第123話:麺
「はい、おまちどおさま!」
島の料理ということで、新鮮な魚介を使った定番の料理が出た後、おかみさんのワンダさんが深皿をテーブルに置いた。小さな肉団子っぽい物が浮いた黄金色のスープだ。いや、スープの中に細長い物が沈んでいる。
「ラーメン、だと……?」
それはラーメンにそっくりの料理だった。シンプルなトッピングの塩ラーメンといったところだろうか。
「らーめん? 何だいそりゃ?」
「あ、いや……俺達の故郷にある料理に似てるな、と」
首を傾げるワンダさんに、そう言ってから再度皿を見る。うん、やっぱりラーメンっぽい。
「これ、何て料理なんです?」
「ドリュラーノって言う、芋料理だよ」
「……芋?」
はて、見た感じ、芋の姿なんかどこにもないんだが……
「ブルインゼル島で栽培している、キャルス芋ってのがあってね。それから作った物さ」
つまり、この麺が芋で作られてる、ってことか? どうすればこんな料理になるんだろうか。
「ま、食べてみりゃ分かるか」
「で、御座るな」
ツキカゲと頷き合い、まずはスプーンを手に取った。スープを掬い、口に含む。
「おおう、これは……」
塩味をベースに魚介の旨味がこれでもかと凝縮された、コクのあるスープだった。ただ、予想していた口当たりと違い、とろみのあるスープだ。
「これだけでも満足できるスープで御座るなぁ」
幸せそうにツキカゲが息を吐く。スープだけでも完成された逸品と言える程ではあるが、この料理は芋料理で、主役は麺の方だ。
今度はフォークを使い、スープに浸された麺を巻き取った。スープがよく絡んだ、黄色がかった半透明のそれを口に運ぶ。
「糸コンニャク、か?」
食感は糸コンニャクのそれだった。そう言えばコンニャクも芋から作るんだったっけ。ただ、コンニャクと違うのは、しっかりと芋の濃い味がすることだ。スープの味にも負けていない。なるほど、確かに芋料理だ。
「面白い料理で御座るな。ジャガイモのような味の麺に、魚介のスープが実に合っているで御座る」
「ああ、これは美味いな」
味は文句なしだ。だが……
「どうかしたのかい?」
手を止めてドリュラーノを見つめていた俺に、怪訝な顔のワンダさん。何でもないです、と首を振って、肉団子にフォークを刺す。
「つみれ、かな?」
すり身だけではなく、ほぐし身も入っている。ほんのりとした香ばしさは、一度焼いた魚を混ぜたんだろうか。刻んだニンジンも入っていて、いくつもの食感が面白い。
「うん、美味い」
湧き上がる衝動を抑えつつ、フォークでドリュラーノを巻き取る。
食事が終わり、それぞれの部屋に案内された後で、ワンダさんに厨房を見せてほしいとお願いした。
「厨房を?」
首を傾げるワンダさんに、頷いて続ける。
「正確にはドリュラーノを見たいんです。できれば、スープを」
「そりゃ、構わないけど。何だい、料理に興味があるのかい?」
「ええ。難しくない物なら、自分で作ることもありまして。あ、宿の秘伝だって言うなら今の話はなかったことに」
「別に構いやしないよ。この島以外で作るには、材料の調達が面倒な物もあるしね」
「ありがとうございます」
ワンダさんに礼を言い、厨房に入らせてもらった。
作業用の木のテーブルに石造りのかまど等、今までに借りた事がある宿の厨房と大差はない感じだ。
「これが、材料のキャルス芋だよ」
見せてくれたのはごつごつした拳大の芋だ。皮は焦げ茶というか黒っぽい。
「これを加工するんですか?」
「ああ。皮を剥いて、茹でてから摺り下ろすんだ。それにこの島で湧く湯を加えるんだよ」
「この島の湯は、どうして?」
「入れると芋が固まって、加工できるようになるのさ。ただ、どこから湧く物でもいい、ってわけじゃない」
温泉の成分が作用して固まる、ってことか。それが何か分かれば島の外でも作れるのかもしれない。芋は島の市場で売ってたし、ここでしか育たないわけでもないだろう。
「スープの方は特別な物を使ってるんですか?」
「こっちは普通に、ここの海で獲れた魚介だよ」
大きな鍋に、さっきのスープが入っている。それを見て気付いた。
「さっきみたいなとろみがないですね」
「ああ、他の料理にも使ったりするからね。ドリュラーノにする時にはとろみを付けるんだよ」
なるほど……好都合だ。
「ワンダさん、ドリュラーノをいただけますか。ただし、スープはとろみを付けないまま、熱々で」
「そりゃ構わないけど……スープがあまり絡まないよ?」
「構いません」
首を傾げながらもワンダさんは俺が頼んだとおりのドリュラーノを出してくれた。ふふふ、これで――
「フィ~ス~ト~ど~の~?」
突如、ツキカゲの恨めしげな声が聞こえた。振り向き、見上げると、厨房の天井にツキカゲがヤモリのように『貼り付いて』いた。こいつ、いつの間にっ!?
「抜け駆けで御座るか!? 1人だけとはずるいで御座るよっ!」
「何を言っているのかね、君ぃ? ぼかぁ、純粋に料理研究をだねぇ」
天井から落ちてきたツキカゲに、がっくんがっくん揺さぶられながらも、はぐらかす。当然、通じるものではなかったが。
「あー……一体、何なんだい?」
ワンダさんの問いで、ツキカゲが止まった。
「さっきドリュラーノを食べてた時に何か考え込んでた事と関係があるのかい?」
「えーと、さっき、故郷にある料理に似てる、って言ったじゃないですか」
ツキカゲの手を引き剥がして、ワンダさんに向き直る。
「ああ、確かに言ってたね。らーめん、だっけ?」
「はい。で、ドリュラーノのスープからとろみを除いたら、大体同じような物になると思うんです。だから、そうして食べてみたかったわけなんですよ」
「ああ、それで元のスープをって言ったのかい。でも、それならその場で言えばよかったじゃないか。その程度、何の手間でもないよ」
「それはそうなんですが、もう1つ問題がありまして」
俺はストレージから箸を取り出した。勿論、GAOの店では売っていないので、適当な木を自分で削って作った物だ。
「箸って言う、俺達の故郷で使ってる食事用の道具です。一部の料理を除いて、家庭で食事をする時は、これを使って食べます」
「変わった道具だねぇ。そんなのでうまく食べる事ができるのかい?」
「子供の頃から使ってるので。これで大豆だって摘まめますよ。で、ドリュラーノみたいに『汁に浸した長い麺』の料理もこれで食べるんですけど……すすって食べるんですよ。つまり、音を立てちゃうんですよね」
音を立てて食べる、というのは今ではどこの国でもマナー違反だろうが、日本においては、麺類を食べる時だけは例外になっている。すすって食べるのが普通だ。
ただしそれは、日本の麺料理を食べる場合に限る。GAO内の食文化については、今まで接してきた限りでは、すすって何かを食べている住人には出会っていない。つまり、麺をすすって食べるのは、GAO内ではマナー違反だろう。
「そういうわけで、さっきは申し出る事ができなかったし、今もそのまま自分の部屋に戻って食べようと思っていたんです」
「まあ、言いたい事は分かったよ」
腕を組んで頷きながら、ワンダさんが言った。
「確かに、クチャクチャ音を立てて食べるのは行儀が悪い。音を立ててスープをすするのも、食事の作法としてはみっともない。文化の違いがあると言っても、ここはあんた達の故郷とは違うからね。その配慮をしてくれたのはありがたい話だ。まあ、うちで食べる分には、そこまで気にする事はないだろうけど」
はて、それはどういう意味だろう? 首を傾げる俺達に、
「だってこの宿は、動物を中に入れる事を許してるんだよ? 当然、動物達もここで食事をするわけだ。あんた達の相棒だってそうだったろう? あの子らに、音を立てて食べるな、なんて言ったって仕方ないだろうに」
と肩をすくめるワンダさん。それはまあ、そうなんだろうけども……
「動物はともかく、人もここでそれをやっていいかってのは別問題でしょう」
お言葉はありがたいが、あくまで日本人としてのわがままなのだから、あえて人目につく場所ですする事はないだろう。
塩ラーメン風にしてもらったドリュラーノをすすりつつ、ツキカゲと日本の麺類の話になり、そして今、俺は再び宿の厨房にいた。
目の前には鍋があり、その中には黒い板状の物が入っている。以前、海で回収して、乾燥させておいた昆布だ。
作っているのはうどんの汁である。日本の麺類が食べたくなった、そうツキカゲが言ったのだ。ログアウトして食え、で済む話ではあるが、GAO内で気軽に食べられるならそれもよし。いくら食べても太らないしな!
とは言え、ラーメンは不可能だ。麺やスープを一から作る知識も技術も俺は持っていない。蕎麦は打った経験があるが、蕎麦の持ち合わせがないので無理。そういやGAOに蕎麦ってあるのか?
唯一、母さんの手作りうどんが記憶に残っていたので、そっちを作ってみる事にした。ネギも具もないので素うどんしかできないけども。
弱火でじっくりとダシを取る間に、この島の市場で買った鰹の燻製を包丁で小さく削ってチップにしていく。GAOに鰹節が!? と驚きはしたものの、どうも日本のそれとは違うようで、作り方を聞いてみたら、モルディブフィッシュの方が近いようだ。ただ、モルディブフィッシュで和風ダシがとれると聞いた事があるので、代用品とした。日本風の鰹節は【料理研】に期待しよう。あるいは【アミティリシア漁協】が着手してるかもしれないが。
煮立つ前に昆布を取り上げ、燻製のチップを投入する。火の加減を保ちながら、醤油ではなくバルミアの果汁を加えた。とりあえずはGAOに元からある物だけで再現してみるつもりだ。
沸騰してきたら更に鰹チップを追加し、火を止める。それらが汁に沈んだあたりで、木のレードルですくって小皿に移し、味見――
「何か物足りないな……」
母さんが家でうどんを作ってた時のやり方を再現してみたつもりなんだが、何か材料が足りないのか、それとも素材の違いからくる差なのか、よく分からない。
「フィスト殿、できたで御座るよ~」
部屋からツキカゲが降りてきた。手には白い布に包まれた物がある。
「そっちのテーブルに置いてくれ。で、汁の味見を頼む」
汁を小皿に移して渡してやる。どれどれ、とツキカゲがそれを口に含んだ。
「どうかね? 何か足りない気がするんだ」
「ふむ……私見で御座るが、みりんでは御座らぬか? 家族で手作りうどんの講習会に行った時に、使っていた気がするで御座るが」
こちらが出していた材料等を見渡して、ツキカゲが言った。みりん、とな? 母さん、みりんを使ってたんだろうか?
「……GAOには、ないよな?」
「みりんは確か、米から作る調味料、だったかと」
ぬぅ、まさかここで材料が足りぬとは……
「みりんの代用品に心当たりは?」
「生憎と」
駄目だな。困った時はネット頼みだ。いや、本当にGAO内からネットに繋ぐ事ができるのは助かるね!
「日本酒に砂糖とかあるで御座るな。それにコーラ……どちらもGAOには無いで御座るが」
「他には、と……ハチミツ? それに……白ワインに砂糖、か」
みりんそのものも調べてみたが、乱暴な言い方をするなら糖分が多いアルコールだ。だったらハチミツよりも、白ワインと砂糖の方が近い、のか?
砂糖はある。白ワインは、ないな。ザクリス達の所で調達したワインは赤だったし。
「ワンダさん、白ワインありますか?」
「あるよ。使うのかい?」
言いつつ白ワインの瓶をワンダさんが持ってきてくれた。白ワインを小皿に入れ、砂糖を落として溶かし、舐めてみる。うん、分からん……そもそも、みりんそのものを舐めた事がないのだから比べようもないのだが。
「拙者、みりん自体を直接口にした事はないで御座るから、分からぬで御座るよ?」
みりんもどきの小皿を差し出すと、ツキカゲが首を左右に振った。そりゃそうか。
「ま、男は度胸だ」
みりんもどきを少しだけ汁に加えてかき混ぜる。失敗したらその時に考えよう。
再度、汁の味見をすると、さっきよりはいい感じになった。記憶にある味と違うのは仕方ない。うどんだ、と言える味にはなったのだから十分だろう。
「うむ、かなり良くなったで御座るよ」
「へぇ……何と言うか、優しい味だね」
ツキカゲが親指を立て、同じく味見したワンダさんがそんな感想を漏らした。よし、汁はこれでいいだろう。
「それじゃあ次は麺に行くか」
「準備万端整っているで御座るよ」
テーブルに置いてあった布包みをツキカゲが開く。中にはもう、うどん玉ができあがっていた。ここまでやってくれてたか。
「じゃ、仕上げといこうか」
別に準備しておいた、熱湯の入った大鍋に、うどん玉を入れたざるを沈める。こうなると振りざるが欲しいな……今後のために、また鍛冶屋で作ってもらおうか。
さっと湯がいて深皿に入れ、汁を注ぐ。どんぶりがないのが残念だが、これでうどんの完成だ。素うどん、でいいのか? ダシ取りに使った鰹チップが入ったままだから、鰹チップうどん?
「唐辛子はあるから、よければ使ってくれ」
「おお、本当にうどんで御座るなぁ」
喜ぶツキカゲに渡した後、ワンダさんにも深皿を渡す。
「うどん、と言う俺達の故郷の料理です。フォークだと食べにくいかもしれませんが、召し上がってください。お好みで唐辛子の粉末をどうぞ」
「さっき言ってた、らーめん、とは違うんだね」
「ラーメンは、ここまで簡単には作れませんから。スープを作るにも時間と手間が必要ですし、詳しい製法を知らないので。故郷の麺料理はいくつかありますが、今回作ったのは、俺が作り方を知っていて、かつ、材料の持ち合わせがあった物ですね」
「じゃあいただくよ。ところであんた達、また部屋に戻って食べるのかい?」
「ええ、そのつもりですけど」
「だったら一度、ここですすって見せてもらえるかね? 本来の食べ方ってのを見たいんだよ」
そんな事をワンダさんが言う。いや、さっきも気にしないでいいとは言ってくれたけど。
「いいんですか?」
「構わないよ。あと、できればハシとやらの使い方も教えてもらえるかい。何事も挑戦だよ」
頷き、ワンダさんは笑みを深くした。
すすって見せた後のワンダさんは、意外と音がしなかった事に拍子抜けしたようだった。どんな音を想像してたんだろうか。
あと、すする事にも挑戦したが、うまくすすれなかった。外国人には難しいと聞いた事があるが、GAOの住人も同じらしい。箸の使い方も同様だ。
うどんそのものの味には満足してもらえたが、個人的には不満が残る部分があるので、【料理研】にみりんの製造を頼む事にした。それまでは代用品でしのぐとしよう。何が一番みりんに近くなるか、研究してみるかね。