第124話:温泉
一旦ログアウトして家事を片付け、ログイン121回目。
GAO内では翌日。俺達はブルインゼル島の奥へと足を進めていた。
理由は温泉にある。
この島の公衆浴場は全て温泉で、高級な宿になると個別に温泉浴場を持っていたりもするが、普通の宿はシャワー程度しかない。温泉が売りの島なのだから、宿で普通の風呂に入ろうという者はほとんどいないからだそうだ。
俺達が泊まった『動物の庭亭』は後者の宿だったので、食事の後は大規模な温泉浴場に行って心ゆくまで楽しんだのだが。
ここで問題と言うか、困った事が1つ。動物用の温泉施設がなかったのだ。せっかく温泉の湧く島に来ているのだから、クインらにも温泉を堪能してもらいたかった。
ワンダさんに相談してみたところ、島の奥に行けば、自然に湧いている温泉がいくつかあるらしく、そこならクイン達も問題なく入れるだろうとのこと。ただし、入って無事で済む温泉かどうかは確認する必要があるし、入って問題ない温泉なら当然他の動物もいて、場合によっては魔獣なんかが入っていることもあるとか。
まあ、その辺は大丈夫だろう。逆に動物達が入っている温泉の方が安全を確認できるだろうし、ヤミカゲはともかくクインがいれば、並の魔獣なら逃げ出すんじゃなかろうか。
ともあれ、おすすめらしい場所があるとのことで、そこへと向かっている。結構登らなきゃいけないらしいが、それでいい温泉を堪能できるならたいした労力ではない。
「適切な湯加減であればいいので御座るがな」
と、隣を歩くツキカゲが言った。
「クイン殿は、熱い湯は平気で御座るかな?」
「浸かるとなると、どうかな」
少し前を歩くクインを見ながら考える。
現実の犬の場合は汗をかかないらしく、熱い湯に長いこと浸かるとのぼせてしまうかもしれないので注意なんだそうだ。
GAOの犬や狼がどうなっているのかはよく分からない。一応、今までに何度か川で全身を洗ってやった事はあるし、その時に湯を使った事もある。風呂くらいの湯を掛けた時も問題はなかったが、湯に浸からせた事はない。恐らく、クイン自身にも湯に浸かった経験はないはずだ。
「ヤミカゲは大丈夫なのか?」
「風呂程度の熱さなら問題なかったで御座るよ。湯を張った桶に入れてやった事があるで御座るが、嫌がる様子もなかったで御座るし」
「そういや、犬や猫で風呂が嫌いなのっているよな」
動画や画像で、すごい顔をしてるのを見たことがある。クインがそんな顔をするのは想像できないが。
「濡れるのが嫌、体臭が消えるのが嫌と、諸説あるようで御座るな。うちのギルドの忍犬候補達も、好き嫌いが分かれるで御座る」
「うーむ……なぁ、クイン。お前、湯に浸かるのは嫌か? 嫌なら無理を言う気はないんだが」
問うと、振り返ったクインが首を横に振った。問題ないってことでいいんだろう。熱すぎる場合は、適温にして掛け湯をすればいいか。無理だけはさせないようにしよう。
「拙者としては、熱い湯の方が好みなので御座るがな。昨日の湯は、ぬるめだったで御座るから」
あの時も言っていたが、ツキカゲとしてはもっと熱い湯に浸かりたいようだ。それは俺も同じだったりする。どうもGAO内の住人達はあれくらいの温度が好みらしい。湯揉みをしなきゃいけないほどの熱さは勘弁だが、俺はもうちょっと熱い方がいい。
「母上もそうだったで御座るが、やはり西洋人は熱い湯が苦手なので御座ろうな」
はて。今、おかしなことを言わなかったか?
「ツキカゲの母親って日本人じゃないのか?」
「実は母上が米国人で御座ってな。父上が日本人で御座る」
なんと、まさかのハーフとは。ああ、それでツキカゲの英語が時々ネイティブっぽく聞こえたのか。
「それがどうして忍なんてやってるんだ?」
「母上が忍好きで御座ってな。ただ、元々は某ミュータント亀等の、いわゆるニンジャのファンだったので御座るが、日本に来て正統派の方にはまったとか。父上もご先祖が忍だった上に時代劇大好きで御座ってな。そんな2人の子供である拙者がこの道に入るのは必然であったと」
と、得意げにツキカゲが語る。何とも濃い一家だな。
「てことは、ひょっとしてご両親もGAOをやってるのか?」
「いや、まだで御座る。ただ、第三陣には入り込めたようなので、いずれは【伊賀忍軍】に合流することになっているで御座る。その時にはフィスト殿に紹介するで御座るよ」
夫婦や姉弟でGAOをプレイしている人は知ってるが、親子でってのは初めてだな。家族仲が良好なのはいいことなんだろうけど。
宿を出てからかなり歩いたが、ワンダさんに教えてもらった温泉の場所はもうじきのはずだ。ワンダさん曰く、一番景色のいい場所だってことだったが、はてさて。
「先客がいたりするで御座るかな?」
「どうだろうな。街の方に温泉施設があるわけだから、足を運ぶ理由がある人しか来ないんじゃないか?」
「ふむ、それなら動物好きの人がいたりするかもしれぬで御座るな。拙者達のように、相棒と一緒に温泉を楽しみたいという人もいると思うので御座るよ」
逆に言えば、そういう人しかいないんじゃないかと思う。【モフモフと戯れ隊】あたりに教えてやれば、やって来るかもしれない。
ただ、獣道と言うのも抵抗があるくらいの、普通なら見逃しそうな細々とした道なので、ちゃんと辿り着けるかどうか。一応、クインとヤミカゲが人が通った道を匂いで嗅ぎ分けているし、俺も【樹精の恩恵】のお陰でそういうのを見極めやすくなってるので迷う心配はなさそうだが。
「せっかくなら、誰かいた方が楽しそうで御座るな。それが女性ならなお良し、で御座る」
「施設はないって話だから混浴ではあるんだろうけどな。あんまり期待するのもどうかと思うぞ」
「何か、枯れて御座らんか?」
「色々あって、食傷気味でな」
あれからまだ日が経っていない。そういうのは当分いいや……本当に枯れ果てたわけじゃないぞ?
「……これが勝ち組、リア充というやつで御座るかっ!? もげろで御座るっ!」
何故かツキカゲが憤った。解せぬ。
「お、湯煙が見えてきたな」
木々の密度が薄くなり、明るくなってきた。先は岩場になっているようだ。
「「おお……」」
ツキカゲと2人、思わず声を上げてしまう。
開けたそこからは、ブルインゼル島の沖が一望できた。結構高い所まで登ってきたようで、島の沖には大小様々な島が多く見える。いい景色だ。ここを展望台にすればいいのにと思える程に。
そして肝心の温泉だが、かなり広い。小学校のプールくらいの露天風呂だ。山側から落ちてきた湯が溜まっているようで、溢れた湯はそのまま崖から落ちている。
「おや?」
「「あ」」
そして、そこには先客がいた。俺はその人をよく知っている。つい昨日、見かけたばかりだ。
「「社長!?」」
温泉に浸かったままこちらを見ているのは、GAOの生みの親。【カウヴァン】社長である光信世護氏だった。
「誰が来たのかと思えば、まさか君達だったとは。確か……フィスト君にツキカゲ君、だったかな? それから、その相棒であるクイン嬢とヤミカゲ君」
「フィスト殿はともかく、拙者個人のことまで知ってるで御座るか!?」
「知っているよ。忍者ロールプレイギルドの【伊賀忍軍】の中でも、君は幻獣持ちだからね」
驚くツキカゲにそう言って、社長は頭上のタオルのずれを直す。
確か以前の生放送でも【伊賀忍軍】のことを知ってたっけ。それに幻獣と行動を共にしているプレイヤーもチェックしていたようだし。
「立ち話も何だ。ここは温泉なわけだから、湯と景色を楽しみながらといこうじゃないか。君達は男性だから、遠慮なく誘えるね」
はっはっは、と笑いながら、光信氏はクインとヤミカゲを見る。
「君達も入るといいよ。そんなに怖がらなくても大丈夫だから」
クイン達を見ると様子が変だった。ヤミカゲは尻尾を股の間に挟んで震えていて、クインもヤミカゲ程ではないが身体が強ばっているのだ。光信氏が言うように、怖がっているのか? でも何を? 光信氏が何かをしているわけでもなさそうなんだが。
「何があるんですか?」
周囲を警戒しながら聞いてみる。【気配察知】に反応はない。
「今は何もないよ。何があったかは、言えない」
人差し指を口の前で立てて、意味ありげに笑みを作る社長。今は、ってことは、さっきまで『何か』があったのか。クインとヤミカゲはその『何か』に恐怖を抱いている? 彼女らにしか分からないってことは、匂いでも残ってるんだろうか。
クインを恐れさせる程の『何か』が気にならないと言えば嘘になるが、言えないってことは聞いても無駄だし、光信氏が大丈夫だと言うならそうなんだろう。
「そう怯えるな、大丈夫だってさ」
頭を撫でてやると、クインはこちらを見て、不機嫌そうな顔のまま、鼻先で小突いてきた。こら待て、押すな。崖から落ちたらどうするんだ。
「まあ、目的は温泉で御座るし。社長の言うとおりにするで御座るよ」
「おっと。今の私は【カウヴァン】社長の光信世護ではなく、いちプレイヤーのセーゴ・ライトラストなのでそのつもりで」
ヤミカゲの背中を撫でて落ち着かせながらツキカゲが言うと、そう念押しをしてくる光信氏。むぅ、先手を打たれたか。
とりあえず光信氏……セーゴさんの言うとおり。まずは温泉といこう。
装備を1つ1つ外して、ストレージへ放り込む。服も脱いでパンツ一丁になったところで桶を取り出し、クインを手招きした。
「さて、湯加減は、と」
湯を汲んで手を入れてみる。俺にはちょっとぬるい、かな。多分、山側の方はもうちょっと熱いんだろうけど。
「どんな具合だ? 熱すぎたりはしないか?」
問うと、クインは桶に前脚をゆっくりと入れた。そして首を縦に振る。大丈夫そうだな。
浸かる前には掛け湯をしましょう、ということで、クインの身体に湯を掛けてやる。普段のボリュームがなくなって面白い外見になるが、何も言わずに湯を掛け続けた。
ツキカゲの方も同じようにヤミカゲに掛け湯をしてやっている。ツキカゲも下着だけになっているが、パンツじゃなくて褌だった。GAO内で作ったんだろうか。そこまでやるか【伊賀忍軍】。
「よし、いいぞ」
ポンと肩あたりを叩いてやると、クインは温泉に足を踏み入れ、身を沈めた。いつものキリッとした表情が緩んだようにも見える。湯に浸かるという初めての体験は、彼女にとっても悪いものではなさそうだ。連れてきた甲斐があったってものだな。
ヤミカゲの方は、浸かるというか泳いでいる。体力の消耗とか大丈夫だろうかね? 程々で切り上げるだろうけど。
ふと気がつくと、セーゴさんがこちらを見ていた。優しげな表情とでも言えばいいのか。微笑ましいものを見る目だ。何かあったか?
見返すと、じっとこちらを見つめるセーゴさん。表情が真剣なものに変わっていく。
「ウホッ」
彼から漏れた一言を認識した瞬間に、【強化魔力撃】を起動させて地を蹴り、その場を離脱していた。ツキカゲも気付いたのか、同様に跳び退いている。俺達の反応に何事かとクインが立ち上がり、ヤミカゲだけが気付いた様子もなく泳ぎ続けていた。
「あー、冗談だよ?」
慌てて社長が弁明する。さて、その言葉を信じていいんだろうか。
「……何故、あんなことを?」
「何となく、言わなきゃいけない場面のような気がして」
緊張が一気に抜けた。いや、まあ、ネタにするには絶好のシチュだったかもしれないけどさ。
「本当に、大丈夫なんですよね?」
「大丈夫、本当にそっちの趣味はないから。そこまでの超反応をされるとは思わなかったよ」
手をパタパタと振りながら笑うセーゴさんは、ストレージから瓶を取り出した。
「お詫びに一杯どうだね?」
「いただきます」
「それでいいので御座るかフィスト殿?」
即答した俺の耳に、呆れたツキカゲの声が届いた。