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エピローグ:人形姫のめざめ

 穂乃歌、穂乃歌、聞こえる?

 なんていったらいいのかな、ただ眠っているだけのように見えるね。お医者さんの話では、ただ眠っているだけの状態と変わらないんだって。ただ眠っているだけなんだけど、いつまでたっても起きないのはおそらく精神的な問題が穂乃歌の中にあるからだろうって。先生が言うには、今穂乃歌は自分自身の中にある問題と戦っているんだって。もし穂乃歌自信が自分自身との問題に打ち勝つことができればすぐにでも目を覚ますだろうし、それができないうちはいつまでも目を覚ますことはない。これは穂乃歌自身の問題だから、穂乃歌がいつ目を覚ますのかを周囲が判断することはできないんだって。

 聞いたよ。穂乃歌は私のこと待っていてくれたんだってね。

 だから、私も穂乃歌のこと待たなくちゃいけないよね。穂乃歌にはいくらでも時間がるのだから、思う存分こころゆくまで自分自身と向き合ってきなさい。少しくらい時間がかかっても大丈夫。いつまでも親友は君のそばで待っているぞ。

 だけど、やっぱり、できるだけ早く目を覚ました穂乃歌とおしゃべりしたいな。


 まだあんまり、記憶がはっきりしないんだ。頭の中に霧がかかったみたいに、すごくぼんやりしていて、過去のことを上手く思い出すことができない。讃神学園で起こった恐ろしい出来事のことは、聞かされたけど、だからなんていうか、自分のこととは関わりのないことのような、すごく他人事のように感じられるんだ。私自身が渦中にあって、ひどい目にあっていたなんて実感が湧かない。讃神学園事件って、すごく遠い国で起こった出来事のように思えるんだ。他のみんなもそうなんじゃないのかな。

 だけど、こうも思うんだよ。記憶がないのって、すごく怖い。記憶を消されるって、すごく恐ろしいことだ。だってそうじゃない。記憶を自由に消すことができるんなら、その間なにをされていてもわからないってことだから。実際ここ一年ほど――記憶があいまいな期間、私がなにをされていたのかって事はわからないんだよね。すごくおぞましいことを、もしくは卑劣なことをされていたんじゃないかって考えると、すごく怖い。

 それに、記憶をなくすって事は、その間私が経験したことを忘れるっていうことだ。私が見たり聞いたり、考えたりしたことを。つまり私が生きていたっていう事実を忘れてしまうんだ。そうすると、その間に生きていた私ってどうなってしまうの? 少なくとも彼女は私の中に生きていない。今の私と繋がっていない。生きるって、生まれたときからずっと連綿とつながっていることで、過去の自分は記憶として自分の一部として残っているのだと思う。だけど記憶を消されていた期間の私は今の私なのかには残っていない。なんだかそれって、すごく怖い。

 怖いよ、穂乃歌。心細いよ。


 なんだか私ばっかりしゃべっているのって、不思議だね。いつもと逆になったみたい。そうだったでしょう? いつも穂乃歌が私の後ろについてきて、あれこれ話を聞いてもらいたがった。私はいつも相槌をうつばかりで、時々上の空の返事をしたりすると、すぐあなたはむくれてちゃんと聞いてよっていった。――反論があるなら今すぐにでも起きてよね――。一応いっておくけど、私、穂乃歌の話をちゃんと聞いていなかったことなんてないからね。いつでも私、穂乃歌の話を真面目に聞いていた。ほんとだよ。

 怖いとか不安だとか、そういうことを言うのも穂乃歌の役目だった。穂乃歌はちょっとしたことでもすぐ不安がって、私に勇気付けてもらおうとした。私はいつでも大丈夫だよって、穂乃歌を励ました。そりゃ、私だって時々は穂乃歌に励ましてもらうこともあったかもしれないけど、絶対穂乃歌のほうが多かったと思うな。穂乃歌はいつも些細なことで悩むから、私が大丈夫だよって言うと、すぐにケロっと元気になっちゃうんだ。少しは自立しなさいって、いつか言おうと思ってたんだよ。

 だけどさ、今は、私のほうが話を聞いてもらいたいんだから、そんな風に目を閉じていないで、もっと真面目に話を聞いてほしいな。それから大丈夫だよっ、あたしがついてるって、時々言ってくれたみたいに言ってほしい。こんなんじゃ梨のつぶてだ。


 私がいなくなっていたときに、穂乃歌がどれだけ心配してくれていたのかってことも聞いた。私がいなくなったことで穂乃歌がすごく不安定になったってことも。だから、もっと早く、私たちは自立をしておく必要があったんだろうね。だけど、だからってこんなことにならなくちゃならない理由はない。ごめんね、穂乃歌。それに、ありがとう。

 だから、穂乃歌になにがあったのか。穂乃歌が何をしていたのかっていうことも、聞いた。穂乃歌が多分、悪いことの手助けをしていたってことも。それに、人を、殺してしまったってことも。それはきっと、誰かを助けるためであったとはいえ、償わなくちゃならないことだと思う。簡単に償いきれることではないけど……。だけど、私もついているから。もう私はずっと穂乃歌の側にいるから。ふたりでいればきっと、荷物は軽くなるよ。背負いきれないほどの荷物じゃなくなると思う。だから、その点に関しては、安心して……。


 ねえ穂乃歌、私、元気になったよ。まだ体重は戻ってないし、動き回ったりできないし、時々強い不安に襲われたりもするし、治療はまだ始まったばかりで、生涯かけて自分の体と向き合っていかなければならないっていわれているけど、ほら、穂乃歌、私、元気になったよ。少なくとも病室を移動して、あなたの病室まで一人でこられるくらいには。穂乃歌が心配してくれていた親友は、こうして元気になりました。だから……もっとおしゃべりとかしたいよ。こうやって一人語りに語りかけるんじゃなくって。もっとどうでもいいこととか、馬鹿げたこととか、そんな他愛のないおしゃべりがしたいよ。

 穂乃歌、私……さびしい。だけど……信じているから。穂乃歌は絶対いつか元気目を覚ましてくれるって、信じているから。

 だからずっと、私は側にいるからね。――――





 いくつかの季節が過ぎた。その病室には時折見舞い客が訪れた。季節が巡るごとに見舞い人は一人減り二人減りしていったが、しかし病室を訪れるものが途絶えることはなかった。ことに少女と同じ病院に入院している少女の親友は、毎日少女の病室を訪れては目を開かぬ少女に話しかけた。

 その日は親友の退院する日だった。病室内に暖かな日が差していた。傍らに置かれた一輪の花が揺れていた。その日も親友は少女の病室を訪れた。二人の学生を連れて。時折彼女の病室を見舞う彼らといつしか親友も顔見知りになっていた。

「まだ一度も目を開かないのか?」

「うん」

「全く、いくらなんでも寝坊が過ぎるんじゃないのか?」

「寝坊は誰かさんだけで十分だよね、たぶん」

「久しぶりに会ったってのに、言ってくれるじゃないか」

「今なにしてるの、君は?」

「企業秘密だ」

「はあ。元気そうで何よりだよ。たぶんね」

 病室に入ってからも楽しそうに言い合いを続ける彼らを、親友も楽しそうに見守っていた。それからベッドの上の少女に話しかける。

 ほら、今日はふたりとも来てくれたよ。私の退院祝い、なんて、このふたりは穂乃歌の心配してるだけなんだから。ふたりも男子捉まえてるなんて、いつの間にそんな子になっちゃったのよ、この。ちょっと妬けちゃうな。

 前にも行ったとおり、私は今日退院しなくちゃいけないんだ。まだずっと通院は必要なんだけど、とにかく日常生活は送れるようになったから。ほんとはずっと穂乃歌と一緒にいたいんだけど、いつまでも病院に迷惑かけるわけにもいかないからね。だけどもちろん毎日お見舞いに来るから。当たり前でしょう? 安心した?

 ……だけど、ほんとは、ほんとはね? 穂乃歌と一緒に退院できたらなって、ずっと思ってた。二人で一緒に新しい一歩を踏み出せたらなって。ごめんね。私はちょっと先に行くけど――

「おい、ちょっと待て。今の見たか?」

 親友が話しかけている途中で、その様子を見ていた男子の一人が声を上げる。

「なにを?」

「なにをって……動かなかったか? 手」

 びくっとして親友は少女の手を握り締める。

 穂乃歌? 穂乃歌? 私の声が聞こえているの?

「穂乃歌? 聞こえてるんだろう。聞こえてるんなら目を開けろ」

「穂乃歌さん。ほら、目を開けて。ここにはみんないるよ」

 穂乃歌。聞こえているんだね。聞いて、穂乃歌。目を覚まして。大丈夫。ここにみんないるから。あなたにはみんながついているから。

 だから目を覚まして、穂乃歌。

 少女は握っている手に力をこめる。

 その手を、少女の手が微かな力で握り返す。

 雪の深い冬の後に暖かな春が訪れる。眠りから覚めたさなぎは美しい蝶となり大空を舞う。長い人形の夢を見ていた少女はやがて目を覚まし美しいときを生きるだろう。

 覚めない夢はない。


 今、少女はまぶたを開く。

というわけで『讃神学園事件』完結です。何とか無事完走することができました。こんな長く拙い文章に最後までお付き合いいただいて本当に、本当にありがとうございました。

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