第105話:潮干狩2
2015/8/31 一部修正
それは何とも奇妙なカニだった。
身体の形はガザミに近い。脚は太いが長くはない。鋏は左右同じ大きさで、伸ばせば2メートルはあるだろうか。正面から見ると鋏の幅も含めて大体4メートルくらいの大きさに見える。
そんな大型のカニが、鋏を構えて正面を向いたまま真っ直ぐに突っ込んでくる。その速度はかなりのものだ。イノシシの全力疾走にも負けてない。まるでトラックが突っ込んでくるようなプレッシャーだ。
「色々とおかしいだろお前っ!」
このままでは轢き殺されそうなので横へと移動しながら叫ぶ。しかしロックシェルフクラブは俺を獲物と定めたのか、軌道を修正して追ってくる。くそっ、足元が砂地だと走りにくいっ!
一方、ロックシェルフクラブは――ええい言いにくい! もうカニでいいや! カニはその多脚を巧みに使って追ってくる。というか、リアルのカニと関節の可動範囲が違いませんかねっ!? いや、だから真正面に高速移動なんてできるのか。よく見たら脚の位置とかも微妙に違う。
程なくカニは俺を攻撃範囲に捉え、その鋏を『突き出して』きた。捕らえようとしたんじゃない。突き殺そうとしてきやがった。その証拠にその鋏は閉じられたままだ。
ガントレットを装備していないことを思い出し、慌てて【魔力撃】を発動させた腕で受け流す。俺の顔を狙っていた鋏が、頬を掠めて通り過ぎた。
「重っ!?」
速く、強烈な一撃。受け流せたのもギリギリだった。こりゃまずい。あれの直撃を受けたら首から上なんて吹き飛ぶぞ!?
斜め後ろから狼の咆哮が聞こえると同時、カニの身体が浮いて奥に流れた。クインのブレスだ。あの巨体を動かすとはかなりの威力が出てるようだが、ダメージが入った様子はない。着地と同時、平然とこちらへ向かってくる。
2つの鋏を交互に繰り出してくるカニ。砂に足を取られながらも回避に専念する。が、避けるだけじゃジリ貧だ。攻撃に転じないと勝てない。
右拳を強く握り、【強化魔力撃】を2重掛けする。そして繰り出された鋏が伸びきったところを狙って拳を叩き込んだ。強打と魔力爆発が鋏を弾き飛ばすが、もう片方の鋏が迫ってきたので後ろに跳んで躱す。
「2重掛けじゃ弱いのか」
殴った部分を見ると、攻撃の痕跡は認められたが、殻が砕けた様子はない。相当硬い殻というのもあるが、衝撃が散ったような感触もあった。これって防具素材に使えないだろうか。
「そんなことより肉だ肉!」
食えない殻より食える肉! 優先順位を間違えてはいけない!
迫る鋏を跳躍して避ける。そのままカニの頭上を飛び越えて背後に回り込んだ。しかしカニは片側の脚を砂地に突き刺し、もう片側の脚で砂を蹴り、コンパスを回すような機動でこちらへと向き直る。こいつ本当にカニか? カニの殻を被ったレ○バーとかじゃないのか?
「魔法系スキルだと簡単にダメージ通るんだろうけどな」
生憎と俺が使える魔法スキルは【精霊魔法】だけで、今この場でカニに有効であろう精霊の姿はない。
「だったら狙いは!」
砂を蹴って前に出る。当然カニは鋏を繰り出してきた。【強化魔力撃】を右拳に起動し、かいくぐった鋏に拳を突き込む。魔力の杭が関節部分を穿ち、貫くと、千切れた鋏が宙を舞った。
横から迫るもう一方の鋏を躱し、更に間合いを詰めると【強化魔力撃】を込めた蹴りを見舞った。魔力爆発で身体がひっくり返るようにのけ反ると、甲羅よりも脆いと思われた腹部が弾けたのが見えた。
だが倒れない。動きは多少鈍ったが、俺を狙うことを諦めた様子はない。
ただ、腹部が弱点なのは確かなようなので、そこを重点的に狙っていこうか。
カニの身体が再び手前へと傾き、そのまま砂へと伏す。他の脚がしばらく痙攣するように動いていたが、やがてそれも止まった。
「うっし、カニ肉ゲットっ!」
思わずガッツポーズをする。なかなか手強い相手だった。しかしここ、潮干狩にはいい場所だと思うんだが、住人が1人もいないってことは、こいつが出没するからだったんだろうか?
さて、カニだが。甲羅がすごいな。藻に覆われた甲羅は岩そのものだ。しかし形状といい、大型の盾に見えなくもない。このまま甲羅を剥いで裏側に持ち手を着けたらそのまま盾として使えるんじゃなかろうか。そのためには甲羅を覆ってる藻を取り除いたりしないと駄目なんだろうけど。
「待てよ、藻、だよな」
黒々とした藻を見ていると情報が出てきた。蟹海苔、とな? おおっ、海苔か! まさか蟹の甲羅で育ってるとは思わなかったが、これで板海苔とか作れるかな? おにぎりとパリパリの海苔の組み合わせとか最高だろ! 米はないけど麦飯のおにぎりでもいいし!
しかし待て。カニの鮮度を考えるとどう処理したものか。海苔って水気がある内に収穫するのがいいんだろうか。乾いた後でも大丈夫か?
よし、カニ本体はストレージに入れよう。で、狩猟ギルドの作業場を借りて収穫しよう。余ったカニ肉は売ってもいいし。甲羅の値段とかも確認したい。
記念のスクショを撮ってストレージに入れてから、残った1メートルを超える鋏を前にどうやって食うかを考える。見た目がガザミだから塩茹でだろうか。でもこれだけでかいと刺身もいけるだろうか。
まずは甲羅を割るところからだ。ガンガン殴ってもなかなか割れそうにないので、まずは刃物で筋を入れる。硬くて大変だがなるべく深めに真っ直ぐに。それから鉄杭を取り出して筋に当て、ハンマーで杭を打ち込んでいく。気分は石材の切り出しだ。
何本か打ち込んだところでパキッと割れた。そこに杭を突っ込んで強引にこじ開けると身が姿を現す。うむ、カニだな。少し赤みがかった半透明の肉がそこにある。
適当な大きさに切って海水でざっと洗う。本当は氷水に入れて洗いにするらしいけど、そんなものはここにないので仕方ない。【魔力変換】が修得できるようになったら冷気も修得してやろうか。手軽に氷が作れるし。
さて、どんな味がするかね、と。
む? むむ……うむ。プリプリした食感とほのかな甘み。こりゃあれだ。ズワイガニだな。外見ガザミで中身はズワイか。いや、美味いからいいけど。というか、これだけ大ぶりのカニなんて、リアルじゃ食えん。一口で食い切れないカニの刺身なんて庶民の俺には贅沢すぎる。
クインにも分けてやりつつ、鋏を見る。ズワイガニだと分かれば、当然、試さなくてはならない。
かまどの金網に割った殻を載せ、その上に身を置いて焼く。それから鍋に水を入れて湯を沸かす。本当なら鋏ごと茹でることができればいいんだが、この大きさじゃ鍋が小さくて無理なので、身だけを茹でよう。このサイズの獲物を調理できる大鍋を特注するべきかもしれない。給食を作る時に使うような業務用サイズだ。最低でもロックシェルフクラブの鋏を丸ごと茹でられるようなやつを。【空間収納】があるから持ち運びに不便もないし。
「ま、それは先の話だな」
焼きガニと茹でガニの準備を続けつつ、俺は生のカニを山葵醤油につけてかぶりつく。うん、美味し。でも個人的には茹でたり焼いたりした方が好みではあるんだよな。寿司ネタのエビも、生より茹でた方が好きだったりする。
湯が沸いたのでカニを投入。焼いてる方もそろそろいいかな。いい匂いが漂ってきてる。
身の色は白く変わっていた。うん、カニだ。殻を取り上げ、身を口に運ぶ。カニ! と強く訴えてくる独特の味わいが口いっぱいに広がった。これだよこれ! 味もそうだが口の中でほどけていくカニ肉の食感がまたいい!
柑橘の果汁をほんのちょっとだけ垂らしてもう一口。うん、これもいいな。
クインも美味そうに食っている。彼女は生より焼いたのをそのままいくのが気に入ったみたいだな。
よし、次は茹でたのだ。
茹でガニも大変美味しゅう御座いました。というかカニ美味ぇ。追加で脚を1本食べてしまうくらいに。いや、食った食った。これだけでもリアルでの一生分は食った気がする。
で、残ったカニは狩猟ギルドに持ち込んでみた。
「こりゃまた、よく狩ったな」
作業場にカニを出すと、たまたま外から帰ってきたヨルグさんが感心したような声を漏らした。
「どこで狩った?」
「街から東に行った浜です。潮が引いたら広い砂地になる所があるでしょう?」
「ああ、やっぱりあそこか。あそこは大ぶりの貝が獲れるんだが、こいつらの活動範囲でな。普通の漁師達には危険で手が出せん場所なんだ」
ああ、手を着けられないから、それだけ貝も成長できるってことか。
「これってサイズ的には普通ですかね?」
「そうだな。成体には違いないが、もっと大きな個体が水揚げされたこともある」
「それはそれは……」
これより大物のカニとなると、何人分だろうか。今度また貝を獲りに行った時に出てきてくれないだろうか。こういうのがいると分かっていれば、警戒もできるし対処も容易だ。むしろ襲ってきてくれると嬉しい。
「で、今日はこいつを卸してくれるのか?」
「はい。ところでこいつの殻って何に利用するんですか?」
確か、甲羅なんかは買い取りリストに載ってたはずだ。どう利用するのか、というところだが。
「甲羅は軍艦の装甲やそのまま盾に加工することが多い。手入れに難があるが、鉄のように硬いのに軽いのが利点だ。ドラードは海上戦力も持っているから需要はそれなりにある」
へぇ、軍用か。それに盾にするってことは他の防具にすることもできるかな。つまりカニアーマー。小林多喜二? いいえ、井伏鱒二です。
まぁそれは置いといて。
「殻って、魔鋼と比べたらどうなんでしょう?」
「強度は魔鋼が上、軽さは殻が上だ。防具として考える場合、どちらを重視するかは人それぞれだが、手入れが簡単なのは魔鋼の方だな」
ふむ、今の装備に手を加える必要はなさそうだな。ただ素材としては面白そうだから、後でシザーに連絡取ってみようか。俺が食った分の殻は確保してある。海で活動するプレイヤーにはいい防具素材になるかもしれないし。
「そして身は当然、食用だ。こいつで利用できるのはそれくらいだな」
「中身は食べないんですか?」
「中身? 当然、身体の内側の肉も食べるぞ」
ヨルグさんの不思議そうな顔。あれ?
「じゃあ甲羅の海苔はどうです?」
「海苔? あんなもの誰も食わんぞ」
カニ味噌も海苔もGAOじゃ食わないのか? それとも食えないんだろうか? カニ味噌は俺は特に好きじゃないからいいんだけど、海苔は試しておきたい。
「ヨルグさん、ちょっと待ってください。蟹海苔、全部回収しますから」
「あれを食うのか?」
「ええ。別に食えないものじゃないんですよね?」
「そんなことを試した奴の話は聞かんな」
「俺の故郷じゃあれを食べるんですよ。だからこっちのも試してみたいんです」
「そうか……腹を壊しても知らんぞ?」
奇異なモノを見る目をヨルグさんは向けてきた。あ、そういや海苔って日本人しか消化できないって話を聞いたことあるけど、GAOだとどうなんだろうか。排泄自体がないから別に気にしなくていいんだけどさ。
まあいいや、そんなことより海苔の収穫だ。で、いつか板海苔を作ろう。目指せ、おにぎり!