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第四十話:そのあとにはただ静寂だけが訪れる

 室内に俺と朱姫以外の気配はない。俺はここに生きている。穂乃歌と桜谷はどこへ行ってしまったのだろう。

 ふと部屋の隅に黒い影があるのに気がつく。人影。うずくまっているようだ。途端に嫌な予感が湧き上がって来る。前にもこんなことがあったような気がする。俺は死の淵にあり、そこを朱姫に起こされて――。

「朱姫、この部屋で一体なにが起こった」

「わからない。私はここにいたわけじゃないからね。ただ、なにが起こったのか想像することは容易だと思う」

「そこにいるのは……桜谷か」

「撃たれているね、全身を何発も。君の思っている通り、あの時と同じだ」

 そう、俺が久万に拷問されたときも今と同じような状況にあった。俺が目を覚ましたとき久万は全身を撃たれて血を流して死んでいた。誰が撃ったのか今も俺にはわかっていない。朱姫は心当たりがあるようだったが。

「……穂乃歌はどこに行ったんだ」

「屋上だと思う」

「何故わかる?」

「ここに来るときにすれ違ったからね。放心状態だったよ。早く追いかけたほうがいい」

「どうしてそんなところに……。一体ここで何があったんだ」

「もう一度言うよ。早く行ったほうがいい。今の穂乃歌の状態だとなにを起こしてもおかしくない」

「朱姫、君は一体何をいっている。どういうことだこれは。すれ違っただって? 何故穂乃歌を止めなかった」

「力ずくで止めても意味がない。穂乃歌を救えるのは君だけなんだよ、蒼輔。早く穂乃歌を追わないと取り返しのつかないことになる」

「わからないんだ。まだるっこしい言い方をしないで、俺にもわかるように説明してくれ。誰が桜谷を撃った。どうして穂乃歌は屋上に向かったんだ」

「……穂乃歌はここ数ヶ月ひどく虚ろな精神状態にあった。ぼんやりとしていて、自分で自らのことを決められないような、すごく空虚な精神状態。精神を誰かの指揮下に置かれているのだと思った。元々依存心の強い性格だったのだけど……」

「桜谷だ。あいつが穂乃歌の心の隙間に入り込んだんだ」

「桜谷先生は『A.G.P.』の指導者の一人だったんだね」

「そうだ」

「穂乃歌の依存を止めることは私にはできなかった。できなかったし、するつもりもなかった。これは穂乃歌自身の問題だから。穂乃歌は他者に依存することで親友を失った心の隙間を埋めようとした。ただ、穂乃歌自身にも葛藤はあったんだと思う。心を他者に任せても問題は解決しないのだと、穂乃歌のある部分はわかっていただろうから。いつまで経っても親友は帰ってこない。それどころか自分は灯のためになにもしていない。このままではいけない――。そんな時君が現れた」

 俺?

「君は真摯に、真面目に、あくまでもまっすぐに灯さんを捜索した。そんな君の姿が穂乃歌にはどう映っただろうね」

「だが、穂乃歌が俺に近づいたのは桜谷の指示を受けてのことだったんだぞ」

「それでも、だよ。穂乃歌の灯に対する友情は本物だった。穂乃歌は本当に灯を大切に思っていた。必ず無事で戻ってきてほしいと願っていた。灯を探す君は、穂乃歌には救世主にすら思えただろう」

 ……そんな大層なもんじゃない。俺は……ただ任務でそうしていただけだ……。

「穂乃歌の君への信頼は日増しに高まっていくばかりだった。片や桜谷先生への依存は根強く残っている。どころか、君の言葉によれば桜谷先生は穂乃歌に君の監視を命じていたみたいだね。君への信頼と裏切りに挟まれて、穂乃歌はどれだけ葛藤し苦悩しただろう。多分それは私には理解できない。穂乃歌は何よりも君を守ろうとしたと思う。君に向けて引き金を引くことはできなかったと思う。だから、久万先生から君を守った。だから……今のこの状況が現出した。だけど……だからこそ今の穂乃歌は危うい状態にある。いつ精神が崩壊してもおかしくない。それを止められるのは蒼輔、君だけだ」


 昇降口のドアを開ける。すぐ目の前には青空がある。青い空と白い雲。春の空はどこまでも暖かい。眼下に讃神島の自然を見渡すことができる。その向こうには日を反射してチカチカと輝く海。水平線を遮る島影は本島だろうか。どうしてこんなときに晴れているんだろう。天候と感情は必ずしも比例しない。

 すぐに視線を辺りに移す。いた。向こうの端の落下防止の金網に前面から力なくもたれかかっている。こちらからは後姿しか見えない。見間違えるはずもないジャージ姿に、片方の腕に拳銃をぶら下げている。

 よかった、まだ無事だ、だけど、一体なんと言えばいいのだろう。

 ゆっくりとその後姿に近づいていく。覚悟は定まっているようで定まっておらず、考えはまとまっているようでまとまっていない。けれども不思議な安心感がある。穂乃歌は友達だ。

 近づくにつれ鼻歌が聞こえてきた。子守唄のようだ。力がなく抑揚がなく、まるで存在していないかのようなか細い声で、穂乃歌の後姿は歌っている。

 足音に気づいて後姿は鼻歌を止めた。同時にもたれていた金網から身を浮かせる。片手に持った拳銃を一度宙に振りかざすとそのまま身を翻し、ぴたりと照準を蒼輔の正面に合わせたところで止まった。虚ろな瞳は蒼輔を透かして昇降口を見ているようだった。

「よかった、無事だったんだね、蒼輔」

「ああ、お前のおかげだ、穂乃歌」

「来ないで」

「今さら撃たれるのは怖くないよ」

 一歩踏み出した瞬間、穂乃歌は銃口を蒼輔から離し自らの頭につける。その面に表情はない。

「やめろ穂乃歌」

「蒼輔、あたしね、撃っちゃった。桜谷先生、撃っちゃったよ、蒼輔」

「……そうか」

「先生のこと、信じてたのに、好きだったのに、撃っちゃったよ、蒼輔」

「だからって、お前は死ぬな」

「先生はね、大丈夫だって、全部任せなさいって、言ってくれた。安心して、先生に任せてって。すごく、心強かったんだよ、蒼輔。先生といると、声を聞いていると、すごく安心できたんだよ。だから、……だからあたしさ」

「……うん」

「わかってたんだよね、なんかおかしいってことは。先生の指示に従っていたって、灯は戻ってこないって事は。わかってたんだよね。でもね……、安心したんだよ、信じたかったんだよ、……楽だったから、苦しくなかったから。……逃げたんだよね、あたしは。わかってたのに。逃げちゃ駄目だって、わかってたのに」

「俺はお前を責めに来たんじゃない」

「どうして? どうしてそんなこというの? どうしてあたしのことを責めないの? だってあたし、最低なんだよ? 最低な人間なんだよ?! 最低だよ……。いっつも人に頼ってばっかりでさ、辛いことから逃げて苦しいことから逃げて……、自分から逃げて灯からも逃げて、ついには…………先生まで撃っちゃった。好きだった先生まで撃っちゃった。ねえ、おかしいよねっ? 笑っちゃうよねっ? 先生のこと、好きだったんだよっ! 好きだった、のにっ……」

「……俺を、助けてくれるためだろ」

「そうだよ。だってあたし蒼輔のことが好きなんだもんっ。好きなんだよ、蒼輔。蒼輔は気づいてなかっただろうけど、好きだったんだよ。気づいてなかったよね。蒼輔は、あたしの気持ちになんか気づいてなかったよ。だって……、だってさ、蒼輔、朱姫のことばっかり見てるんだもん。あたしのことなんて、これぽちも見ちゃくれなかったもんね。見てくれて……、なかったよ……。でも……、あたしは好きだった。だから撃ったよ。蒼輔のためならあたしは殺人鬼にだってなるの。おかしいよね、あたし」

「おかしくない」

「ああ、ああ、駄目だ、また人のせいにしちゃった。駄目だってさ、こんなんじゃ駄目だってわかってるんだよ。駄目だけど、いつまで経っても直んないや。えへへ、ねえ蒼輔。これがあたし、住吉穂乃歌。最低で惨めな人間。怒ってるよね。こんなのと関わっちゃって、怒ってるよね」

「怒ってない」

「嘘だね。あたし、蒼輔のこと、騙していたんだよ。桜谷先生の命令を受けて、友達の振りして、ずっと蒼輔のこと監視していた。蒼輔のやることなすこと全部桜谷先生に報告していたんだ。だから……」

「怒ってない。怒ってないし、たとえ怒ったとしてもそれがなんだっていうんだ。お前は俺を騙していたかもしれないけど、その程度のこと、一言ごめんなさいって謝れば済む話じゃないか」

「そんな程度の話じゃないよっ」

「そんな程度の話なんだよ。だって、俺たちは友達だろ。友達だから、ちょっとぐらいのこといちいち気にしないし、悪いことしたなら一言謝ればそれで終わりだ。大体騙してたっていうなら俺も同じだ。スパイだってことずっと黙っていたんだし」

「だってそれは、蒼輔の仕事だったからでしょ」

「そうだ。そして穂乃歌も穂乃歌の立場でやるべきことをやっただけだ。謝ることじゃない。それでも悪いことをしたと思ってるんなら、一言謝ればいいだけだ。穂乃歌、いくら任務とはいえ隠し事をしていて悪かった」

「そんなの、謝ってほしいとも思わないよ」

「俺も同じだ。だから穂乃歌、もう銃を下ろしてこっちに来てくれ」

「ううん、もう駄目だよ。あたしはもうここで終わり。もう取り返しのつかないところまで来ちゃった。こんな人間が、どうして生まれてきてしまったんだろう。ああ、生まれてくるんじゃなかったなあ」

「そんなことを言うのはやめてくれ。俺はお前を責めに来たんじゃないし、お前が最低の人間だなんて思わない。生まれてくるんじゃなかったなんて二度というな」

「ああ、蒼輔はいい人だね。いい人だから、すごくいいことを言ってくれる。でもね、違うんだよ。あたしはもう終わり。ここでもう終了。そう決めたんだ。もうあたしはこの世界に必要ない。きっとそのほうがいいんだよ」

「まだ言うか。あのな穂乃歌、俺はさっき目が覚めた。新しく生まれなおした。俺はこれから吾川蒼輔として新しい人生を始めるんだよ。その新しい人生にお前がいないでどうするんだよ」

「そっか。それならなおさらだよ。蒼輔の人生の中にあたしみたいなのが紛れ込んだら台無しになっちゃう」

「違う。俺にはお前が必要だ」

「やめて、来ないで」

「さあ、こっちだ」

「駄目だよ……うれしいけど……あたしにはそんな資格がない。あたしには…………ううん、駄目……やめて……こっちに来ないで……わからない…………どうすればいい…………あたしは…………ごめんね…………もう……ああ――疲れた」

 穂乃歌の目の中から次第に光が失われていく。全身から力が抜けていき、ただ右手だけが機械のようにエネルギーを湛えたまま活動を続けている。

 目をつぶる。涙は流れない。

「……そうすけ、ありがとう」

 少女の気配が変わったと思った瞬間蒼輔は飛び出した。拳銃を握った右手に殺到する。

 しかし遅い。一瞬早く少女の指は引き金を引いた。

 バン。と他人事みたいな金属音が辺りに響いた。

来週は更新できないかもです。もうあと何話もないこの状況で休みたくはないんですが、無理かもしれません。と、先に予防線を張っておきます。(ちょっと休みがないんですよね。帰ってから書けばいいだけの話ですが。)できるだけやりたいですが、できなかったらごめんなさい。ちなみに、多分あと二話で終わりです。

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