第132話:露見
森に入ると同時に、クインはこちらを一度見てから姿を消した。
「クインさん、何かあったのでしょうか?」
「さて。考えてることまでは分からないからな」
こちらの言葉は通じても、あちらの言葉は分からない。いずれにせよクインの自由意志だから、俺が口を挟むことじゃないのだ。
「呼ぶ手段は持ってるから、こっちはこっちで動こう」
「分かりました」
頷いてニクスがマントを脱ぐ。腰に提げた剣が以前見た物と変わっていた。
「武器、変えたのか?」
「はい。ブラックウルフの魔鋼製です。レイアスさんの所で作ってもらいました」
剣に手をやってニクスが答える。
「開始からもう、1ヶ月ほどですから。そろそろ武器も強化しておこうかと。幸い、収入は多いので。やはり【解体】スキルの恩恵は大きいですね」
「ソロだと解体時間も気にしなくていいしな」
手間と時間が掛かることを考えなければ、本当に有用なスキルなんだ。実際、料理人プレイヤーには修得者が増えてるらしいし、漁師プレイヤーにはジョニーのお陰でかなり広まっている。この調子で、グロテロなんて言われなくなるくらい一般的になーれ。
「防具は変えてないんだな」
防具は前回のまま、レイアスの所で間に合わせで作った硬革の腹鎧、鋼の手甲と脛当てだ。懐に余裕があるなら防具も新調すれば良かったのに。
「レイアスさんに相談はしたのですが、同じ作り手で統一した方が見栄えもいいだろうということでしたので。ツヴァンドに行ってからにしようかと」
「お目当ての店があるのか?」
「フィストさん達が教えてくれたお店ですよ」
問うと、首を傾げながらニクスが返した。それって『コスプレ屋』のことか? だろうな。他の店の話題を出した覚えはないし。利用してる俺が言うのも何だが、本当にあそこでいいのか?
「こっちでしばらく活動するにしても、先にツヴァンドに行って防具だけ調達しておくのも手だな。有料ではあるが駅馬車を使えばGAO内で1日だ。一度行っておけば、転移門で行き来もできるようになる」
「そうですね。今以上に森の奥に入るなら、防具も良い物に変えておく必要があると思いますから、いい機会かもしれません」
「1ヶ月といえば、ローゼの奴、まだ入院中か?」
確かニクスがGAOを始める前に事故ってたはずだが。
「はい、あと1ヶ月くらい、と聞いています」
事故から退院まで約2ヶ月か。かなりの怪我だったんだな。
「早く退院できるといいな。戻ってきたら、勘を取り戻すのに協力してやるって伝えておいてくれるか」
「はい、彼女も喜ぶと思います」
と微笑むニクス。さて、喜んでくれればいいけどな。ニクスに誤解を植え付けたことを、俺はまだ許してないのだ。
「で、聞いておきたいんだが。今回の猿っていうのは、どういう奴なのか情報があるのか?」
「はい。紫色の肌をした、ニホンザルのような猿で」
ん?
「元々は、アインファストの北、山岳地帯の手前の森辺りに生息していたらしいのですが」
んん?
「ダンジョンに向かうプレイヤー達に嫌がらせを続けた結果、大々的に討伐されて、一部がこちらへ逃げてきたそうです」
その正体に思い当たる。嫌がらせが大好きという、性根の曲がった猿だ。北がプレイヤーに人気がなかった頃ならともかく、ダンジョンが見つかって行く連中が増えれば、そりゃ邪魔者扱いどころか恨みを買うわな。住む場所を追われてという事情もまったく同情できない。
「あいつら、木の上から色々と投げつけてくるけど、どうやって倒す?」
「【投擲】スキルも【精霊魔法】スキルもありますから」
ニクスも対策は用意しているようだし、何とかなるか。
途中、他の獲物を狩りながら先へと進む。ニクスも狩りには慣れたようで、この辺りに出る獣なら問題なく対処できているし、解体も危なげなくこなしていた。
「どっちも、上手くなったもんだな」
「戦いも解体も、教師がよかったので」
会話を続けつつも、ニクスの手は仕留めたイノシシの皮を剥ぎ続けている。
「へぇ、上手い人に教えてもらったのか」
戦闘はともかくとして、解体は住人の猟師さん達だろうか。そんなことを考えていると、
「何を言っているんですか。フィストさんのことですよ?」
剥ぎ終わった皮をチェックしながら、ニクスが笑った。え、俺?
「だって、1日教えてもらっただけなのに、それを気をつけるだけでここまでできるようになったわけですから」
戦闘は注意点を挙げただけだし、解体も解説しながら一通りやって見せただけなんだがなぁ。
「俺は基本的な部分しか教えてない。元から素質があったんじゃないか?」
「元からって、現実でということですか? 戦闘や解体技術の素質なんてあるわけないじゃないですか……」
毛皮をストレージに収納して、呆れた目を向けてくるニクス。うん、自分で言っておいて何だが、ないか。
「まあ、素質云々は置いとくとして、これだけできるってなら、それがニクスの実力だろ。指導がどうとか関係なく、誇っていいんじゃないか?」
「ゲームを楽しむ上で有効だというのは理解していますけど、スキルのアシストのお陰でしょうから」
使っていた道具を全て片付け、枝肉になったイノシシも収納し、残った不要な部分を魔法で土に埋めてから、ニクスが立ち上がった。
「それでは、次に行きま――」
言いかけたニクスの言葉が途中で止まる。ほぼ同時に俺とニクスはある方向を向いていた。それは【気配察知】に反応があった方向。多くの反応がこちらへと近づいてくるのが分かった。
「狼の動き方とは違います。10匹以上いますね」
「ああ。こりゃ、当たりかな」
剣と盾を構えて警戒するニクスに答え、俺もマントを脱いでストレージに入れる。
やがて、そいつらが姿を見せた。
木々を飛び渡ってやって来たのは、紫の顔と黒に近い焦げ茶の体毛をしたニホンザル。GAOでは憎まれ猿と呼ばれている猿だった。
少し離れた大木の上で止まると、こちらを見て威嚇するように騒ぎ始める憎まれ猿共。相変わらず、どいつも性格の悪そうなツラをしている。
「数が多いが、攻撃はそんなに酷くはならないはずだ」
あいつら、木の上に投げつける物を用意してたりするんだが、この辺の木にはそれが見当たらない。それでも手に石とか持ってる奴もいるから、それだけ気をつければいいだろう。ニクスには盾もあるから、飛び道具への備えは十分だ。
「フィストさん、最初は私だけでやってみます」
「おう」
少しずつ、ニクスが前に出る。猿共のいる木の枝は、かなり高い場所だ。当然、剣は届かない。お手並み拝見といこう。
憎まれ猿共はニクスを標的と認識したのか、耳障りな鳴き声を合唱する。その中の何匹かが持っていた石を投げつけてきたが、ニクスはそれを盾で防いだ。
盾の陰から剣の切っ先を猿共に向け、ニクスが樹精に訴える。すると、猿の上にあった木の枝が動き、そのまま1匹の猿の背中を押した。枝の上で飛び跳ねるという器用なことをしていた猿は足場を失い、手を伸ばすも枝には届かず、地面に叩きつけられる。
続けて枝が動き、別の猿が突き落とされた。今度の猿は何とか体勢を立て直し、足から地面に落ちたが、それで足を折ったのか、その場でのたうち回る。そこへ近付いたニクスが剣を突き立て、とどめを刺した。なるほど、こんなやり方もあるか。
立て続けに仲間をやられ、憎まれ猿共の喧しさが増した。あれで臆病だから、すぐに逃げ出すかと思ったんだが、数が多いから妙なスイッチでも入ったか?
持っていた石や、近くの枝を折って、猿共がニクスに投げつける。少し後ろに下がってニクスは盾で防御した。石は危険だが、あの程度の木の枝じゃ、当たってもダメージにはならないだろう。
後はもう作業だな、そう思った時、視界の端に動くものが入った。確認してみるとそれは1匹の憎まれ猿。ニクスの位置から左の木の上だ。そいつは手にした丸い物を――
「ニクス! 左上!」
警告を飛ばすと同時、猿が何かを投げつけた。ニクスが反応し、盾を掲げる。何かが潰れるような音がして、黒い汁が飛び散った。
「あれ、黒炭の実か?」
食えないし調薬にも使えない実なので採ったことはないが、果汁が真っ黒という不気味な実だ。インクの材料にも使えるんだったか。
墨汁をぶちまけられたようにニクスの盾が黒く汚れる。投げつけた猿は、別の実を手で弄びながら、顔に嫌らしい笑みを貼り付けていた。当然、ニクスはそちらへと注意を向ける。
その瞬間、ニクスの頭部で黒が散った。さっきの猿の正反対、ニクスが背を向けた木から、別の猿が黒炭の実を投げつけたのだ。後頭部に命中した実から流れた汁が、綺麗だったニクスの長い金髪を黒く染めていく。
「え? あの、えっ?」
うろたえている間に別の実がニクスの頭に当たり、更に髪と装備を汚した。あー、完全に混乱してる。こりゃ仕切り直しが必要だ。
「水城! 一旦下がれ!」
そう、声を掛けてしまった。間違えたニクスだ。何やってるんだ俺は。
「は、はいっ! 分かりま――!?」
そして、ニクスがそれに応えた。
「え?」
「え?」
こちらを向いたニクスの顔が凍りつく。そして身体もその場で固まってしまう。間違えたのは悪かったが、今は動く時だぞ? 何でそんな真っ青な顔にって何故そこでメニューを開くんだ何で泣きそうな顔になるんだ待て待てその位置はログアウトボタン――!?
止める間もなく、ニクスの身体が崩れ落ちた。何やってんだあいつ!? まだ猿共がいるってのに!
憎まれ猿共は、ニクスが倒れたのを見てテンションを上げていた。獣の声と言うよりも、まるで人の下品な笑い声のようなそれが俺の神経に障る。
「やかましいクソ猿共っ!」
一喝すると、ぴたりと騒がしいのが収まった。しかしそれも数秒で、今度は俺に矛先を変える。そうかそうか、聞く耳は持たんか。言葉が通じないから仕方ないよな。
「ガ!?」
抜き打ちのダガーが、黒炭の実を投げつけようとしていた憎まれ猿の額に突き刺さった。続けてダガーを抜いて、もう1匹にも投擲する。こちらは深々と左胸へと突き刺さる。
木から落ちていく2匹の猿を尻目に、正面の木へと走る。そしてそのまま【壁歩き】を発動させ、残った憎まれ猿共がいる木を駆け登った。
『樹精達! そいつらを締め上げてくれ!』
精霊語で訴えると、結構なMPが減る感覚と共に、無数の枝がうねった。逃げ出そうとしていた憎まれ猿共に伸びた枝が絡みつく。身体を、首を、足を掴まれ、人を馬鹿にするような鳴き声だったものが悲鳴へと変わった。よし、1匹残らず捕まえたな。
一番近くにいた猿を、じっと見る。騒ぐのを止め、そいつは笑みを作った。人を不快にしかしない媚びた笑みだ。
それに俺も笑みを作った。何故か猿の顔が恐怖に歪む。身体は硬直したまま、首だけを横に振る。震えた声が口から漏れるが、当然通じない。察することはできるが。
目の前で拳を作り、掲げ、振り下ろすことで返答とした。元々害獣駆除が目的なのだ。慈悲はない。
1匹残らず『駆除』をして、ニクスの元へ戻る。セーフティエリアじゃない場所でのログアウトだから、アバターがその場に残ったままだ。こうなることを知らないわけじゃないだろうに。
「それどころじゃなかったんだろうな、あいつ的には」
どうしてこうなった。いや、原因は分かってる。俺が名前を呼んだから。しかもそれが、間違いじゃなかったからだろう。それでどうして逃亡しなきゃならないのかまでは分からないが。
「まさか、なぁ」
初めて見た時から疑惑はあったが、現実よりも表情が豊かだったから、外見だけが偶然一致した別人なのかもしれないと思っていた。この手のゲームでリアルの詮索はマナー違反だから、問い質しもしなかったわけだが。
意外と言えば意外ではある。こういうゲームをするようには、ましてや【解体】スキルに手を出すような娘には見えなかったし。いや、彼女のことをどれ程知ってるわけでもないけども。
「ん?」
気配を感じて顔を上げると、クインの姿が見えた。何だ、戻ってたのか。
「おい、どうした?」
クインはその場を動かない。俺を見て、倒れたニクスを見て、また俺を見た。そして、尻尾を振りながら踵を返す。
「だからお前は要らん気を回すんじゃないっ! またうめぼし食らわせるぞっ!?」
立ち止まり、こちらを向いて、残念そうな顔をするクイン。本当に、そういうのいいからっ! この状況で俺に何をしろってんだっ!?
「まったく……」
頭を掻きつつ、これからどうするかを考える。放っておけばウルフあたりに食われてアインファストへ死に戻りするだろうし、タチの悪いプレイヤーに遭遇したら晒されたりするかもしれない。
見捨てるのはあり得ない。となると、連れ帰るしかないわけだが。
「クインさんや。彼女を背負ってくれんかね?」
問うも、狼さんに動きはない。いまだに他の奴に触れられるのを嫌うから駄目か?
「報酬ははずむぞー」
そこを何とかお願いできませんかね? ほら、俺が直接女性を街に持ち帰るってのは、絵面的にまずいわけですよ。おまわりさん、こいつですってなもんで。いや、GAO内だと衛兵さんかってどっちでもいいけどもっ。
「今ある肉を全部放出するから。足りなければ追加で狩るから、どうか、どうか」
手を合わせて拝むも、クインはそっぽを向いた。駄目か、駄目なのか。
倒れているニクスを見る。面倒事の予感しかしないが、仕方ないか。仕方ないんだろうなぁ……。