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第4話 二つの視線


 サルート村を後にして二日が経過した。王都への道中にある深い森。


 巨木が空を覆い、昼間でも薄暗いこの森は、生命の気配に満ちている。だが、それは必ずしも歓迎すべきものばかりではなかった。


「……ッ!」


 レルの耳が、わずかな草擦れの音を捉えた。


 反射的に腰の鞘から――村の主に譲り受けた質の良い短剣を引き抜き、背後の影へと突き出す。


「キィッ!?」


 短い悲鳴。短剣の先が捉えたのは、長い耳とカラフルでふさふさした尻尾を持つリスのような小動物だった。


「なんだ、ただのリスか」


 後ろを歩いていたヒロトが、緊張を解いて肩をすくめる。


「驚かせやがって。騎士様は心配性すぎ―」


「こいつはただのリスじゃない。『マドイリス』だ。いたずら好きの厄介なモンスターだぞ」


 レルが警戒を解かずに言う。マドイリス。見た目こそ愛らしいが、冒険者の間では「森の嫌われ者」として有名だ。

 

 その最大の特徴は、ぱんぱんに膨らんだその頬にある。


「頬に溜め込んでいる木の実が問題なんだ。こいつらは生息地に合わせて多様な実を蓄えるが、噛まれるとその実の成分を直接流し込まれる。この森のマドイリスが好むのは――」


「ふーん、まあリスだろ? ほら、あっちに美味そうなキノコが生えてるぜ!」


 レルの説明を半分も聞かず、ヒロトが森の奥の切り株を指差した。


 そこには見たこともないほど立派で肉厚なキノコが群生していた。


「おい、待てヒロト! 勝手に走るな!」


「大丈夫だって! 腹減ってんだよ、焼きキノコにしようぜ!」


 ヒロトは小走りにキノコへ向かう。その後ろ姿を追いかけようとしたレルの視界で、先ほど逃げたはずのマドイリスが、木の上から弾丸のような速さでヒロトの頭上へ飛び降りるのが見えた。


「ヒロト、上だ!」


「ん?……あだっ!?」


 ヒロトの頭頂部にマドイリスが着地し、その頬を思い切り噛み付く。


「いってぇ! このクソリス、何しやが――……あれ?」


 ヒロトの足が止まった。その瞳が、急速に焦点の合わない、とろんとしたものに変わっていく。


「……おい、ヒロト? 大丈夫か」


 レルが追いつき、ヒロトの肩を揺さぶる。ヒロトはふらふらと周囲を見渡し、信じられないものを見るような顔で声を上げた。


「……おい、見ろよレル。すげぇぞ……。あの木、全部『肉』でできてる。霜降りの特上肉だ……。川からは金貨が流れてるぞ……」


「……はぁ。やっぱりか」


 レルは深く溜息をついた。

 この森のマドイリスが蓄えているのは、強力な幻覚作用を持つ『幻覚の実』だ。


「おい、レル。なんであんなデカい『骨付き肉』が二足歩行してこっちに来るんだ? しかも喋ってるし……。美味そうだな、ちょっと一口……」


 ヒロトがよだれを垂らしながら、レルの腕に噛み付こうと迫ってくる。

 その頭の上では、マドイリスが「してやったり」と言わぬばかりに尻尾を振っていた。


「……置いてくか」


 レルは無慈悲に拳を固めると、ヒロトの頭上に居座るマドイリスもろとも、その脳天に拳骨を落とした。


「ぎゃふんっ!?」


「あべしっ!?」


 マドイリスは森の彼方へと吹き飛び、ヒロトはその場に崩れ落ちた。


 完全に夜になり、二人は川べりの開けた場所に焚き火をたいた。


 パチパチと焚き火が爆ぜる音が、夜の静寂に響く。

 串に刺したキノコが香ばしい匂いを立て、横では召喚されたクロが、捕まえたばかりの大きな魚をムシャムシャと貪り食っていた。


「……いてて。なあ、いくらなんでも強く殴りすぎだろ。まだ頭にたんこぶがあるぜ」


 ヒロトが毒消しの草を噛み締めながら、不満そうにレルを睨む。


「自業自得だ。忠告を無視して突っ込んだのはどこのどいつだ」


「そりゃ、あんなに美味そうな肉に見えたら……。ちぇっ、クロ、お前その魚一口よこせよ」


「嫌ニャ。これは俺様が自力で獲った獲物だニャ。主はキノコでも食ってろニャ」


「このクソ猫……」


 そんなやり取りを尻目に、レルはふと、背後の暗い茂みに目を向けた。その視線は鋭く、騎士としての警戒色を帯びている。


「……おい」


「なんだよ、またリスか?」


「黙れ、ヒロト。……おい、そこにいるのは分かっている。そろそろ出てきたらどうだ。これ以上隠れているなら、次は短剣を投げるぞ」


 レルの低い声が森の闇に沈む。ヒロトも即座に冗談をやめ、クロが魚を食べる手を止めて低い姿勢をとった。


 茂みがガサガサと大きく揺れる。


 そこから現れたのは、巨大な魔物でも、ましてやガスマスクの刺客でもなかった。


「す、すいません……! 殺さないでください!」


 現れたのは、一人の青年だった。年齢はレルより少し下だろうか。服は泥だらけで、所々が枝に引っかかったのか破れている。


「ふぁんあーおのお……(なんだー、このこ)」


 ヒロトが口いっぱいにキノコを詰め込んだまま呟く。


「食ってから喋れ、行儀が悪い」


 レルがたしなめると、ヒロトは「ごくん」と飲み込んで続けた。


「はーい」


「……で、君、村を出てからずっと俺たちの後をつけてたろ?」


「そ、そうなの!? お前気づいてたのか?」


「ああ。あんまり隠れるのが下手くそだったからな」


「そういえば……。おい、お前。村の騒ぎの時、隅っこの方にいたやつだろ」


 青年の肩がビクリと跳ねた。彼は地面に膝をつき、必死に頭を下げる。


「すいません! 実はお二方が王都に行くと聞いて……どうしても、自分も王都に向かいたくて。お二方の後を追えば、なんとか連れて行ってもらえるんじゃないかと思って……」


 レルは眉をひそめ、厳しい口調で言った。


「そうか。なら、今すぐ村に戻れ」


「え……っ」


「俺たちはただ王都に行くだけじゃない。とある目的で向かっているんだ。その道中で命を落とすかもしれない、そんな危険な旅にお前のような素人を連れて行くわけにはいかない。死にたいのか?」


「ふぁしかに(確かに)」


「お前も食いながら相槌を打つな」


 青年は顔を上げ、潤んだ、しかし強い光を宿した瞳でレルを見つめた。


「それでも、お願いします……! 僕には、どうしても王都に行かなければならない理由があるんです」


「理由だと?」


「……落ち着けよレル。まずは話を聞いてからでも遅くないだろ。な? 腹減ってんだろお前も。ほら、キノコ食えよ」


 ヒロトがひょいとキノコの串を差し出す。青年は戸惑いながらもそれを受け取り、がっつくように食べ始めた。


「……実は、僕は昔から騎士団に入るのが夢だったんです。でも、村の人からは『才能がない』とか『お前みたいな弱虫には無理だ』と笑われて……。それでも諦めきれなくて。一人でも王都へ向かおうとしましたが、途中の森で魔物に遭遇して、現実の厳しさを知りました。半ば諦めていたんです。でも……」


 青年は、レルの姿を見据えた。


「お二方が村を救うために戦う姿を見ました。特にレルさん……あなたの凛とした立ち振る舞いを見て、本物の騎士だと思ったんです。お二方についていけば、僕の夢もいつか叶うんじゃないかって……追いかけてしまいました。本当に、申し訳ありません! でも、夢を叶えたいんです! 僕を、旅の仲間にしてください!」


 青年は再び地面に頭を擦り付けた。


「……親は、どうした」


 レルの問いに、青年は一瞬だけ表情を曇らせた。


「……二人とも、僕が幼い頃に流行り病で亡くなりました」


「……そうか。済まない、変なことを聞いた」


 レルは腕を組み、考え込む。騎士団を目指すという夢。かつての自分も同じだった。だが、今の自分の置かれた状況を考えれば、彼を連れて行くことは死出の旅へ誘うようなものだ。


「いいんじゃにゃい?(いいんじゃない)」


 ヒロトがあくびしながら言った。


「こいつを連れてって、もし途中で死んだとしても、それはこいつの『自己責任』だろ。違うか?」


「おい、ヒロト! お前ってやつは……」


「だが、それくらいの覚悟がなきゃ、夢なんて語る資格はねえよな」


 ヒロトの視線が、青年に突き刺さる。いつもの軽薄さは消え、その瞳には射抜くような鋭さがあった。


「……覚悟は、あるのか。死んでも文句は言わねえか」


「……あります! 覚悟は、できています!」


「なら、決まりだ。今日からお前も仲間だ。

よろしくな」


 ヒロトがひょいと手を挙げた。


「おい、ヒロト! そんな風に勝手に決めていいのか!」


「いいだろ、本人が死ぬ気だって言ってんだから。それにさ、騎士様。仲間は多い方がいいだろ?」


「……はぁ。……分かった。しょうがない。君の覚悟に免じて、同行を認めよう。だが、俺の指示には絶対に従ってもらうぞ」


「あ、ありがとうございます……!!」


 青年は涙を流して喜んだ。


「俺の名前はヒイラギ・ヒロト。こっちの堅苦しいのがレル・レイグラスだ。よろしくな」


「は、はい! 僕はファルケ・ヴァルツと申します。精一杯頑張ります、よろしくお願いします!」


「ところで、ファルケよ」


 レルがふと、森の奥を見据えながら尋ねた。


「はい、何でしょう?」


「……お前は、一人でここまで来たんだな?」


「はい、そうですが……。何かおかしなことでも?」


 レルの表情が険しくなる。ヒロトもまた、ゆっくりと腰を浮かせた。


「そうか……。なら、そこの藪に隠れている連中はお前の知り合いじゃないってことだな」


「えっ……?」


 レルが短剣の柄に手をかける。


「――出てこい! 隠れていても無駄だ。殺気でバレバレだぞ」


 ヒロトが呆れたように笑う。


「やっぱりリスじゃなかったみたいだな。……本当に出てきたぜ」


 闇の中から、三人の男たちが姿を現した。いずれも汚れた革鎧を纏い、手には錆びた剣や斧を握っている。その中心に立つ、リーダー格の男が、品定めをするようにレルたちを眺めた。


「まさか、気づかれるとはな。……いい勘をしてやがる」


「盗賊か。何の用だ」


「名前なんてどうでもいいだろ? それより、チャンスをやるよ。お前たちが持っている食料、金目の物……全部置いていけば、命だけは助けてやる。だが、抵抗するってなら――お前らの死体から剥ぎ取るだけだ」


 盗賊のリーダーが下卑た笑みを浮かべる。


「ちっ、よりによってこんな時に盗賊かよ」


「さあ、どうする? 賢い選択をしろよ」


 ヒロトが前に出た。


「ああ、答えは一つだな。……お前らが持ってる金目の物、全部ここに置いてさっさと失せろ。そしたら、ボコボコにしないでやるよ」


「……ははっ! どうやら、とんだ大馬鹿野郎らしいな。……野郎ども、やれ! 皆殺しだ!」


 盗賊たちが一斉に武器を構える。


 ファルケが震える手で、腰に差していた古びた剣を抜いた。


「ファルケ、お前は茂みに隠れていろ!」


「い、嫌です! 僕だって戦えます! 騎士になるための第一歩だ……っ!」


「ふふ、威勢がいいガキだな」


「レル、何か変だぞ」


 ヒロトの言葉に、レルも頷く。盗賊のリーダーの周囲に、不気味な揺らぎが生じていた。


「――クハハハハッ! 殺してやる、全員な!」


「変身」


 リーダーが叫んだ瞬間、彼の全身を不気味な「赤いモヤ」が包み込んだ。


 筋肉が異常に膨れ上がり、背中からは長い耳が突き出す。皮膚は赤茶色の剛毛に覆われ、その姿は、人の形をした巨大な「うさぎ」の化け物へと変貌を遂げた。


「な……っ!? こいつも、あのガスマスクたちの仲間か!?」


 レルが驚愕の声を上げる。以前戦ったスケルトンと同様、赤い霧による変異。


「おい、お前! ガスマスクの仲間か!」


「ふん……知りたきゃ、死んだ後に教えてやるよぉっ!!」


 ドォッ!!


 爆発的な速度。人型うさぎの怪物が、地面を蹴った。


 その脚力は凄まじく、一瞬でレルの懐に飛び込む。


「くっ……!?」


 レルは短剣で受け流そうとしたが、怪物の放った蹴りは、レルの横腹を正確に捉えた。


「がはっ……!」


「レルさん!!」


 強烈な衝撃に吹き飛ばされ、レルは川べりの巨木に背中を打ち付けた。


「レル!……ちっ、変身!」


 ヒロトが叫ぶ。黒煙が吹き荒れ、彼とクロが一体となる。


 漆黒の体躯、黄金の瞳。黒煙を纏う人型黒猫が、うさぎの怪物へと殴りかかる。

だが。


「ひゃはははっ! 遅い遅いっ!」


 うさぎの怪物は、驚異的な跳躍でヒロトの拳を軽々と躱した。空中を蹴るようにして姿勢を変え、さらに高く跳ね上がる。


「なんだぁ? お前も同族か? 」


「教えてほしいなら死んだ後に教えてやるよぉ!」


 怪物は木々を足場に、四方八方から超高速の跳躍を繰り返し、ヒロトを翻弄する。


「ファルケ!」


「は、はい……!」


「レルの側にいてやってくれ。そいつは俺がやる!」


「了解です……! レルさん、しっかりしてください!」


 ファルケが負傷したレルの元へ駆け寄る。

ヒロトは黄金の瞳を細め、空中で赤い残像を残しながら動く怪物を見据えた。


「……さーて。お前には聞きたいことが山程あるからな。簡単に死ぬなよ……耳長野郎」


「抜かせぇっ! その黒い毛皮を剥いでやるよぉ!!」


 紅い疾風と、漆黒の煙。

 夜の森で、二つの異形が激突した。

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