第212話:指名依頼3
昔の映画で、スパルタ兵を取り扱ったものがある。その中で、突進してくる巨大な犀を、槍の一投で仕留める場面があった。槍を受けた犀が勢いのまま地を滑り、兵士の手前で止まる、そんなシーン。
目の前で起きたのはそれに似た状況。もっとも今回は、こっちが何かをする前に、首から血を噴き出しながらこけて滑って、30メートルくらい先で動かなくなっている。
それはいい。いや、よくはないか。シルバーボアがどうしてああなったのか、分からないからだ。
首を斬られているのは間違いない。今も流れ出た血が、首の周りの地面を染め、その面積を広げている。切断には至っていないが、結構深く斬られている。
何かないかと周囲を探ると、シルバーボアの後方に1匹のウサギがいた。
白い毛をした大きいウサギが、ミーアキャットの如く立ってこちらを見ている。その状態で、身長はウェナよりちょっと低いくらいに見えた。
チャージラビットじゃない。あれはモコッとしたタイプというか小学校とかでよく飼われている系のウサギだが、こいつは細身で野ウサギ系だ。
「あれが、シルバーボアを殺ったの?」
疑わしげなグンヒルトの声。大きくて直立してる以外はただのウサギで、あれがシルバーボアの首を斬れるようには見えないのは確かだ。
「ボーパルバニーだとでも言うのか?」
セザールが言うボーパルバニーというのは、ファンタジーでは首狩りウサギや殺人ウサギ等とも呼ばれるモンスターで、原典は古い英国映画とも言われるが、ファンタジー界隈で、となると古い米国産RPGだろう。
「前歯が長くないから違う、と言いたいが、昨今のボーパルバニーはバリエーションに富んでるからな。どんな手段を持ってても不思議じゃないぞ」
後ろ脚に刃があったり、手に刃物を持ってたり、戦闘力の高い亜人型だったり色々だ。あれがどこからともなく剣を取り出しても不思議じゃない。
ひとまずあれが本当にそうなのかと確認して――【動物知識】が発動しない? 動物じゃないなら幻獣か? そういえばソニックラビットって幻獣の情報があったっけ。だったらそれ――【幻獣知識】で『幻獣ではない』って……何だこの回答!?
「動物でも幻獣でもない! 現時点で正体不明!」
警戒度を上げるべく、2人に情報を伝え、身構える。しかし、さっきの【幻獣知識】の回答は……幻獣じゃないなら、スキルそのものが発動しないはずなのに何であんな?
白ウサギの反応はというと、こちらを見ているだけだ。首が少し動いて、俺達をそれぞれ見た? その身体が前に傾いて消えて、いや、こっちに向かっ――!
「ぐおっ!?」
セザールの声が聞こえた。振り向くと、白ウサギに蹴られた彼が吹っ飛ぶのが見えた。
「この……っ!」
背を向けている白ウサギに殴りかかろうとしたら、消えたと錯覚しそうな速度で離脱された。方向だけは何とか分かったので視線を向けると、20メートルくらい離れた所にいる。落ち葉も混じったこの場所で、あの質量と速度にしては地面を滑る距離が随分と短い。【壁歩き】的なスキルでも持ってるのか?
「セザール! 無事!?」
グンヒルトが叫ぶ。返事はないが呻き声は聞こえた。消えてないから即死はしてない。シルバーボアみたいに斬られなかったのは幸いと言うべきだが、戦線復帰は無理か?
「グンヒルト、見えたか?」
「影が何とか追えた、くらい」
グンヒルトが隣に並んだ。得物は剣のままだ。あの素早さだと斧の振りが間に合わないって判断だろうか。
どう行くべきか。バラバラに動いたら各個撃破されそうだ。あの加速が乗った飛び蹴りを受けるのは避けたい。
白ウサギの身体がやや前屈みになった。来るかっ!
「ぐっ!」
次の標的はグンヒルトだった。気づけば白い影がグンヒルトの盾と衝突していた。しっかり防御できたのか、吹き飛ばされることはなかったが、地面に2本の線を残しながら彼女が退いていく。
そして、攻撃した態勢のまま、滞空している白ウサギ。今が好機! 【ディアハルト操体法】による身体強化! 【強化魔力撃】4倍!
「殺ったっ!」
踏み込み、渾身の一撃を白ウサギへと見舞う。俺の拳は白ウサギの身体へと吸い込まれ――なかった。白ウサギがその場で跳んだからだ。何もない空中を足場にでもしたかのように。跳躍距離はほんの僅か。ただし、俺の攻撃を回避すると同時に反撃を可能にする絶妙な距離で。
咄嗟に顔の横へ左腕を掲げると、それが自分の顔面へと叩きつけられた。白ウサギの回し蹴りだ。直撃こそ避けられたもののその威力は強烈で、無理に踏みとどまらずに蹴られた勢いに身を委ねる。
数秒に満たない浮遊感の後で着地し、白ウサギの追撃を警戒するも、あちらは動かずにこちらを見ていた。
ちらりと蹴りを受けたガントレットに視線を落とす。魔銀製のそれが、微妙にへこんでる? 右腕側より厚めに作られてるのに? いや、気のせいだ。気のせい、だといいなぁ……
白ウサギを睨みながら身体を確認する。ジンジンと痺れる左腕。手の開閉に違和感があった。あと、首が痛い。さっきの蹴りを受け止めた時に変に力を入れたせいか。
「このっ!」
グンヒルトが手にした盾を、アメコミヒーローのように投擲した。半壊した円盾は、それでも真っ直ぐ白ウサギに飛ぶ。それを追ってグンヒルトが走った。盾がなくなった手には、斧が握られている。回避なり防御なりした隙を衝こうというんだろう。
「うそぉっ!?」
しかしその目論見は、悲鳴にも似たグンヒルトの声と共に中断させられた。白ウサギが盾を蹴り返したことによって。
自身の投擲以上の速度で返ってきた円盾を、グンヒルトは正面に剣と斧を交差させることで受け止めた。耐久値を超えた盾が砕け散り、その勢いに負けた剣と斧がわずかに持ち上げられる。
その隙間を縫うように白ウサギが突進。グンヒルトがやろうとしたことをそのままやり返した。斧を手放した左腕を差し込んでギリギリ防御したみたいだが、直蹴りを食らってグンヒルトが吹っ飛び、低木の茂みに吸い込まれる。あれなら衝撃も抑えられるか。ラッキーだったな、と思ったら。
「ひゃあああぁぁぁぁぁぁっ!?」
さっきのが比ではない悲鳴をあげ、グンヒルトが茂みから飛び出してきた。その表情が恐怖で歪んでいる。長髪を振り乱し、剣も捨て、あり得ない箇所で曲がってる左腕すら振り回してるのだから、白ウサギから受けたダメージを忘れているかのようだ。
よく分からないがまともな状態じゃない。フォローをするため動こうとしたが遅かった。
白ウサギが弧を描くように跳躍したかと思うと、空を蹴って加速し、グンヒルトの目の前に着地する。次の瞬間、グンヒルトのチェインメイルが左肩から斬り裂かれて鮮血が舞った。
「グンヒルトっ!」
ポーチからポーションを取り出しながら走る。アバターは消えてない。でも出血を伴うなら放置はまずい。セザールのほうも気になるが、グンヒルトのほうが重傷だ。
白ウサギが振り向いた。走りながら左腿のスローイングダガーを抜いて牽制のために投げる。まずはグンヒルトから引き離さなければ。刃物を蹴り返したりは――するのかよっ!?
さすがに直接蹴り返してはこなかった。投げたダガーを前脚で弾いてから、刃がこちらを向いた時に柄の部分を蹴りやがった。こいつ本当にウサギか!? 武術家がウサギの着ぐるみ装備してるんじゃないだろうな!?
「ちっ!」
額を目がけて飛んできたダガーを、身を低くすることで回避すると同時に拳を突き出した。ダガーを追うように突っ込んできていた白ウサギが、空中で跳ねて頭上を越えていく。足に【強化魔力撃】を込めて、白ウサギから逃げるように前へと跳び、途中で身を捻って向きを変えた。
白ウサギがそのまま着地したのが見えた。すぐに追撃してこない。警戒しつつグンヒルトの傍に寄り、手にしたポーションを彼女の身体に振りかける。ひとまずはこれで応急処置だ。
「さて、と。どうするか……」
グンヒルトからゆっくり離れながら白ウサギの様子を見る。あいつ、マジでバケモンだ。ラーサーさんやシュタールさん達と対峙した時のような圧を今は感じる。つまり、まともに戦って勝てる相手じゃない。
あいつの強みはあの機動力と一撃の重さなわけで。その場で打ち合いでもしてくれれば何とかなるかもしれないが、こっちの土俵で勝負してくれるわけないわな。
でも、だ。だからって、諦めるわけにはいかんよなぁ。
俺が負けたらグンヒルトとセザールもとどめを刺されるかもしれない。ここで死に戻ったら今回の狩りの成果も消えてしまう。そんな結末、俺は望んじゃいないし、2人も同じだろう。
ゆっくりと、息を吸い、吐く。
「我は鋼――」
拳を握り、意を徹す。この拳は、この腕は、一振りの鎚だ。眼前の敵を打ち砕く武器だ。たとえ相手があの白ウサギでも、当たれば絶対ダメージは入る。信じろ! やれる! できないわけがないっ!
こちらの戦意を察したのか、白ウサギが跳んだ。さっきのグンヒルトに対するのと同じように。ただ、今回は空中で加速しようとはしなかった。本当にひと跳躍したきりで、そのままこっちへ落ちてくる。
誘いの手か? それとも、俺相手ならこれで十分だと? 舐められてる? いや、余裕と言うべきか。
どういう意図かは実際のところ分からない。が、こっちはやることをやるだけだ。
重たい金属がこすれ合うような音が響いた。俺の拳と白ウサギの蹴りの衝突が生んだものだ。どう考えてもまともな音じゃない。ただ、俺はこれに似た音を知っていた。俺とドミニクさんで【テクマディア】の技をぶつけ合った時の音。つまり……この、バケモノめっ!
この結果には驚いたが、それは白ウサギも同じだったらしく、初めて動揺のようなものがその顔に浮かぶ。ここしかない!
蹴りで弾かれて痺れが走る右腕ではなく、ほぼ回復した左腕を伸ばし、白ウサギの片脚を掴む。そしてすぐさま魔力を開放した。当然ただの魔力じゃなく、【魔力変換】を使った雷属性の魔力だ。ただひたすらに威力を求め、負担も考えずに雷撃を浴びせながら、白ウサギを振り回し、近くの木に頭を叩きつける。並の動物なら今ので仕留められただろうに、白ウサギの意識が落ちた様子はない。それどころかその双眸はこちらに向けられたままで――
「っらぁっ!」
悪寒を感じた次の瞬間には、雷撃を纏ったまま渾身の【斧刃脚】を白ウサギの頭に見舞っていた。白い砲弾が吹っ飛び、地面に落ち、転がり、そして止まる。
肩で息をしながら【魔力変換】を解除し、白ウサギを注視する。動きはない。呼吸を整えながら、意識を全て白ウサギに向ける。今この瞬間にも、目にも止まらぬ速さで反撃してきてもおかしくない奴だ。このまま沈んでくれ、と切に願う。
しかし、それが叶うことはなかった。白ウサギが跳ね起きたからだ。
ダメージは入ってる。その顔に一筋の傷が走り、白い毛を赤く染めている。だが、中型魔族の首すら刎ねる【斧刃脚】が決まったのに、それだけだった。
「……バケモノめ……」
何度も思ったことが、今度は音になって口から漏れた。今ので駄目なら、どうやる? というか、どうやって【斧刃脚】を防御した? 魔力が干渉した様子はなかったから、何らかの方法で瞬間的に肉体強度を上げたのか?
白ウサギが顔を撫でた前脚に視線を落とした。身体が微妙に震えている……見た目以上にダメージが入ってるのか? それとも怒りに震えてるとか?
動かれる前に畳みかけるべきだろうか。そう考えたところで、
「ふふ……」
ん?
「ふふふ……あははは……」
んん?
「あははははははっ!」
んんん?
「よい! よいぞお主! 見事!」
白ウサギが、喋った!?