第150話:海エルフの暮らし4
お待たせしました。
僅かな音が聞こえ、意識が浮上する。誰かが梯子を登る音だ。
薄く目を開けて首だけ起こして【暗視】を使い、入り口を視ていると、海エルフの女性が部屋に入ってきた。ウルスラだ。
ウルスラが来たということは、もう朝ということだ。時計もないのに、よく時間が分かるものだと感心する。
「おはようウルスラ」
上体を起こして声を掛ける。【暗視】を解除したら一気に室内が真っ暗になった。日が昇る前なのだから当然か。
「起きていたか。お前も我々の生活に慣れてきたな」
「違う。俺が目を覚ましたのは、お前がここに来たのに気付いたからだよ」
でなきゃ、目覚ましも無しでこんな時間に起きられるものか。メインメニューでGAO内と現実の時間が分かるようになってるんだから、アラーム機能とか実装してもらえないものだろうか。無理だろうなGAOだし。
大きく伸びをする。少しずつ目が慣れてきたがやはり暗い。漁師の朝は早いと言うが、GAO内までそうでなくてもいいだろうにと毎回思う。
ベッドから出て、ズボンを履き、上着を着る。
「毎回、律儀に着替えるのだな。別にそのままでもいいだろうに」
ウルスラがこう言うのは、海エルフ達が褌姿で動き回っていることが多いからだ。服を着ている時間の方が少ない奴もそれなりにいるしな。
ただ。海パンならともかく、パンイチで外をうろつく趣味は俺にはない。見た目は大差ないのかもしれないが気持ちの問題だ。
それはともかく、今日も頑張ろう。
海エルフ村の1日は、地引き網漁から始まる。
地引き網漁というのは、船で沖合に下ろした網を、浜から引っ張り上げて魚を獲る漁だ。これをやるには海底に岩があってはならない。引っ掛かって網が破れてしまうと漁にならないからだ。
幸い、この島の遠浅の湾内は砂ばかりで岩がないので、地引き網をするには絶好の漁場となっていた。湾の外で船の侵入を阻んでいる海流が海中でも複雑に流れているようで、絶えず魚が流し込まれてくるんだとか。放っておけばいずれ流れに飲まれてどこかに行くので、その前に網で捕らえるというわけだ。
日が昇る直前くらいに起き出して準備をして、男も女も大人も子供も関係なく、皆で綱を引く。子エルフ達も子供の割に筋肉の付きがよかった。毎日やってりゃ自然と鍛えられるんだろう。
引き揚げた魚は朝食用と保存用に分けられる。網の目は大きめに設定されているので、水揚げされる魚はどれも大きく、雑魚は紛れていない。ここでも子供達は普通に手伝いで魚をおろしたりする。森エルフの時もそうだったが、誰もが自分のできることをやるといった感じだ。
それが終われば朝食となる。主食は、島で育てている里芋に似た姿のイガリ芋を磨り潰した物に、ドングリの粉を加えて焼いたパンもどき。それにおかずとして獲ったばかりの魚や保存していた魚貝が定番だ。
朝食が終われば仕事がいくつかに分かれる。釣りや素潜りで漁をする者、森に入って狩りをする者や採取をする者、炭焼きをする者や畑の世話をする者等。これは当番制のようになっていて、誰もが全ての仕事を経験するようになっているそうだ。
変わった仕事としては農業の関係で、精霊魔法の【生長促進】で、燃料に使う樹木の育成を早める作業だ。それなりの広さがあるこの島だが、資源は有限。特に樹木は使うことが多い割に育つまでの時間が長い。使った分だけきっちり次のために育てよう、というわけだ。
このへんは森エルフと違うところでもある。彼らも森林資源を大切にしているし、植樹などもしているが、精霊魔法を使ってまで生長を促すことまではしていなかった。
ちなみに、ウルスラが言っていた油の心当たりというのは、オリーブを無理のない範囲で【生長促進】で増やして増産しようというもので、集会で協議した結果、通ってしまった。それでいいのか海エルフ。
昼食は村の居残り組が作る。メニューはあまり代わり映えはしない。村の外で動く連中は、朝食の残りを持って行くことが多く、後は現地調達で適当に食べている。
昼前後から自由時間が始まり、今の海エルフ達はサーフィンに夢中だ。個人的な狩りや漁に行く者もいるし、のんびり過ごす者もいれば戦闘訓練なんかをしたりする者もいる。
戦闘訓練は主に弓と槍を使っている。それから砂浜で相撲みたいなこともやっていたりして、それも男衆だけじゃなく女衆もやるんだから、そりゃあどっちも使い込まれたマッチョになるというものだ。
で、夕方前にまた地引き網をして、夕食。この時は酒を飲む者もいる。森エルフ達が作っていたようなワインもあるが、剣葉樹というサボテンに似た植物から作る酒が好まれるようだ。アルコール度は高く、味はテキーラっぽい。森エルフの時と同じく、手持ちの酒といくらか交換してもらった。
酒が入ると元気のいい奴らが相撲を始める。俺も何度か巻き込まれた。筋力的に俺の方が強くても、油断してると投げられることもあり、なかなか楽しめた。ただ、訓練時と違って女性も混ざることがあったので、色々と大変だった、うん。
こうして夜が更けていき、子供達が休み、大人も次第に散っていき、自然とお開きになる。酒が入って相撲までしていた連中は、大抵は砂浜で翌朝まで沈んでいることが多い。風邪とか引かないのはマッチョだからだろう。
これが、海エルフの集落での1日だ。炭焼きは窯に張り付く必要があるので実際には手伝っていないが、それ以外の仕事は一通りやらせてもらった。いい経験ができた。
ログイン141回目。
朝食も終わり、今日は島の北側へ。ここから海に潜って、魚を突いたりする予定だ。本格的にGAOの海に潜るのは、これが初めてになる。
「さて、準備はいいか?」
島の端に立ってウルスラが確認してくる。初めて会った時と同じ格好だ。手にしている銛も変わらない。
「準備する程の物もないな」
俺の方は海パンに《翠精樹の蔦衣》で、村にあった銛を借りている。ウルスラのように特殊な物じゃなく、イノシシの牙を削った先端と樫の木の柄を持つ物だ。森エルフ達の弓のように、翠精樹を使った漁具は特別な意味を持つらしい。俺も突きは初めてだから、そんな大層な物を渡されても困るけども。うっかり獲物に刺さったまま持って行かれでもしたら目も当てられないのだ。
「で、ここからすぐに海に入るのか?」
「潜ってしまえば、海流はどうということもないからな。行くぞ」
島の周囲の海流のことを思い出して尋ねると、そう答えてウルスラが跳んだ。同時に水精に呼びかけ、頭から海に入る。【水中呼吸】だけしか使ってなかったな。だったら俺もそれでいいか。
「じゃ、クイン。行ってくる」
クインには島の森でのんびりしてもらうことにしている。一応、同行するかは聞いてみたが、断られた。水浴びをしたり泳いだりするくらいならともかく、潜るのは抵抗があるようだ。
【水中呼吸】を使ってから海に飛び込む。潜水自体は修行場で経験済だから何の苦にもならない。凍えるような冷たさはないし、異常重力で水底に引きずり込まれることもない。いい海だ。
『不具合はないか?』
『大丈夫だ』
水中で待っていたウルスラが聞いてきたので、答えて近付く。水中なので動きにくいのは仕方がないのだ。
『では行くぞ。島周辺の海域の確認もしなくてはならない』
すぅっとウルスラが離れていく。まるで魚のように軽やかな動きだ。
その一方で、俺は相応の動きしかできない。【水泳】スキルのお陰で現実よりは身体が軽いはずなのに、差は開く一方だ。
『ちょっ! 置いて行くんじゃない!』
『何をやっている。早く来い』
ウルスラはどんどん先へと進んでいく。彼女の手足に水かきはないってのに、何であんなに速いんだよ! 海エルフの特性か!? ええい、誰か俺にフィンを寄越せ!
『何でそんな速さで泳げるんだ』
速度を合わせてもらうことで、なんとか追従する。いや、本当に速過ぎるって。
『何で、と言われてもな。しばらく海で過ごしていれば、水精達も力を貸してくれるようになるだろう』
あっさりとウルスラは答えるのだが、訳が分からない。何故に水泳で水精の話が出る?
『水の抵抗を水精が和らげてくれるとでも?』
『そうだな。地上にいる時と遜色がない動きができるようになるぞ』
言いつつ、ウルスラが演舞でもするかのように銛を振るう。水の中だというのに、その抵抗をほとんど感じさせない動きだ。
『まあ、それなりに海で過ごしていれば自然と身につくことだろう?』
『ちなみに、それなりってのはどのくらいの時間だ?』
『私の時は14年くらいだったか』
多分、それだけの期間を経ることで水精の恩恵のようなものを受けるようになるんだろう……これだから長命種の時間感覚はっ!
『俺には到達できない境地だってことはよく分かった』
多分、精霊魔法を使えば似たような事はできるだろう。それを常時展開するのは厳しそうだが。
『お』
海底の岩場に目を向けると、ウニがいた。握り拳よりも大きいムラサキウニだ。
『ウニか。あれくらいの大きさなら穫ってもいいだろう』
とウルスラがウニを見て言う。海エルフ達の中では、一定以上の大きさに達していない魚なんかは穫らないというルールがあるようで、釣りの時なんかもそれなりにリリースしていた。彼らの漁のやり方だと乱獲するようなことにはならないと思うのだが、結構こだわっている。大物が比較的簡単に獲れて食うに困らないから、というのもあるんだろう。
『しかし……やはり気配が少ないな』
周囲を見ながらウルスラが呟く。
『魚の数も少ないと思える』
『そうなのか?』
俺が見る限り、普通に魚は泳いでいる。少ないとは思えないんだが、この辺りで生活しているウルスラには違和感があるようだ。
海のことに詳しくない俺には原因の予想もできやしない。考察は彼女に任せよう。
海底の岩場に近づき、ウニを掴むと、腰に提げておいた網にそれを入れる。水中だと【空間収納】が使えないので、こうやって持ち運ぶしかないのだ。
一定以上の大きさのウニを、次々と穫っていく。この大きさだとウニ丼とか簡単に作れそうだな。米があればだけど。
『ん?』
そうやっているうちに、ふと目に入るものがあった。それ自体はただの岩だったが、表面に奇妙な痕跡がある。
『ウルスラ。ちょっと来てくれ』
声を掛けるとウルスラが近づいてきたので、その箇所を指す。
『これだ。この、岩の』
そこには何かで削り取られたような岩肌があった。それも1つじゃなく、他の岩にもその痕跡が見られる。
『自然にできるものではないよな?』
『そうだな。やはり、何かがこの海域にいるのは間違いないようだ』
神妙な顔で岩を見ていたウルスラが顔を上げる。
『フィスト、すまないが一旦村に戻ろう。嫌な予感がする』
まだ何もできちゃいないが、海の専門家である海エルフが不安を訴えるのだ。ここは従った方がいいだろう。
頷くとウルスラが動き始める。それに続こうとした時、俺の視界に入ったものがあった。
それは岩に見えた。それは幾つも蠢いていた。そして、
『ウルスラ! 避けろ!』
俺の警告を追い越して、その中の1本がウルスラの足に絡みついた。