第190話:解呪
魔銀製の解体ナイフセットが完成した翌日、【伊賀忍軍】と一緒にアインファストを発った。まずはツヴァンドに行き、そこに数日滞在してドラードへ、という行程だ。
忍装束で移動するのかと思ったら、ツキカゲを除いて全員普通の恰好だった。まあ、何割かが和服だったので、普通、ではないかもしれないけど。マサトシさんは刀を差した浪人風だったし、マリアさんも江戸時代の女性の旅装を思わせる恰好だった。
駅馬車は利用しない徒歩の旅。野営の訓練も兼ねて、ということで、野営地での食事等も全て【伊賀忍軍】が請け負ってくれた。お陰で随分と楽をさせてもらった。
旅自体は特にトラブルはなし。一度、野盗に襲われたけど、【伊賀忍軍】の手によって瞬殺だ。第三陣の人達も妙に手際が良かった。リアルを聞くのがはばかられるくらいに。
野盗の襲撃がトラブルとは思えなくなってるのは、我ながらどうなんだろう。
ログイン182回目。
無事にドラードに到着。ここで【伊賀忍軍】とはお別れだ。
「それでは我らは拠点に向かうで御座る」
「ほとんどお客さんみたいな扱いだったな。楽すぎて申し訳なかった」
「なーに、野営時には手伝ってもらえたで御座るし、戦闘指導なども引き受けてもらえたで御座るからお互い様で御座るよ。フィスト殿はまたしばらくドラードに滞在するので御座ろう? 何かあったら声を掛けてくだされ」
拠点の場所は教えてもらっている。ツキカゲ個人だけでなく、【伊賀忍軍】とすぐに連絡がとれるわけだ。
「色々と世話になりました」
「それじゃあ、また会いまショウ、フィスト=サン」
マサトシさんと握手を交わし、マリアさんにはハグをされる。2人とは旅の間もよく話をした。かなり異邦人寄りの人達だった。GAOにもしっかり順応するだろう。フレンド登録も済ませた。
「さーて、ツキカゲ。隠れ家にゴー! 早く会わせてほしいデース」
「ちょっ、母上!?」
急かすマリアさんにうろたえるツキカゲ。拠点に誰かが待っているようだ。さてはツキカゲに春が来たか?
ツキカゲ達を見送りながら、次の行動を考える。結構な早足だったので、日が落ちるまでにはかなり余裕がある。用事の1つ2つは片付きそうだ。
やらなきゃいけないことはグンヒルトへの食材の納入くらいだけど……今はログインしていないようだ。となると、旅の間に片付いた呪具の解呪だろうか。
野営の度に甲冑を確認して、瘴気がすっかり消えたのを確認済みだ。剣のほうは見てないけど、甲冑のほうが元の瘴気は濃かったので、剣のほうも終わってるだろう。
そういうわけで、神殿へと向かう。考えてみたら無傷で神殿に行くのって今回が初めてじゃなかろうか。前回も前々回も、片腕がもげてたし。
神殿に到着し、中へと入って、近くにいた神官さんに呪具の解呪を依頼する。
待つことしばし。担当の神官さんが――じゃない、イェーガー大司祭と数名の神官さんが現れた。あれ、解呪の担当も大司祭様ですか?
「ご無沙汰しております、フィスト殿」
「王都の神殿以来ですね。今日はまた、面倒事を持ち込ませていただきました」
そう断りを入れると、イェーガー大司祭が笑った。
「今回はどこも怪我をしていないご様子。健やかに過ごされている上での面倒事でしたら、たいしたことではないでしょう」
いやぁ、それはどうだろうか。あの呪具がどの程度のものなのかは、見てもらわないと分からないし。
「それで、呪物の呪いを解きたい、ということですが」
「はい。しばらく前に入手していた物なのですが、そろそろ、と思いまして」
「ふむ。その口調ですと、以前ここを訪れた時には既に所有していたようですな。何故、今になって?」
「自分が使えるものじゃなかったので優先度が低かったのが1つ。あとは試してみたいことがあったのを着手できていなかったからですね」
ひとまず【空間収納】から樽を取り出す。イェーガー大司祭が不思議そうな顔をした。
「これが、呪物ですか?」
「あー、物はこの中に。甲冑一式なのですが、どちらに出せばよいでしょうか?」
「それではこちらへ」
イェーガー大司祭達が歩きだしたので後ろに続く。案内されたのは1つの部屋。造り自体は、腕を治療してもらった部屋と変わらないけど、白い石でできた台座が中央にある。
「それでは、こちらへ呪物を出していただけますかな」
言われて樽の蓋を開け、バラした甲冑を出して台座に置いていく。
「甲冑はこれで全部ですね」
「他にもあるので?」
「あと、剣が一振りあります。一緒のほうがよろしいか?」
「いえ、1つずつ片付けましょう。それにしても、見事な甲冑ですな。これだけ見ると、呪物だとはとても」
そう、イェーガー大司祭の言うとおり。瘴気がなくなった今だと、これが人に害をなす死霊騎士だったなんて思えない。
「それに瘴気が全く出ていない」
「ああ、瘴気は先に除去しまして。そのほうが、解呪の難易度が下がるようだったので」
「そのようなことが。後で、詳しく伺っても?」
隠すような情報ではないので頷いておく。解呪にかかる労力がどういうものかは分からないけど、難易度が下がるということは神官さん達の負担が減るということなのだから。教えることによるデメリットもないし。
「では、始めましょう」
台座の前にイェーガー大司祭が立ち、他の神官さん達も台座を囲むように立った。
イェーガー大司祭の口から声が漏れる。共通語で紡がれるそれは、治療してもらった時と同じ。神々へと訴える言葉だ。
聖属性の魔力光にも似た、白く優しい光が甲冑を包み込んでいく。すると、甲冑の表面から赤黒い光が漏れ始めた。呪いが可視化されたものだろうか?
イェーガー大司祭の、そして神官さん達の声が重なり、白い光が強くなっていく。赤黒い光は荒れた海面のような動きを見せていたが、それも次第に弱くなっていき、最後には消え去った。
「解呪は終わりました。なるほど、瘴気を纏っている呪物よりも、こちらの力が通りやすかった」
同意を求めるようにイェーガー大司祭が神官さん達を見る。同じように感じたのか、神官さん達が頷いた。手間をかけた甲斐があったというものだ。
さて、これで1つは片付いた。次は剣を頼もうか。
「ところでフィスト殿。この甲冑、どうするおつもりで? フィスト殿が身に着けるわけではないのでしょう?」
「ええ。最悪、ドラードで競売にかけようかと思っています」
他にも案はあるけど、そちらが駄目ならそうする。その時は、広くプレイヤーにも声をかけてみるか。付与された効果を考えれば、飛びつく奴は必ず出るはずだ。まあ、あくまで引き取り手がいなかったら、だけど。
「それでは次をお願いできますか?」
甲冑を再び樽に片付けて、今度は剣を納めた箱を【空間収納】から取り出した。
「ん?」
思ったより重たい。あ、そうか。こっちは中身を確認してなかったんだった。箱の中には剣だけじゃなく、除去剤も入ったままだ。
「少し失礼しますね」
箱を台座において、ロープをほどく。蓋を開けて――ん、何だ、開かない? それに随分と箱が冷たいというか……よし、開いた。
「何だこれ」
箱の中を見て、そんな言葉が口から出た。イェーガー大司祭達も困惑してた様子だ。うん、俺が一番驚いてる。
箱の中の剣は、凍った除去剤に閉じ込められていた。どうしてこんなことに……あ、思い出した! 確かこの剣、冷気属性が付与されてたはず! それでか!
「フィスト殿、これは……?」
「剣の効果で凍ってしまったようですね。先に言ってしまいますが、この氷、というか、凍る前の除去剤で瘴気を消していたんです」
とにかく解呪してもらわねば。凍ったままじゃまずいだろうか。まずいよな。だったらまずは氷を溶かそう。
野営での入浴用として常備してある湯が入った樽を、【空間収納】から取り出して床に置く。かぶせてあったバスタオル代わりの布を一旦かわして蓋を開け、剣を木箱ごと樽の中に入れた。
さすがに湯まで一瞬で凍らせる冷気を発しているわけではないようで、しばらくすると氷は湯が冷める前に溶けた。樽から剣だけ取り出し、布で水気を拭き取る。
「それでは、よろしくお願いいたします」
そして、何事もなかったかのように台座に置いた。
剣の解呪もうまくいった。瘴気除去の情報を伝え、解呪の代金――寄進をして神殿を出る。
そして、その足で向かう予定だった場所を変更し、町を出て海岸へ向かった。
砂浜まで来て野営の準備。かまどを組み、火を点ける。献立は……何にするかね。
それよりも先にこっちを試さないと。これこそが予定を変更した理由だ。
鍋を取り出して水を入れ、その中にエールを入れた革袋を浸ける。それから、さっき解呪してもらった剣の切っ先を水に入れた。
左手を水に浸す。しばらくしていると水の冷たさが増してきた。それでも凍るまでにはそれなりに時間がかかりそうだ。瞬間冷凍というわけにはいかない。外の気温や剣の接触面積も影響しそうだし。
「……ん?」
この剣、精霊の存在が感じられる? 《翠精樹の蔦衣》から樹精の気配がするのと同じ感じ……氷は解呪の前に全て溶かしきったはずだし、ということはこの剣そのものが?
『氷精よ、この水を凍らせておくれ』
鍋から手を出して精霊語で訴えると、魔力が抜けた感覚があった。水面にうっすらと氷の膜が生じ、それがゆっくりと厚くなっていく。革袋を引き上げて様子を見ていると、鍋の水は凍りついた。とはいえ使った魔力もごくわずか。凍ったのも表面だけだ。
でも、今はそれで充分。氷を拳で割って、そのまま革袋を沈める。よし、いいぞ。いける!
エールはこのまま冷やしておくとして、今日の献立をどうしよう。焼肉でいいか。準備も簡単だし。何の肉を使うかを考えるだけでいい。
剣はそのまま砂浜に突き立てた。何となく、周囲がひんやりする気がする。手を近づけると、うん、やっぱり刃から冷凍庫を開けて少ししたくらいの冷気が出てる。
するとクインが剣に寄って、そのまま寝そべる。ひょっとして剣の冷気が気に入ったとか? 元々、寒い地方が生息圏だったっけストームウルフ。四季が実装されて夏も来るとなれば、クインの暑さ対策にも有効かも?
俺の中でこの剣の価値がうなぎ登りだ。単に冷気を発するだけじゃなくて、まさか氷精が宿った剣……いや、氷精が宿れる剣だったとは。予想外もいいところだ。
さて、考える事がたくさんある。まずはこの剣の能力の検証だ。
氷を作れるようになるのはかなりありがたい。飲み物を冷やすだけじゃなく、冷たい食べ物を作るのにも使えそうだ。
それから狩った獲物の冷却。水に浸けるだけよりも時間短縮が可能になる。
夏場なら冷房的な運用も可能だろうか。いや、剣の冷気に頼るより、氷塊を作ったほうが効率的か? ああ、大きな氷が作れるなら、それを卸すこともできそうだ。
うむ、夢が広がっていく。というか、大変気分がいい。よし、こんな時は景気付けに贅沢しよう。
「クイン、今日はワイバーン肉を焼くか」
頭を上げたクインの尻尾が嬉しそうに揺れた。
かまどに鉄板を置き、熱している間にワイバーン肉をスライスする。クイン用は大きく厚めに切っておいた。
十分に熱くなった鉄板にワイバーン肉を載せると、いい音と匂いが立ちのぼる。味付けは軽く塩を振るだけだ。それで充分。
表面を程よく焼いた肉塊を、まずは木皿に乗せてクインに渡す。
「先に食べていいぞ」
こっちはまだ準備があるので促すと、遠慮なくクインはワイバーン肉に食いついた。
さて、俺のほうはエールの準備だ。ジョッキを出し、氷水から引き上げた革袋のエールを注ぐ。
「いただきます」
そしてエールを一口、一口、また一口。
「ぷはぁっ! キンッキンに冷えたエール、美味い!」
冷たい食べ物、冷たい飲み物というのは、町じゃ贅沢品。それを屋外で楽しめるようになるなんて、素晴らしい! あー、ビールも欲しいなぁ。誰か、GAOでビール造ってくれないものか。味噌と醤油が一段落した【料理研】に頼んでみようか。
エールのおかわりを注ぎながら剣を見る。予定変更だ。エド様ごめんなさい。甲冑だけで勘弁してください。