第三十四話:死地を越えて
高木が右手を前に突き出し俺たちのほうへ寄ってくる。俺たちはそこに見えない壁があるかのように触れる前から押されて後ずさる。エレベータのドアはもう閉まっている。
「そのまま抵抗せず戻っていただけますか? そうすれば今ここで死んでもらう必要はなくなります」
「どうせいつか殺すつもりですよね」
朱姫が言う。こいつらにとって俺たちは知りすぎているということだろう。
「眠るように殺してあげることはできます」
「あいにく夢は起きてみる主義なんです」
「もう夢を見る必要はない」
耳に神経を集中させる。衣擦れの音や呼吸の音を聞く。
五感を最大限まで働かせろ。狙撃手の位置を精確に測るんだ。
タイミングを間違えるな。初手の失敗は即死を意味する。
最も近い場所にいる人間……その次…………いけるはずだ。
朱姫とはアイコンタクトもしないが、俺の意図くらいわかっているはずだ。
「わかったよ。降参する。ここで死ぬのは真っ平だ」
「ふん、わかればいいのです」
「エレベータに乗ればいいんだろう?」
俺は振り向いてエレベータの操作盤を押すしぐさをする。
瞬間取り出した拳銃が火を噴く。
背面撃ちになったが外した気はしない。
周囲を驚愕が走る。
状況を確認。
一番近くにいた狙撃手が拳銃を落としている。狙い通りだ。
衝撃のせいで周囲の人間が一瞬間だけ怯んでいる。その隙に高木の腕を掴む。彼女には働いてもらわなければならない。
狙撃手たちはすぐに態勢を立て直して銃口を俺たちに向ける。
撃つ、と思った瞬間朱姫をどついて伏せさせる。
おびただしい数の銃声。銃を持っていた人間が一斉に撃ち始めた。俺たちの上を銃弾が飛びすぎる。弾が壁に当たって跳ね返る音。全てがスローモーションになっているみたいだ。
「行くぞ、朱姫」
叫びながら高木を引き寄せ腕を後ろ手にねじりあげる。そのまま彼女を前に突き出す。高木を盾にした格好だ。これでやつらは撃てない。その態勢を保ちながら朱姫と共に階段を駆け上がる。俺は朱姫の盾になるように一番上で止まる。
「撃つな。撃てば殺す」
「蒼輔」
朱姫が俺の背後で一瞬立ち止まる。
命の順序はさっき決めたとおりだ。
「早く行け。ここは任せろ」
「……わかってるよ」
「安心しろよ。人殺しとデートなんてさせない」
「馬鹿」
小さく悪態をついて朱姫が走り去っていく。
これで最低限の目的は果たした。後はこいつらをできるだけ食い止めるだけだ。
「ふん、してやられたものです。しかし私に人質としての価値があると?」
「現にこいつらは撃ってこないぜ」
「これだから低脳な人間は嫌なのです。最善手を自らで判断できない。ふん、早く撃ちなさい。私もろともでいい。それから山輪朱姫を追いなさい」
高木の檄に応じてやつらが撃とうとする。逡巡は一瞬でいい。高木を前に小突きだす。高木がよろめいて宙をつかむ。
両手で拳銃を構える。
さあ地獄の饗宴だ。
撃ち、かつ走る。やつらの下へ走っては体術で駆逐していく。寸時でも止まっては狙われる。建物の中を銃弾が飛び交う。弾が二三発当たったが今さら気にしない。血の匂いが鼻につく。気のせいか俺の口元が緩んでいる気がする。なにがそんなに楽しいんだろう。――
気がつくと俺は建物の外へ来ていた。植樹の影に潜んで銃弾から逃れている。肩で息をしている。もう走れない。腹が痛い。腹だけじゃなく全身が痛い。痛いという感覚もあまりなくなってきた。血が足りない。世界が少しずつぼやけてきた。いつの間にか手の中の銃の弾が残り一発になっている。追ってきているのはおそらく二人だけだ。
暗い。いつの間に夜になっていたのだろう。星が瞬いている。月は日ごとに欠けていく。梟の寝言はいつも人間の営みには無関心だ。
走れるのならともかく、逃げ出すのは無理だ。飛び出した瞬間蜂の巣にされる。いいだろう。それならむしろ向かって行ってやる。最後の賭けだ。疲労のせいか死は怖くない。時間はもう充分に稼いだ……。
ローリングで飛び出す。
耳をつんざくような銃声。
左右に飛び跳ねながら音のするほうへ。
一人が視界に入る。
照準を合わせて――足を狙う。
右足に衝撃。銃弾を受けた。
前に出そうとした足が動かない。前のめりになりながら倒れていく。
手が動けば充分。引き金を引けば一人が倒れた。
そのまま地面に伏せている。体の上を銃弾が飛び去っていく。しばらくして銃声がやんだ。
朱姫はもうどこまで逃げられただろうか。安全なところにいるのだろうか。彼女が無事なら事態は解決されるだろう。俺がいる必要はない。
頭の上に足音がする。銃口を向けられている気配がある。残った一人がやってきて、俺が死んだのかどうか確認するつもりだろう。仲間が近くにいるのかどうか。いれば俺の負け。いなければ……そう違いはないか。
様子を伺いながら彼が俺の体に手を触れようとする。
突然俺は体を翻しその腕を掴む。
そのまま腕を引き込みながら体を回転させ別の方の腕で彼の体を地面に叩きつける。マウントポジションを俺が取った。体に力が入らない。俺の体じゃないみたいだ。最後の力を振り絞ってやつの呼吸を圧迫にかかる。しばらくもがいていたがやがて気絶した。
高木はどこへ行ったのかいつの間にかいなくなっていた。仲間を呼びにいっているのかもしれない。
とにかくここにいる人間は全員駆逐することができたが、すぐに増援が訪れるだろう。早くここを離脱しなければ今度こそお陀仏だ。
が、さすがにもう力が入らない。
穂乃歌は今どこにいるんだろう。無事なんだろうか。あいつが捕らえられているのなら俺が助けてやらなきゃならない。俺以外にそれができる人間はいないだろう。
この状態じゃ今引き返して助けるってわけには行かない。一旦撤退して、体調を万全に整えてから潜入してやる。
高木たちのことは朱姫に任せておけばいい。だが穂乃歌は別だ。あいつは俺の友達だ。讃神学園でできたかけがえのない存在だ。あいつの無事を確認するまでは俺は死ぬわけにはいかない。
おいおいどうした。どうして俺は倒れこんでしまったんだ。今は寝ている場合じゃないだろう。早く逃げないと追っ手がやってきちまうぞ。
くそ、駄目だ。力が入らない。休息が必要だ。血が足りない。
何の音だ? 足音?
くそ、もう追っ手が来たのか。ここで俺は終わりだと?
ふざけるな。
勘弁、してほしいな……。――――
寒い。春とはいえやっぱり夜は冷え込むな。
くしゅん。腹の傷が痛んでくしゃみをするのも一苦労だ。
「大丈夫?」
「それはこっちの台詞だ」
「いや、僕の台詞であってるね、たぶん」
体格の劣った相手に負ぶさるというのはなんというか申し訳ない気分になる。特に京一は運動が得意そうというわけでも特に鍛えてるというわけでもなさそうなので一層悪い気になる。
「疲れたら休めよ」
「気を使うのも時と場合を考えなよ」
京一は疲れたそぶりも見せず俺を負ぶさって夜道をせっせと歩いていく。京一の言うことはもっともだ。俺は一刻も早く治療を受けなければならない状態にある。腹から流れ出る血が京一の背中を汚し続けている。
しかし、生き延びたのか、と思えば実感が湧かない。未だにこれは夢で、本当の俺は死んでいると考えたほうがしっくりくるくらいだ。
もうこれが最期か、と思ったときやってきたのは京一だった。九死に一生とはこのことだ。あれが京一だったおかげで今俺は生きている。高木刃子の追っ手は今頃廃校舎の辺りで俺を探しているに違いない。
「ねえ蒼輔、本当に人を呼んでこなくていいの?」
「ああ、すまんがお前一人のほうがありがたい」
「どうして大勢呼んできちゃいけないの。騒ぎにしたくないだけ?」
「まあそんなところだよ」
今さらスパイ云々を京一に隠すのは馬鹿げているが、そもそも一から説明すると長くなる。
「でも清美先生のところには連れてってほしいんだ」
「ああ、あの人なら事情を知られても問題ない。傷の手当も上手くしてくれるだろうしな」
「それは清美先生が保健の先生だから?」
「俺は清美お姉さんの甥っ子だからな。確かそんな設定だった」
「言ってる意味がわからないよ、蒼輔。別にいいけど」
「お前たちは俺に甘いなあ」
「お前『たち』って?」
「お前と穂乃歌だよ」
「ああ。僕が駆けつけることができたのも穂乃歌さんのおかげだった」
「そうなのか?」
「さっき寮に電話があって、開口一番、蒼輔を助けてって。廃校舎に捕らわれてるから助けに行ってあげてって」
「ということは、穂乃歌は無事なんだな」
「どういう意味? 一体蒼輔たちに何があったの?」
「青色学校でいきなり襲われたんだ。話せば長くなるが」
「わかってるよ。こんな大怪我してる人に話させようとは思わない」
「そうか、穂乃歌は無事か……。よかった………………」
安心すると急に体から力が抜けていく。
「蒼輔?」
「すまん……、ちょっと……寝るだけだ……」
「わかった。着いたら起こすよ」
清美お姉さんはいつもの通り緑学校にいた。彼女は基本的にここにいて、俺からの報告はここで受けることになっている。
話すべきことはいくらもある。捕らえられたこと、『A.G.P.』のこと、石手博通のこと。
清美お姉さんは『協会』で働いていた元スパイで、医療知識も豊富なはずだ。腹の傷を縫うくらいはしてくれるはずだ。
京一に負われた俺を見た彼女はすぐ事態の深刻さを把握したらしい。表情を一変させると即座に傷の手当に取り掛かった。同時に京一には部屋の外へ出るように言う。
「悪いけど、後は私に任せてくれない?」
「治療を見るくらい平気ですよ、たぶん」
「そうじゃなくて……、かわいらしく言うと巻き込みたくないのよ。蒼輔の状態を見ればわかるでしょう。事態はもう、命に関わるところまで来ている。蒼輔を連れて来てくれたことは礼を言うわ。でももうあなたはこの件から手を引くべき」
「怖くないです」
「怖い怖くないじゃないの。うーん、参ったな」
清美お姉さんは一般人である京一を巻き込みたくないと思っているみたいだが、京一にはもう全部説明するべきだ。秘密主義のスパイとしては失格かもしれないが、京一にはその資格があると思う。
「いいよ京一、一旦外に出ていてくれ。後で全部話す」
「蒼輔!」
清美お姉さんが俺を睨む。
「わかってるよ。でもどうせ俺はスパイ失格だろ」
「そうじゃないわ。京一君を巻き込んでもしものことがあったら」
「京一は強い人間だよ。その強さも覚悟もある。そうだろ、京一」
「たぶんね」
俺が親指を立てて見せると京一はにやっと笑う。それからすんなりと部屋を出て行った。
「前代未聞ね。スパイ失格どころじゃないわよ」
「友達を信頼するのがそんなに間違っているか?」
「あなたはまだ若い。いいえ、かわいらしいわ。あなたが間違っているとしても、それも必要な経験なのかも知れないわね」
まだ若い、か。そうなのかもしれない。俺はまだ十代で、調査員としてはこれが初めての仕事だ。清美お姉さんや先輩の調査員が経験してきたことの十分の一も俺はまだ知らないだろう。
だけど俺が間違っているとは思わない。俺は俺の正しいと思うことをやる。
「ま、いいわ。悪いけど麻酔なしで縫うわよ。時間がもったいないから治療しながら話してもらう。気が遠くなるくらい痛いでしょうけど、自業自得よね」
清美お姉さんが俺の腹をポンポンと叩く。
なんというか、サディストだらけだ。