第168話:シーサーペント1
俺がカーラを頼ったのは、空を飛ぶのが大好きな彼女が飛行魔術に長けていると思っているからで、自分にそれを使ってもらおうと考えたからだ。
ところが、飛行魔術は「自分が空を飛ぶための魔術」らしく、他人に使用することはカーラにはできないとのこと。
他者を飛行可能にする魔術が存在するかどうかは分からないし、その使い手を捜している余裕なんてない。
じゃあ、どうすれば飛ぶことができるのかというと、答えは簡単。カーラは飛べるわけだから、俺は牽引してもらえばいい。
よって、浮遊魔術を掛けられたクインに俺が乗り、クインが咥えたロープをカーラが自身に結びつけた状態で飛ぶ、という構図で俺達は移動していた。今回はクインも同行の意を示してきたのだ。前回のことであまり信用されていないらしい。
浮遊魔術を併用しているのは、カーラが俺とクインの体重を持ち上げられないから。クインは身体が大きいから俺より体重あるし、魔術師で中学生くらいの体格のカーラに支えられる重量ではないのだ。
『それにしても随分と速度が出るんだな』
帆船よりずっと速い。これなら予想以上に到着までの時間が短縮できそうだ。俺にはとてもありがたい。風の音がすごいのでフレンドチャットで呼びかけると、
『ワイバーンのほうが速いですよ。いずれは逃げ切れるくらい速く飛びたいですけど』
『一度撃墜してるんだから、次も墜とせばいいんじゃないか?』
『嫌です怖いです戦わずに済むならそれが一番です』
カーラが早口で答えた。無理、と言わないあたり、万が一の時の覚悟は決めているんだろうか。
『すまなかったな、急ぎじゃないと言っても、予定を変えさせてしまって』
『いえ、いいんですよ。フィストさんには魔銀の件で声をかけてもらえましたし、色々とお世話になっていますから。お返しができるのは嬉しいです』
『そういや気になってたんだけど、魔銀で何を作るつもりだ? ワイバーン素材で装備を一新したばかりだろ』
今の彼女は、以前の黒ローブではなく、ワイバーンの革で作った白いロングコートを着ている。手にした杖も、以前の古典の魔法使い然とした物ではなく、白い杖だった。赤い菱形の石が填まった穂先のような部分はワイバーンの牙を加工した物のようだ。手に入れた素材を有効活用しているようで何より。
『コートの補強と、杖の新調です。コートは魔銀の装甲を仕込んだり、コートの下に胸甲なんてどうだろうかって提案を受けてます。今、スティッチさんがデザインを考えてくれていまして』
やっぱり『コスプレ屋』の仕事か。現時点でもコンセプトが某魔法少女系に近付いてる気がしないでもないが、それに拍車が掛かりそうだ。そのうち周囲に杖の子機が展開される日も……『コスプレ屋』が【魔導研】と組んだら実現しそうで怖い。
不意にクインが身じろぎする。何だと注意を前方に向けると、遠くに見える小島から煙があがっているのが見えた。
ジョニー達が小島に避難したという連絡は既にもらっている。目印として狼煙をあげてくれと頼んでいたのだが、あれで間違いないだろう。小島と言っても普通に木々が生えていて、その気になれば家も十軒くらい建てられそうな広さはありそうだ。
『カーラ、あの煙の方向へ頼む』
『はいっ』
微妙に進路が変わり、煙への直線コースになった。さて、そろそろ準備といこうか。
『ジョニー、状況は?』
カーラとのフレンドチャットを切り、ジョニーへと繋ぎ直す。
『シーサーペントは俺達を諦めた感じじゃないな。今も島の外を周回してる。とっととよそに行ってくれりゃいいのに』
『周回してるってことは、見えるのか?』
『ああ。背中は海上に出したままだ。それにしてもでかいぞこいつ。20じゃきかないんじゃないか?』
それ、普通に戦って勝てる相手なんだろうか? 最悪、シーサーペントは放置して、カーラに頼んで皆を海エルフの村まで輸送してもらうことも考えた方がいいかもしれない。
どこにいるか分からないシーサーペントのほうから姿を見せたのはある意味では幸運とも言えるし、倒せるものなら倒したいという想いはある。でも、最優先は海エルフ達の身の安全。シーサーペントの討伐はおまけだ。今の戦力でごり押ししてもいいことにならない気がする。
『有効打をまだ与えてないってなら、きついの一発食らわせてみるか』
シーサーペントが諦める様子がないなら、そうするしかない。さすがに一撃で仕留めることは無理だろうけど、それで逃げてくれればいいわけで。
『ま、やってみるさ』
フレンドチャットを再びカーラへと切り替える。
『カーラ、シーサーペントが島の周囲を回ってるらしい。見つけたら高度を下げて背後から近付くようにしてくれるか?』
『どうするんですか?』
『空から強襲する。つまり、飛び降りる』
返事はすぐに返ってこなかった。
『あの、大丈夫ですか? 死んじゃいますよ?』
カーラは不安げだが、別にただ落ちるわけじゃない。自分から飛び降りて攻撃を仕掛けるのだから心配無用だ。
そろそろ見えるだろうかと【遠視】を使うと、島から少し離れた所に動く物があった。あれがシーサーペントか。
『ホント、でかいな』
20じゃきかないとジョニーが言ってたが、30メートル以上あるんじゃないか? 昔見た、上野の博物館の外に展示されてたクジラよりも長い気がするぞ。
シーサーペントは小島を時計回りで移動しているようだ。
『よし、カーラ。海面から20メートルくらいの高さで接近。俺が飛び降りた後は島に上陸してジョニー達と合流してくれ』
『分かりましたけど……本当に、大丈夫なんですよね?』
『城壁から飛び降りるのと大差ない。何度も経験済だ』
カーラは心配性だなぁ。いや、違うか。普通の人間は20メートルの高さから平気で飛び降りたりしないわけだからして、俺の感覚が狂ってきてる。
まあ、今の俺は狩野拳児じゃなくてフィストだからいいのだ。
「クイン、シーサーペントの上で俺は飛び降りるから、お前はそのままカーラと小島に上陸して待機だ」
背中を軽く叩きながら言うと、こちらの背中を尻尾が叩いてきた。了解、って意味だろう。
『私にも見えました。それでは高度を下げます。速さは?』
『このままでいい』
そう答えると、次第に海面が近づいてくる。視線の先にはシーサーペントの背中が見えた。
『よーしそのまま。あいつの身体に沿うように進んでくれ』
上空にいる時は気にならなかったが、海面に近づくと同じ速度のはずなのに速く思えてくるな。
シーサーペントの泳ぐ速度はそれ程でもない。まるで見せつけるようにゆっくりと進んでいる。これなら急に潜られたりしない限り、先制を取れそうだ。
標的との距離が縮まっていく。あと5秒くらい、4、3、2、1……
「今っ!」
腰を浮かせ、クインの背から離れる。カーラとクインはそのまますっ飛んで行き、俺は空を蹴って軌道修正し、頭から突っ込んだ。
タイミングが少しズレたか、頭部を狙うのは厳しそうだ。それでも背中は長く大きく、攻撃を外すほうが難しい。
【強化魔力撃】を込めてまた空を蹴り、加速。身体を前に半回転する間に再度【強化魔力撃】を込め、限界まで重ね掛けし、【魔力変換:雷】を発動。
「どおおぉぉぉりゃああぁぁぁぁっ!」
一本の槍と化した俺はシーサーペントの背中の真ん中あたりに着弾し、雷撃と魔力爆発をぶち込んだ。
途端にシーサーペントが大きく暴れた。しかしその時には背中を蹴って離脱している。【水上歩行】を使って海面に降り、小島へと全力で走った。背後で形容しがたい鳴き声と水音が聞こえてくるが無視だ。
「派手な登場だなぁ、フィスト」
そのまま砂浜に到着すると、木の陰からジョニーが姿を見せた。
「無事か?」
「ああ。怪我もポーションと精霊魔法で治した」
出てきたジョニーの後ろには海エルフの男女達が5人いる。釣りをしてたらいきなり襲われたんだっけ、災難だったな。
「ん? 聞いてたより人数が多くないか?」
「ああ、サーフィンやってた連中が気付いて駆けつけてくれたんだよ。それで何とかなるかと色々……っと、恩人さんの到着だ」
説明の途中でジョニーが首を動かす。それを目で追うと、カーラが降りてくるところだった。
「カーラ、だったっけ。フィストを運んでくれてありがとな」
「うぇっ、あ、え、えう……っ!?」
ジョニーが礼を言うと、何故かカーラは顔を真っ赤にして視線を泳がせた。一体何が……あー、なるほど。
「カーラ、こいつらは海じゃこの格好が普通だ。慣れろ」
「? あー、そういうことか。すまんなぁ」
自身を見てジョニーが気まずそうに頭を掻く。一方、海エルフ達は意味が分からないのか怪訝な顔。
初心な少女には刺激が強かろう。男衆は褌一丁のマッチョ集団だ。特に海エルフ達は美形揃い。女性海エルフも別の意味ですごいし。
「で、話を戻そう。結局、島の連中には連絡がついてないんだな?」
『ああ、島は辛うじて見えるが、この距離ではさすがに風精も水精も届かない』
皆に問うと、男性海エルフの1人がエルフ語で答える。てことは、水柱を使った連絡も無理か。あれだと詳細も伝わらないはずだから、下手すると応援がそのままやられる可能性もある。
応援の海エルフ達がジョニー達を見つけた時点で救援要請をしておけばよかったのかもしれないけど、普通は目の前で襲われてれば急いでそっちに駆けつけるよな。そこは責めるところじゃない。
『しかし、あいつは大物だな。あそこまでの大きさのシーサーペントは見たことがない』
女性海エルフが海を見ながら顔を歪める。俺の一撃でのたうっていたシーサーペントは、今は落ち着いている。いや、威嚇の咆哮をあげながら、さっき以上の速度で泳いでいる。痛い目に遭ったんだから、諦めてどっか行きゃいいのに。
「とにかく、この状況をどうするかだ。俺としては、一旦全員でここを離脱することを勧めるが」
そこまで言って海エルフ達を見ると、皆同じ表情だった。アレを野放しにするなんてとんでもない的な。でもなぁ。
「今のお前達だけじゃ、ろくに傷を負わせられてないんだろ? このまま無理して倒そうとしたら、犠牲が出るんじゃないか?」
俺の一撃も、大きなダメージにはなってないっぽいしな。
「なあ、フィスト。全員で離脱、ってのはどうやってだ? 戦いながら逃げるってことか?」
「いや、俺がここに来た時みたいに、カーラに島まで運んでもらおうと思ってる。空から」
人差し指を上に向けてジョニーに答えると、なるほど、と頷き、
「だったら、村まで行って応援を呼んでくればどうだ? ここであいつを見逃すと、次の被害が出そうでさ。俺としても今の内に何とかしといたほうがいいと思うんだ。俺達だけで駄目なら、数を増やせばどうだ?」
と提案してきた。そうか、島まで行けるんだから、島から連れてくることもできるわな。
ジョニーの言うことにも一理ある。今回、ジョニー達を襲ったのは偶然だろうし、次も都合良く現れるとは限らない。この海域に留まってくれる保証もないわけだし。
こいつを野放しにできないという気持ちは俺にもあるのだ。できるなら仕留めたい。今回だってジョニー達が複数人だったからよかったけど、これが単独で潜って採取している時に襲われていたらアウトだっただろう。
海を見るとシーサーペントの姿は消えているが、島の反対側から声が響いてくる。まだ周回中か。やっぱり諦める気はなさそうだ。
……俺が余計に怒らせたからかもしれない。き、気のせいだな、うん。
「やるか」
戦意は十分。熟練の海エルフの戦士達が集まるなら仕留めきることも可能だろう。森エルフの時みたいに弱体化させられたりもしてないし。ただ、
「うまくやらないと手負いのまま逃げられるかもしれないな。そこはどうする? やるからにはここで息の根を止めたいよな」
「逃げられないようにする、って言っても、こんな場所じゃなぁ。完全にあいつに有利な地形だし。碇を何個も絡ませても泳いじまいそうだもんなあいつ」
うーむ、とジョニーが唸る。何かいい手がないものか。
「村長らに相談してみてはどうだ。我らに思いつかなくとも、年長者ならいい知恵があるかもしれない」
「そうだな、俺達だけで考えなきゃいけないわけじゃないんだし」
男性海エルフの提案に頷く。亀の甲より年の功。まずは相談してみるか。