第176話:カレー
「私、火炙りになったり水に沈められたり、分厚い聖書で頭を殴られたりしちゃうんでしょうか……?」
ビクビクしながらそんなことをマサラさんが聞いてきた。ああ、魔女狩りって言っちゃったからか。
「いえ、カーリーについては一応そのままを説明してますけど、信仰で住人達に危害を及ぼしたりしないなら大丈夫ですよ」
「それはもう。さっきも言いましたけど、うちは仏教ですし、ヒンドゥー教に改宗なんてとんでもない」
「分かりました。ちゃんと報告しておきます」
そう言うと、安心したようにマサラさんが息を吐いた。
「やっぱり、カーリーはやめたほうがいいでしょうかね?」
そして、そんなことを聞いてくる。
「何も知らない人が見たら勘違いする外見ですし。いちいち説明するのも面倒じゃないですか? というより、そこまでカーリーにこだわりが?」
「いえ、何にしようかと思った時にスッと浮かんだのがカーリーだったから。だから、そのほうがいい気がして」
つまり、こだわっているのはカーリーにではなくて、自分の直感的なものってことだろうか。
「そういうことなら、そのままで使わなければいいんじゃないですかね?」
「というと?」
「カーリーが邪神扱いされる、外見上のやばいところって何だと思います?」
「えーっと……生首の首飾りと、腰に巻いた無数の腕?」
少し考えてマサラさんが問題点と思われるところを挙げる。腕の本数は、そういう種族がいる可能性もあるから分からないけど、明らかにヤバイのは今挙げた2つだ。
「そうか、つまりそこだけ変えてしまえば」
ゲームや漫画、アニメに小説と、「原典どこ行った?」って使い方をされている神話や神様は多い。
それに、容姿に手を加えることが、信仰とかけ離れた行為として認識されるかもしれない。
よく考えたら不敬極まりない行為な気もするけど。それから、魔改造されたらもはやカーリーではないのでは? という疑問は投げ捨てておく。
「そういえば、お店って何のお店です?」
どうせならそれに合わせた装いに変えたらどうだろう。そう思って聞いてみると、
「カレーです」
その言葉が、色々な意味で耳の中を駆け巡った。カレー?
「米はGAO内でまだ見つかっていないはずですけど」
「ええ。ですので、ナンを焼こうかと」
なるほど。カレー「ライス」でなければ何とでもなるのか。
「ひょっとして、現実ではカレー屋を営んでいるとか? ナンって専用の窯で焼くんじゃなかったですっけ?」
「普通の主婦ですよ。ナンはコンロのグリルで焼けますから。こっちでは釜を作るつもりですけど」
「こっちはカレールーなんて売ってませんけど……まさかスパイスから?」
「ええ、だから手こずってるの」
やれやれ、と片手を頬に当てて困った顔をするマサラさん。あれ、そういやマサラって混合香辛料の名称だったっけ。最初からやる気満々じゃないか。
「ひょっとして、カレーを1から作りたくてGAOを始めたんですか? 現実でも可能でしょうに」
「家で作るカレーは、せいぜい市販のブレンドですよ。お店のカレーはあちこち食べに行きますけど、現実で手を出すと、際限なくこだわりそうで……時間もお金も有限だし、毎日カレーだと家族はうんざりするでしょう?」
GAO内での買い物は、課金しない限り現実の財布にダメージがいかない。その代わりに、GAO内の成果を現実に持ち込めないけど。いや、現実と同じ材料で作れるなら可能なのか。試行錯誤をこちらでやって、成果を現実で、とか。
それでも凝りに凝ったカレーが続くのは、普通の家庭じゃ厳しいか。家族「は」ってことは、マサラさんは続いても平気なんだろう。
学生時代に自炊してた時は、作ったカレーが続くなんて普通だったけど、それは懐具合の都合もあったからだしなぁ。
ともかく、マサラさんの原動力はカレー、と。インド縛りなのは恐らくそれらしさの演出――もしかして、カレーだからカーリーを連想したのか? いやいやまさか。
「それにしても、スパイスから作るっておおごとですよね」
自分にとってのカレーは、店で食べるか市販のルーで作るかのどちらかだ。自炊率がGAOを始めてから増えてきたといっても、現実でそこまでしようとは思わない。
「いえ、簡単なものなら、4種類くらいあれば、それらしい物は作れるんですよ。逆に言えば、揃わなければ作れないんですけど」
そこでマサラさんの表情が曇る。
「見つからない物があるんですか?」
現実にある野菜は結構GAO内にもあるし、香辛料も無茶苦茶高価なわけじゃない。それでもない物があるのか。いや、米みたいに、単に見つかってないだけの可能性もある。
「ええ。ターメリックがないんです」
「え?」
「王都に来るまでに市場をあちこち探してみたんですけど見つからなくて。仕方ないから、森とかを直接探してみようかと」
ターメリック。つまりウコンだ。そういえば市場では見かけなかったな。でも、ないというのは間違いだ。
「ありますよ、ターメリック」
「え?」
見開いた目をマサラさんが向けてくる。
「あるって……私、アインファストからここまでの間で、全ての市場を見て回ったんですけど」
「だから見つからなかったんですよ」
マサラさんが言う市場っていうのは、食品を扱う場所のことだろう。でもそれじゃ駄目なのだ。
「GAOのターメリックって食材や香辛料として認識されてませんから。薬草扱いです」
「ええっ!?」
調薬ギルドでなら見たことがあるので間違いない。というか、持っている。なので【空間収納】からターメリックを取り出し、テーブルの上に置いた。
「ターメリックです」
「これが……ターメリック?」
それを見て戸惑うマサラさん。外見こそ生姜だけど、俺が出したターメリックは紫色だったのだ。
「粉末で売られていた物は黄色でしたから、現実のと同じ使い方で問題ないと思います。色違いの植物なんてGAOでは普通ですし。あ、ただ、味が現実と一致しない野菜が存在するのがGAOなので、一応は確認してから使うといいですよ」
「あ、あの、これどこで!?」
テーブルに手をついて立ち上がり、マサラさんが身を乗り出してきた。
「調薬ギルドで買えますよ。薬草やハーブなんかも取り扱っていますから、その中にスパイスとして使える物もあるかもしれませんね」
そこまで言って、思い出した物があったので、【空間収納】から傘が20センチ程の全身真っ赤なキノコを取り出す。随分前に採取していた物だ。
「ミカクタケ、というキノコです。この色のは辛いやつで、浸した水が辛くなります。粉末にしても使えるので、香辛料の1つとしてどうでしょう?」
「そ、そうか……現実にない物も香辛料として使えるわけね。あの、フィストさん。他にもGAO特有の食材とか教えてもらえませんか? スパイスに使えそうなものは是非!」
がっしとこちらの手を握り、真剣な――否、強い執着を宿した眼差しをマサラさんが向けてきた。全部聞くまで帰さない、そんな熱意が溢れている。
「私に分かることでしたら。その代わり、完成したら食べさせてくださいね? 何でしたら味見役も引き受けますので」
いや、むしろ食べさせてください。GAO内食材を使ったカレーなんて、食べたいに決まってる。
自分が知る限りの食材の情報をマサラさんに伝えた。
ついでに、調薬ギルドのことや料理に役立つであろうスキルのことについても説明しておいた。マサラさん、この手のゲームは初めてらしく、【調理】以外は身体強化系と逃走に関連したスキルだけ取っていたらしい。あ、戦闘系は【杖】を取っていた。特に深く考えて選んだわけじゃないらしいけど。
ともかくカレー作りに協力することは決まった。できることがあれば声をかけてもらうことにしている。【料理研】の存在も教えておいた。きっとあちらも喜々として協力してくれることだろう。
というわけで。
俺は再び、神殿に来て――戻っていた。そもそもはマサラさんが危険人物かどうかを見極めるよう神殿に依頼されたわけだからして。
「カーリー信仰については完全に否定しました。改宗なんてとんでもない、とも。皆さんが心配する事態にはならないと思います」
「うむ……長い時間をかけて見定めてくれたことに感謝を」
シュトラウス司教達が頭を下げてくれた……メインの用件よりカレーに関するあれこれが時間のほとんどを占めてたんだけど……まあ、いいか!
「それから、カーリー像についての修正案をもらってきました。あちらも邪教徒の疑いをかけられるのは嫌なようで」
「修正? つまり、神の似姿を作り変える、と?」
目を点にして司教が念押ししてくる。頷いて俺は修正案を記した紙を渡した。
それを見た司教達は困惑の表情を浮かべる。
ちなみにどう直すのかというと。
腰の腕はナンに。首飾りはターメリックに変えられた。
「ナン……ナンとは?」
「パンの一種ですね」
それから、手に持っていた生首や武器は、スプーン、ナン、カレー、チャイに変更されている。
だらりと垂れ下がっていた舌も、某不○家のマスコットキャラクターのようになった。うむ、不穏な要素は微塵もないね!
「……雰囲気が完全に変わった。禍々しかったあの神と同一とは思えぬ。こんなことをしてしまえるとは……」
やっぱり神職としては、信仰の対象の姿をここまで変えることが信じられないようだった。
「しかし、何故、このような姿に? 手に持っている物は、何やら料理のようだが。さっき言った、ナンというパンも皿に載っている」
「ええ。彼女、私達の世界にある料理をこちらで作りたいらしいので。カーリーが持っている物は、全てその繋がりですね」
「料理……」
何とも言えない表情を浮かべるシュトラウス司教。他の大司祭達も同様だ。
「……この料理が、危険ということは?」
「特には。こちらの人達の味覚に合うかも分かりませんし。まあ、異邦人には受けるでしょうけど」
辛いのが嫌いって人はいても、カレーそのものが嫌い、って人はそう聞かない。
「神の姿を変えてまで作りたい料理……何という料理なのだ?」
「カレーです」
「カレー……響きが似ているが、それはカーリーと何か関係が?」
「ヒンドゥー教の国でよく食べられている料理というだけで、直接的な関わりはなかったはずです」
「ふむ……一度、食してみたいものだな」
あれ、何か勘違いしたのか、別の意味で興味を持っちゃったか?
まあ、いいか。