第186話:新人9
お待たせしました。
何ということはない話だ。昔、電車に乗ってる時に遭遇したトラブルに首を突っ込んだら、想定外の痛手を負ってしまった、という。詳しく語ることでもないし、そんなことがあった、とだけニクスには説明した。
昼食後は再び狩りの時間。今度はさっきみたいな酷いエンカウントもなく。ミュウもグランツも落ち着いて対峙し、適度な数の獲物を適切に狩った。動きも次第によくなっていったし、ここまでやれれば次からは2人でも問題なく狩りができるだろう。
そして狩りを終えてアインファストに戻り。
「「ふいぃぃぃ」」
俺とグランツは同時に気の抜けた声を漏らした。
ここはアインファストにある公衆浴場。汗と汚れを流すためにまずはこことなった。混浴ではないので、ニクスとミュウは女性用だ。
「いやー、まさかVRMMOで風呂に入れるとはなぁ」
「温泉地もあるぞ。ドラード領内だから、いずれ行ってみるといい」
「マジか。いや、ゲームじゃなくて観光気分でログインするだけでも楽しいなGAO」
グランツはご機嫌だ。まあ、俺も風呂は好きだし、GAOの公衆浴場は古代ローマ時代のアレがモデルなのか、いい風情をしている。さすがに同施設内にマッサージ屋や飲食店まではないみたいだけど、サウナや水風呂はあって、冷えた飲み物も売っていた。
「【カウヴァン】がVR旅行ソフトとか作ってる会社だしな。温泉シリーズとか作っても驚かない」
「出たら買うかもしれん」
程よい加減の湯につかり、力を抜いて温もりに身を委ねる。至福のひとときだ。
「ところでケンちゃん」
リアルでの呼び方で、グランツが話しかけてくる。
「ニクスと何があったんだ?」
「思い当たる節はない」
俺が刺されたって話題の時の、ニクスの反応が気になったんだろう。食い千切られた腕を見た時みたいに泣いたりはしなかったけど、単に驚いたというだけの表情じゃなかったから。
「同窓だって言ってたけど、リアルでも面識あるんだろ?」
「実は同僚でな。大学時代には面識ないはずだ。彼女が同窓なのも、聞くまで知らなかったし。つまりその程度の接点しかないはずなんだが」
「会社の同僚以上の交流があるわけじゃないのか。それでかぁ、うーむ」
ニクスが俺に対しての敬意と、並以上というかそれ大丈夫かってレベルでの信頼感を持ってるのは分かってる。何故かは分からんし、その何故を問い質したこともないけど。
「理由、気にならんの?」
「まったく、と言ったら嘘になるけどな。どうしろと」
「聞けばいいんじゃね?」
あっさりとグランツが言った。
「どう考えても、悪いことじゃねーだろ?」
「別に今のままでも問題ないんだよなぁ」
「俺らが気になるんだよ」
グランツがニヤリと笑う。
「お前、楽しんでやがるな?」
「当ぜぶほっ!?」
顔面めがけて発射した水鉄砲は、そのまま口に飛び込んでグランツの言葉を遮った。
風呂が終わればメシ。ということで【料理研】が運営している『闇鍋』へ。予約は済んでいて、訪れるとすぐ席に案内してくれた。
「おぉぉぉ、いいね、この雰囲気!」
席に着いたミュウがテンション高めに店内を見ている。そういやGAO内のちゃんとした飲食店はここが初めてか。『闇鍋』は店の名前こそ日本由来だけど、中身は西洋風ファンタジー世界の飲食店のそれだ。雰囲気に浸るにはいい場所だろう。
「はいよ、お待ち」
そして、料理の準備も済んでいた。そう間を置かずに【料理研】ギルマス兼店長のモーラが、自ら料理を運んできてくれる。調理済みの料理を【空間収納】で保存してたんだろう。
テーブルに並べられる料理の数々。コンセプトは「ファンタジーの酒場で出てくるような料理」だ。『闇鍋』だと日本の料理も出せるけど、とことん雰囲気に浸ってもらおうってことで、GAO内にある料理だけを選択した。
「おお、固そうなパンが……スープに浸して食べればいいのか?」
「ジョッキや皿が木製ってのが、いかにもって感じでいいね!」
2人のテンションが更に上がる。TRPGを楽しんでた2人にしてみれば、こういう体験ができるのは嬉しいに違いない。俺もそうだったしな!
「じゃ、グランツとミュウのGAO参加と、皆のGAOでの活躍を祈って、乾杯といこうか」
飲み物も最初はエールと決めていた。全員の準備ができたのを確認し、乾杯の声と共にジョッキをぶつけ合う。
「ぷはぁっ! エール美味いな!」
「しかも冷えてる! こういう世界観だから常温だと思ってたのに!」
初めて飲むって言ってたエールがお気に召したらしい。一気にジョッキを空にして、2人がおかわりを注文した。テンション上がり過ぎてないか? あんま飛ばすなよー。
「ほら、ニクスちゃんも飲んで飲んで!」
「は、はぁ……」
ミュウのテンションにニクスは戸惑い気味だ。それでも昼よりは元気になってるか。
それにしても随分と距離が縮まったな? ミュウが押してるだけにも見えるけど、ニクスが嫌がってる感じはない。一体何があったのか。
「お風呂でガールズトークに花が咲いたからねー」
見てる理由に気付いたのか、意味ありげにミュウが笑う。続けてニクスを見ると目が合った。ニクスは視線を逸らしながら、両手で持ったジョッキを口に運ぶ。何を話していたのやら。
「そういや、ここって日本の料理も出してるんだな」
グランツが壁に貼り出されているお品書きを見て呟く。【料理研】の目的に、現実の料理の拡散ってのがあるから、当然再現可能な物はメニューに並んでいた。
「日本人の味覚って、GAOの住人に合うのか?」
「味噌汁は苦手な客がそこそこいたって聞いてる」
現実でも外国人が味噌汁苦手ってのは聞いたことがある。発酵系の食べ物は、その土地以外の人には敬遠されるって言うし、GAOでもそうなんだろう。
「こっちの料理で俺達の舌に合わないものだってあるしな」
「好みはそれぞれだよなぁ。そんな部分も反映してるGAOって頭おかしい」
頭おかしいが褒め言葉なのは、グランツの表情で理解できた。
「つか、日本の料理があるってことは、味噌や醤油みたいな物もあるのか?」
「みたいな、じゃなくて、そのものをここ、というか【料理研】で作ってる。菌から見つけて自力で再現したよ」
「マジかよ。そういう仕様が存在するのが既に狂ってるけど、執念でそれを作る連中も大概だな」
そういや量産第一陣がそろそろ一般販売されるんだっけ? 手持ちはまだあるけど、そっちも買っとこうかね。
まあ、それは後の話だ。それよりも大切なことがある。
テーブルに並ぶ料理をチェックする。目当ての物はすぐに見つかった。ぱっと見には薄く切った肉を焼いたもので、緑がかったソースが添えてある。正体はワイバーンだ。調理法と一緒に【料理研】に渡した肉を、今日のメニューに加えてもらっていた。
さてさて、ちゃんと調理したワイバーンの肉がどれ程のものになっているか。狩った直後に味見した時は固い肉だなとしか思えなかったので、いい変化が味わえると嬉しい。
一切れ取って、まずはそのままで口へと運ぶ。うむ、うむ……肉はかなり柔らかくなってる。それでも歯ごたえはしっかりある。タンみたいな食感だ。味は鶏系というかトカゲ系というか……いや、これこそワイバーン味と言うべきだろうか。旨みは以前より明らかに増してる。
別の一切れを取り、今度はソースを少し添えて食べる。んー……ワサビかこれ? 強烈な刺激はないけど、味と香りはワサビのそれだ。これが実にワイバーン肉に合う。これ、生のままで刺身みたいにしてもいけるんじゃなかろうか。
うん、美味い。美味い美味い。
「おいフィスト、さっきから何を勢いよく食ってんだ?」
もう一切れ、更に一切れとやっている内に、グランツから声が届いた。手を止めて皿を見ると、載ってた肉が半分くらいになっている。一体誰が!?
「あ、ワイバーンの肉ですか?」
正体に気付いたニクスの言葉に、2人が即座に反応した。手にしたフォークが閃き、皿の上の肉が2切れ、それぞれの口へと消える。
「うわぁ……」
「なんだこりゃ……」
そして、呟いたまま静止した。いや、驚きと喜びが半々の表情で口だけは動いていて、ワイバーン肉を味わっている。
「ニクス。こいつらが正気を取り戻したら、あっという間になくなるぞ?」
半分食った俺が言うことじゃないかもだが、肉の載った皿をニクスの前に移動させる。
ありがとうございます、と小さく呟いて、ニクスもワイバーン肉を口にした。ゆっくりと口が動き、軽く目を見開いたあとは、目尻が下がり、口が緩んでいく。うん、美味しいものを食べてます、って幸せそうな顔だ。見てるこっちまで嬉しくなってくる。
「おいおい何だよこの未知の美味さは。お前、いつもこんな美味いモン食ってたのか?」
「グランツ! これ、絶対に狩れるようになろうね!」
再起動した2人の手が勢いよく動き始めた。肉が次々と消えていき、あっという間に無くなった。ニクス、1切れだけしか食えなかったんじゃ?
「ニクス、おかわり欲しいか?」
「「いる!」」
身を乗り出して叫ぶ2人にチョップを落とす。お前らじゃねぇ、座ってろ。
「もっと食べたいだろ?」
「それは、はい……でも、お高いのでは?」
「そこは気にしなくていい。ワイバーン肉なら売るほど持ってる」
熟成こそさせてないけど、手持ちの肉はたくさんあるわけで。現時点で【料理研】にワイバーン肉を供給できるのは俺だけだしな! 多少の要望は通るだろう。
「それでは……お願いしてもいいですか?」
「ああ、任せとけ。あ、ワイバーン以外もしっかり食えよ。ここの料理に外れはない」
ニクスがワイバーン肉を気に入ったなら、今度一緒に狩りに行くのもアリか。どうせツヴァンドの狩猟ギルド用にも1頭狩らなきゃいけないし。
ニクスの活動が落ち着いたら、誘ってみるかな。ついでにローゼも。
「いやー、食った食った」
「美味しいだけじゃなく、楽しかったね!」
店を出たところで、親友2人が同時に腹を叩いた。2人とも今日の食事に大満足だったようだ。グランツは良く食ったし、ミュウはよく飲んでいた。次からは自分達で稼いで思うままに飲み食いしてくれ。
振り返ってみると、ワイバーン肉、結構頼んだなぁ。あれ以外にも他の調理法で作ったものが出てきたし。さすが【料理研】、期待を裏切らない。感謝しかない。
嬉しかったので、普通の支払いとは別でワイバーン肉をいくらか渡しておいた。また新しい料理ができたら頼むぞ、ということで。
「さて、と。今日の予定はこれで全て消化したわけだが。お前ら、これからどうする?」
「あー、俺らはここで別行動だ」
この後の予定を聞くと、そう言ってグランツがミュウの腰を抱いた。ミュウはそのままグランツにもたれかかる。顔が赤いのは酒のせいだけではあるまい。あー、つまりそういう……輝、ちゃんと対策はしてるんだろうか? 要らん心配だけど。
「今日はありがとな、フィスト。それにニクスも」
「ニクスちゃん、次に会った時はまた色々と話そうねー」
上機嫌で、2人は去っていく。程々になー。
「お2人は、これからどこに行くのでしょう?」
見送りながらニクスがそんなことを言った。え、それを俺に聞いちゃうの? んー……まあいいか。
「GAOの仕様の検証だな。夜の宿で、2人きりの共同作業だ」
通じるだろうかと見ていると、ニクスの顔にさす赤が濃くなっていくのが分かった。通じたか。
「……そ、それって、その……」
「まあ、そういう関係だからなぁ」
次に会った時は「先日はお楽しみでしたね」とでも言ってやることにしよう。爆発しろ!
さて、と。俺はどうするか。GAO内で寝てもいいけど、特に急ぐ用事もなし。このままログアウトでいいか。
「あ、あの、先輩っ」
そう思ったところでニクスが声をかけてきた。
「どうした?」
「……あの、ですね。1つ、お願いがあるのですが……」