第134話:2人と1頭の旅路1
ログイン131回目。
ニクスの要望でツヴァンドというか『コスプレ屋』に行くことになったわけだが、俺自身も防具の手入れというか改良を頼みたかったので、いいタイミングだったとも言える。転移門での移動が駅馬車に変わっただけのことだ。
「あ、クイン。少しの間、ニクスと一緒に行動することになるからよろしくな」
アインファストの南門で、隣の相棒に言うと、頷いて尻尾を一度振った。ニクスはクインに対して、普通の住人と同じくらい丁寧に接しているし、今まで何度か一緒に行動もしている。問題はないだろう。
しばらく待っていると、人混みの向こうから、見覚えのある白マントが走って来た。ただ前回と違うのは、フードを外していることか。元々、ナンパ避けのためにフード付きのマントを買ったはずなんだが。
「お待たせしましたっ」
ニクスが近付いたことで、疑問は解けた。髪が濡れているのが分かる。公衆浴場に行ってきたんだろうか。
「待ち合わせの時間までは余裕があるから大丈夫だぞ」
「い、いいえっ、そういうわけには」
俺の前で呼吸を整えるニクス。そんなに慌てて来なくてもよかったのに。
少しして、ようやくニクスは落ち着いた。
「先輩、ありがとうございました」
そう言ってニクスが差し出してきたのは貨幣だった。ニクスからもらうような現金に心当たりはない――こともない。放り込んだ宿に払った宿泊料だ。
「立て替えてもらった宿泊料、お返しします」
「それくらいいいのに」
「いえ、先輩にこれ以上の借りを作ると、私としてはとても心苦しいので……」
と、微妙な顔をするニクス。恩に着せたり無理難題をふっかけたりする気はないんだけども。
「ま、いいか」
素直に返してもらうことにしよう。困らせたいわけじゃない。
「それでは行きましょう」
ニクスが歩き出す。俺も目的の場所へと足を進めようとして、
「おい、どこへ行く?」
立ち止まり、ニクスの背に声を投げた。え、と彼女が振り向き、不思議そうな顔をする。
「どこ、って。ツヴァンドですよね?」
「そうだな」
「アインファストの南門から街道をまっすぐ行けば、着きますよね?」
「だな。そうじゃなくて、まさか歩いて行くつもりだったのか?」
徒歩だとツヴァンドまで3日くらいかかる。駅馬車なら1日なのだ。ニクスの懐具合なら簡単にその代金を出せるだろうに、何で歩きなんだ。
「駅馬車で行くなら、先輩に付き添ってもらう必要はありませんよ」
「そりゃそうだろうが……お前、分かってるのか?」
「何がです?」
「泊まりがけの旅だぞ? 俺がいるってこと、ちゃんと理解してるか?」
「それはもちろん。色々と、学ばせてもらおうと思っていますので」
ああ、野宿のノウハウとかを学びたいのか。なるほど、って違う、そうじゃない。
「お前な、少しは身の危険を感じたらどうだ」
「道中の危険は覚悟しています。狼や野盗が出ることもあるらしいですし」
会話が噛み合ってない。どうしてこうなった。
「いいか、よく聞け。これから、男と、泊まりがけで、旅行するんだぞ。ここまで言えば、分かるだろう?」
そう言うと、ニクスは目を瞬かせた。やれやれ、ようやく理解――
「先輩ですから、何の不安もありませんけど」
してくれていなかった。
「そういう意味での身の危険は考えていません。先輩が私を襲うなんて有り得ませんから」
いや、そりゃ、そんなことしないけども。お前が無防備でいることは別問題だと思うんだが。少しは警戒しろ。
「何でそう言い切れるんだ? 屋上で話した時も思ったが、お前、俺を無条件で信じすぎじゃないか?」
「だって先輩は――」
言いかけて、その口が止まる。何故か一瞬だけ寂しげな顔をした。何だと思う間にそれは消え、真剣な表情を作って再度口を開く。
「私と先輩は、リアルでも顔見知りですから」
「あー、なるほど」
つまりこうだ。迂闊なことをしたら、現実でそれを周囲に知られることになる。それだけで俺は死ぬだろう。社会的な意味で。
「それに先輩は、GAOに対セクハラ用のシステム保護があることはご存知ですよね?」
「まあ、そうなんだけどな」
やるやらない以前に、できない。だからこそ先日、ニクスを運ぶのに手間取ったわけだし。
「そういうことです。ご理解いただけましたか?」
安心できる材料はちゃんとある、そうニクスは言っているのだ。分かった上で言ってるなら、これ以上は俺がどうこう言うことじゃないか。
「じゃ、ご希望どおりに動こうか。そのつもりだったってことは、準備はできてるな?」
「はい、大丈夫です」
「なら行くか。途中、野宿を2回することになるから、覚悟しとけよ」
まあ、なるようになるだろう。
「ん?」
メールの着信音が響いた。このタイミングで誰だと思ったら、意外なことにローゼからだった。何の用だ? いや、今回のことをニクスはローゼに報告してるのかもしれない。もしそうなら、俺とニクスが一緒に行動することを知ってるってことで、ということは、ニクスに手を出したら承知しないって念押しか何か――
過ちは起きるものじゃない、起こすものだ
……ああ、ローゼ。事故の後遺症が脳に……
「あの、先輩。どうかしましたか?」
「ん、いや、何でもない」
まさか内容を告げるわけにもいかないので、言葉を濁してその場を動く。
とりあえず、あれだ。ローゼが復帰したら、泣いたり笑ったりできなくしてやることは確定した。
こうして街道を進むのは、いつ以来だろうか。見える景色はあの時と変わらない。次のアップデートで四季が実装されれば、また違った景色になるんだろうけど。
ニクスの速度に合わせる形で歩を進める。せっかくの旅だし、景色も楽しんでもらいたいものだ。
「ニクスは、南側ではどのくらい活動してた?」
「最初の頃に数度だけです。チャージラビットとウルフを狩ったくらいで、後はほとんど西の森をメインの狩り場にしていました」
「ファルーラバイソンは狩ったことないのか」
「他のプレイヤー達が狩っているのを見たことはありますが、車にはねられたようにプレイヤー達が吹き飛んでいくのを見て、単独であれを狩るのは厳しいと判断しました」
あー、確かにあれはかなりの突進力だよな。重装備のタンク職だって、かちあげられたらあっさり宙を舞う威力だし。俺も初めて狩った時は、正面から飛び蹴りをかましてあっさり力負けして空を飛んだっけ。重量級の突撃は危険だと学んだ一件だった。
「前脚を1つ叩くだけでかなり機動力を削げるんだけどな」
「理屈は分かりますけど、きっと足が竦んで動けませんよ」
「試してみれば分かるさ」
「えっ?」
ニクスがこちらを見るのが分かった。
「ファルーラバイソンの肉、この機会に1頭、狩っていこうと思ってるんだ」
前回も1頭狩ったし、あれから少しずつ消費してるから手持ちが少なくなっている。ここらで補充しておきたい。
「そ、それはいいんですけど……先輩、まさか私に狩れ、と?」
「ニクスだけにさせるつもりはないさ。当然、俺もクインも手伝うとも」
今は同じパーティーなんだから、狩りは協力し合わなければ。
「ところで」
合流してから気になっていたことを、ここで聞いておく。
「何で、こっちでも先輩呼びなんだ?」
現実の方でも今日、そう呼ばれたし、どうもニクスというか水城の中では、以前からそういう認識で固まっているらしい。大学の後輩だったって話は今日初めて聞いたが、そんなに強い印象を持つ機会はないはずなんだけども。
「え、えっと……ほら、GAOでも先にプレイしてたわけですから、先輩じゃないですか」
「それを言ったら第一陣のプレイヤーは全員先輩になるぞ。それに、場合によってはリアルでの関係を疑われかねんし」
ゲーム内で、プレイ時間から先輩後輩なんて言い方は、そうそうするものじゃないと思うんだが。俺が知らないだけで、することもあるのかもしれないけども。
「さすがに、先輩呼びだけでそこまで考えが及ぶ人はいないと思いますが」
「そうか? レディンとアオリーン、レイアスは多分気付くぞ。あと、ライガさんとウルムさん」
彼らと顔を合わせた時、ニクスは俺のことを名前で呼んでいたから、呼び方が変わっていれば疑問に思うだろう。第一、GAO内で俺を先輩と呼ぶ必然がないわけだから、他の繋がりがあるんじゃないかと考えるのはおかしなことではない。
「それに、俺のフレンドの何人かには、ニクスのことを知られてるからな」
「な、何でですかっ!?」
「どこぞの傭兵団の団長が、尾ひれを付けて話したみたいでな」
ウェナがニクスのことを知ってたから、多分、ルーク達にも知られてるはずだ。
「あ、あの……その尾ひれって、どのような……?」
「そいつらの認識じゃ、GAO内で俺がナンパしてゲットした彼女、ってことになってた」
「かっ……!?」
ニクスは立ち止まってしまった。そんなにショックだったか……
「ちゃんと否定はしておいたぞ。現実と同じで、先輩呼びは色々と厄介事を背負い込む可能性があるから、普通に名前で呼んでくれた方が面倒がなくていいと思う」
「そ、そうですね、では、そのように……」
こちらも止まって振り向き、そう指摘してやると、少し残念そうにニクスが頷く。俺としてはどっちでも構わないんだが、癖がついてしまうと大変だ。からかわれるのは忍びない。
「まあ、ちゃんと切り替えができるなら、普段はどう呼ばれても別に――」
クインの鳴き声が、俺の言葉を遮った。そちらに目をやると、クインは俺を見て、丘の方へと視線を向けた。
【気配察知】でそちらを探ると、丘の向こうにいくつかの反応がある。
「バイソンか?」
問うとクインが頷いた。おお、さっそく獲物がやって来たか。
「ニクス、バイソンがいるみたいだ。さっそく狩るぞ」
マントをストレージに収納して、ニクスに呼び掛ける。
さてさて、大物がいればいいな!