第三十七話:科学者の長広舌
一体なにが起こっているのか俺には理解できない。なぜか穂乃歌が、そんなことをするはずのない穂乃歌が俺に銃口を向けている。銃口は精確に俺の額を差している。撃たれれば一撃で死んでしまうかもしれない。
「何の冗談だよ穂乃歌。時と場合を考えろよ」
「動かないでっ。動いたら、撃つっ」
冗談じゃないことくらい穂乃歌の目を見ればわかる。常に引き金にかかった指は俺が少しでも不審な動きをすればすぐに引かれるだろう。
俺は無抵抗を示すためにゆっくりと両腕を上げていく。
「わからん。なにがどうなっているんだ」
「わからない? そうかな。貴方の頭は状況を理解していると思うけど。理解できないと思うのは、貴方の意志が理解することを拒んでいるため。これも感情の弊害の一つだといってもいい」
桜谷が立ち上がり俺のほうに近づいてくる。そばまで来て嘗め回すように俺の顔を見つめる。もちろん銃口と俺の間に入るなんて馬鹿な真似はしない。
「よろしい。ならば説明してあげよう。穂乃歌は私の人形だ、ということ」
人形? 人形とはどういうことだ?
「つまり操り人形。私の意志で自由に動く」
「ふざけるな。穂乃歌は人間だ」
「もちろん。人形というのはただの比喩だ。ただし穂乃歌は私の指示を受ければ何でもその通りに動いてくれる。例えば」
桜谷が穂乃歌に目で合図を出す。穂乃歌はうなずき、銃口を少し上に向け引き金を引く。銃声が響いて弾は部屋の壁に当たる。威嚇射撃と言ったところだ。穂乃歌はすぐに銃口を俺の額に向けなおす。
「穂乃歌はお前たちの仲間だったということか」
「そう。穂乃歌がこの数日間貴方と行動を共にしたのも、私の指示したこと。貴方の動向を把握するために私が穂乃歌を近づかせた」
俺が讃神学園に来てからすぐ、見澤灯の捜索に穂乃歌は協力してくれるようになった。初めて会ったときのことを思い出す。不審な点は何もなかったはずだ。だがそのくらいの演技をすることはなんでもないことだ。
「全部、演技だったということか! 俺に協力してくれたことも、俺を友達だといってくれたことも! 全部、ぜんぶ!」
俺は穂乃歌を睨みつける。穂乃歌の目からはどんな表情も読み取ることができない。まるで人形のように。
「それは嘘だ! 穂乃歌、お前は見澤灯の親友だったんだろ! 心から心配していたんだろう! あれも全部演技だったと、嘘だったというつもりか! そんな、そんなわけがない。お前の心情は本物だった。そうだろうっ、穂乃歌!」
「穂乃歌が見澤灯の親友だったというのは本当だよ」
「だったらお前が『A.G.P.』の仲間のはずがないじゃないか。見澤がこいつらになにをされたのか覚えているだろう。お前がそんなことに手を貸すはずがない。そうじゃないか」
「灯がいなくなって、すごく寂しかった。心細かった。ずっとふたりで一緒にいたから、灯のいない生活なんて考えられなかった。すごく、苦しかったよ」
穂乃歌は感情のこもらない淡々とした口調で語る。
「でもねっ、そんな時、桜谷先生が助けてくれたんだよっ。話を聞いて元気付けてくれた。大丈夫だって、笑いかけてくれた。いつか灯は無事に見つかるから全部先生に任せておきなさいって、言ってくれた」
穂乃歌の言うことから類推すると、穂乃歌は元々『A.G.P.』の一味ではなかった、ということか。少なくとも見澤灯が失踪するまでは普通の学生だった。しかし見澤が灯が失踪し、その心の中にできた隙間を桜谷に付け込まれた。
「そして実際に灯さんは見つかった。そうだね、穂乃歌」
「……はいっ」
穂乃歌は笑う。桜谷に向かって、まるで子供が母親に向けるような無邪気な笑みを浮かべる。
「馬鹿な。あの状態のどこが無事に、だ。穂乃歌、お前は騙されているんだ。こんなことしていても何にもならない。穂乃歌、目を覚ましてくれ。銃を下げるんだ」
「大丈夫だよ穂乃歌。灯さんはすぐに元気になる。先生に任せておけば、全て上手くいく。だから貴方は私にしたがっていればいいの、穂乃歌。心配しないで、全部私に任せて」
「はいっ」
俺の言葉は穂乃歌に届かない。穂乃歌はまるで桜谷に操られているかのようだ。人形か、よく言ったもんだ。
「穂乃歌に一体なにをした?」
「何もしていない。穂乃歌は自分の意志で私に従っているだけだ」
「ふざけるなよ。今度はクスリか、手術か? なんだか知らないが、お前ら、いい加減にしろよ」
「貴方のその言葉のほうがよほど生命を冒涜していると思うけど。穂乃歌にはクスリも与えていないし、手術も行っていない。ただ私は穂乃歌と話しただけ。会話をしただけでも貴方は非難をするの?」
「催眠か」
「よろしい。そのくらいの勘は働くようだ。もっとも私は神ではない。催眠をかけることのできる人間もいれば、全くかけることのできない人間もいる。話法は心得ているけどね。穂乃歌はその点かかりやすい人間ではあった。灯さんを失って非常に気弱になっていたし、元々他者に依存するタイプの性格だった。ただし私に身を委ねたのはあくまでも穂乃歌の意志だよ。私は強制などしていない」
「人の心の隙間に入り込むことが真っ当な手段だと?」
「それは日常でも行われていることだ。人は日々小さな嘘をつき続け、または嘘を吐かれ続け、それらの嘘を受容したり拒否したりしながら人間関係を築いていく。いじめられている人間に、僕だけは君の友達だよと声をかけるとする。それはある面では美徳で、ある面では心の隙間に入り込む行為だ。それも貴方は非難する?」
「だがお前は穂乃歌を騙す意図があったんだろう」
「それすらも不定だ。なるほど私は穂乃歌を人形に仕立て上げたが、穂乃歌を救う意図が皆無だったということはできない。世の中には確定しうることなどほとんど存在しない。要はそれを信じるかどうかだ」
「俺をどうするつもりだ」
「死んでもらうしかないね」
「俺が『A.G.P.』のことを知ってしまったからか」
「そう。この研究が今世間に公表されても、理解を得ることは難しいだろうから」
「そうまでして行わなくてはならない研究とは思えないな」
「貴方にそう断ずる資格はない」
「『A.G.P.』の最高責任者はお前か」
桜谷は一つ息を吐き、仕切りなおすように机に腰掛ける。
「『A.G.P.』に興味がある? よろしい。貴方には知る権利がある」
穂乃歌は今も俺に銃口を向けている。上手く飛び掛れば銃を押さえることができるだろうか。
「『A.G.P.』が始められたのはもう数十年の前のことだ。戦争中、優秀な兵士を生み出すための研究から始められた。当時国家が世界大戦を戦っていたことは知っているね。国家はその国力の大半を軍事予算に組み込んでいた。そして種々の軍事研究を行っていた。その結果小さな島国にしては驚くほどの成果を挙げる分野も現れていた。例えば、大戦中各国で使用されていた戦闘機の中でもっとも優れていたものはこの国のものだ。そのくらい、当時のこの国の軍事水準は世界の中でも高レベルにあった」
「その各種の研究のうちのひとつが『A.G.P.』だということか」
「優秀な兵士を作ることは当時の国家の人間にとって関心のあることの一つだった。例えばそれは恐怖を感じない人間。例えば痛みを感じない人間。そういったものを作ることができれば戦況を変えるほどの戦力になりうると彼らは判断していた。国家は一人の人間にプロジェクトを委ねた。その科学者の名前を越智貫三郎という。越智博士は優秀な兵士ということを考えるうちに、次第に優秀な人間というものを考えるようになった。それが『A.G.P.』だ。しかし博士は大きな成果を挙げることのないまま敗戦を迎えた。敗戦と共にプロジェクトは解体された。越智博士は失意のまま死を迎えたと聞いている。だが博士の遺志を継ぎ地下にもぐり研究を続けるものがあった。そのうちの一人が忽那大。名前でわかる通り、忽那学園の創設者だ」
忽那学園ってのは、讃神学園の本校にあたる学園だったか。
「忽那博士は『A.G.P.』の一環として大きな学園を作った。人間を作るということと教育は密接な関係がある。博士は自らが作った学園において研究を続けた。才能を伸ばすという忽那学園の方針は研究の一つの手法であり、各界においてそれは成果を挙げている。ただ人道を外れた研究は人目につく場所で行うわけにはいかなかった。そのために設立されたのがここ讃神学園だった。人里離れた離島なら過激な研究でも自由に行うことができる。讃神学園における研究の最高責任者が私、桜谷文月だ」
「あんたの長広舌を信じるなら、ずいぶんと規模の大きい話だ」
「信じる信じないは貴方の自由だ。ただし忽那学園は『A.G.P.』の成果を国家に還元することで権力と緊密に結びついてきた。個人がいくら騒いだところで簡単につぶれるような研究じゃない」
「ならば何故俺を殺そうとする? 俺一人が騒いでも意味がないのなら、俺を殺そうとする理由はないはずだ」
「一度世間に流れてしまった情報をもみ消すためにはそれなりの労力が必要だということ。ここで貴方の口を封じたほうがよほど効率がいいくらいの労力がね」
正直言ってうんざりだ。こんなところで殺されるのはまっぴらごめんだが、『A.G.P.』なんていうふざけた研究をぶっ潰してやるためにはさらに面倒な戦いをしなければならない。
「……勘弁してほしいな。勘弁してほしいが、お前らみたいな連中に屈服するほうがよほどまっぴらだ」
「諦めが悪いのはポジティブな要素だ。特にスパイのような不確定要素が大きい仕事では、一点の執心が活路を引き寄せる場合がある。それは評価しよう。しかし執着が的確な判断を妨げてしまう場合がある。今回の場合がまさにそうだ。穂乃歌に執着した結果、貴方はここへ来るという愚行を犯してしまった。要は適切な思考の取捨選択が必要だということ。つまりそこに感情が作用してはならない。やはり失敗作という評価を変えることはできない」
「一体なにをぶつぶつ言っている。人を勝手に評価するんじゃない」
「よろしい。『A.G.P.』の話はまだ終わりではない。貴方も『A.G.P.』によって生まれたのだということを話してあげましょう」