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17話

17





「……隆、クン。なに、やっているの?」


 騒ぎを聞きつけ、走ってきたのだろうか。呼吸を荒げながら、柏木が前に立っていた。


 久しぶりに柏木に話しかけられたような気がする。少し嬉しいが、状況がそれどころではない。


「柏木さん。今なら聞いてくれる。言いたい事は言ったほうがいい」


 柏木を見ないで、甲田とにらみ合ったまま、隆は柏木に話しかけた。厳しくない優しい柏木を見て、気を緩めてしまい、少しでも甲田を説得する覚悟が鈍るようなことはしたくなかった。


 柏木は脈絡の無い隆の言葉に、理解できないとばかりに、目を見開いて隆を見た。


「……何? なんなの?」


「もしかしたら、間に合うかもしれない。だから頑張って」


 隆は柏木に、チャンスをモノにして欲しかった。勝手にしたこととはいえ、このために隆は動いている。この展開は隆の思い通りに動いているといってもいい。


「やめてよ……。何言ってるの? ……ごめんね。甲田クン。私達すぐ帰るから」


 口調も早く、柏木は甲田を見ながら隆の腕を掴み、その場を離れようとする。


「それが! 本心からの柏木さんの決めたことなら! 俺はその決断を尊重する。でも、余計なお節介かもしれないけど、俺はこうした方が一番いいと思う」


 腕を掴まれた瞬間。柏木の行動を止めるかのように、隆は最初に大きな声を出し、その後にトーンを落として、静かに柏木を諭す。

 腕を掴まれた隆だが、頑なに動こうとしなかった。逆に柏木の背に手を回し、甲田の前に促した。そして初めて、隆自身は動く。一歩下がって、柏木と甲田が相対するようにする。


「今なら、ちゃんと伝えれるよ」


つんのめりながらも、前に出てきた柏木を、甲田は黙って見つめる。

促された柏木は甲田を見ようとせず、下を向いたまま。


 それからまた沈黙が続いた。


 普段の柏木とはまったく違う姿だった。

 いつもクラスの中心にいて、キレイで、みんなに一目置かれている柏木。そんな彼女が自信がない人間のように、黙り込んで俯いている。


(頑張れ……!)


 誰だって、こんな状況に放り込まれればこうなる。


 隆だって、辛い事があれば、情けないがいつも下を向いて、逃げてきた。

 でも、自分だって覚悟を決めれば出来た。だから、あんな格好いい柏木なら出来る。そう、隆は思う。もし出来なかったとしても、別の機会を作るまで。


しばらくすると、柏木は雰囲気に押されるように、意を決したか、顔を上げた。


 さっきまで、下を向いていた視線を上げ、甲田を真っ直ぐ見つめ、口を開いた。


「あのね。噂は全部嘘なの。隆クンとはなんでもない」


 押し殺したような声。でも感情は込められていて、声を絞り出す。


「秋葉原やファミレスでデートしてたなんて真っ赤な嘘なの」


 するとだんだんと、それまで溜まった思いを吐き出すように、声が大きくなっていく。


「あなたを私、裏切ってない。私は今でも甲田クンが好き。一緒にいたいの。だから!  だから!」


 だから。その一言に思いが篭る。


「私とまた付き合ってください!」


 なんだかんだで噂に流されて、思いが伝えられない鬱憤が貯まっていたのだろう。最後には彼女は必死に叫んでいた。


 好きなのにすれ違い、思いを伝えようにも伝えられなかった。


 押さえつけて我慢していた分、部室棟ではあしらわれた分。思いを伝える。


 その声と表情、姿勢その時の柏木は必死で、哀れで、滑稽に感じられた。


 けれどもそれゆえにむき出しの心は、飾り気がなく、純粋で真摯だった。


 だから隆は、自分の身がちぎられるような思いを味わった。


気持ちという曖昧なものを、現実に現わすかのような柏木の声。これを疑えるような奴はいないと、隆は思った。


 きっと甲田は信じてくれる。

 あんなにいいヤツは、隆の短い人生とはいえ、生きている間にいなかった。


 これでハッピーエンドになる。


すると甲田はすぐに。




「嫌だ」




 思いが篭った柏木とは対極に、感情を込める事もなく、あっさりと返事を返した。


「お前といても楽しくないし、疲れるだけだった。好きな人も他に出来た」


 柏木の顔がはっきりと歪む。


「この際だから言うけど、……正直さ、もう鬱陶しかったよ。お前。まったくやらせてくれねぇし。そのくせ彼女面したがる。さらにはこんなお涙頂戴をやってのけるそのセンス。頭沸いてるよ」


 甲田はそう言うと、新しい彼女の肩を抱き、嘲るような笑みを柏木に向けると、


「二人で盛り上がっている所悪いが、……噂が広まってくれてよかったよ」


 最悪な形で、柏木の思いに応えた。


「……ッ」


柏木は瞬間、はじけるようにその場を逃げ出した。

隆はただ呆然とその光景を見ていた。


 信じられなかった。


振られるという結末を予想しなかったわけではない。

しかし、どこかで甲田を信じていた。それは小学生の思い出、評判、話してみた印象から。こんな傷つける様に振るなんて思いもしなかった。


甲田は嘲笑を浮かべたまま、返す刀で呆然としている隆を見て、言った。


「よかったな。隆。柏木の事、好きなんだろ? 今優しい言葉をかければいちころだ。俺のお古でよかったら、譲ってやるよ」


 隆は一瞬、何を言われたのか本気でわからなかった。しかしあの甲田が、間違いなく柏木と自分を酷く貶めている。



 次の瞬間には甲田の右頬を、拳で殴り飛ばしていた。



甲田の彼女が悲鳴を上げた。


急がなければ柏木を見失ってしまいそうな状況。こんな事をしている暇などない。それでも隆は、感情をぶつけずにはいられなかった。


そして殴った甲田を一瞥さえすることもなく、隆も中庭を飛び出した。


すぐに柏木の背中が視界に入り、校舎の中に入っていくのが見えた。


隆も遅れて、校舎の中に入る。


校舎に入ると、もうすでに柏木の後姿は見えなかったが、バタンという、ドアを閉める音が聞こえた。


周りに残っている生徒がいなく、静まり返っているせいか、音が一際大きく響いていた。


音の方を見ると、近くの教室のドアが僅かに動いている。

飛び込んでドアを開けると、教室の窓際に柏木が、背中を見せて立っていた。


教室の中には誰もおらず、電気ではなく夕日が、柏木とこの場所を彩り、染め上げている。


隆はそれを見て、ゆっくりと、音を立てないように、後ろ手でドアを閉めた。


(なんて声をかければいいんだろう)


 隆としては、これが正しいと思って取った行動だった。しかし結果は柏木を傷つけただけ。


隆は謝りたかった。勝手にこれが正しいと自分が一番正しいと、傲慢にも判断して、ただ引っ掻き回した迷惑な道化。もしかしたら何もしなかったほうがよかったのかもしれない。時間が解決してくれたのかもしれない。


 最低だ。傷つけた責任を取りたい。激しく罵ってもらってもいい。これからもっとイジメられても文句なんてない。


でも、それをどうしたら柏木に伝えられるかが分からなかった。

また間違えて、今度は彼女が傷つくだけでは収まらず、壊れてしまうのではないか。


 言葉で伝えることが出来ず、ただ突っ立っているだけ。


隆が入ってきたことに気がついたのか、背中越しに、柏木が口を開いた。


「本当はわかっていたの。甲田クンがもう、私の事を好きではないって」


 その内容に驚きを感じたが、驚きを抑え、隆はただ黙って聞いた。


「入学する頃には、もうあきらか。それをどうにかする為に、甲田クンは私の彼氏だって、必死に周りに言いふらした」


 泣き声まじりの声に耳を塞ぎたかったが、黙って聞いた。


「高価なプレゼントを渡そうとしたのも、彼の優しさに付け込んで、別れ話を切り出させない為だけ。あなたをイジメてたのも、私は隆クンとは全然親しくありませんよっていうポーズ甲田君の誤解を晴らすための犠牲者」


 最低よね、と呟く。


「ただ、彼女でいたかった。それを貫き通す為に色んな悪い事をやった。噂を流したのも私。嫌がらせをしていたのも私。そうすれば甲田クンも私と隆クンが付き合っているっていう噂が間違っているって思ってくれるはずって」


 柏木の肩が震えている。


「嫌われるのも当然よね」


 最後の言葉は、もう泣き声が隠し切れなくなっていた。


「……ゴメンね。隆クンにもいっぱい迷惑かけたね。もう隆クンの事をイジメたりしないよ。ううん。そんな事で許されるなんて思ってない。いまさらって、思うかもしれないけど、私はあなたに償いたい」


 隆は必死に言葉を捜そうとする。なんとか彼女の気持ちを慰めたかった。


「私、隆クンの言うとおり、最低のビッチよ」


ついに隆は柏木の独白に耐えられず、遮る様に口を開く。


「いいんだ。正直、何回も俺はお前の事を恨んだ。なんで俺がこんな目にって。でも俺は、お前の事を助けたいって思った。憎みきれなかった。だから、あんな事をした」

 

そして、間違えた。


「でも結果的にお前を傷つけちまった。自分が正しいなんて大見得切ったのに、まるで物語の主人公のように振舞っておきながら、実際はただのイタイ奴だ。俺の方こそ償いたい。だから、そんな事言うなよ……」


 助ける為におこした行動は間違っていた。

 それが猛烈に悔しい。ただの自分の独りよがりだった。


 だからもう苛められていたことなど、どうでもいい。柏木を憎みきれないからしょうがない。ただ絶対に正しいと思った行動が柏木をさらに傷つけたことが、悔いが残る。


 ハッピーエンドに出来なかった。


「……柏木さん。よく頑張ったね」


 それに比べて、柏木は偉いと改めて、隆は思った。


 好きな相手に止めを刺されるかもしれない。それともまたやり直せるかもしれない。だが確実に勝利が得られる勝負ではなかった。それでも柏木は隆の用意した土俵で逃げることなく勝負をした。その一点でも、告白をしたことがない隆は柏木の事を尊敬する。 


 そこからお互い、何も語らず、またもや教室に静寂が漂う。

 時折聞こえる野球部の掛け声のみが、教室の中を入っては消える。


「隆クン」


 柏木がこちらを振り返った。


「なんで、なんで、そこまでしてくれるの?」


 濡れている瞳が印象的な悲しい表情。でも、キレイだった。


「私、あなたに相当ヒドイ事したよ? もう絶対仲直りできないって。そう覚悟して、あのイジメをやったの。何で? どうして? どうして、そんな、そんなに優しいの?」


涙にぬれ、守ってあげたくなる悲哀に満ち、それでも自分で頑張ろうとするいじらしさ。




(やめてくれよ……)





はかなく、今にも折れそうで、夕日がさらに彼女を彩る。


(そんなの、柏木さんの事が好きだからに決まってるじゃないか)


 今更ながら忘れようとしていた思いが湧き出て、溢れそうになる。


(俺は柏木さんの為とか言っているけど、ただ柏木さんが好きだから。自分の為だけに、柏木に決着をつけて欲しかった。そして、あわよくば俺を見て欲しかった)


 沈黙があたりを包む。


(でも)


全てをぶちまけよう。彼女に自分の恋心を伝える。そうしたら、もしかして全てがうまくいくかもしれない。


『よかったな。隆。柏木の事、好きなんだろ? 今優しい言葉をかければいちころだ。俺のお古でよかったら、譲ってやるよ』


(それでも……!)







「……友達だから」







 隆は込められた思いとは対照的に静かに呟いた。

柏木に思いが気づかれないように。


「……」

 その一言に柏木は縋るように甲田を見た。その目からは今にも溢れそうなくらい涙がたゆたっている。

「……まだ、友達でいてくれるの?」

「当たり前だ」


 本当はそんな形では嫌だ。


「色々酷い事をして、最後もあんな事をしたのに?」

「お互い様」


 ほれた弱みというやつです。

 目を逸らさずに隆は頷く。

 柏木の目から、ぶわ、と必死に抑えてきたであろう、涙が溢れ出す。

 柏木は泣きながら、何度も頷いた。


「……うん。うん。ありがとう。そう、だよ、ね」

「あぁ、おい……、泣くなよ」


 泣いている柏木をあやす様に、隆は思いっきり笑った。


自分の気持ちを誤魔化す為に。


柏木が好きだ。それは隆にとっては真実だった。だが、ここで自分の思いを告げれば、今までの柏木の為にと動いた行動は全て我欲に塗れた薄汚いものになってしまう。気持ちではそうでも、それを事実としてしまうのは、甲田に言われた通りになり、思いを汚すようで嫌だった。


 だから隆は恋人ではなく、友達でいようとした。

 

「ごめんね。……本当にごめんね」


 柏木の涙が止まらない。号泣としか言いようが無いような泣きっぷり。


「……傍から見れば、俺、完璧悪者じゃん。泣き止んでよ」


 冗談めかしながら、隆は柏木をあやす。でも隆も半泣きだから、あやしきれていなかった。


 正直なところ、隆はまだ迷っていた。


隆の決断したやり方をただの自己満足だと思う気持ちもある。もし仮にこの行動のおかげで柏木が隆の事を少しでも好きになっていたとしたら。これがきっかけで、少なくとも隆は幸せになれる。


心の中で、今からでも遅くない。素直になれと、たまらずに別の自分が囁く。

 誘惑に負けそうになる。


「……泣くなって」


 柏木と付き合う。

 それは隆にとって、なんて幸せな結末。

 隆が夢見たハッピーエンド。


けれども、そうだったとしても、矛盾だったとしても。






隆は柏木の前では、格好つけていたかった。







 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 次のお話で最後です。

 完結までもう少々、もう少々お待ちください。

 



 

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