9話目
9
塾が終わり、またもや隆は柏木とファミレスにいた。
あの事実を知ってから、しばらく経った。
最初に柏木に誘われて以来、塾の授業が終わった後、毎回ではないが、二人でファミレスで喋ることが多くなっていた。
最初は失恋相手と遊ぶのに抵抗があって、おっかなびっくりに柏木についていっていたが、何回か一緒に行ってから、隆も気兼ねすることがなくなった。
話す内容はいつも、たわいも無い学校での事、噂話、甲田の昔話を喋っている。誘うのは目的があるようで、ほぼ柏木である。隆も家に帰っても特にやる事もないので、付き合っている。
ちなみに前回、ガネ君から目撃されたので、前の店とは違う、塾から離れた場所のファミレスにいた。
「はい。約束通り持ってきたよ。英語のノート」
「わぁー、ありがとー」
席に着くや否や、隆が英語の本文、単語訳、本文訳を書き写した英語のノートを柏木に渡した。かなり時間をかけて作り上げた隆の渾身のノートである。テストが近いことと、ノート提出の期限が迫っているので、柏木から写させてもらえるよう頼まれていた。
「たまには自分でやれよな……」
「ありがとねー」
「……」
全然、隆の返事を聞いてないであろう軽い返事に、隆は何も言えなくなる。
これが柏木の目論見であろう。
仲良くなってから、柏木は比較的成績優秀な隆によく宿題を写させてだとか、ノートを貸してだとか頼み事が多い。隆をファミレスに誘う目的とはこれの事である。
惚れていた弱みか、不思議と嫌な気持ちにならずに、手助け出来た。だが余りにも頼みごとが多いので、隆は最近自分の気持ちを知られていて、柏木にうまく利用されているんではないかと、思い始めている。バブルの時にあったアッシーとかメッシーとかそんな感じの存在なんではないだろうかと。
(ノートを写させてくれる相手だから……、ノッシー? ノートン先生?)
利用されているのがわかるが、つい手助けをしてしまう。
フラレタのにまるで未練タラタラみたいで嫌だったが、何故か手伝ってしまう。
少し友達付き合いしてわかったが、柏木には男を機嫌よく働かせられる魔性の女の才能がある。男に最終的には、まぁ、しょうがねぇなと、納得させるテクニックを持っている。キャバ嬢とかやったらいい。隆はそんな感想を抱いていた。
柏木も隆に恋愛感情なんて持っていないのでありえないが、甲田を裏切るわけにはいかない。諦めたつもりで、隆は柏木に付き合っている。
……なかなか、うまくはいかないが。
そんな隆の葛藤を知ってか知らずカ、柏木は渡したノートの中をパラパラとめくると、
「字、汚い」
そうのたまった。
「じゃあ、返せよ……」
隆もさすがにそこまでは面倒見切れない。
「うそうそ。助かるよ。でもノートの閉じるところに髪の毛とか、消しゴムのカスが溜まっているのは不潔ね」
親切な事をしたのに、なぜかこき下ろされている。隆は納得いかなかった。
「文句が多いな。じゃあ、甲田に借りろよ。あいつ、きっとちゃんとしているぞ」
「えー、甲田クンの前だと、かわいい女の子でいたいじゃない?」
「……ビッチ」
「なにそれ!」
つい正直な感想を呟いた隆に、柏木は心底以外とばかり素っ頓狂な声を上げた。よっぽど思ってもいなかった言葉だったんだろう。本気で驚いたような声だった。
「あ。甲田で思い出した。この間、柏木さんの彼氏にトラウマを増やされたよ」
「……なにかあったの?」
誤魔化されたようで、まだ納得してない様子の柏木ではあったが、めんどくさい事になりそうな空気を察知し、隆は無理やり話題を変える。
「体育の授業で君の彼と勝負させられて、なおかつ完膚なきまで叩きのめされた」
「なに勝負って」
「クラス対抗でリレー。俺、甲田はアンカー。しかも負けたチームが片付け。……またトラウマが増えたよ」
「ははっ、それは負けるわね」
負けるのが当たり前の事だと言いたげに笑う柏木を見て、隆は次に言う言葉を決めた。
「足速いからなぁ、あいつ。でも甲田は、オナニーのデビューも早かったぞ」
「やめてくれる? 前からだけど、そういう情報、ちくちく入れてくるの」
柏木に甲田のあることないことを吹き込むのが、なんか少し楽しくなっている隆だった。
他にも、甲田は夜中にメシを食わすと、グれるとか、水をかけると増えるとか、2の副題は新・種・誕・生だとか、そんな事を吹き込んでいた。
柏木の嫌そうな顔を見て、少し満足した隆は、両手を広げてソファに淵にかけ、ふんぞり返ると、話題を変えた。
「入学して二ヶ月経ったけど、高校も中学とあんま変わんないな」
「そう? 私は行動範囲広がったよ。放課後が楽しい」
「何すんの?」
「買い物とかかな?」
「金は持つの?」
「バイトしてるから」
「え! 怖くないか? バレたら停学じゃん」
バイトという言葉に反応し、隆は天井に向いていた顔を元に戻す。驚きながらも柏木を再度見る。
隆達の高校の校則ではバイトは禁止されていて、無断でバイトをすると停学と生徒手帳に書いてあった。
「そう簡単にバレないわよ。地元でやるから発見されようがないし」
「あー、なるほど。金持ちだな。おごってくれよ」
「土日だけしかシフト入れてないから、そんな持っているわけじゃないのよ。だから特別に割り勘にしといてやるわよ」
「はい。すいません。割り勘でお願いします。そっかー。柏木さんのほうが進んでるよな」
隆はバイトが校則で禁止されていると知ると、その途端に諦めた。素直に校則だからと認めてしまう自分と、制度上の欠陥を見つけてそこを突くという、一歩進んだ手を打つ柏木に、違いを感じる。隆は柏木に対して、尊敬の念を抱いた。
「当然。同級生の男の子達って、すごくガキに見えるわね」
「まぁ、そうだろうな。それなら、甲田はどうだ?」
「ヤナ感じな質問ね。うーん。そうね。でも甲田君は元が全然違うから」
「元か……。外面も中身もイケメンだしな…」
結構、屈辱的な事を言われいるが、素直に柏木の言葉を受け入れることが出来た。この間の体育の授業で、再確認したが、隆は甲田にはまったく勝てる気がしない。
「隆君もガネ君とレベルが一緒じゃあね」
「って、おい。ガネ君は幼くて空気読めないけど、悪いヤツじゃないぞ」
「それで悪かったら、救いようがないわよ」
「ガネ君は親分の前で、言ってはいけない禁句、『関西の龍』と言ってしまい、ボこられるくらいだが、イイヤツだ」
「なんだかよくわかんないけど、それ、あなたが馬鹿にしてない? 」
確かに褒めてはいない。
「いやいやそんな事ないって。それと甲田って、遊びに行った家で出されたおかしはホント、遠慮なくよく食ったぞ」
「どうでもいいー。そんな情報」
柏木は残っていた飲み物を一息に飲み干すと、グラスを持って立ち上がった。隆とグラスを交互に見て、視線で何を取って来るかを問いかける。
「あ、コーラで」
「ホット?」
「コーラにあったかーいという概念はない」
柏木はそれを聞いて少し笑うと、席を立ち、ドリンクバーへと向かっていった。
(なんか男と接する時と変わらなくなってきたなぁ)
しみじみと考える。自分が徐々に失恋の痛手から立ち直っているのが、隆は嬉しかった。
それに柏木のグループから陰口を言われる事がまったくと言っていいほどなくなった。柏木が気を使ってくれているのであろう。それも隆には嬉しい。
学校では完璧に他人のフリだが、まぁ、しょうがないと隆は思っていた。
グラスとテイーカップを持って、柏木が戻ってきた。
「ありがとう。柏木さんのは何?」
「ホットココア。隆君にはコーラ」
隆は柏木からグラスを渡される。二人それぞれの飲み物を一口飲み、一拍おくと、柏木が口を開いた。
「ねぇ。甲田君って、プレゼントなら、どんなものが欲しいと思う?」
「え、なにかイベントか?」
「そう。彼、再来週、誕生日なの」
「ふーん。そっか」
隆は目をつぶって、甲田が昔好きだったものを考える。
「そうだなぁ……」
(甲田がはまっていたもの……)
「ザリガニ釣り?」
「はぁ?」
柏木の顔が、女の子と思えないほど歪む。
「小学生の頃、だいぶはまっていたぞ。臭いけど」
「ボケなくてもいいから。真面目に答えてよ。というか、どうプレゼントするのよ」
「いやスルメを紐につけて……」
「取る方法を聞いてるんじゃない。それとボケるなって言ってるの」
柏木の口調が少しイラついているのがわかる。
「はい。すいません。……うーん。テンガかな?」
爆弾を放り込んだ。
「テンガ? なにそれ?」
「家に帰って、ググってみな」
「わかった……。それは喜ぶの?」
「喜ぶんさ!! あ、ちなみにアルファベットでググりなよ」
ちゃんとメモを取る柏木を見て、最早何も言えなくなった。さすがに隆も罪悪感を覚え、真面目に考える。よくよく考えれば誰得である。
「じゃあ、MDウォークマンはどうだ?」
「持ってるわ」
「服。ジャケット」
「好みがあるから」
「手料理でも作ってあげたら?」
「ないわー。重いわよ」
「じゃあ、逆に柏木さんは何を考えてるんだよ」
矢継ぎ早に否定され、隆も思いつくものがなくなった。
「うー、彼ゲーム好きだから、ゲーム機が正解だとは思っているのよ……」
「いいじゃん。それで」
「でも誕生日プレゼントがゲームなんて、なんか、切なすぎるわよ」
「まぁ、女の子が憧れるやり取りにはならないよな……」
ロマンのかけらもない様に感じてしまうのも無理はないだろう。どっちかというと煙突からおじゃまします。靴下でかいの用意しとけっつーの! 入んねーだろッ。というイベントの方を隆は連想した。
「気持ちはわかるが、プレゼントって相手が喜ぶものを渡すものだろ」
「それもそうなのよね……」
そう言って、柏木はココアを静かに飲む。それもそうとは言ったが、抑揚がなく、柏木自身、いまいち納得しきれていないのがよく分かる。
(最後の一押しが必要なんだよなぁ)
ゲーム機でもいいが、これだという決定的なものが柏木にはないのだろう。それとゲーム機は嫌だという、柏木自身の思いも入り込んでしまって、よくわからなくなってしまっている。だから悩んでしまっている、と隆は考えた。
「俺がそれとなく聞いてきてやろうか?」
「え、ホント?」
隆の言葉に、柏木の目が大きく開いて、ココアを口元に動かす手が止まった。
それを見て、内心、またやってしまったと、隆は思った。
「あぁ、また体育の授業があるしさ、昼飯にでも誘って、聞いてきてあげるよ。ひょっとしたらゲームじゃないかもしれないしさ」
「ホントに! 助かる! 次の授業いつなの?」
柏木の声が弾む。また柏木のお願いを聞いてしまって、後悔していたが、その反応を見て、後には引けないとも思った。
「今週にはあるから、分かったら教える」
「じゃあ、電話してよ。あ、携帯教えてなかったね。交換しようよ。教えてよ」
「お、おう。今、携帯だすから待ってくれ」
(また柏木絡みで、面倒な事を引き受けてしまった。つい引き受けてしまうんだよなぁ。あ、そういや番号知らなかったな)
しかし、今更嫌とも言えない雰囲気になっていた。
カバンから携帯を出し、プロフィール画面を出して柏木に渡した。柏木も画面をしげしげと覗き込む。
「……このメールアドレス。何て読むの?」
渡して、数秒。画面と目を離さなかった柏木が、うめくような声で聞いてくる。
「え?」
隆の返事を聞いて、柏木は印籠を出すか如く、隆の携帯を目の前に突き出す。
携帯の画面には、隆が格好いいアドレスと、考えに考えた渾身の一作が。
『girugamesh』
「ギルガメッシュって書いてあるんだけど……」
「何でこのメールアドレスにしたの?」
「いや、初めてのケータイのアドレスだから、正直、格好いいのにしたいじゃん。だから誰も知らない神様の名前ならちょっと格好いいかなぁ……と」
「出た。思春期特有の自意識過剰」
結構な自身作だった為、その自信作をこき下ろされ、隆は少しムッとする。
「うるさいなぁ。いいだろ」
隆は目の前に出された携帯をひったくるようにして取った。
「それに私達の世代だと、ギルガメッシュって単語は、ねぇ?」
取ったケータイをポケットに入れる。
「なんだよ……」
隆も考えなかったわけではないが……。柏木のにやけた表情をみて、嫌な予感をひしひしと感じる。
「いっその所、イジリー岡田ドットエヌイードット、でよかったんじゃない?」
「ちきしょー! 言われた。よりにもよって女子の口から言われた。ちょっと興奮するかも!」
核心をつかれた隆、どさくさにまぎれて変な事を言っている。
自分自身格好いいと思っていた傑作だったアドレスが、カッコいい名前からエロ扱いの変化し、どう反応していいかわからなくなった。
「深夜番組の方は関係ないつーの!」
自分ではセンスいいと思っていただけに、おもわぬ方向からの攻撃に、隆はつい感情的に反論してしまう。
「はいはい。そうね。そうね。でもそう。神話から……。それで、ぎるがめっしゅ☆ にしたんだ」
「お前、バカにしてるだろ。その言い方、絶対、ナイトの方だろ。飯島愛だろ。ティーバッグを見せながら言ったら許してやるが、許さない」
隆はもう支離滅裂だった。
そんな隆とは対照的に、今までからかわれていた報復だと、楽しそうに隆をからかう柏木だった。
「じゃあ、わたしが新しいの考えてあげるよ」
「いいよ。もう、やめようぜ。この話題」
隆のツッこみで、ムリに楽しい話題にしていたが、このまま掘り下げてもいいことはない。下手すれば新たなトラウマが増える。柏木の楽しそうな笑顔を見て、そう判断した隆は早急に会話を終わらせようとするが、柏木がさらに追い討ちをかける。
「tonight.2なんてどう? 隆クン好きそうじゃない?」
「やだよ! なんで深夜エロ番組で攻めるの!」
「ちゃんとアルファベットと数字の組み合わせで、セキュリティもバッチシ!」
「うっせ! バーカ! そういう問題か!」
「いいメアドだと思うんだけどなぁ」
その一言、つまり一向に矛を収めない柏木の一言に、やられっぱなしだった隆の反逆心に火をつけた。
「そーか、そーか。いい度胸だ。……甲田の好きなものを脚色して聞いてきてやるからな……覚えていろよ」
笑いながら隆をいいようにからかっていた柏木だが、その一言を聞いたら途端に笑いを引っ込めた。
「ちょっとー、それは反則でしょ?」
「ふん。どうにかして、甲田から好きなもの、大人用パンパースという回答を引きづり出してやる。成人用紙オムツにプレゼント用の包装をさせてやる。甲田の口から言わせれば問題ないよな?」
「……どう言わせるのよ」
あきれたように一言呟いて、そこで柏木はココアに手をつけた。隆もなんとなくコーラに手をつける。
お互いに一口、口を潤し、一拍を置いた。
「ま、ギルガメにそこまで気づく人もいないと思うけどね」
「いまさらフォローされてもな」
こんなにサンドバックにしておいての助け舟だが、隆としては自分のセンスにすっかり自信を失ってしまった。でも、作ったばかりのメアドをまた変えるのも面倒くさい。というか変えるやり方を知らない。
「まさかメールアドレスでトラウマが増えるとは……」
隆は握り締めたケータイを見ながら、搾りだすように後悔の念を出す。お気に入りだったメアドが一転して、恥ずかしいメアドに。これからメアド交換するたびに嫌な気持ちになってしまう。
その様子を見て、柏木は一旦持ち上げたカップを、結局口元に運ぶ事なく、またソーサーへと戻した。
「……ねぇ? 前から思っていたんだけど、よくトラウマって言うよね? 何で?」
「トラウマっていうのはコンプレックスの事だ」
「意味を聞いてるんじゃないの。話しているとなにかっていうと、トラウマトラウマってあんまいい口癖じゃないよ? もう止めたら? いや冗談じゃなくて」
柏木の、こちらの目を真っ向から見ながらの、それまでの冗談まじりの口調とは違い、表情、声色から鑑みて、明らかに本気の注意であった。
「言っとくけど、それだけじゃないわよ。女の子と喋る時、身構えるのも止めなさい。別に取って食おうとしているわけではないのよ?」
「急になんだよ。……まぁ、そうなんだけどさ……、でも、なぁ」
隆のさっきまでの笑っている顔が、下を向き、視線を逸らす。表情は途端に悲しそうな顔へと変わる。
この間の弁当の一件を言っているのだろうか。ばっちりあんな格好悪い姿を柏木に見られてしまったのか。
今まで見た事がないような悲しそうな、隆の表情を見て、柏木までも口が重くなる。少しの沈黙の後、柏木が問いかける。
「なによ?」
「まぁ、いいじゃんかよ」
「……」
一瞬見せた悲しそうな表情を無理やり明るくした、隆の強引な話の終わらせ方に、柏木はまだ不満げな顔をしているが、何も言おうとはしなかった。
「あ、後。甲田のプレゼント、聞いてきてやるけど、物の中身まで責任持てないからな。プレステ2かもしれないし。それを聞くだけだぞ」
「もちろん。それは大丈夫よ」
「そっか」
隆はコーラのグラスを思いっきり呷る。タンっと音がするくらいの勢いでグラスをテーブルに置く。
「よし。いってくっか」
「お願いね」
「……パンパースかぁ」
「そうしたら、女子の噂システムでギルガメ伝説になるわよ」
「……やる気をそぐなよ」
「真面目に聞いてくればすむことなの」