真夏の座敷
私の体は仰向けの状態で、ゆっくりと流されていた。
透き通った鉛色の川の上に、一人静かに浮かんでいる。
上を見上げれば、蒼い空を覆う、深い翠の木々。私はそれを、ただぼうっと見つめていた。
すると突然、目の前が真っ白に光り、私は夢の世界から元の世界に連れ戻されてしまったような感覚に陥った。
少し背中が痛い。自分の周りをよく見てみると、家の畳の上で寝ていたことがわかった。
なんだ、夢を見ていたのか。
外からは、蝉の鳴き声に混じって、風鈴の音が聞こえてくる。私は不規則に鳴る風鈴の音が好きだ。
私はまた目を閉じた。私の瞼が心地良い真っ暗な闇を作り出す。だが、ふと妙なことに気がついた。
私の家に風鈴なんて、ない。
ではここは一体どこなのだろう。私はまた瞼を持ち上げると、家の中を歩いてまわってみた。
いつもと同じだ。何も変わらない。初めはそう思った。しかし、玄関のところまで来て、その考えは一瞬にして打ち砕かれた。
金魚鉢。
丸く美しい曲線を描き、縁は夏の空よりもずっと蒼い。こんなものは私の家にはない。なのに当たり前のように置かれている。
金魚鉢の中にはもちろん金魚がいた。小さくて、鮮やかな色の小赤だった。
小赤は丸い鉢の中をひとり寂しそうに泳いでいる。
これは、もしかしたら……
私はその寂しそうな小赤の泳ぎに見覚えがあった。
十年前の金魚すくい。
おそらくその時のものではないか。
その瞬間、私の中に不思議な感覚がどっと入り込んできた。私はたまらなくなり、急いで風鈴のある部屋へと戻った。
やっぱり、そうだ。
ほかの部屋も慎重に見て回る。この家には、存在するはずのものがなく、存在しないはずのものがある。
存在するはずの薄型テレビがなく、存在しないはずの三面鏡がある。
存在しないはずの揺り椅子があり、存在するはずのソファがない。
あの風鈴だって、私が幼い頃にあった風鈴だ。
間違いない。あの頃に帰ってきたのだ。
私は思った。何故か、それ以上は何も考えられなかった。
外からは相変わらず蝉の声と風鈴の音。そして微かに川の流れる音も聞こえてくる。ここから川のある場所は少し離れていて、川の音は普段聞こえないはずなのだが……
何か足りない。
この世界には決定的に欠けているものがある。
何かが足りない。
もしやそれは、あるはずの音なのか。それがないせいで、川の音が聞こえているのか。
私の中に、今度は不安と呼べるような、じっとりとした感触がなだれ込んできた。背筋がぞくりとする。
どうして、ここには誰もいないのだろうか?
まさか、私は誰もいないあの頃にひとり帰ってきているのか。
いや、それともその考え自体間違いで、あの頃に帰ってきてなどいないのか。
だとしたら、ここは一体どこだ。
川の音がさっきよりもはっきりと聞こえてくる。夏だというのに、なんだか手足も冷たく痛い。とても冷たい。
あれは夢なんかじゃなかったのか。
そうか。何もかも始めから、すべて現実だったのか。
そう思った時には、もう手遅れだった。