第五話:廃校舎
林、林、林、か。
さすがに元無人島。何もない。
しばらく歩いているのに誰にも出会わないのは、もう夜だからだろうか。
まだ春休みだし、まだ実家に帰省している生徒が多いのかも知れない。
あまりにも何もないせいでここがどこかわからなくなりそうなものだが、あちこちに道案内の看板が立てかけてあるおかげで、迷う心配だけは全くない。さすがに島全部が学園なだけはある。
ちょうどいい月夜だ。
少しでも地形を把握するため、と思ったが、気持ちのいい散策になったな。
ん?
大きな建物だ。こりゃどうも校舎だな。
やけに老朽化してやがる。
おいおい、こんなところで授業受けるのか? 勘弁してくれよ。
と思ったら、看板がある。
……なになに。
老朽化により使用中止。危険、立ち入り禁止。か。
つまりこいつは、いわゆる旧校舎ってやつだな。
さすがにこんなとこで授業受ける必要はないということか。やれやれ。
ん?
今何か影が通りすぎたようだな。
校内だったみたいだが。
……月夜に、旧校舎に、怪しい影。
こりゃ、どう考えても、アレだよなあ。
別に怖くはないが、ほんとのほんとに怖いとかそういうんじゃないが、うん、君子危うきに近寄らずという先人のありがたい教えもあることだ。勘違いしないでもらいたいのは、決して臆病心にふかれたとか肝の小さい男とかいうわけではなくわざわざ不可解なものに近寄る必要は全くないということでうんたらかんたら――
――?
……今、何か聞こえたな。
ポルターガイストとか、そういう類のもんじゃない。
……聞こえないな。気のせいか?
!
やっぱり、何か聞こえる。
……人間の声だ。
途切れ途切れで、聞こえづらいが、これは確かに人の声だ。
……くそ、なんて言ってるのかまではわからない。
だが、切迫感があるのはわかる。
やれやれ、勘弁しろよ。
なんだって今日はいろんなことに巻き込まれちまうんだ。
見て見ぬ振り、ならぬ聞いて聞かぬ振りしたいところだ。でも、そんなことしたら寝覚めが悪いんだろうなあ。
……ちくしょう。行くか。
よっと、この程度の門、乗り越えるのは楽勝だ。
……また、声がしなくなったな。
ちくしょう、これで校舎の中で男女がプロレスごっこしてたら泣くぞ。
……暗い、が、月明かりのおかげでなんとかなりそうだ。
さび付いた壁に、埃だらけの床。やはりここは廃校舎なんだな。なにより、人がいたっていう感覚が全くない。普通建物には、気配とか、霊魂とか、そういう類のもんが染み付いてるもんだ。
……音はどうやら、この教室のほうから聞こえてくるみたいだ。かろうじて読める限りでは、音楽室のようだな。
ドアを少しだけ開けて中を覗いてみよう。ガタ、おっと、少し音がしちまった。だがこのくらいなら聞こえてないはずだ。
……中にいるのは三人……が輪になって、何かを囲んでいるようだ。三人とも背中を向けていて、顔はわからない。見た印象では、全員男――男子学生のようだ。
机や椅子なんかは取っ払っちまって、中はだいぶ広い。
――なにを囲んでいるんだ? ん?
「これに懲りたら、次はちゃんと金を用意しておくんだな。今度はこのくらいじゃ済まないぞ」
正面の男が、何かを何度も蹴り上げているようだ。
なんだ――うめき声?!
どうやら、囲んでいる中にいるのは、人間のようだな。
さっきのせりふから推測すると、かつあげ、つまり恐喝ってやつか。
勘弁しろよ。全く、いけ好かないやろうがいるもんだ。
ちっ、三人か。面倒に巻き込まれるのは勘弁だが、ここまできたら仕方ない。
ガラッと、今度は大きく音を立ててドアを開ける。よしよし、連中びっくりしやがったみたいだ。
「おいおい、ここは廃校舎だって書いてあったのに、どういうことだ。てめえら一体何の授業してやがる」
「誰だよてめえは」
「正義の味方だ。がらじゃねえけどな」
しーん。ありゃ、ちょっと外した?
「一応聞いとくが、お前らみんな仲良しこよしでじゃれあってたってわけじゃないんだろう? そこに誰かいるみたいだけど、ちょっと見せてくれないか?」
三人は無言で、少し距離を置きながら俺を囲む体制に入った。うろたえもしない。なかなか度胸のあるやつらだ。
隙間ができたので、蹴られていた対象が見えるようになる。暗くてよく見えないが、やはり人間……うずくまった人間のようだ。
やつらは緊張して、今にも飛びかかってきそうなのがわかる。
「お前らさあ、やるにしても、もうちょっと、ちゃんと確認しといたほうがいいんじゃないか? 俺がお前らの仲間だったらどうすんだ?」
「やかましい!」
正面のやつだ。
「見られたからにゃ、そのままにしとくわけにはいかねえ」
「こりゃいい。明らかに悪役のせりふだ。どうする気だ? まさか縛って沈めるわけじゃないんだろ?」
「怖くて、しゃべれないようにしてやるさ」
かつあげされてたやつも、そうやって恐怖で縛り上げて、金を巻き上げてたんだろう。
「お前らさあ――おっと」
しゃべってる最中に殴りかかってくるのは、反則じゃないのか?
「お前らさあ――自分たちの名前を知ってるか? お前らみたいなのを人間の屑って言うんだぜ」
返答もなく、ただひたすらに殴りかかってくる。ただ、あまり連携がとれていないせいで、大した脅威じゃない。
タイミングが合ったところで、右ストレートをお見舞いしてやる。
や。
……手加減はしたが、もう立ち上がれないはずだ。
「おい、なにやってる。おい」
たった一撃で床に倒れこんだ仲間に、別のやつが呼びかける。
その隙に一気に間合いをつめ、掌底を繰り出す。
――気を失わないながらも、意識がぼんやりしちまうはずだ。
「な、なにやってんだ。おい、おい」
残ったやつは、もう余裕がなくなってきたみたいだ。やれやれ、多少は慣れたやつらだったみたいだが、所詮は素人、か。助かった。
「どうする? まだやるのか?」
「ち、くしょう! お前はなんなんだよ」
「言ったろ? 正義の味方だ」
しーん。ま、拍手を期待してたわけじゃないけど。
「面倒だから、もうどっか行けよ。安心しろ、後ろから襲い掛かったりしないから」
少し躊躇っているな。もう少し待つ。よし、警戒しながらも、仲間を介抱して、ちゃんと逃走するようだ。
……行ったか。
全く、勘弁しろよな。ほんと、勘弁しろよ。今日の運勢、最悪なんじゃないか?
「大丈夫か。だいぶ、手ひどくやられたみたいじゃないか」
髪は乱れ、服も乱雑に跳ね飛ばされ、何より、体中が痛むんだろう、ぼろ雑巾のように横たわりながら、必死で体を縮めている。月明かりの中、恐怖で、小刻みに震えているのがわかる。
「どうだ? 立てるか? いつまでもそんなとこに寝そべったままじゃ、治るもんも治らないからな」
……どうやら、傷はたいしたことはないらしい。顔には大きな青あざがいくつもできているし、おそらく服の中も同じ様子なんだろうが、骨折や大きな切り傷なんかは見られないようだ。
「これなら、二三日安静にしてたらすぐ良くなるさ。ほら、いい加減起き上がれよ。……よし、寮はどこなんだ? 実は、俺、自慢じゃないが、今日初めて島に来たから、島内の地図が全くわからん」
どうも、梨のつぶてだ。もう少し会話のキャッチボールをしようぜ。
体の傷はともかく、精神的に参ってるんだろう。
外に出て、どこに行けばわからないので、なんとなく足に任せて歩く。月明かりで、木々や地面や空は青白く輝いていた。
「あいつらの名前は知ってるのか? どうする? 訴え出るなら証言してやってもいいぞ。このままじゃ、君も仕返しが怖いだろ? そういえば、自己紹介がまだだったな。なんか今日は自己紹介してばっかだ」
まだ返答はないが、少しは表情が和らいできたみたいだ。
「俺は吾川蒼輔。高等部二年だ。転入生なんで、見ての通り、バッジは無し。バッジでクラスを判別できるなんて、変わった学校だよな。君は……月でよくわからないな。赤か? なんだ、優秀なんだな。優秀なんだろ、赤組って?」
「赤がなんだっていうんだ! 赤なんかに入らなければよかったんだ」
ようやく口を開いたかと思えば、吐き捨てるような口調だ。
「さっきのやつらも、赤組か?」
「……」
やれやれ、また沈黙か。
「ま、やつらのことはどうでもいいさ。あんなやつらは無視しといて、君はさっさと怪我治して、元気に学生生活送らないとな。新学期では、クラス替えがあるんだろ?」
けど、クラス替えがあっても、やつらと離れられるとは限らない、か。
「俺もなるべく力になるよ。さっき見ての通り、俺暴力には自信があるんだ。って、そんなもんマジで自慢にはならないけどな」
やれやれ、いつからこんなおせっかいになったんだ?
「それに、緑組のやつと黄組のやつに知り合いがいるから、もし君がそいつらと同じクラスになったら、よろしく言っとく。ま、だから気楽にやることだよ。寮はどこなんだ? たまに様子見に行く」
「いいよ。そんなことまでしてくれなくて」
全くだ。だけど、少しは心を許してきたみたいだな。
「ちなみに、俺のことは蒼輔でいいぞ。島に来て会ったやつがフランクなやつばかりだったから、もうそれで通そうかと思ってんだ。……変かな?」
「……変じゃない」
「じゃ、俺は君のことはなんと呼べばいい? 今ならお兄さん、リクエストに応えちゃうぞ? ああでも、ダーリンとかマイハニーとかは勘弁な。そっちの趣味はないんだ」
お、よし、少し笑ったみたいだ。
「どうした? 急に立ち止まって」
「ありがとう。でももうここまででいいよ」
過剰な親切は返って迷惑、か。
「わかった。でも二三日安静にしてろよ。あと、あいつらのことは気にすんな。ああいうのは、あっちがどうかしてるんだ」
「うん。僕もそう思う。ありがとう」
「よし、少しは顔色がよくなったみたいだな。じゃあな。ああちょっと待てよ。結局君の名前はなんなんだ?」
「……清澄利春。なんと呼んでくれても構わないよ」
「じゃ、気軽にマイラバーとでも呼ぼうか」
「……」
「普通に利春、でいいよな。じゃあな利春」
「うん。ほんとにありがとう……蒼輔君」