第二話:対立
音に驚いて蒼輔と朱姫は船室のドアを開ける。
おいおい、なんだこりゃ。
机と床がこすれる乾いた音が響いた。続いて人間の体が壁に叩きつけられる音だ。振動が船体に伝わって、船が大きく揺れる。
どうやら喧嘩らしい。客室は机と椅子が散乱し、整然としていた様子は見る影もない。室の端に怯えるようにして幾人かの人間。そしてその視線の先には二人の人間。
壁際でうずくまっているのが殴られた人間で、その前に仁王立ちしているのが殴った人間だろう。両名とも学生のようだ。
「てめぇ、ぶっ殺してやる」
物騒な声室内にこだました。十代の若造が出しているとは到底思えない。
が、当の本人は学生服を着ているからほぼ間違いなく学生だろう。殴りつけた相手が起き上がる前から、追撃の手を加える。
まずいな、このままだと大事になるかもしれない。
殴られているほうはもう意識を失いかけている。
よく見れば殴っているほうも服装が乱れ口の端が切れている。一方的な喧嘩だったというわけじゃないらしい。
だが現状はよほど一方的だ。ルールのある決闘なら既に審判が止めに入っているだろう。ここらで収めなければ、これはただの虐待だ。
周りを見れば、誰も彼も怯えるばかりで止めに入ろうとする者はいない。
――全く、勘弁してほしいもんだ。初日早々、こっちは島に着いてすらいないんだぜ。
ん? 朱姫の様子がおかしいな。
どうやら飛び出そうとしているらしい。怯えてるかと思ったら、勇敢なんだな。
確かにこの場は納めなければならないが、か弱い女の子がやる仕事じゃない。
やれやれ本当に、勘弁してほしい。
騒ぎに巻き込まれるなんて、得策じゃないんだ。
朱姫を手で制し、飛び掛る。
よ、と。
殴ってるやつを、後ろから力ずくで引き剥がす。
「なにしやがる!」
おっと。腰の入ったいいパンチだな。だけど俺に当てるには、百光年遠い。
パンチの勢いを利用して、大外狩りを決めてやる。投げ飛ばした後は、横四方固めだ。
やれやれ、そんなにジタバタすんなって。動けないだろ、どうせ。
お、なるほど、こいつもバッジつけてるな。赤い。
「いきさつは知らんけど、この辺にしとけって。近所迷惑だろ」
……。
ふう、漸く諦めてくれたらしい。
さて、こいつはどうしたもんかな。
「蒼輔、すばらしいね」
「朱姫か。これ、どうすりゃいい?」
「どうって……どうしようか。あんまり、おおごとにはしたくないんだけど、こう公の場でやられちゃうと、そうも行かないよね。先生には報告しとくよ。もう離してあげたら?」
暴れた人間は大人に引き渡して一件落着か。
ま、そんなとこかな。
「じゃ、わたしは行くね」
さて、こいつはもうそろそろ離しても大丈夫か……。
ぞく。
なんだ、この感覚――?
!
紙一重のところで、背後からの一撃を交わす。
交わすというより、受け止めるといったほうがいいかもしれない。
さっき殴られていたほうのやつだ。手になんか握ってる。
勘弁しろよ。
こいつはナイフじゃないか。
切っ先には触れないように交わし、腕の部分を抱え込むように受け止める。
やれやれ、危なかった。
俺を狙ったんじゃないな。
こいつへの反撃か。
悪いがこんなもんはこっちに渡してもらう。
ぐいと、ひねりあげて、手に持っていたものを奪いとる。
おいおい、こりゃ――バタフライナイフ、だな。学生が護身用に持ち歩くには、ちょっと度の過ぎたもんだ。
こいつ、なんでこんなもん持ち歩いてんだ。
しかも、さっきの感覚……俺の感覚が正しければあれは殺気だった。単なる感情任せの怒りや憎悪じゃない。ただ相手を殺すということだけを考えた気配だった。
そんなもん、ただの学生から感じる気配じゃないぞ。
ん!
……思わず、跳ね飛ばしちまった。
こいつ、なんて目をしてやがる。ただ冷酷な、殺人鬼の目だ。
なんだよこりゃ。勘弁してくれよ。
「大丈夫かよ、お前」
荒い息が次第に収まっていくとともに、目のぎらつきが薄まっていくのがわかる。
徐々に普通の少年の顔に戻っていく。
興奮に身を任せての所業、か。
キレる若者かよ。こえーこえー。
どうやらナイフのことは周りにはばれてないみたいだな。
気づかれないように……よし、懐にしまいこめた。
もう興奮は収まったようだな。今はただの落ち込んだ人間の目だ。
「そんな気にすんなって。こいつのことは、黙っててやる。だけど、こんなもんは没収させてもらうからな」
「蒼輔、大丈夫?」
朱姫か。後ろに大人たちも見える。朱姫から説明を受けた教員たちだろう。
大人たちが、それぞれに暴れたやつらを引き取っていった。これから島に到着するまで、彼らの監視下に置かれるんだろう。
「殴られたほうにも襲われたよ。気性の荒いやつの多い学校だな」
「大丈夫? 怪我はない?」
「ああ。やれやれ、なんて学校だ。転入したら最強伝説でも作っとくか、こりゃ」
「こんなときに冗談言えるなんて、蒼輔、なかなか度胸があるんだね」
「そっちもな。闇雲に飛び出そうとしやがって、おかげで俺がとばっちりだ。勘弁してほしいな、全く」
「でも蒼輔、かっこよかったよ?」
よく言うぜ。
……そう?
「うーん、あのふたり、ちょっと興奮が過ぎたみたいだね。どう蒼輔。大騒ぎにするつもり?」
「朱姫はどうなんだ。生徒会の一員として、どう収めるつもりだ?」
「そうだね。会長に相談かな」
他人任せかよ。
「先生たちには、生徒会に一任してくれるようお願いしてみるつもり。人望あるからね、生徒会長は。だから問題は、蒼輔が胸に収めてくれるかどうか」
「大事件にするつもりはないよ、俺も。……だが」
さて、このまま放っておいていいのか?
「蒼輔の気持ちもわかるよ。だけど、ちょっと後で話せないかな。判断する前に、聞いておいてほしいことがあるんだ」
「どんな話だ」
「ネガティブな話だよ。うんざりする」
「そりゃ勘弁願いたい。そうも行かないんだろうが」
「ビンゴ」
自嘲気味に笑った後、周りで見てる大人のほうに向かっていった。まだ何か大人たちと話があるんだろう。
とりあえずは落着か。
コーヒーでも飲みたいな。自販機は……あった。
全く、初日早々こんな事件に巻き込まれるなんてな。
やれやれ、勘弁してほしいな。
……ん?
「よう、大した捕り物だったな。やるじゃねえか」
誰だこいつ?
よれよれのシャツに、ジーンズ……年齢が判別しづらいな。俺たちと同じくらいにも見えるが、もう少し上かもしれない。長髪が少しうざったい男性だ。
「あんたは?」
「俺か? 見ての通り、教師だ」
「どこをどう見りゃ教師なんだ?」
「手厳しいね、こりゃ。童顔は生まれついてのもんだってのによ、どいつもこいつも人を子供に見やがって。俺、中二まで電車子供料金で乗ってたもんさ」
なんだこいつ、酔っ払いか?
う、ちょっと酒くせえ。
「昼間っからビールかよ」
「おお、大人がビール飲んで、なにが悪いってんだよう。こちとら、とうに二十歳は超えてますーだ。もっとも、二十歳前から飲んでましたがねーっとこりゃ」
……勘弁してくれ。
「おぉっと、どこ行くんだ少年。おぢさんの話はまだ終わってないぞぉ」
「俺はあんたに用がない」
「手厳しいね、こりゃ。少年、身のこなしは誰に習った? 高校程度であれだけやれりゃ、なかなかのもんだ」
「そりゃどうも」
「褒めてねえよ。少年、いいか、能ある鷹は爪隠すってもんだぜ。それが、おめぇ、こんな酔っ払いに手の内知られちまってる。駄目だぜぇ、少年。失格」
何が失格だよ。
「ただのまぐれだよ」
「まぐれまぐれ、マグレねぇ。まぐれも実力のうちってな。どうだ少年、強くなりたかったら俺の弟子になってみんか」
別に強くなりたかねぇ。
「……あんた、何もんだよ」
「まず自分から名乗ったらどうだってんだ」
ちぇ。そっちから絡んできたくせに。
「高等部二年の、吾川蒼輔だ。この春から転入する」
「転入生か。なるほどなあ。いいだろう。俺は石手博通ってんだ。科学の教師やってる。俺はこう見えて、昔達人と呼ばれた人間なんだ」
「達人だと?」
「そうさぁ。酔拳の達人。アチョー」
…………なんだただの酔っ払いか。
「しょーねぇん、ちみもいっぱしの格闘家になりたかったらおぢさんの門をくぐれ。そして滝にうたれ……おぉい少年、どこへ行く」
……付き合ってられん。
甲板だ。少し風も収まってきたようだな。
しかし転入早々、いや転入前だというのに目立ってしまうとは、何たる失態。
有名になるのなんて、勘弁してほしいんだけどな。
ん、誰かが手を振ってんな。
「蒼輔、こっちこっち」
朱姫だ。
「へさきで何やってんだ」
「ほら蒼輔。豪華客船ごっこ」
誰がやるか。
「朱姫、先生たちの説得はどうだった。納得してくれたのか?」
「まずまず、だね。全員、おおごとにはしないってさ。いったでしょ、うちの会長は人望が厚いんだよ」
「讃神学園の生徒会には大分権限があるようだな。話っていうのは、そのことか?」
「ううん。会長の話は、おいおいとね。うんざりする話っていうのは、讃神学園に広がる対立のこと」
「どういう話だ」
「クラス別けの話はしたよね」
「ああ。クラスは色で表され、赤が鼻持ちならないエリート、赤がその下に甘んじる集団、黄が中途半端、緑はバカだっけか?」
「すばらしく悪意のある記憶の仕方だね。性格疑うよ」
「冗談ということにしといてくれ」
「ということにしておいてあげよう。でもその悪意のある捉え方で正解。要するに、多くの生徒が、そういった悪い捉え方をしている。するとどうなるか」
「他クラスに対する侮蔑と、自己嫌悪」
「半分正解。人間、なかなか自分の欠点にまで目が回らないもんだよ。目が回らないというより、認めることができないんだな。結果、他クラスに対する侮蔑だけが残る」
「そして自分たちのクラスに対する愛級心が生まれ、自クラスの他クラスに対する愛護意識が強くなり、最終的には他クラスに対する敵意が生まれる、か」
「そう。だから、讃神学園には今ものすごいクラス間対立が生まれているの。特にひどいのが赤と青。お互いにエリート意識があるぶん、敵対心も強いみたい」
「俺はそんなところに転入するのか。なるほど、勘弁してほしい話だな」
「さっき喧嘩してた二人――蒼輔が止めてくれた二人も、それぞれ赤組と青組だよ」
クラスの対立の結果が、さっきの殴り合いか。
「ちょっと待てよ。クラス別けっていっても、流動的なんだろう? 朱姫は新学期どのクラスになるかわからないって言った。要するに、クラス替えがあるってことだ」
「そう。クラス替えは学期ごとに行われるよ」
「だったら、クラス内のメンツはいつも違うことになる。だったら、身内意識なんて生まれようがない……少なくともそれほど生じないはずだ」
「そうだったらよかったのだけど……むしろ、だからこそのエリート意識なんだな。特に赤組と青組はかなりその間で生徒が行き来しているの。だから、赤組に残れずに青組に行った生徒を青組は差別するし、自分たちを見下す赤組を青組は憎悪する」
「エリートも大変ってことだ」
「その点緑はバカだから安心――ってなに言わせるのさ」
俺はそこまでは言ってねえ。
「わかっておいてほしいんだけど、例え学期が変わって別のクラスになったとしても、それは何らかの栄誉だったり落第だったりするんじゃなくて、それはただのクラス替えなんだ。クラス別けに傾向があるって言っても、それはあくまでもそういう傾向があるってだけの話で。成績優秀な人が赤組になることも、黄組になることもある。緑に来る可能性だってある。クラス別けによる階層化なんて、ほんとは生徒たちの噂に過ぎない。だけど、一部の生徒にとってはクラス別けがある種のステータスになってしまっている」
「噂が弊害を生む。閉鎖環境じゃよくあることだな」
「蒼輔もその閉鎖環境の一員になるんだけどね」
「勘弁してほしい話だ」
「だから私は――ううん、生徒会は何とかその対立構造を解消しようとがんばっているんだよ。まだ成果は挙げられていないけど、いつか何とかするから――」
「だから今回は見逃せってか。俺の意見を言っていいか?」
「虫が良すぎるって言うんでしょう?」
「いや、朱姫と生徒会の決意には拍手を送りたいくらいだよ。だが、いつまでも潜在化させておいたら、いつか思わぬ形で決壊するかも知れない。ダムの決壊は、水を溜めていればいるほど規模が大きくなるんだ」
「……うん、わかってる。その前には必ずなんとかする」
だが、さっきの生徒のナイフと、殺意。
意外と決壊の時は近いのかもしれない。
どうする?
もしここで反論するのなら、俺もこの問題に主体的に関わらなければならなくなる。
できればそれは勘弁なんだよな。
「わかった。朱姫と生徒会を信用する」
だが――それでいいのか?
せめてナイフくらいは、渡しておいてもいいかもしれない。
だが、おおごとにしたくないという朱姫の気持ちも理解できる。本当に、今大騒ぎしなければならないほどの問題なのか?
「ありがとう。大丈夫だよ。私はともかく、会長と、副会長はとてもすばらしい人たちだから。蒼輔は、蒼輔の学園生活を送ることに専念して」
そうだ、それはその通りだ。この問題は、俺には何の関係もない。
だが、本当に、それでいいのか?
「朱姫」
「なあに、蒼輔」
「いや、がんばってくれ。俺にできることがあったら何でもする」
蒼輔に言えたのはそれだけだった。――――
――――白い雲、青い空、か。
やれやれ、なんだかいやな予感がしてきやがったぞ。
……ようやく島が見えてきたな。
讃神島。
俺がこれから暮らす場所、か。