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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

異世界雑兵物語

作者: 多歩間 結
掲載日:2026/01/12

なろう感想企画「戦記」参加作第二弾。

本作は長編用に練り溜めていた設定やネタの一部を、企画参加のため急遽読み切り短編化したものです。


 燃えている。藁葺(わらぶ)き屋根を被った家が、停められていた荷車が、家屋に寄り添うように立つ木が。村が、燃えている。

 人々の営みがあった筈の集落が炎に包まれる様子を、ぼうっと眺めていた青年に、横から声が掛けられた。振り返る際、彼の身に付けた鎖帷子(ホーバーク)の鎖が音を立てる。


「アル、どうした?」

「いや、故郷を思い出してさ」


 同じ鎖鎧(メイル)姿をした兵士の問いに、アルと呼ばれた青年は遠い目をした。


「皮肉なモンだよな。故郷を焼かれた俺達が、誰かの故郷を焼いてるんだから」


 アルの脳裏に生まれ育った村が浮かび上がる。それが変わり果てた姿も。

 目の前の光景同様にあの時も家々が焼けていたが、唯一違うのは中央広場に(そび)えていた大木に、無数の果実がぶら下がっていたこと。奇妙な形をした果実は、人間大の大きさで──顔見知りや家族そっくりの見た目をしていた。

 挙げ句の果てに、救えぬことに、故郷を地獄に変えたのは、敵ではなかった。


 あの日、領主からの召集を受けて戦に向かい、そして負けた。あまりにも無様な敗戦より命からがら村へ逃げ帰れば、故郷が滅んでいた。後に聞いた話では、敗走していくうちに賊へと身をやつした兵士くずれの集団が暴れ回ったらしい。

 戦友の言葉が、嫌な記憶から今の現実へ意識を引き戻す。


「……傭兵ってのはそういう因果な商売なんだろうな」

「そうかもしれない。ましてや俺達は──」


 首を回し目当ての人物に視線を定める。馬に乗ったその人間は、ゆったりとした青い衣服を(まと)い、頭にも紺色の薄布を巻いた若い女性。同じような青い服装とターバンを身に付けた戦士に守られた彼女が、周囲にあれこれと指示を出している。

 その女性を見つめるアルと視線を同じくしたらしい戦友が、一度切られたアルの言葉を繋ぐ。


「異教徒の手先だもんなぁ、俺ら。お国からしたら裏切り者だぜ」


 アル達の生まれ育った国は巨大な半島の中にある。半島の南半分は信仰と民族の異なる諸侯国が占めており、北部の国々と南の諸侯は、度々和戦を長年繰り返していた。それでも近年は幾度も合戦と急戦を重ねていく内、徐々に北部諸国が優勢となっている。

 ところが昨年より状況が一変。半島南岸と海を隔てて広がる大陸から、異教徒の大集団が現れたのだ。どうやら南の諸侯が援軍として呼び寄せたらしい。

 その彼らこそ、アル達の雇用主だった。そうなった経緯は複雑だが、明確な理由がいくつかある。


「裏切られたのはこっちの方だ。今まで散々労役や税を搾り取ってきたくせに、いざという時役立たずだった上、味方に村を焼かれてんだぞ。お国への愛想も尽きるわ」


 そう怒りも露わに吐き捨てたアルへ同郷の戦友が頷き、彼らが異教徒側へ寝返った確信的理由を口にする。


「それにもう国は持たないだろうしな。こっちはこのまま半島全部を制圧する勢いだし、あのお姫様が一国の女王様になる日も遠くないだろう。そん時は俺達、もしかしたら地主になれるかもな」


 二人が見つめる青に身を包んだ馬上の女性。彼女こそ、海を超えて襲来した異教徒の大集団をまとめる姫君だった。大集団の正体は南方の故郷を追われた砂漠の遊牧民族マリーニ。彼女はその族長である。

 彼らは自らの土地を求め、この地に踏み入った。新たな郷土を、新たな祖国を欲して。


 当然、その過程で北部諸国の領域は大きく侵されることになる。そこに多くの傭兵が目を付けた。

 渡海した彼らマリーニ族は根拠地を持たないため、戦力を消耗しても兵の補充が出来ない。また移住、建国を企画しているなら人口減に直結する自軍への損害はなるべく避けたい筈。

 ならば傭兵の需要が高いと見て、アルを含む多数の人間が己を戦力として売り込んだ。

 勝ち馬に乗れば、略奪や戦利品を得る機会に恵まれる。戦の活躍次第で、あの異教の姫君に取り立てられる可能性さえある。傭兵にとって身を投じるには十分過ぎた。

 ふとアルが両腕を組んで独りごちるように言う。


「ただ、次は城攻めになる。これまでのように村を襲うのとは訳が違う、何人死ぬことやら」



 五日後、マリーニ族と傭兵達が北部諸国側の城の一つを包囲し、籠城軍と睨み合う。丘の上に鎮座した城を包囲する友軍は、合計で八〇〇〇にもなり、対する籠城側は数百程度で民兵を含めても八〇〇にすら届かないとみられる。


 野営陣地と攻城陣地の構築に一週間以上費やしてから、とうとう攻城戦が始まった。

 雇われの工兵が攻城陣地で組み立てた投石機(カタパルト)による射撃を合図に、長い梯子(はしご)を十人前後で抱えた傭兵らが、薄黄色をした城壁へと突っ走る。彼らの後背に立つ弓兵の援護射撃も行われ、敵方の城は散々に叩かれた──ように見えた。

 しかし人の頭部ほどある石弾に胸壁の一部が吹き飛ばされても、矢の暴風に吹きつけられても、籠城軍は怯まず応射してきた。城壁の頂点に並ぶ胸壁の陰や、壁面に設けられた矢狭間(アロースリット)より矢が放たれる。

 梯子を運ぶ兵がばたりばたりと倒れては、別の兵が駆け付け穴を埋めていくが、降り注ぐ矢弾がいやに強力だった。


(クロスボウ)兵もいやがるのか、クソ面倒な」


 うずくまった負傷者に突き刺さる太く短い矢を見て、アルは毒吐く。


 弓よりも強力な投射武器とされるクロスボウだが、実は全てのクロスボウが鎧を貫けるほどの威力を持っているわけではない。

 またアルの生きるこの時代には、鉄製の弓を(そな)えた“アーバレスト”のような板金(プレート)も貫通出来るクロスボウはまだ開発されていなかった。

 しかし、大型のクロスボウを使用し一定以上距離が縮まっていれば、鎖帷子も貫くことは可能である。

 敵の弩兵も城壁に守られている利を活かして、装填に手間が掛かる代わりに高威力を誇る、大型クロスボウを運用していると思われた。


 己の胴体を(かば)える程度の大きさを持つ凧形盾を頼りに、アルは他の傭兵らと共にじりじりと進む。がすっと音を立てて左手に衝撃が走り、盾の重さが増した。周りでは時折短い悲鳴が上がる。自然と息が荒くなり、心臓が握られたようにぎゅっと縮んだ。

 何度戦闘を経験しても、慣れない。むしろ実戦での経験から矢の恐ろしさ──急所“外”に一矢受けるだけでも十分行動不能になり得る──を理解している分、より恐怖を感じる。


 それに耐えようとするように、隣の仲間と肩が触れ合うほどに身を寄せ合い、互いの盾の両端を重ねた。これが集団で行われ、城壁の方から見れば亀の甲羅を思わせる光景が現れた。

 (いにしえ)の時代より歩兵達の身を守ってきた“盾の壁(シールドウォール)”という隊形である。

 しかし傭兵の多くは部隊としての訓練をそれほど受けておらず、その防御隊形も隙間の多い不完全なものに過ぎない。並んだ盾の内側に度々矢が飛び込み、一人、また一人と倒れていった。


 永遠にも思えた恐怖の時間を経て、ようやく味方と共に城壁へ取り付く。十数もの長梯子が石壁にかけられ、次々に兵が駆け上った。自分の順番を待つ間、盾を頭上掲げて矢に耐え続ける。

 一度背後へ振り返り、友軍の姿を見る。攻め寄せた先陣の後ろには、門扉を破るための破城槌がのろのろと前進し、更にその後ろで、主力のマリーニ族兵数千が今か今かとそれぞれの得物を(もてあそ)んでいた。

 頼もしい存在感に、アルは長い息を吐く。そして「やるかっ」と自らを鼓舞する言葉を小さく叫んだ。


 盾を革紐で背負い、梯子に手を掛けると一気に登る。もし頭上から石を落とされるか、弓矢を射掛けられてしまうだけで、絶対絶命に陥ってしまう無防備な状態を一秒でも短くしようと、懸命に登る。

 幸い、友軍弓兵による援護射撃のおかげで、寡兵(かへい)の敵は射撃や落石を全力では行えず、城壁を登る者への攻撃は多くない。先行して城壁上へ乗り込んだ勇者達の存在もあって、アルは無事に梯子を登り終える。


 腰の小剣(ショートソード)を抜きながら石の上に両足を乗せた時、その場の両側では大変な騒ぎが起きていた。

 絶叫、咆哮、剣戟、血飛沫……暴力のごった煮とも言うべき戦場。アルはその只中に飛び入ったのだ。どこを見ても、鈍色に輝く鉄の群れが(うごめ)いている。


 そんな左右を見て、咄嗟に右へ体を向けた。その方が左手の盾が城壁内へ正面を向き、籠城側の矢から身を守りやすい。そう考えて城壁上を右へと進むが、敵味方入り乱れての白兵戦に参加してしまえば、そのような思考も一瞬にしてかき消される。

 突然自ら目掛けて振り下ろされた剣先を、二の腕程度の刃渡りを持つ小剣で受け、弾き返す。自分と同じような鎖鎧(メイル)姿の兵士と相対し、盾と剣の(きっさき)を向けた。

 すぐさま盾ごと相手に体当たりする。同時に右手の小剣を敵兵の脇腹へ突き上げた。重い感触が右腕に伝わり、アルは自分の一撃があっさり鎖と布鎧に防がれたことを悟る。

 しかし剣で鎖鎧(メイル)を貫けぬことなど、始めから織り込み済み。何度も小剣を突き、その度に相手の脇腹へ小さくない衝撃を与え続けた。ボディブローじみた攻撃を繰り返し受けた敵兵は、堪らず体を左に(よじ)り体勢を崩す。

 アルはその瞬間、相手の首筋に刃をねじ込み、頸動脈を掻き切った。ぱっと赤い飛沫が飛び散り、刀身や右腕を覆う鎖に血痕が張り付く。

 それを(ぬぐ)う暇もなくアルは次の敵と向き直った。


「えっ」

「あっ」


 間の抜けた声がアルの口から飛び出す。敵兵も驚きに固まった。その顔には酷く見覚えがある。向こうも同じことを思ったに違いなかった。同郷の人間だと。


「お前、アルだろ。生きてたのか、というか何で異教徒の軍勢と一緒に」


 あの惨劇から生き延びたであろう顔馴染みが、戸惑いを露わに問い掛けてくる。アルはなんとも言えぬ後ろめたさを胸中に抱えながら、突き放すように言い返した。


「……そっちこそ、何でここにいんだよ」

「決まってんだろ、侵略者共と戦うためだ! 俺らの村を奪った連中と!」

「俺達の故郷を焼き払ったのは、家族を殺したのは、この国のクソ共だろうが!」


 アルは血を吐くように叫んだ。己の中にへばりついた罪の意識を塗り潰すかの如く。


「家族と村の皆の仇を取る、そのために俺はここに立ってんだ。邪魔するな、どけっ!」


 剣を振るって、かつての同郷人を遠ざけようとする。しかし横薙ぎの一刀は、盾に受け止められた。すかさず右足の蹴りをその盾に繰り出し、衝撃を利用して距離を取る。

 先の敵兵を倒した時と同じように、盾ごと自らの体をぶつけて体勢を崩そうと構えたが、相対する二人の間に敵味方が揉み合いながら割り込んでしまう。

 剣を交え、盾で殴り合う彼らの人垣によって、アルと故郷を同じくした“敵兵”は分たれた。そのことに、どこか安堵する。


 混戦が続く中、やがて陽が沈み始めたことを理由に、後退の合図が出された。一日で終わる攻城戦など滅多にない。当然のこととして、マリーニ族・南部諸侯連合軍は落ち着きを払って野営地へと退却する。


 翌日、アルは城を攻める味方を野営地から眺めて過ごした。

 城を囲む兵力全てを戦闘に投入出来る訳ではないし、城壁という狭い空間で実際に敵と戦える人数は限られる。そのため、傭兵が先陣を任されているとはいえ、疲労を考慮して部隊を順繰りに投入するという、常識的な采配が行われていた。

 故に再び眼前の戦場へ立つのは、明日か明後日になるだろう。アルは観戦もそこそこに、一本の細い柱に布を掛けただけの簡素過ぎるテントへ引っ込み、体を休める。



 攻城戦三日目、アルはまた前線に立った。


 梯子を抱えた味方と共に、城壁へ駆ける。以前と比べて、矢は大して飛んで来ない。それだけで敵勢は随分消耗してしまったことが(うかが)えた。

 あちこちが欠けた城壁に取り付き、梯子が掛けられる。門扉もこれまでの攻撃でぼろぼろになっており、兵士達は破城槌ではなくただの丸太を突っ込ませて、城門を破ろうとしていた。


 この城は今日、落ちる。そう誰もが確信していただろう。アルもそのつもりで、梯子を登った。

 城壁上へ降り立つと、先行した味方が既に敵兵の掃討を済ませており、塔や門楼などの内部に乗り込みつつある。血塗れの死体が転がる壁上を進み、味方の後に続いた。

 門楼の通用口を潜り、石積みの空間へ足を踏み入れる。狭苦しい内部は、むせ返るような血の臭いが充満し、その原因もごろごろとあった。鼻当て付き兜の下から血を流し、壁にもたれた物言わぬ敵兵の両足を(また)ぎ、真っ赤な床に突っ伏した遺体を踏み越える。


 突如として足元から破壊音が響いた。いよいよ門が破られたようで、喚声と地響きが(とどろ)く。

 城壁は完全にこちらの手に落ちた。後は本丸たる城館を陥落させるなり降伏させるなりして、この戦は終わるだろう。


 アルはそそくさと門楼内の階段を降りて、城門脇の通用口より門の内側の土を踏む。

 自分と似たような装備の傭兵や、頭や兜に布を巻いて覆ったマリーニ族兵が、詰めかけた群衆のように城館目掛けて押し寄せる光景を見ながら、城壁の方へ下がった。

 経験上、城館の戦闘に参加しても、戦利品を大して得られないことをアルは知っている。

 たとえ宝物を手にしたとしても、何かにつけて古参の傭兵や上役に取り上げられたりするものだ。それより、民家に押し入って隠し財産を探すか、こういった戦闘跡の死体を漁る方が小遣い稼ぎになる。

 だからこそアルは、あちこちに転がる敵兵の遺体を見やり、金になりそうな鎧や武器を探り始めた。大半の友軍兵は城館に向かっており、アルのようにこっそり死体漁りをする者はまだ少数。入れ食い同然の時間だった。


 腰を屈めて悠々と戦利品を見定める中──目の前に積み上がった死体から、敵兵が飛び出た。


 乾いた血でどす黒く染まった顔を決死の形相に歪めたその敵は、投槍(ジャベリン)と思しき短槍を突き出す。この急襲にアルは反応が僅かに遅れた。

 心臓を狙ったであろう一撃を、体を右側に傾けながら仰け反って避けようとした結果、穂先に左頬を切り裂かれる。また屈んだ姿勢から後ろに飛び退く形になったが故に、体勢を崩して尻餅をつく。

 しかもアルは死体漁りのため両手を空けようと、剣を納め盾を背負っていた。つまり、全くの無防備な状態に陥っている。

 唐突に出現した敵兵は、そんな隙だらけのアルを放置してくれるわけもなく、追撃を加えてきた。槍を顔面へ突き立てようと振り下ろす。


 首を(ひね)ってそれを何とか回避し、体を勢いよく起こした。同時にそのまま相手に飛び掛かる。

 両手で首を掴み喉元を押し潰してやろうという、野蛮極まる行為を敢行したが、槍を手放した敵の抵抗で失敗。腰の小剣を抜こうにも、取っ組み合う最中で左半身へ右手をやる余裕などない。代わりに右腰へ手を伸ばし、目当ての物を握る。

 しかしその瞬間、敵兵の手がアルの首を捕らえた。片手にも関わらず、恐ろしいほどの力で気道を絞め潰される。


「かっ……」


 呼吸を奪われ、動きが止まる。致命的な隙だった。もう一つの手が、アルの首を絞める手の上に被さり、ますます力が加えられた。酸素を得られず、意識に(もや)がかかり始める。


「死ねぇ!」


 赤黒い顔を憎しみに歪めた敵の叫びも、アルの耳にはまともに捉えられない。ついには視界の端に黒が忍び寄ってきた。

 それでもアルは右手で握った短剣を離さない。残る意識を全て右腕に投入し、一気に持ち上げて、振り下ろした。


 肉を貫く感触と生温かい液体で手が濡れる感覚。そして首を締め上げていた万力が緩み、気道に飛び込む空気の味。


「げほっ、かはっ、ごほっ……ひゅう」


 激しく咳き込みつつも呼吸をどうにか再開させながら、アルは短剣ごと敵兵を突き飛ばす。そしてふらふらと体を揺らし、小剣を抜いた。

 仰向けに倒れた敵兵へ近寄る。首筋に短剣が突き刺さり、地面に血溜まりを作るその敵兵は、か細くもまだ息があった。とどめを刺すべく、小剣の(きっさき)を向ける。その時、初めて乾いた血で汚れた敵兵の顔をはっきりと認識し、驚愕した。


 あの同郷の男だった。弱々しく唇を動かし、言葉になっていない何かを口にしようとしたところで、かくっと頭を傾け、全く動かなくなる。


「……あ、あぁ、あっ、あああ、げえっ」


 アルは吐いた。膝から崩れ、胃の中身をぶちまける。ひとしきり吐いた後、頭を抱えて幼子(おさなご)のように震え始めた。


 ──殺してしまった。今は亡き故郷の数少ない生き残りを。自分の手で。


 罪の意識が体の内側を食い散らかし回る。

 最期に彼が何を言い残そうとしたのか。言葉になっていなかったことが逆にアルの心を(えぐ)った。胸の奥底に溜まり続けている「自己利益のために寝返った」という後ろめたさが、延々と故郷の人間に最も言われたくない最悪の言葉を想像させてしまう。

 遠くで上がる歓声──城館が陥落したのだろう──も虚しく耳を通り抜けた。


「どうした傭兵」


 高く澄んでいながらも深みのある声がそっと頭の上に降りた。ぐしゃぐしゃの面を上げると、マリーニ族を率いるあの女性が馬上からこちらを見下ろしていた。改めて見るに、彼女はかなり若い。アルとそう変わらないようにも思える。


「何じゃその顔は……まあよい、貴様ら傭兵共の働きもあってこの城は早々に落ちた。ようやってくれたの」


 そう言って僅かに微笑む。青の薄布越しに見える金髪が風で揺れ、その下にある緑眼の形が柔らかいものになった。


「矢面に立たせ続けた分の報いは充分にするつもりぞ。今後も期待しておる、が、今日はゆっくり休むがよい。その顔を見るに色々あったようじゃしのう」


 彼女はそう言い残し、馬を進める。蒼衣の騎馬戦士をぞろぞろ連れて城の中心へ向かっていった。

 茫然とそれを見送ったアルは、しばらく放心していたようだったが、やがて瞳に濁りが混じってはいたが確かな生気が戻る。


 そうだ、自分はもうマリーニ族に身を投じたのだ。自らを評価するのも彼女達であり、北部の連中ではない。第一、傭兵なぞ根無草ではないか。もう存在しない故郷を想って何になる。自分はマリーニ族からの報奨で生きるしかないのだから。

 いやむしろ、マリーニ族を率いる彼女から土地を(ほう)じてもらい、新たな故郷を建てればよいのだ。そのためにも手柄を立て続けねば。


 アルはその考えに(すが)った。信仰と言い換えてもいい。そうするしかもう、己を保てなかった。

 若き傭兵は返り血を落とすことも忘れ、城館の方へ歩き出す──。




 城館を前にした、紺色に身を包んだ姫に側近の一人がそっと問い掛ける。


(おさ)、傭兵如きにあのような御言葉を掛ける必要なぞありましたか?」

「要るじゃろ。傭兵というのは金さえ与えておけばよい者と、金を与えても働かん(やから)がおる。両方を確実に役立たせる手管の一つは、心を掴むことよ。上手くやれば安上がりで忠実な兵が得られる」

「ではあの時の、矢面に立たせ続ける以上充分に報いるというのは」

「そんなものでまかせに決まっておろう。どうせその前にくたばるわ、手柄を挙げようと自ら死地にむかっての」


 姫はくすりと唇を歪め、馬を降りると城の中へ、マリーニ族が初めて得た拠点へ足を運んだ。


 彼女は知る由も無かった。あの取るに足らない傭兵の若者が、己の視界に何度でもいつまでも映り続けることを。同胞さえ喰らい生き永らえる渡り鳥(ファルファネス)の一羽だったことを。

※ファルファネス(Farfanes)

 アル=アンダルス(イスラーム支配下のイベリア半島)における、イスラーム勢力に従ったキリスト教徒傭兵のこと。アラビア語で「鳥」を指す「ファルファン」が語源と考えられている。

 キリスト教勢力とイスラーム勢力の間を行き交ったが、中には都落ちで北アフリカへ逃れるイスラーム君主に親衛隊として最後まで付き従った者もいたという。

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