第133話:現実での対面
いつもどおりに家を出て、いつもどおりに会社に着いた。
「おはようございます」
「おはよう」
そしていつもどおりに、清掃をしている人に挨拶をする。名前は武田さん(仮)といい、うちの会社に入っている清掃業者の人、ということになっているおばちゃ……げふん、女性だ。
「あ、武田さん。ちょっと聞きたいんですけど。水城さん、もう来てますか?」
昨夜のことを謝るために、彼女に会わなきゃならんわけだが、まずは出勤しているかどうかの確認だ。来てなかったらどうしようもない。
「水城ちゃん? いつもどおりに出勤してきたけど……」
俺の問いに、首を傾げながらも答えた武田さんは、周囲を確認して真面目な表情を作った。
「応援してあげたいけど、望み薄よ?」
そうでしょうね。彼女、男性社員に対しては事務的で素っ気ないし無表情だし。セクハラにも厳しく、以前、男絡みで何かあったんじゃないかなんて無責任な噂が流れていたりもするから。
そんな彼女だったから、GAO内とはいえ、男である俺と普通に接してたニクスとは結びつけにくく、やっぱり別人なのかなと考えてたわけだが、それは置いとこう。
「いや、そういう意味じゃなくて、ちょっと話があるんですよ」
「あら、それはそれでつまらないわねぇ。狩野さんさえよければ、いい娘を紹介してあげるけど……うちの娘とかどう?」
「まだ高校に入ったばかりでしたよね? 勘弁してください」
溜息で答えると、あら残念と笑う武田さん。うん、朝から疲れてきた……まったく、この人達は……
その場で別れ、自分の部署に入る。挨拶しながら席に着き、PCを立ち上げると、社員の連絡先一覧を開いた。水城の電話番号を見つけ、メモを取ってファイルを閉じる。
私用で会社のメールを使うのは抵抗があるし、水城個人のメールアドレスやSNSアカウントなんて俺は知らないので、携帯電話のメッセージ機能を利用するしかないのだ。直接会って、ということもできるが、余人のいる場所でというわけにはいかない。周囲に要らぬ誤解を与えると迷惑だろうし。
スマホを操作し、文章を打ち込んでいく。
突然のメッセージで失礼します。
フィスト、そしてニクスという名に心当たりがあるでしょうか?
あるようでしたらお話ししたいことがあるので、本日12:30、会社の屋上でお会いしたいのです。
身に覚えがない、不都合があるようなら連絡をください。
狩野拳児
こんな感じでいいだろうか。これで水城がニクスじゃなかったら振り出しに戻ってしまうが、可能性のあるところから潰していこう。
でも、水城がニクスだとしても。来てくれるだろうか。無視される可能性もあるわけで。
悩んでいても始まらないので送信ボタンを押した。なるようになーれ。
昼休み。買ってきていたパンで簡単に昼食を済ませ、屋上へと向かう。約束の時間までかなり余裕があるが、こちらから呼び出したのだから待たせるわけにもいかない。
屋上へ出るドアの前で一旦止まり、呼吸を整えてドアを開けた。ビル風に逆らいながら外に出る。
屋上に社員の姿はない。ベンチ等も置いておらず、風も強いので、ここで昼を過ごす社員はいない。だからこそ、この場所を指定したわけだが。
そんな場所に、俺以外の姿を認めた。長い黒髪を風に靡かせたスーツ姿の女性が、こちらに背を向けて立っている。
背後でドアの閉まる音がして、それに気付いたのか女性がこちらを向いた。黒髪黒目で眼鏡をかけたニクス、いや、水城だ。メッセージへの返信がなかったので、来てくれるかどうか不安だったが、ひとまず安心した。それにしてもこの時間でここにいるって、来るの早すぎだろう。
水城は緊張した面持ちでこちらを見ている。そちらへ歩き、彼女の前で止まった。
「こんな形で呼び出してしまってすまない。今更だが、GAOではフィストを名乗っている、狩野だ。水城はニクスで間違いないか?」
応じてくれたのだから、まず間違いないとは思うが、万が一にも違っていたら問題なので、最後の確認だ。
問いに水城は頷いた。よし、それじゃ――
「すみませんでしたっ!」
昨日のことを謝ろうとした直前、何故か水城が謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。えー、と……?
「何も言わずに突然ログアウトしてしまってごめんなさいっ!」
現実で何度か聞いたことがあるものよりも高めの声で、水城は謝り続ける。これは……予想外だった。
「何で水城が謝るんだ。GAO内でリアルの名前を口走ってしまった俺の方が謝らなきゃいけない場面だぞ、ここ」
「い、いいえっ! 狩野先輩が悪いわけじゃありませんっ! 悪いのは、現実の姿をそのままアバターにしてしまった私ですっ! 体型はともかく、顔の造形を変えていれば、こんなことになってはいなかったんですからっ!」
そりゃ確かに、顔の造りが別人だったら、あの時も咄嗟に水城の名前が出ることなんてあり得なかったけども。
「それでも、だ。俺が錯覚しなければあんなことにはなってなかった。ネットでしか接点がないはずの男に、いきなり現実の名前を呼ばれたんだ。そりゃ女の子なら動揺するだろうし、怖くなって逃げ出しても仕方ない」
これが現実だったら、ストーカーで通報されてたかもしれない案件だ。
「とにかく。俺が悪かった。すまなかった」
「い、いいえ、こちらこそっ」
俺が頭を下げると、あちらも何度も頭を下げる。これ以上は何を言っても同じことの繰り返しになりそうだ。ひとまず、これで一区切りということでいいんだろう。
「ところで、1つ聞いておきたいんだが。ローゼの奴には、アバターはリアル準拠で作っとけって言われてたんだったな?」
「あ、はい。ただ、顔までそっくりにしろって意味で言ったんじゃないって、あ――ローゼに言われました」
水城が頭を上げて問いに答えた。ああ、やっぱりローゼには昨日のこと相談してたのか。そして、ローゼの指示じゃなく、あくまで水城がそのまま作ってしまったわけだ。なら、今後はどうするつもりだろうか。
「キャラクター、作り直すのか?」
「……いいえ、このまま続けます。さすがに狩野先輩以外でGAOをやっている人が会社にいるとも思えませんし」
うん、それは俺も聞いたことがないけどさ。でも、可能性がゼロってわけでもないんだぞ? 1人1人確認したわけじゃないんだから。
「学生時代の友人とかもいるだろうに」
「それは大丈夫だと思います。ゲームに興味がある友人はいませんし、学生時代は目立たないように過ごしていましたから。もし今後、同じような状況になっても、今度はちゃんと受け流してみせます。あんな醜態は二度と晒しません」
今なら、再育成の苦労も大きくないと思うんだが、水城の意志は固いようだった。本人がいいと言うなら、これ以上は俺がどうこう言うことじゃないか。それより、
「何で先輩?」
先ほどからの疑問を口にした。彼女がここに就職して以来、そう呼ばれたことなんてなかったんだが。職場の先輩という意味なら俺以外に何人もいるのだ。
「え、ええと……私、狩野先輩と同じ大学だったんですよ」
視線を泳がせた水城が、そんなことを言った。そうなのか。しかし会っていれば、記憶の片隅くらいには残ってるはずだが、それがない。少なくとも、直接会って話をしたことはないはずだ。水城が在学中の頃なら、俺は4年だし。
「……だっ、駄目、でしょうか?」
「駄目ってわけじゃないが。大丈夫なのか?」
「何がでしょう?」
「今までずっと通してきた、対男性社員用の顔と態度との兼ね合いがあるだろう?」
「あ、そ、それは、その……っ」
困ったような表情でうろたえる水城。昨日までの彼女からは想像すら不可能な反応が返ってくる。いや、本当に水城なんだろうか。
「なあ、実は双子で、今はもう1人が身代わりで呼び出されてるとか、そういうことはないか?」
「わっ、私は独りっ子です! 本物ですよっ!?」
「いや、だって、今までの水城とも、GAO内のニクスとも全然反応が違うものだから。それとも、こっちが素なのか?」
問うと、耳まで真っ赤にしてうなだれてしまった。やっぱり会社での態度は作ったものか。
「まあ、話を戻そう。それについては踏み込んで事情を聞く気はない」
気にならないと言えば嘘だが、無理に聞き出していいことでもないだろう。
「す、すみません……」
「ただ、人前で先輩呼びをすると、周囲が要らん妄想をすると思うぞ」
「そ、それはもちろん気をつけますっ」
落ち込んだかと思えば、すぐに元気が戻った。忙しないなぁ。ま、それはいい。
あらためて水城を見る。そう、既に社会人なんだよな。
「な、何でしょう?」
「いや、大卒の会社員が、GAO内では自称女子高生か、ってな」
「そ、それはっ! 私にも色々と、ですねっ!?」
いや、分かってるよ。GAOに大人向けの仕様がある以上、下半身でものを考える連中を避けるなら有効な手ではあるのだ。本人なりに考えた結果なのだから、それをいぢくるのも性格が悪いか。
「すまんすまん。ちょっとからかっただけだ」
「か、狩野先輩に、こんな一面があるだなんて、知りませんでした……」
恨めしそうな視線を水城が向けてくる。いや、いつもこんなじゃないから。今日はたまたまだから。それに真っ赤な顔で上目遣いされても可愛いだけだから。
「いや、水城が可愛いもんだから、つい」
「か――っ!?」
あ、凍った。
「かっ、かかかからかわないでくださいよっ!?」
「すまん。本当にすまんかった」
涙目になって睨み付けてくる水城に、両手を合わせて頭を下げる。調子に乗りすぎたか……
でも、こうも色々な水城の表情を拝むことができるとは、何か得した気分だ。彼女に特別な感情があるわけじゃないが、可愛いと思ったのは事実だし。いかんいかん、また余計なこと言ってしまいそうだ。
「ともかく。後はお詫びをどうするか、だが」
「お詫び、ですか?」
首を傾げる水城に、頷く。
「名前の件もそうだけどな。あの後、猿共を全て片付けたのはいいが、当然、その場にお前のアバターが残ったわけだ」
「……はい、セーフティエリア外でのログアウトですから当然ですね」
「で、だな。そのまま放置しておくのはまずいと思ったから、好き勝手させてもらった」
「え?」
「まず、黒炭の実の果汁は、乾くとこびりついて落ちにくくなる性質があってな。だから、ニクスの髪と装備を洗わせてもらった」
「ええっ?」
その場で湯を沸かして髪を洗ってやり、服はさすがに脱がせるわけにいかないし下手に触るとシステムに吹っ飛ばされるので、触っても大丈夫な箇所だけ湯で濡らした布で拭き取った。
「次に、髪を乾かした後で、アインファストまで運んでだな」
「え、と……」
クインが協力してくれなかったので、ニクスのアバターを毛布で梱包し、近くの木と手持ちの毛皮で簡易な担架を作った。それにニクス巻きを乗せてロープで街まで引きずったのだ。街の入口で衛兵さんに執拗な追及を受けなかったのは、日頃の行いのたまものだろう。
「そして、宿に寝かせてきた」
アインファストにも女性限定の宿泊施設があり、そこにニクスのアバターを預けてきたのだ。宿の従業員の、あの胡散臭げな視線は忘れることはないだろう。
アバターにいかなる危険も及ばないように、やれることは全てやってきた。神経はそれなりに削ったけど。
「そんなわけで、それら行為のお詫びも何かしないとな、と」
「い、いえいえっ。それ、アバターのお世話をしてもらった私の方が、何かしなきゃいけないんじゃ……」
「そうは言っても、本人の許可も得ずに水城そっくりのアバターをあれこれしたわけだし、いい気分はしないだろう?」
一応、一連の行動については、後で問題にならないように、GMコールで女性のGMに出てもらって事情を説明し、すること全部を監視・判定をしてもらってるから、やましい部分は何もないのだが、本人がどう思うかだ。
なのに、
「いえ、それは全然」
あっさりと水城は答えた。
「……女性として、あんまり無防備なのはどうかと思うが」
「いえ、そういう意味ではなく。狩野先輩が、それにかこつけていかがわしい真似をするわけがありませんから」
迷いなく、断言されてしまった。ろくに話したこともないはずなのに、この根拠のない信頼感は何だろう。
「と、とにかくっ。色々と世話を焼いてくださってありがとうございます。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
そして何度目かの謝罪をする水城。うーん……これでいいんだろうか。元はと言えば俺が悪いのに。
「あの、もし、よければ、なんですが」
何かできないものかと考えていると、大ボリュームの下で指を弄りながら、おずおずと水城が口を開く。
「そこまで気に病むのでしたら、1つお願いが」
「お、何かあるか? できることなら何でもするぞ」
「ツヴァンドに、連れて行ってもらえませんか? 以前聞いたお店に案内してもらえれば、と」
「そりゃ、構わないが。それだけでいいのか?」
「はい、それで十分です。本来なら、そこまでしていただくのも恐縮なんですが、どうも狩野先輩、納得できていないようですので。これで清算、ということでどうでしょうか?」
案内なんてあっという間だし、そこに俺がいる必要もないんだが。でも、それがいいと水城が言うなら、それに応えよう。釣り合いは取れてない気もするけど。
「じゃ、そうするか」
そういうことに、なったのだった。