女の子が立っていた。

 手を伸ばせば届く距離立っている彼女は、口元に優しげな笑みを浮かべている。

 自分の首のあたりに彼女の頭があるので、自然と少し見下ろす格好になる。反対に言えば、彼女が多少の上目づかいを用いて、こちらを見上げていることになる。

「…………」

 女の子の上目づかいはそれだけで一つの兵器になるのだと、そんなことを思った。

 淡い栗色で絹のように綺麗なストレートの髪が腰のあたりまで伸びている。ほんのりと赤らんだ白い頬に、形のいい鼻梁。彼女のくりっとした黒い瞳は、吸い込まれてしまうのではないかと錯覚を抱いてしまうほど魅力的だった。

 この場で少女が急に「自分は天使です」などと名乗ってきたとしても、きっと自分は驚いたりせずに、その言葉を信じただろう。それほど目の前の少女は神秘的なものに思えた。

 紺色の膝丈くらいのスカートに、上半身は白いシャツを身に纏っている。どこかの学校の制服だろうか。

 彼女の服装について、心当たりがあるような気がするのだが、どうしても思い出せない。

 彼女はその瞳で、真っ直ぐとこちらの目を見つめている。

 心臓がドクンと大きく脈打った。

 彼女はこちらの顔を覗きこんだまま何も言い出さない。どうやらこちらが話し出すのを待っているようだったので、とりあえず自分が口を開くことにした。

「ここは?」

 ここに至って、ようやくその疑問が脳裏を巡った。

 彼女は少し首を傾げて、考える素振りを見せる。

「ここは、わたしと純也だけの世界」

 きっと彼女は突拍子のないことを言っているのだろう。だけど彼女の言葉は信じられる気がした。いや、きっと信じたいと思っているだけだったのかもしれない。

(純也? それが俺の名前なのだろうか。どうにも思い出せない。でも多分、この子が言うからきっとそうなんだな)

 彼女の言葉を妄信するかのように、自分自身を納得させた。

 彼女はこちらが納得した様子を確認すると、一歩踏み出して愛らしく小首を傾げ、覗き込むようにして見上げてくる。

「ねえ、あの時の約束。覚えてますか?」

 ――約束?

 脳内でその言葉を反芻する。自分はこの少女といったいどんな約束を交わしたと言うのだろうか。必死に脳味噌を回転させて、約束の内容を思い出そうとする。

 すると、少女はこちらの様子を見て、悪戯っぽく下をペロッと出して、くすっと笑う。

「そりゃそうですよね。わたしが勝手にした約束だし、きっと純也は知らないですよね。ゴメンね、意地悪して」

 その仕草がどこまでも愛らしくて、この瞬間を写真に撮って、眺めておきたいくらいだった。

 きっとこの世界はどこまでも続いていて、ここには自分と彼女の二人だけしかいないのだろう。そんな奇怪な世界に迷い込んだのだと思う。だけど、彼女の悪戯っぽい言葉遣いや仕草を肌で感じているうちに、彼女に――この世界に溺れるのもきっと悪くない。自分はこの世界で永遠に幸せに暮らすのだろう。そんなことを想像した。

「純也の願いを叶えてあげます。それが、わたしが今ここにいる理由」

「願い?」

 またしても疑問符が脳裏に浮かぶ。

 自分の願いとは何だろうか、考えを巡らせようとしてみるも、思考が上手に働かない。

 自分の名前すらまともに思い出せないこの状況じゃ、まともに思考が働かないのも仕方のないことかもしれない。

「急にそんなこと言われてもなあ」

 視線を彷徨わせて、後頭部をぽりぽりと掻く。

「ふふっ、心配しなくてもいいですよ。純也が考えてることはちゃんとお見通しなんですから」

 彼女はこちらの鼻の頭を指でツン、と突いてくる。

 ドキリとして、後ずさりしてしまう。

「でも、できれば、純也からその願い事を声に出してほしいかな。口に出して言葉にする事で、願い事がきっと強固なものになるはずですから。純也が心の底から叶えたいと思ってる願いがきっとあるはずです。それを口に出して言ってみてください」

 優しく諭すような口調で彼女が言う。

「キミは一体何者なの? どうして俺に……?」

 その問いに対して、彼女は曖昧に笑ってみせただけだった。でもその笑みが見られただけで、自分は満足してしまった。

 彼女はいろんな種類の笑顔を持っていた。そして彼女がまだ見せていない笑顔を見てみたいと、自分は思った。

「いずれわかりますよ。それよりも、今は純也の願い事を叶える方が先です。じゃないと、何も始まりませんから」

 その瞬間、何かが舞い降りて来たかのように、自分の中に一つの考えが思い浮かんだ。

 体の奥底に眠っていた自分の欲望が顔を覗かせる。神様に頼むことさえ躊躇してしまいそうな自分の欲望だって、彼女であれば叶えてくれるような気がした。

 そう。自分には叶えたい願いがあるんだ。そして、彼女はその願いを叶えてくれると言った。だとすれば、自分が取るべき行動は必然的に定まってくる。

「俺の願いは――」

 その先に続く言葉を自分が述べると、彼女は穏やかにすべてを包み込むような笑顔で微笑んだ。


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