遣らずの雨
僕が幼い頃から、彼女は梅雨の季節になると必ず現れた。
長く艶のある灰色の髪と透き通るような肌を持ち、真っ白なワンピースを着た少女だ。僕が歳を重ねようとも、彼女はずっと同じ姿のままだった。
しかし、その姿は僕以外の人間にはどうやら見えてはいないようで、しょっちゅう彼女は雨の中で退屈そうにベンチに腰掛け、どこか退屈そうに裸足の足をぶらぶらさせていた。
僕はこの少女のことを、生まれてから十二年間、誰にも話したことはない。なので、彼女の正体が一体何なのか、全く見当がつかないのだ。
そして、今年も彼女は7月上旬の重たい空の下に姿を現した。
去年より、いくらか遅れた登場だった。今年はなかなか姿を見せないので少し心配していたのだ。
初めて見つけた時と何も変わらない、そのままの姿だった。
彼女はこの日もまた、しとしとと降る雨の中、通りの端に設置された木製の白いベンチに座って、足早に通り過ぎる人々をぼんやりと眺めていた。
彼女は傘を持っていないが、決して雨に濡れることはない。
空から降ってきた雨粒は、すべて彼女の体をすり抜けて地面へと落ちてゆくのだ。それはなんとも不思議な光景だった。
道の真ん中で、僕は傘をさした状態で暫く彼女の方を見ていた。
今までなら、それだけでその場を後にしていた。なんだか少し恐ろしくて、今まで彼女に声をかけることはなかったのだ。
しかし、この日は何故か違っていた。
何を思ったのか、僕は自分以外の誰にも見えていない不可思議な少女の隣に立ち、勇気を振り絞って声をかけたのだ。
「やあ、今年も来たんだね」
僕がそう言うと、彼女は少しびっくりした様子で僕の顔を見上げた。
「毎年、来てるんだよね。今みたいな、梅雨の季節に」
通り過ぎてゆく人々がおかしな目で僕を見る。それでも僕は構わず続けた。
「今年は、随分遅かったみたいだけど」
僕がそう言うと、彼女はクスッと笑って軽やかにベンチから飛び降りた。
そして嬉しげな顔をしてタッと駆け出した。
「ま、待って……!」
僕が呼び止めると、彼女はまたクスッと笑って立ち止まりひらひらと手招きをした。
ついて来いと言っているようだった。
だが彼女の足は異様に速く、僕は追いかけるのに苦労した。そんな僕の様子を見るのが面白いのか、彼女はやけに楽しそうににこにこしていた。
誰もいない路地裏を抜け、丘の上の小さな公園を突っ切り、狭い石段を駆け上がり、山の中へと入ってゆく。
塗装の落ちた鳥居をくぐり抜けると、古めかしい小さな神社にたどり着いた。
一箇所だけ周りの木が綺麗に切り倒された奇妙な場所だった。晴れてさえいればよく日が当たることだろう。僕がそう思った時だった。
雲の切れ間から、うっすらと太陽の光が差し込んだのだ。
彼女はそれを見ると、今度は少し寂しそうに微笑んだ。
「ねえ、君って、その……何?」
僕がそう尋ねると、彼女は寂しそうな笑みを浮かべたまますっと空を指差した。
そして言ったのだ。
「最後にまたこの町に来てみて良かった」
「最後? これからどこに行くの?」
「また、次の場所へ行く。私はね、流れるためにいる。ずっと同じ場所にいる必要がないからよ」
そう言うと、すうっと空に吸い込まれるようにして消えていった。
「向こうでもまた、私が見える人に会えたらいいな」
最後にそう言い残した。どこか遠くで蝉の音がしていた。
「なんだ。梅雨、もう終わるのか……」
僕は一人呟いた。