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双つの恋を歌う ――― 第一話






 心地の良い朝。

 暖かい陽射しが窓から射しこみ、春の日の訪れを感じさせてくれる。

 まだ少し肌寒い気もするけど、これから暖かくなり、さらに暑くなっていくのだ。

 今はまだ、この寒さを堪能するとしよう。


「――――て」


 ふと、何か、耳に聴こえた。

 穏やかで優しそうな声。


「た――――ちゃん、――きて」


 誰かが、俺の名前を呼んでいる。

 誰だろう。俺の名を呼ぶ、この柔らかい綿毛みたいな声の持ち主は。

 しばし逡巡するも、まだ目覚めきっていない俺の脳では、その結論に至ることもなく。


「たく―――ん、起き―――」


 体がゆさゆさと揺れる。

 それがこれ以上のない刺激となって、俺を再びまどろみの世界へと運んで行く。

 あぁ、そうさ。

 今、俺はとてつもなく眠いのだ…。


「もう! 起きてよ、拓海ちゃん!」


 声。俺を呼ぶ声。

 誰だ? よく知っている声だ。だけど頭が働かない。

 目を少し開ける。寝ぼけたままながらも、とりあえず俺を起こそうとする奴の姿だけは認識できた。


「……わかばぁ」

「あ、やっと起きてくれたよぅ」

「…………おやすみぃ」

「ね、寝ちゃだめぇーっ!」












「おや、おはよう、拓海くん」

「おはよっす、おじさん」


 階下に行くと、そこには家長の姿があった。

 とりあえず挨拶する。なんたって居候の身だけに、失礼な態度は取れないわけで。

 ちなみに居候とは、当然、俺のことだが。


「まだ眠そうだね」

「若葉が起こしてくれなきゃ、ずっと寝てましたね、今日は」

「はは、そうかい。コーヒーはいかがかな?」

「あ〜、お願いします。とびっきり濃いのを」


 そうお願いして、洗面所へ向かう。

 まずは顔を洗って目を覚まさなきゃならない。

 それからトイレに行ってちょちょいと用を足し、リビングで濃い目のコーヒーを飲む。

 それが俺の朝のサイクルだ。

 ……まぁ、言葉にした通り、若葉が起こしてくれるのが前提にあるわけだけど。


「ふぅ……目ェ覚めた」


 冷たい水のおかげで意識も覚醒する。

 濡れた顔をタオルで拭いて、次は頭の上で跳ねまくってる寝癖を直さないと。


「拓海ちゃん、朝ごはん用意できたよ」


 リビングからの声が聞こえた。

 さっとブラシをかけ、髪形を軽めに整える。

 目ヤニなし、寝癖なし、よし完璧。


「腹減ったぁ」


 リビングのテーブルに並べられた料理。

 どれも湯気を立ち上らせ、その美味しさを際立たせようと、自己主張をしている。

 俺がいつも座る席にはすでにコーヒーも用意されていて、うやうやしくそこに着席した。


「ん〜、良い匂い」

「とびっきり濃い目だよ。胃がひっくり返るくらいのね」

「どれどれ…」


 コーヒーを一口啜る。

 深い味わいを思わせる芳醇な薫り、口に広がる苦味の中にある旨み。

 ……文句なく、最上級に、美味い。


「相変わらず、美味うまいです」

「そうかい? それは良かった」


 ――――矢崎やざき 秋人あきとおじさん。

 俺の両親が不在なことを不憫に思い、わざわざ俺を矢崎家に居候させてくれている人。

 職業は、なんと驚くべきことに、お医者様。専門的なことは詳しくないけど、心臓関係の部署に属しているらしい。

 そして二人の娘を持ち、その片割れは、さっき俺を起こしてくれた若葉なのである。


「お父さん、そろそろお仕事の時間じゃないの?」

「おっと、もうそんな時間か。それじゃ若葉、拓海くん、家のこと頼んだよ」


 用意された朝食を口に放り込み、おじさんは荷物を持って家を出て行った。

 おじさんの朝は早い。むしろ今日なんか遅いくらいで、いつもは俺が起きる前に出勤してしまうのだ。

 俺も就職をしたらああなるのだろうか。考えるだけで生きる気力を失くしそうだ。


「拓海ちゃん、急がないと私たちも遅れちゃうよ」

「へいへい」


 急かされるままに朝食を終わらせ、席を立つ。

 階段を上がって部屋に戻り、ちゃちゃっと制服に着替えてから、再び階下へ降りた。


「遅い〜っ」

「お前が早いんだ」

「どっちでもいいから! 早く行かないと遅刻だよ!」


 ――――矢崎やざき 若葉わかば

 さっき紹介した、秋人さんの二人の娘のうちの姉という立場にいる、世話焼きっ子。

 俺と同い年、同学年のくせに、何かと俺の保護者面をする。別にうざいなどと言うつもりはないけど、高校生にもなって“拓海ちゃん”はないだろうと、それだけは言いたいものだ。


「あ、ちょっと待って!」

「あん?」

「お母さんに挨拶してこなくちゃっ」

「ああ……」


 矢崎家に住むのは、総勢四人。

 父親の秋人おじさん、その娘二人、そして部外者で居候の俺。

 一般的な家庭においているべきはずの人。母親なる人物。

 その人は、俺がこの家に居候し始めた十年前、慢性的に患っていた病気のために、この世を去ってしまった。


「おはよう、お母さん。じゃ、行ってきます」


 綺麗な人だった。

 優しくて、温かくて、柔らかい笑顔が似合う、“母親おかあさん”だった。

 俺の思い出の中にいる若葉の母親は――――そう、絵に描いたような、理想の“お母さん”だ。


「……拓海ちゃん?」


 だから、俺も、久しぶりに挨拶しようと思う。

 遺影の前に座る若葉の横に腰を下ろし、線香を手にとって、火を灯す。

 そして両手を合わせ、目を瞑る。届くはずのない言葉が、届くはずのない人に、届くように、祈る。


「……」


 しばしの沈黙が流れる。

 一分ほどの黙祷のあと、どちらともなく、目を開けて、お互いを見やった。


「行くか」

「そうだね、遅れちゃうよ」

「おう」

「……拓海ちゃん」

「ん?」

「ありがと」


 そう言って立ち上がる若葉の顔は、なぜだか、とても嬉しそうだった。














ゆっくり更新していこうかと思います。

出来れば、長い目で見守っていてください。

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