2話
隆が欲望のたけをぶつけてから二日後。
ばっちり有言実行をした隆だったが、変な罪悪感に苛まれていた。ちなみにオナニーが終わった後、特有の罪悪感ではない。
柏木のメッセージ通りかどうかは知らないが、あれから女子グループからの隆への悪口はなくなってきていた。
つまり、柏木は義理を果たしているのに、……じゃあ、俺は何であんな事を……、という罪悪感である。
柏木を助けたその翌日にも、生徒達が先生を舐めている、要は騒げる授業があり、柏木達が隆を弄くり倒す機会があったのだが、その日は嘘のように何も言われなかった。
ばっちり気持ちよくなっている為、キツイ。よって、その時の自分自身を思い出すことによって自分自身を罰していた。
『……! ……! …………、――!!」
という自分の一部始終と、柏木の善意の比較をした。
死にたかった。
そんな罪悪感を重荷に感じている隆だったが、さらに重荷に感じる場に遭遇していた。
学校が終わって、隆が中学の頃から通っている塾の授業中。本当なら学校とは違い、罪悪感から開放される気楽な塾の授業のはずなのだが。
(そういゃ、こいつと同じ塾だったなぁ……)
反応が困ることに、すぐ横の席に何故か柏木が座っていた。
隆が通っている塾は個別指導の授業形態をとっている。
方法としては、広い教室に生徒達は一人一人コの字型の衝立で出来たブースに入り、先生がそのブースの横に座り、教える。先生は一人から三人までの生徒を受け持ち、一人に教えて、教えた項目の問題を解かせているうちにもう一方の生徒を教え、また問題を与える。そして別の生徒を教える。
そんなローテーションを組んで勉強をするのだが、たまたま今回、同じ先生が隆と柏木を受けもつことになった。
隆としては、かなり気まずい。
隆のイメージ上では、柏木が隣に座っているのを見た時、隆の眼鏡にビシッ! とヒビが入った。
高校受験の為に通っていた塾に、周りの同級生はほとんど辞めてしまっていたが、受験が終わっても隆は惰性で通っていた。
思い返してみれば、塾の中で柏木を何度か見かけたことがあったような気がする。けど中学の頃は同じ学校でもないし、特に接点もなかったので、気にする事もなかった。単に塾が一緒なだけの他人である。けれども今は同じ学校のクラスメイト。挨拶するかしまいか。このまま他人の振りを貫きとおすのか、判断に迷う。
非常に小市民的な、ただ話しかけるか、かけないかの小さい悩みだが、もしだが、クラスメイトのノリで話しかけて、誰、こいつみたいな反応された日にはもう……!
大げさかもしれないが、またトラウマが増える。家で叫びながら布団の上をのたうちまう事になる。
それとも、話しかけないことが正解なのだろうか? 隆はどう振舞っていいかわからず、挙動不審気味であった。
『あぁ、こうやって、話しかけるか話しかけないが迷い続けて、学校生活が過ぎていった……』
というモノローグと共に、下手すればこのままバッドエンドで終わる。
終わらない。
しかしそんな隆の葛藤にもかかわらず、しばらく経って回答は用意された。当の相手方、つまり柏木が完全に他人の振りをしていたのである。
それはそれで隆の眼鏡にヒビが入ったのだが、受けるダメージとしては、やわい。
柏木も隆に感づいているようだが、気づいてない風に装っている。そこで隆もこれ幸いと、柏木の態度に合わせて、他人のふりをしていた。
隆はほっとしながら、授業に取り組んでいった。
お互いを意識しないよう気を使い、淡々と授業が進んだ。柏木は初志を貫徹し、隆と目すら会わせないようとはしない。
だが、それは授業がひと段落ついた時におきた。
隆が先生に教わる順番が終わり、ひたすら課題を解いている時、柏木が先生と雑談交じりに教えられている最中だったのだが。
「そういえば、隆君と柏木さんは同じ学校なんだってね」
担当の大学生先生は不意をついて、どこで情報を仕入れたかは知らないが、せっかくたもってきたこれまでの均衡を崩す決定的な一言を放ってきた。
(ぎゃぁぁぁぁー! 外来種がやってきた。生態系が崩れる!)
隆のイメージのなかで、全米を震撼させた、凶暴なブラックバスが来日。日本固有の魚を食い尽くすイメージ映像が峻烈に浮かぶ。眼鏡のひびのイメージどころではない。
隆という鮎が、チャラい先生ブラックバスにまるまる飲み込まれていく。もうキャッチしたらリリースしないで、この先生!
この発言によって、これでお互い気づいていないという、暗黙の了解が全て崩れ去ってしまった。
隆のシャーペンの動きが一瞬止まり、今までの動きの倍のスピードで動き出す。
あたかも、集中しているんで話しかけないで下さいと言わんばかりの仕草。これから巻き込まれないようにする予防線。
「……えぇ、そうなんですよ……」
聞きたくないけど聞こえてくる、追求しないで欲しい点をつかれた、柏木のなんともいえない声。
「じゃあ、隆君。もっと二人、仲良くしなきゃ」
返す刀で先生はノートに必死に書きこむ隆の方を見て、会話に巻き込もうとする。
「ハ、ハ、ハ。そうですね」
大学生先生の言葉で、袈裟懸けに斬られそうになるが、ぶおんと、光り輝く光線の剣を出し、それを受け止める。ビシィッと光線の剣がぶつかり合った。※イメージ上の話です。 実際の行動は隆はおざなりに返事をし、集中しているふりというか、ノートから視線をはずさないだけ。
会話に加わりたくない。もし加わったが最後、やつはブラックバスのように増殖して、環境を滅茶苦茶にする。地元の漁協の人の生活が壊れる。
「男なら、柏木さんみたいなかわいい女の子には、積極的に話しかけなくちゃ! 」
まるでYOUがCANならDOしちゃいな! みたいな言い方である。
「そ、そうですねぇ……」
再度の会話の振りだが、隆はやっぱり目を合わせず、会話を膨らませようとはしなかった。ビシッ、ビシッと必死にライトセーバーを振り回し、ブラックバスのライトセーバーを受け流す。というか、ライトセーバーって言っちゃったよ。
「男なら押しの一手だよ。駄目だよ。ボーっとしてたら」
大学生先生はまるで、僕はあれだよ。こういう悪ふざけなイジリ方をして、お互いの緊張を解いて、授業を楽しくさせることの出来る、生徒には人気のある教師にだよ! と、アピールしているように感じられる。
全然違うのに、はた迷惑なブラックバスだ。と、隆は完璧にこの先生に対して心を閉ざした。
「はぁ……」
その証拠に隆はどんなに話しかけられても、生返事を繰り返し、視線を合わせず、黙々とノートに回答を書き込んでいた。
完璧に、ライトセーバーで相手のライトセーバーを防ぎ続ける。
つまり駄目だしの、もう一切話しかけるなというオーラを出す。
「そうだよ! ねぇ、柏木ちゃん。女の子も待ってるよね!」
「ハ、ハ、ハ。そうですね」
隆が相手をしないとなると、大学生先生は柏木の方を向き、ターゲットを移した。
ぶぉんと、ライトセーバーが向きを変える音がしたような気がする。
「あれぇ、自分が可愛いという所を否定しないのぉー」
「あ、そういえばそうでしたねぇ。あはは」
聞いていて、柏木の乾いた笑いが痛々しい。そして先生の冗談も痛々しい程、空回りをしている。
その空回りの痛々しさは聞くに堪えない。隆はもう耳を塞ぎたかった。おっさんがユーモアで、お釣りの百円を百万円と例えるような痛々しさ。
(お前みたいなブラックバスは、キャッチしても、絶対リリースしないからな)
キャッチアンド猫まっしぐら、をする。隆は想像上で一回、先生をどら猫に咥えさせた。
「二人はクラスは違うの?」
「いや、一緒なんですよ。ただまだ学校が始まったばかりで、あんまり話してないので、ね?」
もうそこには触れないで欲しいという事を、柏木はどうにか、先生に伝えようとしているようだが。
「へー、そうなんだ。折角一緒のクラスになったのにねぇ。……じゃあ、今、仲良くなるしかないね」
そこはブラックバス。まったく、効果がなかった。
「アハハ、そうですね」
「隆くぅん。DAKARA、男から話しかけないと」
「ハハハ」
(『だから』くらいローマ字変換ぐらいしろよ! 昔のビジュアル系メンバーの名前か!)
隆の我慢ももう限界だった。徹底的に保身に入る。
隆は終に最終奥義。笑って誤魔化すを発動した。
印象を悪くさせことなく、会話を終わらせることが出来る。隆の学校生活で学んだ技の一つである。
「……」
「……」
「……」
途端に会話が止まった。
静寂がイタイ。思ったより効果があった。
静かさが、まるで無理に場を盛り上げろと脅迫をしてくるようだった。
でも誰もきっかけをつくろうとはしなかった。柏木もこれ幸いと途端にノートに書きこむ作業に移る。
先生が途端に手持ち無沙汰になり、一端周りを見回した後、まるで助けを求めるように隆を見る。
(早く終わってくれ)
隆は救いを求める視線から、目を逸らして止めを刺した。
マスター!! と言われながら、ブラックバスが隆のライトセーバーに斬られて奈落へと、落ちていった。
※イメージ上の話です。
結局、その後まったく打ち解けられず、それどころか変な空気になってしまった。そうとなると先生は無難に授業を進めていくだけだったので、それからは授業は普段通りに進み、なにごともなく終わった。
傷が思ったより少なくてすんだのと、授業が終わった事にホッとしてしまい、隆はしばらく机から動く気がしなかった。
(この塾、もうやめようかなぁ)
もともと受験の後の惰性で通っていたような塾である。止めてもなにも問題はない。こんな事がまたあるようなら、もう止めたい。
疲労を感じ、机に突っ伏す隆。
隣ではガタガタと何かを動かす音が聞こえる。
首だけ横に向けると、柏木が教科書やノートをカバンに詰め込んでいた。
それだけなら別に大した事ではないが、特徴的なのは動きが凄いスピードだという事。
その姿はテレビで動物の特集をしている時に見れる、獲物を捕らえる野生動物を連想させられた。具体的にはチーター。
(NHKでやってるやつだ……)
柏木はその勢いのまま、足早に教室を出て行った。
一刻も早くこの空間から去りたいのだろう。その気持ちは身にしみて、隆にもよくわかった。
早くこの場から逃げ出したい気持ちは隆とて同じだが、柏木とは間違ってもまた外で会わないよう、柏木が出た後、少し待つ。というか、あまり動く気がしない。
万が一にでも柏木と外ですれ違って、もう気まずい思いはしたくなかった。
周りに残っている生徒があらかたいなくなった。そろそろかと、教室を出る。
が、そんな隆の思惑は見事に空回りした。
(えー、まだいる。というか、こいつ何してんの?)
教室の外で柏木がいた。半分泣きそうになりながら、しゃがんであちらこちらを見たり、物をどかして覗いたりしている。どうやらなにかを探している様子。
教室で、ちょっとした四天王を統べるような立場で、女王様然としている様とはかけ離れた様子に隆も立ち止まる。というか、このままだと柏木をまたいで通らないといけない。
どうする?
一刻も早く帰りたいと思っていた隆の頭が、また回転をし始める。さながら夏場にクーラーをガンガンつけている家の電気メーターが如く。
このまま通り過ぎるのも冷たいかなとも思うし、別に話しかけるのは親切以外の何者でもない。……でも、自分なんかが話しかけて嫌な顔をされないだろうか? それに女に話しかけるとなると、ドモって話しかけてしまいそうだし、自分の格好悪い部分をこれで再度認識して、トラウマが増えないなんて言い切れないし。
「……何を探しているの? 」
様々な葛藤の結果、隆の決断が口から出た。
柏木は、振り返った顔の表情をはっきりと歪ませ、戸惑いの表情を浮かべた。
あ、これはマズイ。そう思ったがもう遅かった。
「え? ありがとう。でも、いいよ。自分で探すから」
「……」
性懲りも無く、声をかけ、空振りをしてしまった隆。
だから、ガラにもない事すんなよ俺ー! と、強烈な自己嫌悪に襲われる。
自分の顔が恥ずかしさから真っ赤になっていくのが判る。顔が熱い。
だが、そこからがいつもとは違かった。
普段の隆ならその顔を見た時点で勝手に傷ついて帰るが、一緒に変な空気の授業を耐えた仲だし、こいつはまるっきりの恩知らずではないとも思い直し、ワンナップキノコを取れば増える自分自身の一機を減らしても、同じように中腰になった。
「……で、なにを落としたの?」
断ったにもかかわらず横に座って手伝い始める隆を見て、柏木もあきらめたように、口を開いた。
「……ケータイ。」
「鳴らしてみようか?」
「電池切れてるのよ」
教室はビルの三階にある。柏木の話だと、階段から教室までの廊下が、どうやら怪しいようだ。
「教室にあるんじゃないのか?」
「わからない。でも一回、教室も探したから。それに今から探しに戻っても、もう教室閉まっちゃっていると思うし」
しばらく、手分けをして、二人で無言で探し物に没頭していると、柏木が隆に話しかけてきた。
「……この間はありがとね」
「ん、え? ……あぁ、別にあれくらい」
一瞬、何を言われているのかわからならかったが、すぐに学校での授業中でのことを連想する。
つっけんどんな態度から一変、しおらしい言葉に隆はどう返事を返そうかと、少し戸惑う。
「うん。でも助かった。あの教師。急にサドになるし」
「あぁ、あの時、珍しくあいつ、キれてたよね」
普段は舐められている先生だが、あの時は言葉攻めをするAV男優がごとく、ねちっこく攻撃をしていた。
どこが気持ちいいの? 言ってごらん? アソコ? そうじゃないでしょ?
「……それと、ごめん」
「うん? 何が?」
「あの時、私、酷い事を言ってたから……」
隆の動きが少し止まった。
「……ああ。いいよ」
だがすぐに、なんでもないような事のように隆は返事をした。
確認しないでもわかった。隆に対する陰口の事だ。そこに触れてくるかと、若干の驚きを感じた。
隆は柏木が陰口を言っていた事に触れずに会話を続けようとしていたなら、それに合わせて会話をしようと考えていた。実際、最近は悪口は言っていないし。しかし柏木は曖昧にせず、向こうから話を切り出してきた。
潔いなと、隆は思う。
「なんか俺、笑われるようなことやってた?」
このまま黙っているとまだ許してないようだし、謝ってくれた柏木にも悪いので、笑顔を浮かべて、冗談めかして聞いてみる。
「君、少し挙動不審!」
柏木もそれに合わせて笑いながら答えた。
「ええ、そう?」
「授業中いきなり体を掻き出したり、視線も落ち着きがないし、見てて飽きないよ」
「えー、俺としては全然普通なんだけどな…」
「絶対ヘン。少し直せば?」
「うーん」(えぇ、マジで)
携帯電話は見つからず、隆の新たなコンプレックスが見つかった高一、春の夜。
そんな新たな発見など関係なく、ぎこちなく、話しながら探す。するとだんだんと会話が弾むようになってきた。
やっぱり授業中の陰口はお互いのわだかまりになっていたようで、それが解消されたのは大きかったようだ。柏木も気持ち、楽しそうにしている。
「あの大学生バイト先生、かなりキツくないか?」
「だよね。なんか無理に面白くして、仲良くなろうとしているかんじ。でも面白くない」
あの帰るスピードは尋常じゃないと見ていた隆の予想は見事にあたり、柏木もさっきの授業には一言言いたいらしい。
「ヤツを見ているとライトセーバーと、ブラックバスによる日本の生態系への影響を考えてしまうよ」
「……えぇと、ゴメン。意味わかんない」
ときおりこういったわけのわからない会話を交え、柏木は頭の上にでっかいハテナを出しながら隆と共に、三階から一階へと、時間をかけて探した。だが携帯電話は結局見つからなかった。
「……もういいよ。ありがとう。私帰るね」
三十分位探した後、柏木は探し物と授業のせいか、疲れたように諦めの言葉を言った後、元気なく微笑む。
「……それで大丈夫なの? 」
女子の間でのコミュニケーションの手段として、携帯の重要さは、女子とあまり係わった事がない隆にさえも、うすうす分かる。見つからないですむはずがない。
「うん。もしかしたら家にあるかもしれないし」
もうこれ以上探しても見つかる見込みは薄いと言いたげだった。実際もう、めぼしい所は探しつくした。
「一緒に探してくれてありがとね。じゃあ、またね」
柏木はそう言うと、駅の方へ歩いて帰って行った。
さっきまでの疲れたげな様子とは違い、後姿は凛としていた。
見送った後、腕時計を確認する。
普段帰る時間より、遅くなってしまった。隆は自分の自転車を駐輪場から歩道まで押して出す。
探し物が見つからなかった事は残念だが、これはもうしょうがない。
それよりも印象的であったのが、こんなに女の子と楽しく喋ったのは小学生以来である。中学に入ってから女の子とうまく喋れなくなってしまっていたが、こんな楽しく会話できるなんて。
久々にトラウマではない女の子との思い出が出来たと、充実感すら感じながら、自転車に跨った。すると、ふとある考えが頭をよぎった。
(あれ、もしかして俺がしたことって)
考えすぎだと思うが、もし、そう思われてるとしたら……。
『かわいい女の子には積極的に声をかけろ!』byブラックバス
その晩、羞恥心を動力に、奇声をあげ、ロケットスタートをかます自転車があったとか、なかったとか。




