第109話:人攫い
ツキカゲとの温泉行きは、とりあえず延期となった。
ツキカゲが硫黄を入手したいのは火薬を作るために必要だからであるが、火薬が作れないのならばそもそも行く理由が消えるのだ。よって、まずはギルド等で購入した物を使って試作をしてみて、火薬がGAOのシステムに実装されているかを確かめるところから始めるそうだ。火薬が作成可能だと分かった時点で量産のための材料集めに動くという。
そういうわけで、結果が出るまでは俺はフリーとなった。
ログイン110回目。
「ありがとうよ」
ドスのきいた老人の声を背にして俺は建物を出た。薄暗い路地にある、人目につきにくい場所にある集合住宅の一室だ。
ここに来たのは以前入手したアカエイの毒針を売るためだ。狩猟ギルド宛に来ていた依頼にあったもので、教えてもらって持ち込んだ。そこそこの値で売れたので、こちらとしても満足だ。アレがどのような使い方をされるのかは分からないが、室内に銛が何本かあったので、漁に使うんだろうと納得することにする。法的にヤバイ相手だったら狩猟ギルドが取り次ぐわけないしな。それに、こっちのアカエイの食べ方も教えてもらえたし、悪い人ではない。多分。
それはともかく、早々にここから立ち去ろう。ここは夜華通りと呼ばれる花街の一角で、ガラの悪いのが結構多い。ゴロツキに絡まれるのが怖いわけではないし、ドラードで俺にちょっかいを掛けてくる住人はほとんどいないが、どこでどう話が広がったのか、森絹を狙ってくる奴が稀にいる。特にこんな人通りの少ない所だと襲撃されたりもするわけだ。
今のところ【気配察知】に怪しい奴は引っ掛かっていないが、あちらの【隠行】レベルが高ければ当然引っ掛からないので過信は禁物だ。
【聴覚強化】も利用しつつ、裏路地を歩く。しかし、何だ。必要なこととは言え、色街で聞き耳を立てるというのは色々とまずいかもしれない。夜華通りはその名に反して昼も盛況だ。ということは、今も励んでいる人達がいるということなわけで……現代ほど防音がしっかりしてるわけじゃないようで、聞こえてくるわけですよ、ええ……
表に出たら出たで客引きが鬱陶しいんだけど、出歯亀してる気分になるよりは精神衛生的にいいだろう。盗み聞きを出歯亀と言うのが正しいのかは別にして。
最短で表に出ようと決め、路地裏を歩いて行く。時折立っている街娼を無視しながら進み、次の角を曲がればようやく表通りというところで、人がやって来た。
1人はフード付きのマントを纏った旅姿の女性。そして、どう見てもゴロツキにしか見えない4人の男。状況的には、男達が女を攫っているように見える。身体を抱えて奥へ移動しようとしている以上、男共に弁解の余地はなさそうだ。それにしても表通りまですぐそこだってのに、随分と大胆な犯行だな。
「おい、そこの」
声を掛けると男達が足を止めてこちらを見た。下卑た笑みを浮かべていた顔が苛立たしげなものに変わる。
「なんだてめぇは?」
「誘拐現場を目撃した以上、放っておくわけにもいかないだろ」
近付きながら言ってやると、男達は顔を見合わせた後で、ヘッと嗤った。
「これが本当の誘拐なら、な」
「どういうことだ? まさか誘拐じゃないとでも言うつもりか?」
「ああ。何せ、この女が望んだことだからな」
足を止めて問うと、事も無げに男は言った。一方の女の方は、口を塞がれているようでむーむー言っている。
「てめぇのせいで興が削がれることになったが、これも仕事なんでな。無関係な奴はすっこんでろ。いや、それとも、あんたも参加するか? 無関係だからこそ、こいつも満足できるかもな」
訳の分からないことを言いながら、男は色欲の混じった目を女に向けた。何だ、よく分からんな。ただの誘拐じゃないのか?
「その仕事の内容って、何だ?」
「この女を攫って、可愛がってやることだよ。依頼主はこいつ自身だ」
「……は?」
つまり、何だ。狂言誘拐で、プレイの一環ってことか? 見ず知らずの男達に蹂躙されたいとかそういう類の?
ただ、女の方は必死で首を横に振っているようだ。本当に嫌がってるんだろうか。それともそれすら演技なのか。でも多分、前者だろうな。本当にやましい部分がないって言うなら、ここでこいつらが武器に手を掛ける理由がない。
「じゃ、俺も仲間に入れてもらおうか。よく見ると上玉っぽいし。存分に楽しめそうだな」
フードの下から僅かに覗く顔を見て言うと、より一層女が抵抗を始める。悪いな、少しだけ我慢してくれ。
「へへへ、話が早いな」
近付く俺に、男が手を差し出してくる。俺はそれを力を込めて、しかし骨を折らない程度には手加減して握った。苦痛に呻きながらも男がもう一方の手で突き出してきた小剣を避け、膝を相手の鳩尾に叩き込むと、手を離して男達の方へと蹴りつけた。
こちらが反撃したことが信じられなかったのか、男達の動きが止まる。その隙に接近して、それぞれの顎に拳を入れていった。ろくに反応できず、男達が崩れ落ちる。当然、抱えられていた女も落ちた。
覆い被さる形になった男達の下から脱出した女は、警戒を崩そうとせずに俺を睨み付けてくる。
「一応、念のために聞くが。こいつらを雇った覚えは?」
「あるわけないでしょうっ!? 人を変態みたいに言わないでっ!」
「だよな。さっきは不快なこと言って悪かった。怪我はないか? 薬を盛られたとか、身体に異常は?」
見る限りでは普通に動けるようだが確認しておく。
「立てるか?」
「……私をどうするつもりよ?」
差し出した手をちらりと見てから、視線厳しくこちらを見る女。どうする、と言われてもな。
「とりあえず、こいつらをふん縛って巡視中の衛兵に突き出す。お前さんに関しては、事情説明に立ち会ってもらえるならそれ以上の用はない。後は好きにすればいいんじゃないか?」
白昼堂々人攫いをするような奴、放置しておくわけにもいかない。俺だけでもいいだろうが、被害者の証言があった方が確実だ。
女は目を瞬かせた後、表情を緩めた。そのまま俺の手を取ったので立たせてやると、女がフードを脱ぐ。ウェーブの掛かった長い黒髪が現れる。瞳も黒。うむ、美人さんだ。
女はスカートの端をつまみ、一礼した。ん?
「私はエルカと申します。危ないところを助けていただき、ありがとうございました。また、恩人に対しての非礼をお詫びいたします」
何というか、様になってる。口調まで変わったし。恰好は町民の旅姿だけど、お忍びの高貴な血筋とかか? いや、それにしたって護衛がまったくいないってことはあり得ないか。何者だ?
「何か?」
「いや、別に。それよりこれを片付けるのが先だ」
エルカと名乗った女にそう言って、石畳に転がって呻いているゴロツキを完全に無力化するために【空間収納】からロープを取り出す。とりあえず武器は取り上げて、っと。簡単にボディチェックをしてみるが、隠し持ってる武器もなさそうだな。
それから【気配察知】で周囲を探る。他に隠れてるこいつらの仲間がいる、って感じもなさそうだ。
後ろ手にして、足も一緒に縛っておくか。衛兵さんが来るまでは身動きできないようにしておくのがよさそうだ。
「で、どうしてこうなった?」
いくら夜華通りのガラが悪いと言っても、真っ昼間から人攫いが出るような場所じゃなかったはずだ。何か事情があるんじゃないかと思って、男達を縛りながら聞いてみる。
「どうして、と言われましても……通りを歩いていたら突然路地へと突き飛ばされまして。そこに待ち構えていたこの男達に捕まり、そのまま運ばれていたところで貴方様が」
「その、突き飛ばした男はこいつらの中にいるか?」
「いいえ、いません」
「それって、まだ仲間がいるってことだよな」
通りから路地まで突き飛ばされるとか、偶然じゃあり得ないだろ。てことは最初からエルカをどうにかするつもりで突き飛ばしたってことだ。
「心当たりは?」
「ありません」
手掛かりなしか。まあ、それは俺が知ったところでどうなるものでもないな。
縛り終えた男共を壁際に転がして、【空間収納】から椅子を出し、エルカの前に置く。
「座ってろ。右足、痛むんだろ?」
多分、突き飛ばされた時に挫いたんだろう。さっき一礼した時に、ほんの一瞬だけ表情が動いたのだ。
「あと、口調も戻していいぞ。今のが素だって言うなら別だけど」
「私もまだ未熟ってことかしらね……」
溜息をつき、口調を戻したエルカが勧めた椅子に座った。
「顔に出てた?」
「ほんの一瞬な。で、足の方はどうする? 放っておいたら多分、痛みが増すぞ。一応、ポーションも貼り薬も持ってるから、使っておくか?」
挫いたのをそのままにしとくと酷くなるからな。骨折やヒビまでいってたらお手上げだが。とりあえずの応急処置だ。異常がないかどうかは後で医者にでも診てもらえばいい。ん、そういや捻挫ってポーションで治せるんだろうか?
「大丈夫、と言いたいところだけど、今は持ち合わせがないの。貼り薬をお願い。冷やせる方」
「分かった」
【空間収納】から薬箱を取り出す。これはGAO内の『即効性のない普通の薬』だけを入れたもので、【調薬】のスキル上げのために作ったものが入っている。以前、コーネルさんが言ってたことが気になったので、別に確保しておいたのだ。えーっと、貼り薬は、と。
「でもあなた、随分とお人好しね。初対面の人間に対して、普通ここまでする?」
からかうようにエルカが言った。まあ、現実だとここまでしない。というか、できないしな。薬なんて常備してないし。でもGAOじゃ違う。
「下心がある、と言ったら信じるか?」
「信じないわ。人を見る目には自信があるの」
手を止めてニヤリと笑いながら言ってやると、あっさりと返された。眼差しも声も真剣そのもので、さっきのからかい口調が嘘のようだ。で、ガチで返されると、その、困る。
言葉が出なかったので作業に戻った。クスリと笑う声がエルカから漏れたのが聞こえる。
「ほい、貼り薬」
リアルで言うところの冷湿布は、こっちでは軟膏と幅の広い葉を持つ薬草の組み合わせだ。普通はその場で軟膏と葉を組み合わせるんだが、【空間収納】に入っている限り劣化もしないので、すぐ使えるようにしてあった。
それを受け取ったエルカは靴を脱ぎ、腫れ始めていた部分に貼り薬を貼り、自分の荷物から取り出した布で固定し始めた。あれ、包帯か。
「手際がいいな」
「淑女の嗜みよ」
あっという間に固定を終えるエルカ。そういう仕事でもしてるんだろうか。
「それじゃ、衛兵さんに声を掛けるか」
昼間でもこの辺りは巡回中の衛兵さんがいたはずだ。クインがいればエルカの護衛を任せて呼びに行くんだが、今は単独で狩りをしてるはずだ。エルカとゴロツキ共を放置して俺がここを離れるわけにはいかない。
早い方がいいということで、通りかかった人に駄賃を渡して衛兵さん達を呼んでもらった。
駆けつけた衛兵さん達に事情を話し、無事にゴロツキ共を引き渡す。それから、まだ仲間がいることも付け加えておいた。巡回の強化を検討する、とのことだ。
「お世話になったわね」
「ま、なりゆきだ。気にすることはない」
「と、言われてもね。軽く言うけど、私にとっては重大事だったのよ?」
エルカの言いたいことは分かるが、偶然居合わせたから対処しただけだし。あんまり感謝されるのもなぁ。
「そういうわけで、もう少し付き合ってもらえないかしら?」
周囲を気にしながらエルカが言った。
「帰るまでにまた同じ事があったら、今度こそ終わりだわ。何より、お礼もしないまま帰すのも、人としてどうかと思うし。せめてお茶くらいは御馳走させて?」
さっきのが場当たり的なものでないのであれば、残党がいる現状だとまた襲われる可能性もあるか。衛兵さん達だってエルカにずっと張りついてるわけにもいかんし。
「じゃ、家まで送るよ。足の方は大丈夫か?」
「ええ、貼り薬が効いてるわ。いい薬屋を知ってるのね」
自作なんだけどな。ま、いいか。
助けた以上、最後まで責任を持って送り届けるとしましょうか。