第213話:指名依頼4
目の前で、白ウサギが笑っている。獣頭だってのに、喜色を浮かべているのが分かる。声からして上機嫌だ。つか、女の声だな……メスだったんかい。
「お前、一体何者だ?」
警戒を解かずに、問う。【幻獣知識】の妙な回答といい、こいつの正体が気になる。
「何者、のぅ。ふむ」
笑うのをやめて、顎のあたりに前脚をやる白ウサギ。妙に所作が人間臭いし、口調が年寄り系というか。やはり、中の人がいるのでは?
「種族はソニックヘアじゃ。広義で言うなら聖霊じゃな」
ソニックラビットじゃなく? いや、それよりも聖霊? 確かGAOにおける動物の究極進化形とか言われてる奴だ。幻獣より上位の存在っていう。
てことは、元は動物か幻獣だったと? って、ソニックヘア自体は【幻獣知識】で該当があるな。つまり、そこから聖霊に進化した存在ってことか。
「で、その聖霊が、どうして俺達を襲った?」
「暇潰し」
こいつの縄張りに踏み込んでしまったせいかと思ったら、予想外の回答がきた。
「でかいシルバーボアがお主らを襲うところだったから、ワシがもらおうと思ってな」
こいつの気まぐれで超大型シルバーボアが片付いたのは別にいいんだが、そこから矛先をこちらに向けることはないだろうにと思ったら、
「するとどうだ、なかなか楽しめるではないか」
ククク、と肩を震わせるソニックヘア。シルバーボア目当ての横やりかと思ったら、俺達のほうが本命だった模様。
「そっとしといてくれませんかねぇ」
「つれないことを言うな。ところでお主――」
草食獣のはずなのに肉食獣を彷彿とさせる表情で何かを言おうとしたところで、その長い耳がピクリと動いた。
続いて咆哮が響き、暴風が吹き抜ける。落ち葉が舞い散るその中にソニックヘアの姿はない。
「いきなりじゃのぅ」
声は背後から聞こえた。振り向くとソニックヘアが10メートル程先にいて、それを遮るように翠色が降ってくる。【暴風の咆哮】をぶっ放せる存在なんて、今のここにはクインしかいない。
「ストームウルフか。こんな所にいるとは珍しい……ん、飼われておるのか?」
クインの装飾品に気づいたのか、ソニックヘアが首を傾げた。クインはいつでも襲いかかれる体勢で低く唸っている。
「お主の使役獣、というわけでもなさそうじゃな」
「俺の相棒だ」
クインの警戒なんて取るに足らないかのような気軽さで問うてくる。答えると、ほぅ、と面白そうにソニックヘアがクインを見た。クインの態度は変わらない。いや、こんな感じ、以前どこかで見たような……ああ、思い出した。初めてセーゴさんに会った時に似てるんだ。
「まあ、よい。先程の続きなのじゃがな」
ソニックヘアが、まっすぐにこちらを見た。
「ワシにお主の種をくれんか」
「種?」
手持ちで種って言える物なんて……ああ、あるにはあるか。
「これくらいしかないぞ」
【空間収納】からそれを取り出す。食用に採取したまま使っていないドングリだ。あ、そういや栗もあったっけ。
「いや、そうでなくてじゃな。お主の子種じゃよ」
「……はぁっ!?」
手からドングリがこぼれ落ちた。いきなり何を言い出すんだこのケダモノっ!? いや、獣人の祖とも言われてたっけ。だったら別におかしくは――いや、おかしいだろっ!
「別に、そこの小娘を待っておるわけでもないのじゃろ? だったら一発どうじゃ?」
チラとクインを見て白ウサギが続ける。小娘? 待つ? いや、それはいいとして、手遅れのケモナーならイケるのかもしれんが、俺にウサギで興奮するヘキはない!
「おぉ、そうか。この姿じゃいかんの。どのくらい人に寄せればよい?」
「ガウッ!」
ソニックヘアの問いをクインの吠え声が遮った。
……なんか、すっげぇ爆弾情報を抱えてしまった。
そして俺そっちのけで、ソニックヘアとクインが何やら話している模様。ソニックヘアは共通語で喋ってるがクインが何言ってるかはさっぱり分からない。ただ、思いとどまらせようとしてくれてはいるようだ。
実際、白ウサギがその気になったら俺の意思など関係なく、力ずくでいただかれてしまう。人型が、こっちの準備が整うだけの容姿なのかにもよるけども! クイン頑張れ! 俺のために超頑張れ!
少しして、ソニックヘアが嘆息した。
「……ヤらんか?」
「絶対に、ノゥ!」
諦め気味の問いに、両腕でバツを作り、はっきりと拒絶の意を示した。そうか、と残念そうに呟く。どうくる、素直に諦めてくれるか? それとも実力行使に出るか?
「仕方ないのぅ。お主くらいのオスなら合格なんじゃが」
「そういうのは同族を狙ってくれ」
「ワシと対峙してそこそこでもやり合えるのがおらんでのぅ。少し前に遭遇したソニックラビットも駄目じゃったし」
喜んで応じてくれるプレイヤーはいるかもだが。ラスプッチン達とか。ただ、そういう奴らに、こいつを満足させられる『強者』がいるかというと、どうだろう。いい勝負をした相手に限定しないなら話は変わるが、そんな提案をする気もなければこいつの情報を拡散する気もない。
「気長に、応じてくれる強者が現れるのを待つんだな」
「人間も、なかなかこの辺には来んのじゃが。今日のところは諦めるか」
くるり、とソニックヘアが背を向ける。
「まあ、いい暇潰しにはなった。礼になるかは分からんが、そこのデカブツはやろう」
ソニックヘアの前脚が向いた先には、首を斬られた超大型シルバーボアがあった。
「では、な。もし気が変わったらいつでもこの辺りへ来るがよいぞ。適当に呼べば聞こえるでな」
ニッ、と笑い、ソニックヘアは数歩で視界から完全に消えた。【気配察知】の範囲内にも確認できない。あいつ、やっぱり本気じゃなかったか。
「何だったんだ一体」
散々引っかき回されて終わった、って感じだ。が、色々な意味で危機は脱した、と言っていいだろう。一気に疲労感が押し寄せてきて、思わずその場に座り込んでしまった。
「……クイン、大丈夫か?」
頑張ってくれたクインは地に伏していた。呼吸も荒い。ようやく緊張が解けたようだ。クインにとってもソニックヘアは格上だったんだろう。ほんと、よくやってくれたよ。後で労ってやらねば。
「っと、そうだ! グンヒルトとセザール!」
気を抜くにはまだ早かった。2人の治療をしないと。
「あのウサギはっ!?」
傷を癒やし、目を覚ました途端に鬼の形相でグンヒルトが飛び起きた。そして痛みに顔を歪める。実際、かなりの深手だったのだ。手持ちの手段では完治していないので、無理はいかんぞ。
「見逃してくれたようだ」
先に目を覚ましていたセザールが返事をし、鍋で温めていたスープをカップにすくい、グンヒルトに渡す。セザールのほうはあばらが何本か折れてはいたけど、内臓は無事だった。
「見逃された、って、何で?」
無事な手でカップを受け取り、眉をひそめたグンヒルトがこちらを見る。
「まず、アイツが俺達を襲ったのが暇潰しだったこと。で、何とか食い下がってた俺が気に入られたこと。そんなわけで、騒がせた詫びだって、シルバーボアを置いて去った」
簡単に説明すると、カップを口につけながら、視線だけで更に詳細を求めてくる。なのでアレの正体やらやり取りやらを含めて全部説明してやった。
「……今度会ったらピー○ーのお父さんにしてやる」
低い声でグンヒルトが呟いた。お前はマク○ガー夫人か。
「器具から特注しないと駄目じゃないか? それ以前に、現時点の俺達じゃ歯が立たんが」
呆れたようにセザールが言う。何か特殊な作り方なんだろうか。○ーターのお父さんなんて作ったことないからよく分からん。
「俺が知ってるレシピでは、皮を剥いで、頭と内臓を取ってからそのままフライパンで焼いて、その後に鍋で煮込む工程があった」
首を傾げると、そうセザールが教えてくれた。ああ、全身そのまま調理するからでっかいフライパンと鍋が必要ってことね。でもそれ、最初から小さく切ればいいんじゃなかろうか。それとも丸焼きに意味が?
「クインが混ざっても無理だぞ」
「ぐぬぬ……」
現実を伝えてやると、頭を抱えて真剣にグンヒルトが悩んでいる。負けたのがそんなに悔しいか。強さに拘ってる感じは今までなかったんだけどな。
まあそれよりも。仮に仕留められたとして、死んだ聖霊がどうなるか。人型で死んだらそのままなのか動物に戻るのか、そもそも死体が残るのか。
「いずれにせよ、今回また襲ってくることはないんだろう? そして、すぐここに戻ってくるわけでもない。だったら今は、あいつのことだ」
こちらを見たままセザールが、立てた親指を肩越しに背後へ向ける。そちらにはソニックヘアが仕留めた超大型シルバーボアがある。
「フィストの納品はあれにするのか?」
「俺が仕留めたのより、アレのほうが価値は上だろうな。首も綺麗なもんだったよ」
頭部を剥製にするのに問題ない部分が斬られてたし、皮膚病ってわけでもなく、目立つ古傷もなかった。
「というか、アレ、俺だけがもらっていいのか?」
仕留めたのは俺じゃないし、ソニックヘアに襲われたのも俺だけじゃないのに。
「それは構わんだろう。フィストがいなければ、俺とグンヒルトは死に戻ってたわけだし」
「それにあのウサギも、私達にじゃなくてフィストにって意図で言ったんだと思うわよ。敢闘賞でしょ、あれ」
2人は異を唱えなかった。でも、最初から俺だけがアイツと対峙してたら、あっさり殺られてただろうしなぁ……うん、報酬をもらった後で2人に還元しよう。他の戦果だって2人がいてくれたからこそだ。
「じゃ、お言葉に甘えるよ。ワイバーンよりは小さいから容量は足りるか」
いずれにせよ【空間収納】を拡張しないと無理だけど。他にも大中小を持ち帰らなきゃだし。
「ん、どうしたクイン?」
腰の辺りを突いてきたので訊くと、クインが首を巡らせた。視線を追った先、遠くに1頭のシルバーボアが倒れている。サイズは中型といったところだろうか。はて、あそこで倒した奴っていなかったような。
「あ、もしかしてクインが仕留めた奴か?」
再度問うと頷いた。そうか、クインもしっかり目的を達していたわけだ。しかも単独で。さすが我が相棒。よしよし、しっかり持ち帰るから心配するな。
「あ、そういやグンヒルト」
【空間収納】の容量を増加しながら、ふと思い出したので訊いてみる。
「なに?」
「ソニックヘアに吹っ飛ばされた後で、奇声をあげながら不思議な踊りを踊ってたろ。あれ、何だったんだ?」
グンヒルトが固まった。手にしていた木製カップが、持ち手から折れて地面に落ちる。顔色が悪くなり、少ししたら元に戻り――いや、通り越して赤みが増していった。
「……け……」
「け?」
「けっ……毛虫。私、毛虫が駄目なのよ……」
恥ずかしそうに目を逸らしながらグンヒルトが告白した。苦手? 毛虫が?
「いやだってお前。山菜の採取の時とか、グローブありとはいえ平気で摘まんで捨ててたろ?」
「数匹くらいなら平気だし、まあ、たくさんいても、分かってれば何とかなるの。でも、いきなり囲まれると駄目……忌まわしい記憶が……」
自身の身体を抱くようにして身震いするグンヒルト。ふむ、毛虫がたかる茂みに突っ込んで全身かぶれた過去でもあるんだろうか。それがトラウマになったと。
つまり、毛虫玉をぶつけたらグンヒルトを無力化できる? いや、さっきの様子だと狂戦士化するかもしれん。
セザールと顔を見合わせた。そして、同時に頷く。あまりつつかないほうがよさそうだと判断し、肉の回収に専念することにした。