第111話:診断
案内されたリディの部屋は、予想以上に広かった。アル様の屋敷の応接間を彷彿とさせる造りだ。調度品も立派に見える物ばかり。娼婦の私室にしては豪華すぎるとも言える。それだけ稼げている、ということだろうか。
「奥の部屋にベッドがあるわ」
先導するエルカがドアを開けた。奥の部屋、つまりは寝室だが、こちらも立派なものだ。そして、1人用にしては明らかに大きなベッド。枕はベッドの幅と同じ大きさの物が1つ。
「ここ、仕事場じゃないのか?」
「仕事場兼私室よ。手前の応接間は完全に仕事用」
言いながらエルカが布団をめくった。そこにリディを寝かせる。高熱が出てる以外の症状は分からないが、倒れるくらいだからかなりつらいんだろうな。
さて、エルカを除いたこの館の住人達が、全員病気っていう状況だが、どうするか。
「どこか、かかり付けの医者はいないのか?」
「いないわ。私達の健康管理は、姐さんが引き受けてくれていたのよ」
リディの汗を拭いてやりながら、エルカが答える。だったら特定の医者じゃなくていいか。
「とりあえず、医者を呼んでくる」
女性の看病なんて俺がやっていいことじゃないだろう。俺は俺のできることをしよう。そう思ったのに、
「駄目っ!」
「だ、だめ……」
何故かエルカが、そしてリディまでもが俺を止めた。
「何でだ? 姐さんとやらがいない以上、医者を呼ぶしかないだろう?」
「医者がここに来ること自体が問題なのよ。【宝石の花】で何かあって医者が呼ばれた。その事実が、どんな風に形を変えて広がっていくか、想像できる?」
「どんな、って……」
病人が出た、って事実だけでどうなるっていうんだ? 医者に行くことができない程の重病人か怪我人が出た、ってだけだろうに。
「言い方を変えるわ。フィスト、あなた、大量に腹を壊した客が出たっていう食堂にわざわざ食事をしに行きたいと思う?」
「いや、それはさすがに――」
言いかけて、エルカ達の危惧することがようやく分かった。だから、事実が形を変えるなんて言い方をしたのか。
「病気の娼婦がいる娼館、なんて話が出回ったら……風評被害か……」
【宝石の花】は高級娼館らしい。客層もしっかりした連中ばかりだろう。そこには安心して遊べるという信用もあるはずだ。だが、娼婦が病気だなんて噂が流れたら、聞いた人間はどう思うだろうか。性病ではないかと疑われるのは職業柄避けられないだろう。この場合、真実がどうであるかは関係ないのだ。
言いたいことは分かった。分かったが、じゃあ、どうするんだ?
「このまま放置するわけにもいかないだろう」
病気を治すポーションはある。だが、普通のゲームと違って、GAO内には無数の病気があり、それを治すにはその病気に効くポーションが必要だ。病名が特定できなきゃどのポーションを調達すればいいのかすら判断できない。
「リディ、だったか。彼女だけじゃなくて他の娼婦達も病気なんだろう? どんな病気か分からないってことは、何が起きてもおかしくない、ってことだぞ?」
信用と命と、どっちが大事だと言うのは簡単だ。でも俺には、彼女らが支えてきた信用の重みは分からない。これがただのゲームなら、その場のことだけ考えていれば事足りるのかもしれないが、これはGAOだ。ここでの選択は彼女らの今後に必ず影響するはずだ。
「ね、姐さんは……明日に、は……帰っ、てくる……はずだから……」
苦しそうにリディが言った。帰ってくればどうにかなる、って言いたいんだろうか。それまで保つかどうかも分からないのに、それが彼女の選択なのか。
ただ、この病気がここだけの話で終わるとは思えない。住人全員ってことは、伝染病の可能性が高い。ドラードで流行病が広がってるなんて話は聞かないが、ここから広がることも――いや、待てよ。
「ここが休みに入ってから、外に出た奴はいるか? 逆に、来た奴は?」
「誰……も、外出、してない……来た人は……多分、いな……」
「分かった。ありがとう、今は休め」
何とか答えてくれたリディに礼を言って、エルカを見る。
「エルカ、今から全員に確認を取ってくれ。休みに入ってから今までにここへ来た奴がいるかどうか、症状がいつ頃から出たのか、どんな症状が出てるのか、他にも何か気になることがあるなら全部だ。それから1つ部屋を貸してくれ」
「何をするつもり……?」
不安げに尋ねてくるエルカに、GAO公式掲示板を開きながら俺は言った。
「病気の特定だよ」
1階ロビーのすぐ横にある大広間。社交場、なんて言い方をしてたが、本当にそういう役割があるようで、いくつものテーブルと椅子が並んでいた。その1つに座って俺はストレージから本を取り出す。
タイトルは『病症辞典』。以前、アインファスト大書庫で作った写本だ。少なくとも、GAO内で知られている病気のほとんどはこれに載ってるはず。病人達の症状を確認して、こいつから情報を拾う。
その上で、スキルを使って病気を特定する。【診断】というスキルだ。怪我と病気を特定するスキルだが、修得者はほとんどいないとされている。プレイヤーは自分の身に起きている異常をステータス欄で確認できるからだ。
病気のバッドステータスの場合、病名が分からないことも多いが、ステータス欄で病気になったことだけは分かるし、医者に診てもらえば病名も判明して解決策は見つかる。プレイヤーが病気になる状況が割と限定されるから、罹りやすい病気はそれなりに知られているし、それらを事前に知っていれば、罹った時に高確率で病名が判明するのも大きい。
それに一度病気に罹ってそれが何であるのか知ることができれば、同じ病気になった時には自動で病名も判明する。
自分以外のプレイヤーの症状を、スキルを使ってまで知る必要もない。本人に直接確認すればいいのだ。よって、修得する意味がほとんどないとされている。
おまけに修得に必要なSPが5と高い。現在、俺の残りSPは26。【魔力制御】があと1レベルで30になる今、【魔力変換】等を修得するために残しておいたものだ。ここで【診断】を修得するとその計画が狂ってしまうんだが……
「関わった以上、さよならってわけにもいかんよな」
諦めの溜息を吐いて、スキルリストを開き、【診断】を修得する。それから『病症辞典』のページを開いた。
知識系スキルは情報を与えてくれるスキルであるが、全ての情報が分かるわけではない。ただ、蓄えた知識があるとそれだけ詳細が分かりやすくなる、らしい。TRPG風に言うなら、自前の知識の分だけ達成値に加算できるようなのだ。どれだけの足しになるかは未知数だが、やらないよりはマシだろう。
その合間に公式掲示板を確認する。夜華通りのスレがあったので、病気が流行っているという情報があるか質問を投げたのだが、今のところ有力なものはない。夜華通り自体に変わったことはなさそうだ。それにこの手の真面目な話をするスレじゃないから話題が変わりつつある。一応雑談スレにも投げたが、こっちも情報なしか。
「フィスト、できたわよ」
しばらく本を読み込んでいると、エルカが紙を持って大広間に入ってきた。
「ありがとう。どうだった?」
「症状はそれぞれの紙に書いておいたわ。それから、来訪者はいなかったみたい」
紙を受け取って内容を確認する。全部で9枚。これだけ大きな建物なのに、所属してる娼婦はエルカを入れても10人だけなんだな。他の従業員はいないようだ。
「高熱、頭痛、倦怠感、関節痛……同じ……関節痛はなし……これもなし……寒気追加に……」
症状を確認しながら、体調が悪くなった順番に紙を並べ替えていく。一番最初に不調を訴えたのは、一昨日の晩か。そして、それまでに誰も病気を持ち込む余地がないってことは、だ。
「来客が1人もない状態で、ここの住人だけが次々に発症となると、誰かが病気を持っていた、ってことなんだろうな」
「それはあり得ないわ」
それをエルカが即座に否定する。そう言われても、な。
「今のところ、夜華通りはおろかドラード全体でも、広まってる病気の情報はない。よそから入ってきた病気なら、他に感染してる人は必ず出るはずだ」
「でも、休みに入る前に姐さんが全員の健康を確認しているのよ? 何か病気に罹っていたなら、発症していなくても、その時に判明してるわ」
エルカはそう断言した。潜伏期間中の病気もその姐さんは分かるってことか? 【診断】スキルでも持ってるんだろうかその女性。まあ、それはいい。姐さんとやらの診察眼が確かなものだとするなら、それを前提に考えてみるか。
「休業1日目にその姐さんとエルカはここを出たんだったな?」
「ええ。それが6日前よ」
そして、その時点では何もなかったと言うなら、それ以降で彼女らは何かしらの原因に触れたことになる。全員が短期間で病気になっている以上、感染力は高いと予想できるが、それだと外部の感染者がいないのが気になるな。まだ表沙汰になってないだけの可能性もあるが。それとも偶然病気の菌とかが、偶然【宝石の花】だけに飛んできて、偶然ここの人だけが罹患した、ってことか? 病原菌なんてどこにでも漂ってるし、頭おかしいGAO運営なら、そういう仕様にしててもおかしくない……のか? 空気感染の可能性は、否定できないか。突発的に病気に罹るプレイヤーもいるし、な。
咳やくしゃみはないから、飛沫感染ってことはなさそうだ。経口感染はどうだ? これならここの住人だけが一斉に罹患したのも説明が――いや、吐き気や腹痛、下痢を訴えてはいないよな。他に感染の経路ってあったっけ? いや、今は経路よりも特定が先か。
今の症状だけだと、病気の候補が多すぎて特定できそうにないな。
「エルカ、一番最初に症状が出たアンジェラって子の部屋に案内してくれ」
ぶっつけ本番だが、付け焼き刃の知識だけでどうこうするのは無理があったようだ。スキルの性能に期待するしかないか。
案内された部屋も、調度品が違うだけでリディの部屋と同様の造りだった。
寝室のベッドの上で苦しんでいるのは、長い水色の髪をした20歳くらいの女性、アンジェラ。
「全員纏めて、同じ部屋で看病できれば効率がいいんだけどな」
全員が個室であるため、何かあったらいちいち部屋を行き来しなくてはならない。待遇がいいのも考えものだな、と勝手なことを思う。
「フィスト、本当に何とかなるの?」
「正直、分からん」
不安げに聞いてくるエルカに、そう答える。修得したばかりのスキルだから当然レベルは1だ。『病症辞典』の補正が加わったとしても、判明する保証はない。
「やれるだけやってみるさ」
駄目だったら、その時はその時だ。意を決し、スキルの発動を意識する。情報は何も出てこなかった。
もう一度、スキルを行使する。しかし結果は変わらない。スキルが発動していない。知識系スキルが発動した場合、使用者だけに見えるウィンドウが展開されるのに、それが出ない。
「ちょっと待て……」
その理由に思い当たったところで音が聞こえた。ドンドンと、何かを強く叩くような音だ。
「今の、ロビーか?」
「え? あ、玄関を叩く音みたいね……誰かしら? ちょっと見てくるわ」
音が続くのでエルカが寝室を出て行く。あっちは彼女に任せるとして、問題はこっちだ。
スキルは確実に修得している。知識系スキルを使ったら、必ずウィンドウが開く。それが何であるか分からなくても、分からないということが表示される。
ただし、例外がある。例えば魔獣や幻獣に【動物知識】を使っても発動することはない。スキルが対応していないからだ。
なら、今の状況はどうか。俺は【診断】を使った。対象が病気だったら、病名が分からなくても必ず発動だけはするはずだ。それがない、ということは、
「病気じゃない、ってことになるぞ……」
そうなると原因は何だ? 病気以外でこの手の症状が出るものとなると、現時点で可能性があるものは2つ。1つは呪い、もう1つは毒だ。
でも呪いはどうなんだ? GAOの呪術は全く知らないが、エルカに何の被害も出てない以上、呪いだった場合は残り9人の娼婦達それぞれに向けられてることになる。エルカを除外する理由はないだろう。それとも娼館自体が呪いの領域で、一定時間留まることで発動するとか?
逆にこれが毒だったら分かりやすい。ここの住人だけに症状が出て、帰ってきたばかりのエルカが無事なのも納得がいく。ただこれも腑に落ちない点がある。どこから、というのもそうだが、毒なら【調薬】が発動するはずなのに、しないのだ。
「……どうなってるんだか」
更に思考を進めようとしたところでアンジェラが震えた。
「どうした、苦しいか?」
「……い……痛い……」
「痛い……関節か?」
「ち、違……あち、こ……っち、が……」
聞くと、今までにない症状をアンジェラが訴えた。しかも身体中? 確認したいところだが、女性の身体を見たり触ったり、ってのはさすがに……エルカが戻ってから頼むとしようか。今のところ、見える限りの箇所、つまり顔には何も異常は――
「発疹?」
あった。熱のせいで顔が赤くなっているのはともかくとして、頬にいくつか、白っぽい点に見えるものが浮かんでいる。エルカが問診した時には何もなかったはずだ。痛いのはこれか?
待てよ? この症状は確か……いや、でも病気じゃないんだよな。いやいや、だからこそ、か。でもどこで見た? あれは確か――
「フィスト! フィスト、ちょっと来てっ!」
エルカの悲鳴にも似た声が、記憶のサルベージを遮った。何だ? あと少しで思い出せそうだったのに。
仕方なく部屋を出て、ロビーへと移動しながら問いかける。
「どうした、何かあったのか?」
「えーと……お客様よ、フィストに」
一体誰だよ? しかも何で俺がここにいるって知ってるんだ?
ロビーに出て玄関を見る。エルカがいて、その向こうには翠玉色の狼の姿があった。クインか。今日の狩りはもう終わったんだな、ってグッドタイミング!
「クイン、いいところに来た! 頼む、力を貸してくれ!」
駆け寄ってお願いすると、クインは小首を傾げるのだった。