第185話:新人8
森の手前で一旦止まり、俺はズボンのポケットからある物を取り出した。
「何だそれ、笛か?」
グランツの問いに、ああと答える。
「犬笛だ。これで相棒を呼び出す」
クインは俺と別行動をとることも多い。そんな彼女を呼び戻す時の手段として購入していた。
が、吹く前に森の中からクインが姿を見せた。正確には、森の外周の木から飛び降りたのが見えた。どうやら俺達が来るまで待っていてくれたらしい。
「おお、あれがお前の相棒かぁ」
グランツが目を輝かせている。そういやこいつ、犬好きだったか。
「ストームウルフっていう幻獣だ。名前はクイン。人間の言葉を発することはできないが、理解はできてる。犬扱いしたら怒るぞ。あと、知らない奴から撫でられるのを嫌う」
「おぉ、ぅ……」
わきわきと動いていた手が、残念そうな声と共におろされた。すまんが諦めてくれ。囓られるよりマシだろう。
「よ、クイン。待たせたな」
「こんにちは、クインさん」
こちらへと歩いてくるクインに片手を挙げて声をかけると、続いてニクスも普通に挨拶をした。狼に挨拶、とグランツ達が呟いたのが聞こえる。
「クイン、この2人が俺の友人だ。今日は彼らと一緒に行動するからな。あと、ニクスも一緒だ」
「今日はよろしくお願いします」
説明するとクインは頷く。ニクスが頭を下げると、クインも同じように返した。
「すげぇ、本当に言葉が通じてるっぽい。えー、と俺はグランツ。フィストの友人だ。よろしく頼む」
「同じくフィスト君の友人のミュウよ。よろしくね」
そしてグランツとミュウもニクスのやり方に倣って挨拶した。クインは2人を交互に見て、頷く。初対面の反応としては上々だろう。
「じゃ、行こうか」
以前のようにクインに先導を頼んで、森へと入った。
2人とも獲物を探すために必要な【気配察知】のスキルを修得していたので、いくらかの注意と指導をしてから任せることにした。索敵範囲はまだ狭いけど、クインのフォローもあるし、俺とニクスもスキルを使うので、不意打ちを受けることはまずないだろう。
そして――
「死ぬ! 死ぬーっ!」
「怖い! 怖いってばーっ!?」
悲鳴をあげながら手にした武器を振るうルーキー2人。
索敵はしっかりやって、接近してくる獲物にもしっかり気付いていた。が、足りなかった結果、こうなっている。
俺とニクス、それにクインでかなりの数を受け持っていて、彼らが直接対峙しているのは今は1匹ずつだ。それくらいは片付けてもらわんと。そっちが終わったら、今こっちが足止めしてる奴らも倒してもらうつもりなのに。
しかしどうにも2人の動きが固い。初の実戦といっても、もう少し動けると思ったんだがなぁ。ニクスやライガさん達の時は、ここまでひどくなかった。あーでもあの時は飛び道具で先制できたし、状況が違いすぎるか。
「ニクス、どう見る?」
「……数が多くて混乱しているのもあると思いますけど、それだけでもなさそうですね」
お、ようやくミュウが1匹を倒した。でも安心するのはまだ早いぞ。そのまま固まってると――
「ひゃあぁぁっ!?」
「ミュウ!? ぐおっ!」
ほら、他のウルフに襲われた。グランツも目の前の敵から意識を外すんじゃない。そんな余裕はないだろ?
手足に噛みつかれて2人は大苦戦だ。利き腕を噛まれているので武器も振るえなくなってる。頭いいなウルフ。このままだと引きずり倒されて喉笛をやられかねん。今回はこれで終わりにしたほうがよさそうだ。
「仕留めるぞ」
「はい」
言うと同時、牽制に徹していた俺とニクスは動いた。
腰の剣鉈とナイフを抜き、ミュウに噛みついていた2匹のウルフにそれぞれ投擲。ニクスは、その瞬間に俺へ飛びかかってきた1匹をひと突きした。魔銀製の剣はあっさりとウルフの眉間を貫く。
ニクスはそいつを素早く蹴飛ばして剣を引き抜くと、大きく薙ぎ払うように振って、襲いかかろうとしていた別のウルフ達を牽制した。
たたらを踏んだウルフ達に、今度は俺が突っ込む。一瞬動きを止めたその隙を逃がさず、【手刀】を2匹のウルフの額に突き立てた。固い物を貫く感触と、その奥の柔らかなものをかき分ける感触。指を曲げて固い物――ぶっちゃけ頭蓋骨の内側に指を引っかけて2匹を掴みあげると、グランツに噛みついているウルフ達へと投げつけた。
仲間の直撃を受けて2匹のウルフがグランツから口を離す。そのどさくさに、1匹の首を小剣で薙いだグランツが転がりながら離脱し、こちらへ合流した。ミュウも死体となったウルフの下から這い出してこちらへ来る。
それを置き去るように俺は前に出て、向かってきていた一匹のウルフの口の中に【手刀】を突っ込んだ。ついでにグランツが仕留め損ねたウルフを【斧刃脚】で断ち割る。
後方でウルフの悲鳴が2つ響いた。多分ニクスが斬り伏せたんだろう。それじゃあ次を、と視線を周囲に走らせると、残りのウルフ達は全て地に倒れていた。立っているのは悠然とこちらを見ているクインのみ。うむ、さすが。
【手刀】で貫いたままのウルフを、一度持ち上げるようにして振り下ろすと、すっぽ抜けて地面に落ちた。血で汚れてしまったけど、ガントレットには傷ひとつない。まあ、ウルフの牙程度じゃ、鋼製でもまず傷つくことはない。魔銀製なら尚更だ。
終わってみると、20匹近い数のウルフが転がっていた。途中で別の群れが乱入してきたのもあるけど、さすがに多すぎだろこれ。
「2人とも大丈夫か?」
革袋を取り出して、ガントレットに残った血を水で洗い流しながら、親友2人に呼びかける。どちらも荒い呼吸と蒼い顔で座り込んでいて、まったく大丈夫には見えない。ダメージはそれ程ではなくても、複数の獣に噛みつかれるというのはかなりの恐怖だったろう。いや、ホント、あれは怖いんだよ。たとえ1匹でも。
まあ、それはともかくとして。このままというわけにはいかない。パン、と強く手を叩くと、びくりと2人が肩を震わせた。意識がこちらへ向いたのを確認し、告げる。
「ひとまず立ち上がれ。いつ、次が来るか分からんぞ?」
「そ、そんなに頻繁に襲ってくるの……?」
「そういうこともある。こうやって話している間にも、いつの間にか背後に――」
言葉の途中でミュウが立ち上がった。グランツも飛び起きて、それぞれ剣を構え、周囲へ視線を向ける。警戒より怯えの色が強い。あんな目に遭った直後だから当然か。
「今のところ俺の【気配察知】の範囲内に進入してくる存在はいないけど、数秒後にはどうなっているか分からないから、警戒は怠らないようにな。でもまあ、今のところはこっちで受け持つからリラックスしろ」
ニクスとクインに目配せすると、どちらも頷いてくれた。警戒は彼女らに任せて、こっちはやるべきことをやろう。まずはさっきの戦闘の反省会だ。
何が問題だったかというと、だ。2人の索敵に引っ掛かったのは群れの一部でしかなく、後続を確認しないまま、いけると判断してしまったことだろうか。実際あの時点で、俺やニクスの索敵範囲には後続のウルフ達が入ってたんだけど。
次に、戦い方。自分達より多い敵を相手にするなら、死角をフォローすることが必要だ。馬鹿正直に真っ向から戦っちゃいけない。敵が側面や背後に回り込んで攻撃してくるのなんてGAOじゃ普通だ。
それから、動きがぎこちなかった理由も分かった。2人とも戦闘系スキルのレベルが修得した時のまま、つまり1だった。ログイン後に買い物を終えてすぐこちらに合流したわけだから当たり前か。
ニクスが初めて戦闘した時は、町の訓練所でいくらかレベル上げをしてたんだっけ。そういやあの時のライガさん達はどうだったんだろうか。
ともあれ、初陣としてはハードすぎた。最初にレベルのことまで確認しておけばよかった話だし、別の群れが加わった時点で切り上げておくべきだった。すまんかった2人とも。
反省会を終えたら、そのまますぐに獲物の解体作業をレクチャーした。倒したウルフをそのままにしておくわけにもいかないし、すぐに次の実戦、というのも酷だったからだ。何かしてるほうが気も紛れるだろうし……恐怖をグロで相殺するってのもアレな話だけど。
1匹を見本として解体。2人の【解体】スキルが解放されたのを確認して、覚えている内に実践させる。
そして何匹かを処理したところで、いい頃合いとなったので食事となった。
解体作業中、ニクスが食事の準備を買って出てくれたのでお願いした。作ったのは麦雑炊だ。熱いではなく温かいそれを、グランツとミュウがすごい勢いでかき込んでいる。2人はほぼ同時に空になった木の椀を差し出した。
「いやー、美味いなこれ。優しい味というかなんというか。初めて食べたぞこんな雑炊」
狩り直後が嘘のように、2人は明るい。やはり人間、美味いものを食べると元気になるようだ。
「ところで、これに入ってる肉、何だ? 鶏肉、じゃないよな?」
受け取った椀の中から入っていた肉を匙ですくい、グランツが見つめる。
「ええ、これはメグロバトの肉です」
「鳩? 鳩って食えるのか?」
「食えるぞ。というか現実でも、一部の鳩は狩猟鳥獣だし。獲るなよ?」
「獲らんて」
確かキジバトだけだったか。間違ってドバトとか狩ったら法律違反だ。笑いながら言ってやると、あちらも笑いながら食事を再開する。
「ニクス、これの作り方もあとで教えてね」
「はい。でも、これに関してはフィストさんのほうが詳しいですよ。私もフィストさんに教えてもらったので」
え、とミュウが俺を見た。なんだ、その意外そうな顔は?
「俺が教えたのとは違う味付けだけどな。この味ってならニクスのオリジナルだ」
ニクスの雑炊は味噌仕立て。俺のは醤油だ。正確にはバルミア果汁だけど。
「でも、2人って普段は別行動なのよね? 料理を教わる機会なんてあったわけ? フィスト君、狩りの時にいつも料理をするわけじゃないって言ってたし」
「ええと、雑炊については、旅行している時に、野営地で教えてもらいました」
そうそう。ツヴァンドへの徒歩旅行の時だ。大雨で足止めをくらって、ずぶ濡れになって寒さで震えてた彼女に温まってもらおうと作ってやったんだっけ。
グランツとミュウが妙な顔で俺を見る。なんだ一体?
「ところで、お2人の【解体】スキル修得はうまくいったのですか? 何匹か処理をしていたようですけど」
「ああ、スキルの自動修得ってやつがうまくいったよ」
「かなり不安だったけど、いざやってみるとあまり抵抗もなかったね」
ニクスが問うと、2人が頷いた。開始直後で余分なSPは残ってないわけだし、俺の時みたいに自動修得できるかもしれないということで何匹かやらせてみたら、2人とも見事に【解体】を自動修得した。【解体】って自動修得の難易度が低いんだろうか?
まあ、自動修得だとレベル上限があるので、いずれはSPを使用することになるだろうけど。でないと【弱点看破】のスキルも生えてこないし。
「グロに怯むかと思ってたけど、そうでもなかったな」
割と冷静に処理していたのを思い出しながら雑炊を口に運ぶ。うむ、味噌仕立ても美味い。機会があったら俺もやってみよう。ああ、溶き卵を落としてもいいかもしれない。
「そうだな。内臓とか冷静に観察できた気がする」
「完全に死んでたし、血抜きも済んでたからかな。生き物、って感じが薄れてたからかも」
「グロいってなら、フィストが蹴りで胴体を両断した狼のほうがよっぽどだったぞ」
2人がそれぞれ感想を言葉にする。そういう仕様なんだからグロテロは諦めてもらうしかない。今後はお前らも見せる側になるんだし。
「でも、あたり一面、それなりに血が広がってたのも平気そうだったな」
「土の上だからだろうな。お前が駅で刺された時よりは目立たなかったし」
ああ、あの時。床が白に近かったから、出血はそれほどでもなかったけど、血の赤が映えてたっけ。輝は大慌てしてたし、犯人はその隙に逃げるしで大騒ぎだったなぁ。
「あったあった。て――グランツから連絡があった時の慌てっぷりがすごかったの覚えてる」
ミュウがからかうような視線をグランツに向ける。でも美羽から安否確認の電話がかかってきた時も大概だったぞ。被害者の俺が一番冷静だった、気がする。
目を見開いたニクスがこちらを見ていた。おっと、昔の話だからな、いきなり泣くのは無しだぞ? はい深呼吸。