第200話:試食会
ログイン191回目。
飛竜狩りの後始末を終えて、約束のとおりに王都へとやって来た。
寄り道をせず、まっすぐにマサラさんの店に向かうと、店の前には完成したカーリー像が安置されていた。もちろん、現実のものではなく、GAO世界に配慮してカレー特化の装いにした像だ。本来は生首の首飾りだったものが、ターメリックに変えられている。あ、これ本物のターメリックだ。腰のナンはさすがに作り物だった。
そして、店の入口、頭上に看板が掛かっていた。こちらの文字で『カレー専門店ガンダ・ドラヴィヤ』と書かれている。意味は分からないけど、多分、インド方面の言葉だろう。
「こんにちは」
「いらっしゃい、フィストさん」
店内に入ると、店主のマサラさんがほのかな香辛料の香りと一緒に出迎えてくれた。
「あらためて、ひとまずの完成、おめでとうございます。開店の準備はまだなんですか?」
前回と変化がない内装だったので、手前の席に着いて聞いてみる。あ、テーブルだけは丸テーブルに変わってるか。
「一通り、終わってます。あとはテーブルと椅子が届いたら並べるだけ」
「いつ頃から営業を?」
「今日、フィストさんと神殿の方々に試食してもらって、問題なければ。材料と人の手配をして、それからですね」
「神殿? 何か言われたんですか?」
マサラさんとの出会いのきっかけは、彼女が住人の職人さんに製作依頼したカーリー神像が、邪神だと思われて神殿に報告されたことだった。
結局、俺の説明とマサラさんからの聞き取りで、その誤解は解けたはずなんだけども。まだ警戒されてるんだろうか。
「是非とも食べてみたい、とのことで」
「……ひょっとして、シュトラウス司教も?」
「はい」
あー……そういや、食べてみたいって言ってたっけ。それに、カレーのことで神殿関係者が何度か訪ねてきたんだって聞いてたっけ。本当に来るのか……しかも、ファルーラ王国の神職トップが? 異邦人の料理を食べるためだけに?
「うまくいけば、とんでもない宣伝効果がありますね」
「そこまで都合良いことにはなりませんよ」
なんてマサラさんは笑うけど、そうなっても不思議じゃない。今のところ、GAO内既存の料理で、ここまで香辛料をふんだんに使ったものは食べたことがない。住人達にとっても未知の味だろう。
「辛いものが駄目な人以外で、カレーが嫌いって人は聞いたことないですし。そこさえクリアできれば勝算は十分にありますよ」
「まあ、ほどほどでいいですよ。別に、カレーの伝道師になりたいとか、そういうわけでもないですし」
いやー、それはどうだろうなぁ。カレーの開発は【料理研】でもまだやってない。プレイヤーメイドのカレーも、現時点で話題になってない。間違いなく、マサラさんが先駆者だと思われる。
ともあれ、開店日が決定したら、知り合いに情報を流そう。特にセザール、グンヒルト、【料理研】には忘れずに。
そんなことを考えていたら、入口から涼やかな音が鳴り、ドアが開いた。
店に入ってきたのは、シュトラウス司教。着ている服は庶民のものだ。さすがに神職の正装では来ないよね。
次に入ってきたのは似た恰好のお供が2人。この人達もここの神殿で見たことがある。司祭級の人達だったかな。
それからドアの向こうに、そのまま店に入ろうとしない人達もいた。ちらと見えた腕は太い。服装はやはり庶民のものだけど神官戦士だろうか。お忍びの護衛、ご苦労様です。
「いらっしゃいませ」
「こちらのわがままを聞き入れていただき感謝する、マサラ殿」
シュトラウス司教がマサラさんに会釈する。そして、こちらを見た。
「お久しぶりです、シュトラウス司教」
「うむ、以前は世話になった、フィスト殿」
席を立って挨拶すると、シュトラウス司教が鷹揚に頷き、奥の席に着く。お供の2人はその左右に座った。俺もあらためて座り直す。司教と向き合う形だ。
「あれから、フィスト殿はどうしていたのだ?」
「王都に少し滞在して、それからは、いつもどおりにあちこちを」
腕の治療をしてからは、大きな事件には巻き込まれていない。流派を修め、親友と再会し、呪物を処理して、家を手に入れた。それくらいだ。
「そういえば、呪物の解呪について良い情報をもたらしてくれたとか。神殿でも本格的に研究を開始しようと思っているところだ」
「そうですか。ダンジョンの探索が進めば、呪物も色々と回収されると思われます。それが解呪によって有益な物に生まれ変わるのであれば、我々異邦人にとってもありがたいので」
俺自身は当分用はないけど、他のプレイヤーにしてみれば、呪物がまともになって利用可能になるのは良い話だ。そこまで手間を掛けるかどうかって話でもあるけど。
それにしてもイェーガー大司祭、こっちにまで報告をあげてたか。さすがだ。
「お待たせしました」
場を離れていたマサラさんが、料理を手に戻ってきた。
「あらためまして、本日はご来店いただき、まことにありがとうございます。これより、この店で供する予定の料理の試食会を開催いたします」
言いつつテーブルに4人分の料理を並べていく。
「まずはこちらを。白いほうが小麦粉で作ったナン。丸いのが小麦の全粒粉で作ったチャパティです。これを手頃な大きさに千切って、そちらのペースト、カレーをつけて食べていただきます。本日はチキンカレーをご用意いたしました」
ナンとチャパティ、それからカレーが置かれた。皿と、それらが載っているお盆は木製だ。さすがにステンレス製の食器はないか。
「それからこちらも。香辛料に漬け込んだ肉を焼いたもので、タンドリーチキンです」
赤々としたチキンが添えられている。んー、いい香りがする。食欲をそそるね。
「それからお飲み物ですが。お水、チャイ、ラッシーを準備しております。お水以外は、提供時は有料です」
それぞれが注がれた木製のコップが置かれると、カランと音を立てた。氷入りだ。あとラッシー、再現できたんだな。
「それではごゆっくり、お召しあがりください。フィストさん、あとはお願いしますね」
一礼し、マサラさんが下がった。うむ、食べ方の説明、任された。
「それではいただきましょうか。ナンとチャパティですが、これは手で千切ります」
手本を示すように、ナンを千切ってみせる。本場だと右手だけで千切ると聞いたことがあるけど、インド人じゃないので両手を使った。
「まずは、そのままで少し食べてみては?」
そう提案して、千切ったナンを一口する。噛みしめるとほのかな甘みが広がる。ああ、このままでも美味しいナンだ。何も付けなくてもペロリといけそうなくらい。
「ほう、これは……」
真似てナンを食べたシュトラウス司教の表情が緩んだ。お供の人達も、一口でナンを気に入ったようだ。
「そしてこちらは……これもなかなか。こちらのほうが香ばしい」
「普段食すパンと違う食感がどちらも面白い」
「これだけでも食べられますな」
続けて食べたチャパティも好感触。そういやインドじゃナンは贅沢品で、チャパティのほうが主流なんだったっけ? 日本じゃインドのカレーにはナン、ってイメージが定着してしまってるし、個人的にはナンのほうが好きだけど。
「それでは次にいきましょう。千切ったナン、またはチャパティにカレーをつけて――」
自分のナンにカレーをつけて、食べる。ああ、カレーだ。以前、王都の森で振る舞ってもらったカレーよりもレベルアップしてる。美味い。
「これは……っ!?」
シュトラウス司教が驚きの声をあげた。
「なんと複雑な香り、そして強烈な辛さ……いや、ただ辛いだけではない。いつまでも舌を刺激するのではなく、程よい余韻を残す。それに」
司教はナンをそのままで一口し、続けてカレーをつけて食べて、頷く。
「うむ、ナンの甘みが実に合う。カレーの深みと辛さを引き立てるようだ」
「これは美味い。香り自体が食欲をそそる」
「一口するとすぐに次が欲しくなる。こんな不思議なことが……この料理、大丈夫なのですか?」
好評ではあるようだけど、司祭さんの1人が不安げにこちらを見た。しかしその手は止まっていない。
「この料理には、辛さや香りを出すために様々な物が入っています。香草や、今までは単に薬草として使われていた物も含まれます」
千切ったナンに、カレーの中の鶏肉を乗せて食べる。お、口の中でほろりと崩れた。よく煮込まれてる。
「その中には、食欲を増す効果や、脂肪の燃焼を助ける効果、胃腸の働きを良くするなどの効果がある薬草類が含まれます。基本的には身体に害を与えるだけの物は入っていません」
ただ、と一呼吸置いて、続ける。
「薬も過ぎれば毒になるように、食べ過ぎると身体に悪い、ということはありえます」
胃腸を刺激するから腹をくだしたり。汗をかきすぎて水分不足になったりとか。あと味覚が強烈に刺激されるので、他の味を感じにくくなったりとかあるんだっけ?
「うむ、そのあたりはマサラ殿からも説明を受けた。持病によっては控えたほうがよい、とも。なので、今日ここに来たのは、聞いた限りで持病に影響のない者ばかりだ」
シュトラウス司教が答える。さすがマサラさん。ちゃんと説明してあったか。
俺達異邦人にとってはどうってことなくても、住人達にはどう影響するか分からない部分もある。体質的に合わない人がいるとか、絶対設定されてるはずだ。GAOだし。
「初めて食べた料理で驚く部分はあるでしょうけど、これを一度食べたからと体を壊すことは、よほど体質に合わないのでなければ、ないと思います。ですので、本日の食事に関してはそこまで気にしなくても大丈夫ですよ。カレーを気に入っていただけたのであれば、今後は食べ過ぎにだけ気をつけて、様子を見ていただくのがいいかと」
不安を口にしていた司祭さんにそう答えると、納得したように頷き、食事を再開した。あれ、これ、もうカレーに落ちてない?
「ああ、合間に飲み物もどうぞ。牛の乳には辛さをある程度抑える効果があるそうです」
ラッシーはヨーグルトベースの乳製品だし、チャイもミルクが入ってるから、効果はあるだろう。あれ、そもそもこれに使ってるの、牛の乳でいいのか?
振り返ってマサラさんに目線で問うと頷いてくれた。うむ、ならばよし。でも、牛以外の乳だとどうなんだろ? GAO、山羊の乳とかあったよな? 飲んだことないけど。
シュトラウス司教達はご機嫌で帰っていった。神殿の偉い人も通う店、という売り文句が確定したと見ていいだろう。まずは神殿関係者が訪れる。それを見て住人達も一度は来るはずだ。リピーターになるかは好みに合うかどうかだけど。
プレイヤーは来るだろうなぁ。間違いなく来る友人達がいるし。
「お疲れ様でした」
椅子に座って力を抜いているマサラさんをねぎらう。シュトラウス司教達の対応は俺がメインでやったけど、ずっと彼らの反応を気にしてたしね。
「とりあえず、魔女裁判は避けられましたね……」
大きく息を吐くマサラさん。ああ、それまだ気にしてましたか。
「ところでフィストさんはどうでした? 今日のカレー」
「美味しかったですよ。ただ、もうちょっと辛くてもよかったかなと」
辛さに関していえば、森でごちそうしてもらったものより控えめだった。多分、初めて食べる住人に合わせて抑えてあったんだろう。
「辛さは選択できるようにしようと考えています。今回のが一番下、と考えていたのですが、それでも司教様達には強い刺激だったようなので、もう少し辛さを抑えたほうがいいかもしれませんね」
「まあ、慣れてないと、ですね。ところで、今回以上の辛さのものは、今出せます?」
期待を込めて、問う。彼女の好みも、もう少し辛いもののはず。だったら、自分用にその味を完成させていないわけがない。
「できますよ。それじゃ、これから作りますので。そうだ、もうちょっと相談に乗ってもらいたいことがあるんですけど」
「俺でできることなら喜んで」
頷くと、席を立ったマサラさんが厨房へ向かう。
よし、俺だけの第2ラウンド開始だ。
第2ラウンドと言いつつ、今回のカレーの話はここで終わりです。
次は屋敷関係で動き始めます。