第175話:審問
さて、どう説明したものかと考える。
カーリーは戦いの女神。それだけならそう説明すれば片付く話ではあるけども、姿から連想が容易なように、血と殺戮を好むなんて言われることもある結構アレな女神だ。それだけを伝えても不信感は拭えないだろう。邪神認定待ったなし、だ。
でも、カーリーそのものは普通に今も信仰されているわけで、インド神話の中でも邪神として扱われているわけではないはずだ。なにせ主神の一柱であるシヴァの嫁なわけだし。
カーリーを信奉する暗殺集団が過去には実在し、滅ぼされたらしいけども、カーリーが殺人を推奨したというわけでもあるまい。カーリー神像の製作を依頼したプレイヤーが、そういう危険思想を持っているとも思えないし。
それをどう伝え、納得してもらうか。なにせGAOだ。聖職者達は当然、確固とした信仰を持っているわけで。宗教絡みで迂闊なことを言うと神敵扱いされても不思議じゃない。俺達と彼らでは宗教に対する認識が違う。何だか難易度が跳ね上がった気がするぞ?
「フィスト殿?」
イェーガー大司祭の声で我に返る。いかんいかん。
「どうしました? 何か深刻な事態が……」
「いえ、そういうのは全く」
努めて軽い口調で答える。それでも彼らの顔から不安の色は消えない。
とりあえず、自分が知ってる限りを正直に話すしかないか。随分前にちょろっと調べただけの知識なので、間違っている可能性はあるけど、知らん。
「まず、この神、カーリーですが。ヒンドゥー教と呼ばれる宗教における3柱の主神の1柱である、破壊と再生を司る神、シヴァ。その妻デーヴィーの相の1つで、破壊と殺戮の神と言われています」
「相の1つ、というのは?」
最後のくだりで司祭達の緊張感が増した。しかしシュトラウス司教が冷静に問うてくる。
「ややこしいのですが、デーヴィーの側面がそれぞれ別の女神として扱われるのです。元は同じ、というわけですね」
土着の神を取り込んだ結果、同一視するようになったという話もあるけど、ここでは置いておく。
「カーリーは悪魔との戦争の最中に、これまたデーヴィーの側面であるという戦いの女神ドゥルガーから生じたと言われています。そしてその凶暴性は悪魔達に向けられ、そのことごとくを滅ぼしたそうです」
「それでも、フィスト殿はこのカーリーという女神の信仰が危険ではないと?」
「私の理解では、カーリー自身が破壊と殺戮を是として人々にそれを促したことはないはずです。都合のいいように解釈することが問題なのであって、信仰自体を否定するものではないと思っています」
というより、ヒンドゥー教って神々のインパクトが強くて、「神の教え」的なイメージがほとんどない。そういや開祖的な存在にも思い当たるものがないな。まあいいや。
「ヒンドゥー教は、私達の世界にある宗教の中で3番目に信者が多いと聞いたことがありますが、カーリーの存在を理由にヒンドゥー教を弾圧する、世界的な動きも見られません」
内部対立や過去の宗教戦争はあるけど、ここで必要なのは、カーリーの存在とその信仰による危険性なので、言う必要はないだろう。
「ちなみに、私達の世界の全ての国の人口を合わせると、70億人を超えるといいます。ヒンドゥー教の信者は10億人以上、だったかと」
人数を聞いて、司教達が絶句する。そういえばGAO世界の人口ってどのくらいなんだろうか。運営のことだから、ちゃんと設定しているはずだけど。まあ今はいいか。
「話を戻します。それ程の規模の宗教ですが、私達異邦人にヒンドゥー教の信者はいないと思われます」
主に信仰されている地域はインドとその隣国だけの民族宗教だったはずだ。
「ヒンドゥー教が信仰されている国は、私達の世界でもほんの数カ国で、こちらに訪れる異邦人は、全員が同じ国に住む者達です。そして私達の国はヒンドゥー教を信仰する国ではありません。カーリー信仰を理由としてこの国に災いをもたらすとは思えません」
ひょっとしたら日本人にもヒンドゥー教徒がいるかもしれない。でも、カーリー信仰を理由にしてその手を血に染めるとは考えにくい。
「そもそも異邦人のほとんどは、熱心な信仰を持っていません。そのぶん、自分達に直接危害を及ぼさないのであれば、他の宗教や信仰には比較的寛容なのです」
葬式は仏教で寺、結婚式はキリスト教で教会、初詣は神道で神社、なんて日本じゃ普通だろう。家には神棚があったり、外で地蔵に手を合わせたりもする。それを変だと思う日本人は多くはあるまい。
「しかしフィスト殿。それでは何故、信仰していないはずの神の像の製作を、その異邦人は依頼したのです?」
イェーガー大司祭が困惑の表情を浮かべたままで聞いてくる。
「そこは本人に確認するのがいいでしょう。現時点では、信仰によるものである可能性は極めて低いと思われますが」
ひょっとしたら趣味の類かもしれない。現実では難しくても、こっちだったら神像を簡単に入手できそう、とか。実際、仏像フィギュアとかあるらしいし。
それはともかく。現実の文化をそのまま持ち込むことにこんな罠が潜んでるとは。
物や技術ならともかく、信仰に関わるものは危険だ。今回の反応を見る限り、異端審問的な意味でそのプレイヤーに強く働きかけることになっていたかもしれない。GAOだし。
「フィスト殿。済まないが、1つ頼まれてもらえないだろうか」
思案顔だったシュトラウス司教が、こちらを見た。
「その確認に、あなたも同行してもらえないだろうか? いや、あなたにお願いしたい」
「……何故です?」
神殿の人をそのプレイヤーの所に案内して、問い質せばいいだけだ。ここで俺の出番なんて必要ないだろうに。
「もしもその者が信仰を持っていた場合、我々が行って正直に答えるだろうか?」
「あー、そういうことですか」
聖職者然とした人がカーリーへの信仰を問い質した時、それを隠すかもしれない、ということか。
「【嘘感知】の魔術を使える者を手配しては?」
「そう簡単に手配できるものではないだろう」
む? 住人の魔術師だと【嘘感知】って難易度が高いのか。元々、住人の魔術師は数が多くないって聞くし。その一方で聖職者と魔術師の関係はよく知らないな。作品によっては対立してたりすることもあるみたいだけど、GAOだとどうなんだ?
「確認したことを正直に話さない、とは思わないのですか?」
「それをすることであなたに益があるのかね?」
不思議そうに首を傾げる司教。いや、ないですけども。
まあ、いいか。俺も、どうしてカーリーなのかは気になるし。ただ、
「神殿からの正式な調査依頼、としてでしたら受けます」
聖職者との個人的な付き合いはともかく、宗教への深入りはしないほうがよさそうだ。お金で割り切る関係でいこう。
プレイヤーの滞在先は、依頼を受けた職人さんが把握していた。完成したら届けるようになっていたらしい。
教えてもらった場所を訪ねると、民家の中に店舗がぽつぽつと混じった地域だ。民家と言っても一戸建てではなく、2階建てや3階建てのアパートが密集した感じの。
「あそこ、か」
そんな地域の通りを路地1つ入った所が目的の場所だった。民家じゃなく、店舗のようだ。看板は出ていない。外から見る限り、不審な点は見られないが――
「どうした?」
気づくと、クインが立ち止まっていた。眉間に皺が寄っている。クインが急にこんな顔をする時は、匂いが原因であることが多い。ここに来るまでは問題なかったとして、彼女が足を止める程の匂いがこの辺りにあるということか。
「ひょっとして、そこか?」
目的の場所を指すと表情を変えることなく頷いた。俺の鼻じゃその匂いは嗅ぎ取れない。クインが嫌がる匂いといえば腐臭。それから一部の染料や皮のなめしに使う触媒とかだ。
今回の理由が腐臭ってことはないだろう。いや、そうであってほしくないという願望も混じってるけど。
「俺だけで行くから待っててくれ」
道の端に寄って伏せたクインをその場に残し、その店の前に立ち、ドアを叩く。職人さんの所に依頼を持ち込んだのは今日らしいから、まだログインしている可能性は高い。
「はーい」
返事があり、急ぎ足の音がわずかに聞こえた。ドアが開き、姿を見せたのは1人の女性。年齢設定は30過ぎだろうか。黒の長髪に青い瞳、彫りの深い顔。インド人をモデルにアバターを作ったんだろうか。服装もあれだ。確かサリーだっけ?
「どちらさまでしょう?」
「あー、突然で失礼します。マサラさん、で間違いないですか?」
名前を問うと、はい、と女性が頷いた。間違いない。この人が、カーリー像の製作を依頼したプレイヤーだ。
「フィストと言います。実はお聞きしたいことがあって伺いました。今、よろしいですか?」
「大丈夫です。立ち話も何ですから、どうぞ」
ドアの前から身を引くマサラさん。お邪魔します、と中に入ると、そこは四角いテーブルが1つに椅子が4つあるだけの寂しい空間だった。この人、ここで何をしてるんだろう?
促されるままに椅子の1つに座ると、マサラさんが対面に座った。【空間収納】から素焼きのカップと片手鍋を取り出し、鍋の中身をカップに注ぐ。
「どうぞ」
「いただきます」
一口飲むと、香辛料の香りがする甘味が強いミルクティーだった。これ、チャイだ。ここでもインドか。
「ところで、ご用件は?」
「えーっと。マサラさんが製作を依頼したカーリー像の件です。そのことで質問がありまして」
「はい、何でしょう?」
「マサラさんは、ヒンドゥー教徒なんですか?」
「いえ、うちは仏教ですよ」
首を傾げるマサラさん。うん、まあ、そうですよね。
「どうして、カーリー像を作ろうと? 神像コレクターとか?」
「いえ、そんな趣味はありませんけど。インパクトの強そうなものにしようと思ったら、カーリーが浮かんだので」
「インドの神なら、ガネーシャとかいるのでは?」
象の頭を持つ神だ。インパクトという意味なら抜群だろう。物騒でもないし。
「いえ、GAOには動物の頭を持つ種族さんがいると聞いたので。似ているかたがいらっしゃるとまずいかな、と」
よく分からないけど、亜人への配慮だったということか? 似てて文句が出たらいけないと思ったんだろうか。
犬頭と猪頭はいるけども、象頭の種族は……いるのか? いないとも言い切れないか。
「つまり、宗教的な意図はまったくない、ということでよろしいか?」
「ええ、それはまったく」
自然体で首を振るマサラさん。嘘を言っているようには見えないし、もう調査終了でいいだろう。
となると、今度は個人的な興味だ。チャイを一口して、尋ねる。
「インパクトを、と仰いましたけど。カーリー像で何をするつもりです?」
「店先に置こうと思ったの。看板娘的に」
思いも寄らないことを、あっさりとマサラさんは言った。看板娘……いや、確かにカーリーは女神像だけどもっ。
「こっちの人は、多分怖がって近づきませんよ」
そう言うと、マサラさんは驚いたようだった。
「GAOには、たくさん神様がいることになっているんでしょう?」
「生首や腕を無数にぶら下げた、腕4本の神。正体を知らなければ、恐ろしい何かだとしか思えませんよ。実際、今回は神殿の耳に入ってまして、邪教の徒ではないかと疑われてますね」
「つまり……?」
「魔女狩り的な何かに発展する恐れもありました」
「そっ、そんなつもりはまったくないですからっ!」
カーリーほどではないけど蒼い顔で、マサラさんが全力で首と手を振った。