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第三十五話:終幕へ向かう

 縫われた腹に引きつったような感覚がある。清美お姉さんはさすがに元スパイだけあって治療技術も精確だった。腹以外にも頬や足その他体全体糸だらけになってしまった。血は治まったがまだ動かすのには勇気がいる。大きい動きをすればまた裂けてしまいそうだ。

 治療している間に、俺は全ての報告を終えた。

「報告ご苦労。事情はだいたいわかったわ。……『協会』は一体どうしてあなたを送り込んだんだろう」

「どういう意味だ?」

「あなたの報告によれば『協会』は、『A.G.P.』とか言う怪しげな実験のことを知っていた。もちろん見澤灯さんの両親の依頼を受けて失踪した見澤さんを探す。その任務は理解できる。『A.G.P.』や石手について触れなかったのは謎だけど、任務に関係ないと判断したのならそれもわかる。ただ待機命令がわからないのよね。まるで彼らに、あなたに接触してくれといわんばかりに」

「俺が拷問されるのは折り込み済みだったと?」

「『協会』が石手の裏切りにうすうす気づいていたんだとしたらどう? ……でもだとすれば別の調査員にそれを調査させれば言いだけの話……。いいえ、余計な詮索は止めましょう。とにかく今回のことはちゃんと報告しておく」

「『A.G.P.』はどうなる。やつらを摘発することはできるのか?」

「あなたの証言だけでは難しいでしょうね」

「証拠だろう。わかっている。今度はやつらの研究所に潜入して、決定的な証拠を掴んでやるさ」

「あなたは自分の立場がわかっているの? あなたはそんなこと命令されていない」

「まさかここまで来て放っておけというつもりか」

「もちろんそのまさかよ。調査員はたとえ目の前で人が死にかけていようと、任務に支障をきたすなら無関係を貫くのが基本よ。もっとも今さらあなたにそんなこと言うつもりはないけど」

「当たり前だ。俺は止められてもやる」

「証拠が見つかったら警察に持っていくことね」

「『協会』はこの件に関与しないということか」

「『協会』に妙な夢を見ることはやめることね。彼らは正義の味方でも何でもない。彼らは彼らの利益につながることしかしないわ」

「俺がやつらの悪事の証拠を見つけたとしても?」

「もしあなたが『協会』に頼りたいのだとすれば、しかるべき筋を通して彼らに依頼することね。もちろんあなたにそれだけの財力があればの話だけど」

 くそ。最悪の場合『協会』は頼りになると思っていた。だが朱姫のいうとおり警察を当てにするのは危険かもしれない。まだ警察がグルだと決まったわけではないが……。

「とにかくあなたは少しでも寝たほうがいいと思う。今後のことは後で考えればいい。京一君には横のベッドで休んでもらうわ。話したいなら止めはしないけど、起きてからにしなさい。今のあなたには休息が必要だから」


 睡眠は疲労回復のための休息でしかない。意識は宙に漂わせたまま、蒼輔の一部分は常に覚醒し周囲に気を張り巡らせている。

 ベッドにもぐりこみ目をつぶり頭をシャットダウンさせてからどれくらいの時間が経過しただろう。耳に飛び込んできた喧騒で蒼輔の全体は一瞬で覚醒した。起きた瞬間周囲のただならぬ気配を直感し、蒼輔の肉体はどんな事態にも敏感に反応できるよう緊張し皮膚をそばだたせた。

「蒼輔、起きなさい!」

 清美お姉さんの甲高い声が走る。

 いわれなくてももう起きている。

 床を蹴り上げる二つの足音。ひとつは清美お姉さんのものとして、保健室に闖入者がいるらしい。

 こっちにくる。

 カーテンを乱暴に捲り上げる音。

 現れたのは学生らしい男だ。

 一瞬彼は意表を突かれたようにぎょっとして硬直する。

 ベッドにいるはずの人影がなかったからだ。

 残念、俺はここだよ。

 カーテンの陰に潜んでいた蒼輔は立ち上がると共に彼の顎にアッパーカットを喰らわせる。

 体重を乗せた一撃。が、これで油断することはしない。前みたいな失敗はこりごりだ。すぐに床に投げ飛ばし押さえ込みにかかる。

「一体なんだ、この騒ぎは」

 周囲はもう明るくなり始めていた。電灯を消した保健室の中でも窓から淡い朝の光を取り入れ視界が利くようになっていた。

 押さえ込んでいても、もがく力は強い。目はうつろで口が半開きだ。時折のどの奥でごにょごにょと何かうめいている。

「みつけた……。あが…わぁ〜。あが…わぁ……ころす……」

 どうやら俺の名前を呟いているらしい。

 意識ははっきりしておらず、話を聞くのは無理そうだ。俺に一発もらったのもあるだろうが……。

「おそらくクスリね」

 清美お姉さんが近づいてきて彼の顔を覗き込む。

「いきなりやってきて、『吾川蒼輔と山輪朱姫はいませんか』と来たからここにはいないっていうと、無視して中を探そうとしたの。止めようとするといきなり切りつけてきたわ」

 清美お姉さんの視線を追うと、彼の右手に切っ先十センチほどのナイフが握られていた。清美お姉さんが力ずくでそれをもぎ取る。

「まともな精神状態じゃないわね。『A.G.P.』の追っ手かしら」

「そう考えるのが妥当だろうな。バッジも青だ。俺を殺しに来たか」

「あなたはともかく、朱姫ちゃんが心配ね」

 ひどい言い方だが同感だ。高木が遣わした追っ手がこいつ一人なはずがない。

「しかしやつら、一体なんてことをしやがる」

 クスリを使って正常な思考を奪い人を殺人兵器にする。いきなり清美お姉さんを切りつけてきたことからすると、第三者に危害を加える恐れもあるだろう。俺と朱姫を殺すためだとはいえ、こんなやり方は常軌を逸している。

「一体これはどうしたの」

 騒ぎを聞きつけた京一が起きてきた。

「また少し面倒なことになってきたみたいだ。俺は朱姫を探す。こんな危ないやつらがうろついているんじゃ、外を出歩くのは危険だ。京一、お前はここで待機していろ」

「うーん、一体何がなんだか」

「説明は後だ。いいか、自分の身の安全を第一に考えるんだ」

「うん、さっぱりわからないけど、了解」

「京一君の安全は私が保証するわ。蒼輔は蒼輔のすべきことをしなさい」

「いいのか?」

「私はすでに調査員を辞めた人間よ。『協会』に従う義理はないわ」

 よし、清美お姉さんがいるのなら京一の身は安全だ。『A.G.P.』なんて妙な計画は潰してやらなければならないが、とにかく今は朱姫を守ることが先決だ。

 ――と、蒼輔が立ち上がった瞬間、部屋の隅に備え付けられてあった校内放送用のスピーカーから声が流れてきた。


「吾川蒼輔君。吾川蒼輔君。住吉穂乃歌さんを預かっています。至急職員部へお越しください。吾川蒼輔君。吾川蒼輔君。住吉穂乃歌さんを預かっています。至急職員部へお越しください」


 放送部らしい学生の声だ。

「蒼輔、これは?」

「ああ」

 急速に血の気が引いていくのがわかる。やばいことが起こったという直感の後から理解が来る。一体あのスピーカーはなんと言った? 穂乃歌を預かっている? 預かるとはどういうことだ。一体誰が穂乃歌を預かっているというんだ。

「京一、お前穂乃歌から電話を受けたと言ったな。そのとき穂乃歌はどこにいたんだ? 安全な場所にいたんじゃないのか?」

「そういわれても、わからないよ。自分の寮からだとは思っていたんだけど」

「多分その通りだろう。だが今は違う。穂乃歌はおそらくそこから誘拐された。誘拐されて、俺をおびき寄せるための道具に使われている」

「人質、というわけね」

「そうだ。こんな状況で穂乃歌を『預かる』――誘拐する人間は一人しかない。おそらく『A.G.P.』のやつらだろう。俺をおびき出して亡き者にするために穂乃歌を誘拐し、人質にしたんだ。俺は教員棟へ向かわなければならない」

「賢明な判断とは言い難いわね、蒼輔。あなたをおびき寄せる以上、彼らは万全の備えをしてあなたを待っていると考えるべきだわ。たとえ行くにしてももう少し対策を立ててからのほうがいいんじゃない?」

「そうやって時間をかけて取り返しのつかないことになったらどうするんだ? やつらは何をしてくるかわからないんだぞ」

「もう少し冷静な判断をしなさい。頭を冷やさないと全てを失うことになるわよ」

「俺は冷静だ。穂乃歌の命を最優先に考える場合、俺の命を差し出すことが最善の策だ。やつらに穂乃歌を殺す理由はない。だが俺が行かなければ穂乃歌が殺される可能性は高い」

「穂乃歌さんは既に知りすぎている可能性があるわ。蒼輔が死ねば彼女も殺されるかもしれない。逆に言えば、蒼輔が死なない限り彼女も殺されることはないということ」

「どうかな。やつらが穂乃歌に人質としての絶対的な価値を見出しているとは思えない。俺がスパイであることはやつらにはもうばれているんだ。スパイなら任務の遂行が絶対。人質より任務を優先することはありうる。ならば人質に大きな意味はなく、早々に見限って殺してしまうことは充分考えられる」

「ならどうして人質にとったというの。すぐ殺してしまうつもりなら人質なんてとらない。蒼輔、あなたの論理は破綻しているわ」

 おそらく清美お姉さんが正しい。スパイとして、論理的な判断を下すならここで時間をかけて穂乃歌を奪還する方法を考えるということが正しいんだろう。だが穂乃歌が殺される可能性はゼロではない。万に一つを起こさせないために、俺は今すぐ行かなくてはならない。

「よく考えなさい。あなたのミス一つで穂乃歌さんの命が失われるかもしれないのよ」

「だから行くんだ。俺が行かずに穂乃歌が殺されるというミスを犯さないためにな」

「……全く、かわいらしいわ」

 清美お姉さんがため息をつく。忌々しげに一瞬沈黙。それからまた口を開く。

「どうして職員部なんだと思う? あなたをおびき出すなら、さっきまであなたを捕らえていた『A.G.P.』の研究所を指定しそうな気もするんだけど」

「『A.G.P.』の指導者は久万や石手だけじゃないということだろう」

「見当はついているみたいね」

「おそらく、としかいえないが」

「朱姫ちゃんのことはどうするの?」

「朱姫はやつらに捕らえられたわけじゃない。それに朱姫は思った以上に頭の切れる人間だ。簡単にやつらに殺されてしまうとは思えない」

「いいでしょう。好きにしなさい。そもそも私はこの件に関与する義理はないのよね。あなたが死のうと誰が死のうと知ったこっちゃないって話だわ」

「蒼輔……」

「京一。すまんな。色々説明するのはまた今度だ」

「それはいいよ。でも、やっぱり僕にできることは何もないよね、たぶん」

「やっこさんのご指名は俺だからな。安心しろ。絶対に穂乃歌を死なせるようなヘマはしない」

「蒼輔もだよ。死んだら駄目だ」

「……。京一、お前は学園の生徒を一人でも避難させてやってくれないか。今学園内には妙な人間がうろついているんだ。そっちはお前に任せる」

「……わかった、任せといて。蒼輔、そっちもしっかりね」

「おう」

 京一にグーを突き出し、京一も同じくグーを突き出して応える。

 それから京一たちを置き去りにして一人で廊下に出る。


 さあ、行こう。

 全ての決着をつけてやる。

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