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第187話:あの時の

 

 昼休み。買ってきていたパンで簡単に昼食を済ませ、屋上へと向かう。

 階段を登り切り、屋上へ出るドアの前で腕時計を確認した。待ち合わせの時間まであと10分。彼女のことだから、先に来て待っているだろう。

 ドアを開けると夏の空気が風と共に流れ込んできた。外、暑そうだなぁ。いや、既に暑い。

 屋上にいるのは待ち合わせていた1人だけで、他の社員の姿はない。長い黒髪を風に靡かせたスーツ姿の水城が、前回と同じようにこちらに背を向けて立っている。

 屋上に出るとバタンとドアが閉まり、水城が振り向いた。以前、俺から呼び出した時のように緊張した様子だ。いや、あの時よりは表情が柔らかい。

「待たせた」

「いえ、私も少し前に来たばかりなので」

 近づきながら声をかけると、水城は首を横に振った。

「で、用件は?」

 昨晩、ニクスが言ったお願いというのは、GAOではなく現実でのことだった。昼に時間をもらえないか、と。特に予定もなかったので了承し、今に至る。

 それにしても、用って一体何だろう? 心当たりが全くない。昨晩はそこに触れなかった。

 相手がニクス、というか水城だから、余計に分からない。リアルでの接点が会社にしかないからだ。業務的なことなら、勤務時間外に言うことはないだろうし。

 待ち合わせが屋上である以上、人目に触れたくないんだろうってのは察せられるけど。

 俺の問いに、水城は持っていたハンドバッグから小さな紙袋を取り出した。そして、それをこちらに差し出してくる。

 受け取った紙袋にロゴはない。テープで止められたそれを開け、中を見る。何だこれ、ハンカチか?

 取り出してみると、間違いなくハンカチだった。紺と深緑のチェック柄で男性用。包装紙の代わりなのかビニール袋に入れられている。綺麗にアイロンがけされているけど、新品ではなさそうだ。どういう意図があってこれを?

「お返しします」

 疑問を放つ前に水城の声が聞こえた。返す? ってことは、これ、俺のか? 言われてみれば見覚えがあるような。でも水城にハンカチを貸した覚えはない。というか、最近の話じゃないな。俺がこれを最後に見たのはいつだ?

「え……?」

 記憶を掘り起こし、思わず、声が漏れた。そのまま水城を見る。いや、待て、ちょっと待て。ハンカチのことは思い出した。でも、だったら。だとするならば。

「あ、あの時の……?」

 昨日、GAO内で少しだけ触れた過去のこと。輝達と乗ってた電車内で見かけたトラブルの当事者。それが、水城ってことに……待て待て、本当にあの時の女の子か? 顔とかじっくり見てたわけじゃないから記憶が薄い。水城と彼女が同一人物だって確証がない。

 でもこのハンカチはその証拠とも言える。確かに、俺はあの時の女の子にハンカチを渡した。

 疑問とも独り言ともとれる俺の言葉に、水城が頷いたのが見えた。

「はい。あの時、痴漢から助けていただいた高校生が、私です」

 昨日はぼかしたままにしておいた、トラブルの具体的な内容を、水城は口にした。

「先輩」

 水城が真っ直ぐに俺を見る。

「大変遅くなりましたが、あらためて……あの時は、私を助けていただき、ありがとうございました」

 そして、深々と俺に頭を下げた。えぇと、どういたしまして?

 

 5年くらい前のことだ。そう、電車で偶然、それに気付いたのが発端だった。

 今にも泣きそうな、何かに耐えているような女子高生らしき女の子と、その後ろでにやついてる、カラフルな頭をした若い男。

 何が起きてるのかに気付いて、輝と行動を開始。輝が男の制圧、俺が女の子の確保を担当した。助かったことに安心したのか、うずくまって泣きだした女の子にハンカチを渡し、後は美羽に任せて、輝に加勢。

 着いた駅で痴漢を電車の外に引きずり出し、そのまま駅の事務所へ連行。

 その途中で、男が隠し持ってたカッターナイフで刺されたというか斬られたというか。荒事のためにコートとジャケットを脱いだのが災いした。美羽と女の子が降り遅れてその場にいなかったのは幸いだったけど。

 そのまま逃げられたのですぐに110番通報し、俺は初めての救急車に乗って病院へ。

 処置の直後に警察の人が来て、事情聴取を受けている途中で、そいつが駅の近くで車にはねられて死んだと連絡があった。信号無視だったそうだ。逃げるのに必死だったんだろう。

 その後、被害者側がお礼をしたいと言っていると警察から一度連絡があったけど、全員断った。


 それで終わり。だったはずなんだけど。

 まさかあの時の当事者が、同じ大学に入学していて、同じ会社に就職していて、同じゲームで遊んでる相手だったと? どういう偶然だ。

 でも身バレ後の、彼女の俺に対する態度には納得がいった。システム保護があると言っても平気で俺との泊まり旅を受け入れるわけだ。

 まあ、それはいいとして。何で、今になって水城はこんな行動に出た? 彼女がここに就職してからだいぶ経つ。俺に気付いてたならすぐ言えばよかったんだ。遅くとも身バレした時にはもう知ってたんだろうに。

「どうして、今なんだ?」

 だから、問うた。すると、頭を上げた水城が言いにくそうに視線を逸らす。

「その、ですね……先輩が先輩だということは、入社して少しした頃に気付いてはいたのですが……その、どう切り出したものか、と」

「どうって?」

「だ、だって、私の評判、先輩も知っていますよね?」

 あー、男性社員相手だと無愛想で素っ気ないってのは、無責任な噂と一緒に割とすぐ広まってたっけ。今になって思えば防衛行動だったんだろうと察しはつくけど。

「ん、てことは、会社内で初めて俺と顔を合わせた時にはまだ気付いてなかったのか?」

「いえ、その前に先輩を見かけていて、会社にいることには気付いていました……あの時は、と、突然だったので、つい普段どおりの態度を……」

 当時の様子を思い出して問うと、申し訳なさそうに水城が答える。ふむ、それにしてはそれ以降も変わらなかった気がするけど。いや、だからか。俺にだけ態度を変えてもそれはそれで目立つわな。

「で、機を窺いつつ、今に至るまで動けなかった、と」

 メールなり何なりで連絡することはできただろうに。ひょっとして水城、思ったよりポンコツなのでは?

「は、はい。5年くらい前の話を今になって持ち出しても、どう思われるかと不安になってしまって踏み出せず……」

「どこに不安になる要素が?」

「だって、その、長いこと執着していたということに……」

 ハンカチを返してお礼を言うのにそこまで長いこと考え続けられるってのは、ある種の執念と言えばそうかもだけど。助けられた立場で考えてみるなら、機会があるなら返したいという気持ちは何もおかしいことじゃないと思える。

 いや、待て。執着って、俺に、って意味でか? 実際は違うんだろうけど、ストーカーみたいに思われるのが嫌だった、と? いやいや、さすがにそんな勘違いはしないぞ俺。でも待てよ? まさか、俺が気付いてなかっただけで、実は付き纏ったりとかそういう行為を?

「し、してませんよ!? そういう感情はなかったですからっ!」

 若干身構えてしまった俺を見て、慌てて水城が手と首を振る。この様子なら大丈夫――大丈夫、か? 何か引っかかった気がする。

「心配しなくても、変な解釈を加える気はない。そこまで気にしなくてもよかったのに、とは思うけど」

「そこはその、助けてもらってお礼も辞退されていましたから、余計に……昨日の話でそうした理由は察しましたけど」

 俺が怪我を負ってなければ、普通に礼を受けて終わりだったんだろうけど。そのことで謝られたり気に病まれても困る、ってのが当時の俺達の考えだった。

 俺の怪我は、派手に出血したように見えた割には軽傷だった。輝と美羽の慌てぶりに笑ってしまう余裕があったくらいの。でも、それを水城がどう思うかは別だったし。

 だから対面を断ったし、俺が怪我をしたことは被害者には言わないようにお願いしてあった。あの時、俺達が水城を助けたのは、誰かに言われたからじゃない。選んだのは自分達自身で、だったらその行動により生じた結果に水城の責任なんてありはしないんだから。

 それにしても、昨日の話で理由を察した? 昼食時の話だけで――ああ、それがガールズトークの内容か。

 俺達3人が電車で遭遇したトラブルが、自分が被害者だった事件のことではと水城は考えたんだろう。そしてそれを美羽に問い質した。美羽があっさりゲロったとは思えないから、水城から当事者であると匂わせたと思われる。

 つまり、今日のこれは、昨日の交流がきっかけになったってことだ。てことは輝にも話は流れてるな。美羽の奴、後でこっそり俺にも教えてくれればよかったのに。

「と、とにかく、ですね」

 咳払いなどして、水城が見つめてくる。

「あの件について、何もお礼ができていません。少しでもお返ししたいので、私でお役に立てることがあれば何でもお申しつけください」

 ん、今何でもするって――じゃない、何を言ってんだこの子は。

「あのなぁ、軽々しく何でもなんて言うんじゃない」

 大金を貸せとか交際しろとか言ったらどうするつもりだ。さすがに無茶な要求を呑むとは思わないけど、恩人ポジの言うこととなるとどうだろう。いや、そういうことはしないって信頼があるからこそか……迂闊なこと、言えなくなったなぁ……。

 仕方ない、適当なのを挙げて清算してしまおう。

「それじゃあ、今度付き合ってくれ」

「はい、付き合いぃぃぃぃっ!?」

 ビル風にも負けない大声が屋上に響いた。真っ赤な顔になった水城はこちらから目を離さない。あー、言葉どおりに受け取ったか。違う、そうじゃない。

「水城が知ってる美味いものの店、案内してくれ。GAOじゃなくて、現実の店な。そっちのおごりで」

「あ……は、はい……他には?」

「いや、それで十分だろ。これ以上はこっちがもらい過ぎだ」

 あの時のお礼だって、実現してたとしたら菓子折とかだろうし。食事を奢ってもらうって時点でもらい過ぎなくらいだろ?

「てことで、期待してる」

「分かりました。決まったら連絡を入れます」

 落ち着いた水城が頷き、そして何がおかしかったのか、フフッと笑った。

「どうした?」

「いえ、GAOでのフィストさんならともかく、こちらでもそうなんだな、と」

「んー……そういう意味じゃGAOに引きずられてる気もするなぁ」

 現実でも美味いものを、ってのはGAOを始めてからの傾向なのは確かだ。現実でも仮想現実でも、美味いものが食えるなら、それでいいじゃないかと思う。

 そういやGAOでもエルカ達からのお礼を料理でって言ってたっけ。あれもそろそろ片付けていかないと。

「それじゃ、下に降りるか」

 用件は終わったんだ。暑い屋上にいつまでもいることはないだろう。

「あ、そういえば先輩。ローゼ、明日の晩にはログインできるそうです」

 建物に入って、階段を降り始めたところで水城が言った。退院直後から旅行中だって話だったけど、もう戻ってくるのか。

「そうか。ようやくニクスはコンビで動けるようになるんだな」

「はい。と言っても、リハビリも必要でしょうけど。色々変わっているでしょうし」

「GAO内だと1年くらい経過してるもんなぁ。戦いの勘も鈍ってるだろうし。あ、もしよければ慣らしには付き合えるから、伝えておいてもらえるか?」

 というか、是非とも手伝わせてもらいたい。彼女には、たっぷり『お礼』をしてやらんとなぁ……

「それでは彼女に伝えておきま――」

 水城の言葉が途中で止まった。ついでに足音も止まった。俺もついその場で足を止めてしまう。

 階段の下に、人がいた。清掃作業員の格好をしたその女性は、名前を今川さん(仮)といい、うちの会社に入っている清掃業者の人、ということになっているおばちゃ……げふん、女性その2だ。

 今川さんは俺と水城を見て驚いたようだった。しかしすぐにイイ笑みを浮かべると、足早にその場を去って行った。

「いっ、今川さん!? 待ってください!」

 一瞬遅れて水城がそれを追いかけていく。あー……後で絶対、根掘り葉掘り聞かれるなこれは……。

 

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