約束の演奏
その演奏を聴いた瞬間、観客で一杯のホールが一瞬で静まり返りました。控え室でその演奏を聞いていた私自身、思わずモニターを見直したくらいでした。
「すごい……」
隣にいた子が思わずそう呟くのが聞こえました。ですが、私は呆然としてただモニターを見ているだけでした。
モニターの向こうで、雛子は手に持ったバイオリンを操り、聴衆を虜にするすばらしい音色を奏でていました。肩にかかるくらいの黒髪をゆらし、お世辞にも高いとはいえない身長で、どちらかといえば中学生でも十分通用する眼鏡っ子というのが一見したところの雛子の姿です。ですが、その演奏はその姿からは想像もできないほどのものだったのです。
私は思わず控え室から飛び出し、ホールに向かいました。ホールに通じる重いドアを開け中に入ると、その瞬間に雛子が奏でる音色が全身を覆いつくしました。私は思わずその場に立ち尽くしました。雛子の表情を見ると、私を含めた他の参加者とはまったく違っています。彼女は微笑さえ浮かべていました。なんとなくですが、楽しみながら演奏している、そういう感じさえ受けるのです。
そのまま何分たったでしょうか。唐突に演奏は終わりました。ホールは一瞬痛いほどの沈黙に支配されましたが、雛子が頭を下げると同時に割れんばかりの拍手が会場に響き渡りました。
私はショックのあまりそのまま呆然と突っ立っていました。雛子は笑顔で拍手に答えていましたが、私の姿を認めると、どうだいとでも言わんばかりに、得意そうな笑みを私にだけわかるように送りました。私はその瞬間に初めて呪縛から開放され、心の底からの拍手を彼女に送りました。彼女は今度は照れたような笑みを浮かべると、ステージの横へ下がっていきました。
一九八五年八月当時、私こと安野恵美は光蘭女学院という東京の名門女子高校の二年生でした。私は、元々は大阪の生まれで、父の転勤の都合でその年の四月からこの学校に通っていたのでした。
ぱっと見て何のとりえもない私が唯一人に自慢できていたのが、バイオリンの演奏でした。両親の方針で幼少からバイオリンを習っていた私は、小学生のころからコンクールに出場し始め、中学生のころになると府内でそれなりの賞をもらえるようになっていました。
その経歴から大阪市内の音楽科がある高校に推薦入学した私でしたが、その高校で鳥浜雛子と出会ったのです。雛子は外見と裏腹に根っからの難波っ子で、非常に明るいムードメーカー的なポジションの子でした。しかし、それでいながらバイオリンの腕は一級で、同じ種類のバイオリンを使っていたこともあってか、いつしか私は彼女をライバル視するようになっていました。しかし、どんなに頑張っても彼女に一歩追いつけないのです。焦った私は練習時間を増やし、彼女に勝てるよう必死に練習しました。でも追いつけないのです。私は絶望に包まれ、いつしか他の同級生たちよりも演奏が劣っていると感じるようになりました。
そんな無理がたたったためでしょうか。ある日、私は演奏中に意識を失って倒れました。原因は過労でした。そのまま病院に検査入院し、あまりの悔しさに唇をかみ締めていたとき、突然雛子がひょっこりとお見舞いにやってきたのです。
「大変やったなぁ。もう平気か?」
雛子はそう言いながら、楽しそうに最近の学校の様子を話すのです。一方的にライバル視しておいてなんですが、私は雛子とそれほど面識があるとは思っていませんでした。だからお見舞いに来てくれたことそのものが驚きなのですが、私は雛子が私のように苦しんだ様子がないのに改めて驚きを感じていました。
「どうして……どうして追いつけないの……あなたと私、何が違うの?」
私は思わずそう呟きました。雛子はしばらく考えていましたが、
「うちはなぁ、音楽は楽しむもんやと思ってるんや。やから、わざわざ苦しんでまでやろうとは思ってへん。うちは、ただ楽しんでやってるだけや」
その一言は、私の今までの価値観を打ち砕くのに十分すぎるものでした。
「そら、練習はもちろんするで。でも、倒れるまでやろうとは思ってへん。うちは、ただ音楽をやってるだけや。ほら、音楽って『音で楽しむ』って書くやろ」
私は何かで頭を殴られた思いでした。音で楽しむ……そんな音楽の基本も忘れてしまっていた私が怖くなったのです。
「うちなぁ、安野さんのこと、少し気にしてたんよ。何や躍起になって練習してるし、ぜんぜん楽しんでへん。音楽やってる意味あるんかいなって思って」
呆然としている私でしたが、雛子はそれを知ってか知らずかしばらく話し続けた後、病室を後にしました。
「退院したら、一緒に遊ばへんか。たまには息抜きも必要や」
そう言い残して。
それ以降、私と雛子はなんとなく親友になりました。私も楽しみながら音楽をやるように心がけ、バイオリンの腕でも、以前よりはるかに上達したように感じるようになりました。いつしか、私は雛子のことを「ヒナ」、雛子は私のことを「メグ」と軽く呼ぶようになっていました。
私が父の転勤で東京に引っ越すことになった際も、雛子はニカッと笑って、
「そやったら、うちはコンクールの近畿ブロックで優勝して、メグのいる東京に絶対行ったる。そやから、メグも出れるように頑張るんやで」
と別れの言葉を送りました。
そして、この年の八月の頭になって、急に雛子から電話があったのです。
「メグ、約束守ったで。そっちのコンクールに出られることになったんや」
そのコンクールは、おりしも私も出場することになっていたものでした。それを伝えると、雛子は向こうで無邪気に喜び、
「せっかくの東京や。コンクールの後で案内してや」
と、言いました。その結果、コンクールの後、他のメンバーは先に帰って彼女だけ東京に残り、私の家に一泊することになりました。
そして、私はそのコンクールで、先のような衝撃を味わうことになったのです。
「メグ! 久しぶりやなぁ!」
ホールの入り口で待っていると、向こうから雛子が駆けて来ました。半年ぶりですが、ほとんど変わっていません。
「ヒナも元気そうね」
私はそう答えます。
「ほんで、これからどうする?」
「そうね……」
コンクールが予想以上に長引いたせいですでに夕方近く、これからどこかの名所に行っても間に合いそうにありません。そこで、私は夕焼けを見に、近くの多摩川の河川敷に雛子を誘いました。
「ええなぁ。東京の夕焼けっていうのもまた乙なもんや」
雛子はそう言って、笑みを浮かべました。
多摩川の河川敷に出ると、すでに真っ赤な夕焼けが川を赤く染めていました。真夏の河川敷には、多くのトンボが飛び交い、また、何匹もの鴨が涼みに来ています。
「きれいやなぁ」
雛子が感嘆の声を上げました。
「でも、ヒナの演奏のほうがすごいよ」
私は、そこでずっと言いそびれていた雛子の演奏に対する感想を言いました。雛子は照れたように頭をかきながら、
「メグに会うために頑張ったんや。ちょっとは感謝しいや」
「はいはい」
そう私が答えると、雛子はクスクス小さく笑いました。私もそれに釣られて思わず小さな笑い声を上げます。
と、多摩川の河口付近にある羽田空港から一機のジャンボ機が轟音を上げながら離陸しました。その音を聞いて、涼んでいた何十匹の鴨たちが一斉に飛び立ち、夕焼けの中、ジャンボ機に追いすがるように空高く舞い上がっていきます。
「ええなぁ、鳥は自由に空を飛べて」
雛子がうらやましそうに呟きます。
「うちかて『鳥浜』って名字なんやで。空くらい飛べたってええやん」
「無理言わないの」
私はまだ少し笑いながら彼女に返答しました。
「なぁ、メグ。メグには、夢ってある?」
急に雛子はそのような質問をしてきました。
「どうしたの、急に?」
「うちの夢はなぁ、この空の向こうにある世界を見ることなんや」
雛子は目をキラキラさせながら言いました。
「この空の向こうにはうちらの知らんような国が一杯ある。そんな国に行って、この演奏を聞かせたい。それで、この楽しさを一緒に分かち合いたい。それがうちの夢や」
そして、私を振り返りました。
「メグの夢は何なんや?」
「私? 私は、とりあえず今は音楽の先生になりたいって思ってる」
「先生か」
「うん。ヒナと方向性は違うけど、私も音楽の楽しさを伝えたいって思ってるんだ」
「ふーん」
雛子は空を見上げました。いつの間にかジャンボ機も鴨の大群も見えなくなり、うっすらと星が浮かび始めています。
「お互い、夢がかなうとええな」
「うん」
そのまま、私たちは河川敷に座り続けていました。
翌日、私と雛子は都内観光を終え、十七時ごろには羽田空港にいました。
「見送りなんていらへんのに」
私は、この後個人的に通っているバイオリンのレッスンがあったので、自分のバイオリンを持ちながらの観光でした。
「いいの。時間ならあるし」
私はそう言いました。本当は、このまま雛子と別れるのがとても残念で仕方がなかったのです。
「今度はいつ会えそう?」
「そうやなぁ、ちょっとわからへんな。もしかしたら、当分会えへんかも知れへんし」
そう言いながら、雛子はしばらく考えていましたが、急に目を輝かせました。
「そうや!」
そう言うと、急に自分の手に持っていたバイオリンを私に押し付け、代わりに私のバイオリンを手に持ちました。
「約束しよう。今度会うときはたくさんのお客さんがいる演奏会や。そこで二人で演奏した後、このバイオリンを互いに返す。どうやろ。バイオリンの型は一緒やから、支障はないはずやし」
私は少し戸惑いました。
「それまで、互いのバイオリンが互いの相棒や。ええか、これは借りてるだけや。絶対返さんとあかん。絶対コンクールで会うんや」
雛子は生き生きとした表情で言います。私はしばらく考えましたが、やがて面白い考えだと思い、
「いいよ。絶対返してね」
「当たり前や。うちは約束は守るんや」
雛子は満面の笑みを浮かべました。
『日本航空一二三便、搭乗手続きを開始します』
と、不意にそんなアナウンスが空港内に流れました。
「うちの飛行機や。ほな、行くわ」
「うん」
雛子は私のバイオリンを抱えながら、手を振りました。
「絶対また会おうな!」
「約束だよ!」
雛子は何度も手を振りながら、人ごみの向こうに消えていきました。
私は、このまま帰るのが何かもったいなく思い、彼女のバイオリンを持ったまま、空港の展望台に出ました。お盆の帰宅ラッシュや夕方のラッシュアワーで、空港にいる人の数もとても多いです。
十八時を過ぎ、雛子が乗ったジャンボ機がゆっくりと滑走路に移動しました。そして、そのまま一気に滑走路を走り抜け、宙に浮かびます。私は展望台から必死に手を振りました。飛行機は見る見る上昇を続け、それを追いかけるように、何羽かのユリカモメが空を飛んでいます。
やがて、飛行機は完全に空の彼方に消えてしまいました。
「約束だよ……」
私はさっき雛子にかけた言葉をもう一度呟き、展望台を後にしました。
時は、一九八五年八月十二日午後十八時十二分。この時は、まさかこれが雛子との今生の別れになるなどとは、まったく考えていませんでした。
雛子の乗ったジャンボ機が火を噴いたのは、この十二分後の十八時二十四分のことでした。
世に言う、「日本航空一二三便御巣鷹山墜落事故」が発生したのです。
私は羽田空港を去った後、バイオリンのレッスンを終え、深夜に帰宅しテレビを見る間もなく寝てしまったので、事故のことを知ったのは翌日の朝のニュースになります。この時点では墜落地点がどこなのかはっきりしていなかったので、一二三便が行方不明であるとしか報道されていなかったのですが、それでも私は、雛子が乗った飛行機が「日本航空一二三便」であることを空港でのアナウンスから知っていましたので、非常に動揺したのを覚えています。食い入るようにニュースを見ていると、やがて一二三便が群馬県多野郡上野村御巣鷹山の尾根で大破して発見されたという情報が入り、そのうち山麓でバラバラになった機体の映像が流れ始めました。
その後かなりたってからの情報になりますが、一二三便はスモークサインが消えた直後……すなわち私が羽田空港からの帰路についていたころの十八時二十四分に突然尾翼付近で異常な衝撃音が発生し、操縦不能に陥った末、相模湾から富士山、山梨県、埼玉県と迷走。十八時五十六分ごろに群馬県と長野県の県境にある御巣鷹山に墜落したとのことでした。異常発生から墜落まで三十分以上あり、その間機内の雛子ら乗客が味わった恐怖を思い浮かべると鳥肌が立ちます。
最終的に四人が救助されたのですが、乗客乗員五二四名中五二〇名が死亡するという単独機としては世界航空史上最悪の事故となりました。そして、ニュースで流れたその五二〇名の名簿の中に「鳥浜雛子」の名が出たのは、八月十三日の夜遅くでした。その瞬間、私はその場に気絶してしまいました。死の前日に雛子が多摩川の河川敷で語ったように、雛子は本当に空の向こうの世界に行ってしまったのです。
雛子の遺体は結局発見されなかったそうです。一二三便はコックピット近くが最も墜落による損傷が激しく、この辺りにいた人々は衝撃によって墜落と同時にほぼ即死したとされています。実際、生存者は全員後部座席におり、後部の遺体は割と原形を保っていましたが、機体前部にいた人々の遺体は見るも無残な様相を呈していたといいます。雛子はこの前部に座っていたので、他の人々同様、バラバラになってしまったと考えられました。さらに、彼女の持ち物であった私のバイオリンも、結局現場からは見つかりませんでした。
雛子のお葬式には私も参列しました。その際、雛子から預かったバイオリンを返そうと思ったのですが、ご両親は涙ながらに、娘の最後の願いだからとそのバイオリンを私に譲ってくださいました。
しかし、私はそれ以来バイオリンを弾けなくなってしまいました。弾こうとすると、どうしても雛子の顔が浮かんで、演奏にならないのです。私はどうすることもできなくなりました。そして、そのまま私は、徐々にバイオリンから離れるようになってしまいました。
そのまま、年月は過ぎていきました。
事故から十五年たった二〇〇〇年。私は三十二歳になっていました。あの後、結局希望だった音楽大学への進学を私は諦め、通常の四年制大学に進学しました。バイオリンが弾けなくなった以上、雛子と約束した音楽教師の道など、諦めるしかなかったのです。
大学卒業後、私は他の学生と同じく一般企業のOLとなりました。しかし、その仕事はあまり私とソリが合わなかったらしく、しばらくして辞めてしまいました。その後生活費を稼ぐためにOL時代の経験を文章にして出版社に送ったところなぜか評判がよく、その結果、私はそれまでまったく想像すらしていなかった物書きとしての人生を歩むことになりました。
その後、私はある出版社所属の女流フリーライターとして活躍しています。独身ですが、これはこれで面白い人生だと思うし、私自身、この仕事には満足しています。しかし、埃をかぶったままケースに入って自宅マンションの棚の上に置きっぱなしになっている雛子のバイオリンを見ると、何か申し訳ない気持ちで一杯になってしまうのでした。
そんなあの日、二〇〇〇年の八月。お盆も迫ったある日、私は出版社の編集長に呼び出されたのです。
「御巣鷹山を取材してみる気はないかね?」
唐突に聞かれて、私は一瞬言葉を失いました。否応なく、雛子のことが頭に浮かびます。が、編集長は構うことなく話を続けます。
「あの御巣鷹山の墜落事故からもう十五年だ。節目だし、遺族問題とか色々あるし、取材してみるのも悪くないと思ったんだが……どうだ?」
私はしばし逡巡しました。御巣鷹山……それはこの十五年間、私にとってタブーのような存在だったのかもしれません。しかし、同時に雛子のバイオリンのこともあって、一度は足を踏み入れなければと思っていた土地でもありました。私は決断しました。
「……やらせてください」
私ははっきりとそう告げました。
群馬県上野村御巣鷹山。その墜落現場近くに通称「御巣鷹の尾根」と呼ばれる場所があります。元々御巣鷹山は標高一六三九メートルの上級登山向けの山で、墜落現場は正確には高天原山という隣接する山なのですが、上野村の村長が慰霊の意味をこめて、墜落現場を「御巣鷹の尾根」と命名しています。元が上級登山向けの山なので慰霊登山者にとってはかなり苦難の道で、毎年の慰霊祭ではその辺りが問題視されているとも聞きます。現在、この尾根は慰霊登山以外の入山が禁止されているのですが、私は上野村の村長からあらかじめ特別の許可をもらい、八月十二日、慰霊登山の日に遺族の方々と一緒に入山させていただくことにしました。
入山にあたり、私は雛子のバイオリンを持っていくことにしました。このバイオリンは雛子の元にあってこそふさわしいのです。ならば、あの約束通り、雛子の元に返そうと考え、慰霊碑があり、まだ発見されていない雛子の遺体が眠るあの御巣鷹山にバイオリンを供えようと思ったのです。
慰霊碑のある御巣鷹の尾根は、入り口から二キロほどの距離にあります。周りを見てみると、事故から十五年がたち、遺族の方々も高齢化しているのが見て取れます。私は、遺族の方々に許可をもらった上で何枚か写真を撮りました。
三十分くらい歩くと、御巣鷹の尾根に着きます。そこには大きな慰霊碑があるのですが、その他にも山のあちこちにはいくつもの墓標があります。この墓標は、群馬県警が作成した遺体発見現場の地図を元に、被害者それぞれが発見された場所に作られているものなのですが、遺体が発見されていない雛子の墓標はそこにはありません。なので、私は中央にある大きな慰霊碑にバイオリンを供えるつもりでした。
さて、遺族たちが次々と登山し、やがて式典が始まりました。出席者の中には、日航の重役や国土交通省の役人の姿も見えます。それらの人々が、順々に焼香し、一人ずつ慰霊の言葉を捧げていきます。私はそれをカメラに収めつつ、バイオリンを供えるタイミングを見計らっていました。
その時です。慰霊碑の後方にある薄暗い林のあたりで、何かが動くのが見えました。目を凝らすと、五歳くらいの女の子がニコニコ笑いながらこっちを見ています。遺族の中には小さな子供もいたので、私は当初気にしていませんでした。
しかし、その子は依然としてニコニコ笑いながら、私に向かって手招きをしています。私は不思議に思って、遺族の列を離れると、そっちの林のほうにそっと移動しました。
「どうしたの? はぐれちゃうわよ」
私はその子に近づくとそう注意しましたが、その子はニコニコしながら不意に背を向けると、そのまま林の奥のほうへ走って行ってしまいました。
「あ、待ちなさい」
私は思わず彼女を追いかけて林に足を踏み入れました。昼間ですが、林の中は薄暗く、女の子の姿はすぐに見えなくなりました。
「どこに行ったのかしら……」
私はあたりを見渡しました。すると、向こうの木の方にまた別の人影が見えました。この辺にも墓標は点在しているので、遺族の人かと考え、
「あの、すみません」
と、声をかけました。その人は誰かの墓標の前に立っていましたが、背広姿のサラリーマン風の中年男性で、穏やかな表情で振り返りました。
「この辺に、女の子がいませんでしたか?」
私が聞くと、その人は微笑を浮かべ、黙って歩き始めました。私は慌てて後に続きます。
その男の人は、しばらく墓標の間を歩いていましたが、やがて林のさらに奥のほうへ向かっていきます。私は、彼についていくのが精一杯で、どこをどう歩いているのか、知らぬ間に気にしないようになっていました。
ふと気がつくと、その男の人の姿が見えなくなっていました。ですが、ちょうどその男の人が消えたあたりの木の場所に、今度はスーツを着たOLらしき女性が微笑んで立っていて、そのまま私を促すような動作をすると、歩き始めました。
この辺りになってくると、さすがに私も何かおかしいと考えるようになってきました。ですが、ここまで来た以上は後に引けません。そもそも、今となってはどこにいるかすら判然としないのです。私はただ、彼女についていくしかありませんでした。
そのまま、私は林の中を歩き続けました。途中、案内する人は何度か代わりました。OLの次は、男の子を連れた三人家族。その後は、眼鏡をかけたセールスマン風の男性で、最後は学生服を着た男子高校生でした。共通しているのは、全員が穏やかな表情で微笑み、それでいながら一言も発しようとしないことです。ですが、私は彼らが危害を加えようとしているようには、どうしても思うことができませんでした。
腕時計がいつの間にか止まっていたので、どれだけの時間がたったのかも判然としません。また、どれだけの距離を歩いたのかもわかりません。不思議と、私はまったく疲れを感じませんでした。最後に案内してくれた学生服姿の高校生が立ち止まったのは、木々に覆われて薄暗い林の一番奥と思われる場所でした。彼は私にニッコリ笑うと、近くの木の傍に腰掛けました。よく見ると、周りの木の傍には、今まで私をここまで導いてきた女の子、会社員、OL、家族連れ、セールスマンらの姿もあります。皆が皆微笑んでいて、ある一点を見ていました。私も釣られてその方向を見ます。
そこには、ひときわ大きな杉の木がありました。樹齢何百年になるでしょうか。私がその杉の木の下に近づくと、一番近くにいた女の子が不意に駆け寄ってきて、その木の下の地面を指差しました。
「何?」
私は尋ねました。が、その場にいる全員が黙って微笑んだままです。私は、薄暗い中その地面をじっと見ました。すると、何かの一部が地面から露出していました。
「ここを掘るの?」
私が聞くと、女の子はさらにうれしそうな顔をしました。私は一瞬躊躇しましたが、すぐに意を決して近くに落ちていた石で地面を掘りました。
地面に埋まっていたそれはすぐに私の目の前に姿を見せました。その瞬間、私の目頭が熱くなりました。
「これは……」
それは、十五年前、雛子に渡して、そのまま雛子と運命をともにした私のバイオリンではないですか。事故の衝撃でここまで飛ばされ、そのまま長い年月の間に地面に埋まったのでしょうか。私は、思わず雛子のバイオリンを地面に落とし、私のバイオリンを十五年に抱きしめました。
と、その時不意に後ろに人の気配がしました。しかし、私には振り返る前からそれが誰なのかわかっていました。私の目から一筋の涙が流れます。ですが、私は無理に微笑みながら、ゆっくり振り返りました。
「会いたかったよ。ヒナ……」
雛子が、十五年前のあの日の姿のまま、微笑みながらそこに立っていました。
雛子の姿は、十五年前の事故当日のものでした。私と違って十七歳の高校生のまま。服装も一緒です。それが彼女の時間が十五年前に止まったままであることを私に再認識させました。ただ、他の人々と一緒で、彼女もただ黙って微笑むだけで、あの特徴的な関西弁は一切発せられません。それでも、私は溢れてくる涙が止まりませんでした。
「ヒナ……ここにいたんだね。十五年間、ずっとこんな寂しい場所に……」
無理に笑いながら泣きじゃくる私に、ヒナはゆっくりこっちに近づいてきます。そして、何か口を動かしました。何かを言いたいようなのですが、残念ながら声は聞こえません。そういう存在なのかもしれません。でも、彼女が何を言っているのか、唇の動きからなんとなくわかりました。
(約束……)
確かに彼女はそう言っていました。
(約束、ここで果たそう。たくさんのお客のいる演奏会で演奏して……バイオリンを返す)
気がつくと、私と雛子の周りには、大勢の人がいました。年齢も職業も様々です。あそこに見えたのは服装から見て機長さんでしょうか。CAの方も何人かいるようです。とにかく、何百人という人が、私の周りを囲み、微笑んでいるのです。まるで、何かを待っているように。
(みんな……待ってるよ。メグの演奏)
雛子が促します。私は涙をぬぐうと、たった今手元に帰ったばかりのバイオリンのケースを開けました。
中のバイオリンは、とても十五年間野ざらしにされていたとは思えないほどきれいでした。弦もまったく錆びておらず、まるで見えない何かがこのバイオリンを守っていたような、そんな感じです。でも、私にとってはそんなことはどうでもいいことでした。私はバイオリンを手に取ると、聴衆に一礼しました。みんなは、いっせいに拍手をします。でも、その音は聞こえません。雛子は、私の正面で相変わらず微笑みながら立っています。
私は、バイオリンを構えました。弾く曲は、もう決まっていました。
「ヒナ、あなたと私の思い出の曲よ……」
私は演奏を始めました。曲は、あの日のホールで雛子が最後に弾いて、聴衆から大喝采を受けたあの曲……それ以外に考えられませんでした。
林の中にバイオリンの音が響き渡ります。聴衆たちはそれを静かに聞いていました。あれから十五年間、バイオリンを全く弾いていなかったにもかかわらず、自分でも不思議なほどすんなり演奏できています。それが雛子の力なのかどうかは私にはわかりません。雛子は、ただ微笑んで私を見守っているだけです。
どれくらいたったでしょうか。不意に演奏は終わりました。まるで、自分が自分でないような。そんな感じを受けます。聞き入っていた聴衆たちは一斉に耳には聞こえない拍手を送ります。雛子も満足そうに手を叩いていました。
私にその拍手は聞こえません。でも、耳で聞こえなくても、心の奥に、その響きはしっかり届いていました。
拍手は鳴り続けます。しかし、その拍手が少しずつ小さくなっていきます。よく見ると、聴衆たちの姿が少しずつ薄れていきます。やがて拍手が小さくなっていき、聴衆たちの姿は完全に見えなくなりました。
薄暗い林の杉の下。残ったのは私と雛子だけでした。私はバイオリンをケースにしまうと、雛子に負けないように微笑みました。その微笑みが無理であることを自分でわかっていても。
「約束……よね」
そう言うと、私はこの十五年間持っていた雛子のバイオリンを、私のバイオリンが埋まっていた場所に埋めなおしました。
「これで、約束は守ったわね。ヒナ……あなたの演奏、もっと聞きたかったよ」
もう限界でした。私は地面に膝をつくと、そのまま嗚咽を漏らしました。
「ずるいわよ。こんな……こんな贈り物……こんな約束の守り方……」
雛子は相変わらず微笑んでいます。でも、その微笑みの中に、どこか寂しそうなものが含まれているのがあるように感じたのは、私の気のせいではないと思います。もっと生きて演奏したかった。それは、本人が一番思っていることでしょう。
不意に、彼女の姿が薄くなり始めました。今度こそ、本当に別れの時間が来たのです。でも、頭でわかっていても、私は雛子と別れたくありませんでした。
「いや……いかないで……もっと一緒にいて……」
雛子は、今度ははっきりと笑みの裏に悲さを含めた顔をして、ゆっくり首を振りました。
「なんで……どうしてよ……」
雛子の姿はどんどん薄くなっていきます。そして消える直前、私は雛子がこう言うのを確かに見たのです。
(メグ……ありがとう……)
それと同時に、雛子の姿は消え、あとには私だけが残されました。
「ヒナぁ――――!」
私の泣き叫び声だけが、誰もいない林に響き渡りました。
その後のことを、私はよく覚えていません。気がついたら、私は中央の慰霊碑近くの墓標の前で倒れていて、遺族の方々に揺り起こされていました。何でも、急に姿が見えなくなり、探していたところ、いついたのかここに倒れていたのだといいます。
あの杉の場所がどこだったのか、今となってはわかりません。地元の人に聞いても、そんな大きな杉がある場所などないのではないかということです。強いて言うなら、十五年前に一二三便があの山に墜落した時、墜落する飛行機が最初に接触したのが、当時御巣鷹の尾根に生えていた大きな一本杉だったということですが……。
今も、雛子はあそこに眠り続けているのだと思います。その場所が暴かれることは、この先もないことでしょう。確かなのは、雛子のバイオリンは雛子の元に返り、私のバイオリンは私の手元にあるという事実です。
あれ以来、私は毎年八月十二日になると、御巣鷹山でバイオリンを演奏するのが習慣になっています。曲は当然、雛子が最後に演奏した曲です。御巣鷹山で弾くバイオリンは山びことなって響き渡るのですが、それが雛子が私と一緒に演奏しているように思えてなりません。実際、私はそうだと考えるようにしています。これは私だけの演奏じゃない。私と雛子の演奏なんだと。
最近、フリーライターの仕事として貧困国を訪れる機会も多くなっています。その際、私は必ずそこでバイオリンを演奏することにしています。雛子が果たせなかった夢を私が果たす。それが、私の新たな目標です。
あの御巣鷹山での不思議な出来事から今年で十年になります。私は、今年も御巣鷹山に出かけます。今年もまた、雛子と一緒に演奏するために……。