斜陽
受験に疲れたので短編の作品を書きました。
僕が、僕を愛する話です。
センチメンタルになってしまう。バスの揺れも、匂いも。ただ新緑の光が眩しくって、その光はバスの車窓を濡らしている。そうして、バスは陸橋を超えてゆく。水仙の葉は茂ったまま。眼下の街を眺める。このバスの高さは、他のそれとは違って、街──とはいえど、それは街と言うには緑の多すぎる──を見渡すのに十分なのだ。あぁ、もう桜の花は散っている。僕がどこへ向かうのか。それは、天道に向かって飛ぶ虫の如く、未来へのみの片道切符を持っている身として、ただ、惰性でも、慣性でも、明日へ向かっているだけなのだ。
皆さん、僕はつい最近、十七歳になった。蝋燭のないケーキを食べるのも板に付いてきたようで、そこまで厭な思い出にも良い思い出にもならなかったのだが、確かに歳は取った、そう思ったのみに終わった。来年は受験であるが、どうも僕の通う高校はあまりそういうムードに欠けていて、僕は未だに受験校なんかも決めてはいないし、ただ毎日こうやって街へ繰り出しては何のするあてもなく、思うままに遊び呆けては帰ってゆく。
バスは僕を、とある地下鉄の駅舎まで運んだ。車窓を眺めて十五分程が経って、バスのドアが開いた時には、観光客だろうか、普段見なれない髪色の、少し鼻の高い、サングラスをかけた───これは僕の憶測だが、きっとフランス人女性であろう人がいた。ここら辺は特段観光地という訳でもないのだが、それでも最近は"オーバーツーリズム"とでも言うのか、外国人観光客が目立つように感じる。大体、感じるだけで、その人がフランス人である確証も、外国人である論拠すらもない。そこに居る鼻の高い彼女は、生粋の日本人であるかもしれない。寧ろ、僕よりももっと日本語が上手いかもしれない。
「かもしれない」
なんてとても便利な言葉だ。確信の無いことを、さも自分の主張として押し通し、もしそれが誤りであったら「ただの推論だから」と言ってその"主張"を取り下げられる。きっとそれは、論理の逃げ道とでも言おうか、まぁ、少し浅ましいものだなぁと思うのであった。
地下鉄の駅舎は、今日もちょうどいい混み具合で、端っこ、青果を売っている老婆は、いつもと変わらない優しげな顔で、今の時代にそぐわぬ現金決済のみの看板を提げたレジの前に腰を曲げて立っている。
「今日は何が安いのです」
僕はその老婆に話しかけた。
「さぁ、特段何も安くはないよ。強いていうなら大根が安い程度だけれど、まだこれなら向こうのスーパーマーケットの方が安いね。最近はやっぱり、物価高だとかなんだとか───」
その後も話は続く。はて。僕は何を買うつもりだっただろうか。そもそも、何を目的に私はバスに乗り込んだのか。分からなくなってきた。少し厭になってきた。
やはり受験というものはストレスに成り得るのだろう。この所、嫌気が溜まり溜まっている。だからこうやって外に出ているのだ。空気を吸っているのだ。じゃあそれが目的か?僕は、空気を吸う為だけに千円札を握りしめて街へ繰り出すのか?そんな訳はない。
「じゃあ、そこのおはぎを一つ頂戴します」
すると、老婆は目を丸くする。
「珍しいねぇ、若者がおはぎとは」
「私はもう若くはないのかもしれません」
「御冗談を」
「ははっ」
昔から、僕は相手が歳を取っている人ほど会話が弾む傾向にある。僕が百歳になった頃には、話し相手は百二十歳くらいの奴なのか?冗談じゃない。さっさと死んでやる。
「三百九十八円になります」
「千円からで」
六百二円のうち二円をレジ横のペットボトルに入れ、僅かに身軽になって店を出る。
東京から遠いこの地では、地下鉄なんてものは二,三分間隔ではやってこない。五,六分は待つものだ。ピーク時は四分程度で来るのだろうが、今は12時、あまり「忙しない」人もいない。強いていえば、言わば"せっかち"な僕が、軽い貧乏揺すりをしながら「〇〇歯科」とかいう普遍的な看板を、行く宛てもないのに眺めているだけであった。売上はあれで変わるのだろうか。地図と「インプラントやってます」程度の広告力では、「そう?なら私は喜んで」なんてふらふらやってくる客もいないだろうに。広告費と釣り合わない広告を出すくらいならば、街中で宣伝した方がよっぽど───なんて頭の中で宣っているうちに列車が、時速六十キロはあるのではないかという速度で入線した。最近できたホームゲートは、僕の身長の二分の三くらいの高さで、少し頼りない。飛び越えようと思えば飛び越えられてしまうのだから。そんなつもりもないのだけれど、そんなことを考えてしまう。思えば、昔、子供の頃にはこの地下鉄と足場の隙間に足を挟めてしまったら、なんてよく考えていたっけ。歳をとっても変わらないものだ。まだ高校生だが、そんなことを思う。
地下鉄の車内は殊の他涼しい。外は二十℃を軽く超えていて、これが初夏なら俗に言う盛夏はどうなんだと、僕は今から恐れ慄いている。そもそも、この北の大地においては五月は初夏ではなく春に近いだろう。天気予報では、来週からは少し涼しめの気温が横一線に続いていて、次に暑くなるのは五月の下旬だと言うことが、今日の朝、地方の顔も知らないリポーターによって知らされていた。電車は数駅で繁華街に着いた。やはり乗り降りが激しいこの場所では、皆が席をめぐって争っている。争っているわりに日本人は自己主張が弱いものだから、「席を譲っては呉れないか」などと言わずに、舌打ちでもしそうな形相で相手を牽制するだけだ。それの何処をお淑やかだと評価すればいいのか。日本人は影の戦闘民族である。心にNINJAを飼っているなんて言えば外国人ウケは良さそうだが、あれではただの……いけない、僕は別に日本が嫌いな訳ではない。そもそも、心の内をこのようにコソコソ文に記している時点で、"日本人"でしかないのだ。生粋の、ね。
……なんだ、存外僕はあのフランス人よりもずっと日本語が上手いのではないか?
地下鉄はそれからも車体を揺らし、この街の心臓へ到着する。そこでふと私は、地下鉄の電光掲示板、「間もなく〇〇」という表示をみて閃く。そうだ。今日はこの駅の商業施設、二階に新しく出来たカフェに行ってみようか。人の流れに乗って地下鉄の狭いドアをくぐる。この路線は乗降客数が多いのに、中心部ともなるとまるで人々の押し出される姿が川の急流に乗っていくかのようだ。少し面白かったりする。
この僕は今までの数十分間をここに書き記した。バスのドアが開き、地下鉄のドアが閉まるまで、僕はこの生活に色を付けていた。きっと、これはなんでもない一日だろう。隣を歩く四十歳を超えていそうなサラリーマンは、今日この一日を振り返れども、特筆した何か感想は出てこないように思う。きっと、であって、やはりこれは推論でしかないのだけど……もしかしたらば彼の子供が今日誕生日だったやもしれないし。あぁ、僕はなんて"適当"な人間なんだろう。兎にも角にも、僕は今日、なんでもないその一秒一縷をこうして書き留める。
長い階段を複数登り、少し息が切れてきた頃、漸くエスカレータが現れる。しかし、エスカレータもごった返していて、少し困ったものだ。みんなこんなに詰めて乗ったら危ないじゃないか。だのに、僕はそれに素直に従う。「危ないからもうちょっと離れようぜ」なんて口をつけばよかったものが、何も言わずにこの"危険な列"の一員を成している。嗚呼生粋の日本人よ……否、これはどこの国の人であってもそうだろう。僕は首を振る。
さぁ、目的地に着いた。新品の、木造建築らしいその匂いがするそのカフェの見た目はとても綺麗で、心が踊るが、その分却って自分の格好が不釣り合いでないかと心配になる。いや、金を支払うのだ。不釣り合いがなんだ。金銭面での取り引きにおいては、容姿や服装に関わらず、平等に行われるものだ。きっと、ここで優雅にパソコンを開きながら仕事をしている人たちは、僕がこんな孤独かつ無様な会話を脳内で繰り広げているなんて知る由もないし、人間がこんな内省的な事を脳内で行うなんて、その事実すら知らないだろう。然し僕は現に行っている。僕は人間ですらないのだろうか。いや、それも決めつけなのである。誰も人の頭を覗ける訳でもないのに。つくづく、自分が嫌になる。嫌になって、嫌になって、嫌になって、それでも最後には僕を殺せないままでいる。
「ご注文はお決まりでしょうか」
この私に酷く丁寧な接客をしてくださる。見た目は私と同じくらいだろうが、どうも私とは風が違う。私も接客業に従事しているが、未だにこのような口角の上げ方はマスターしていない。
「店員さん、おすすめとかってありますかね」
「当店はどれを頼んでも満足いただけますよ」
「成程、そりゃあ大層な自信だね」
「目を瞑って指を指して頂いても宜しいですが」
「この千二百八十円のパンケーキ一つが来たら、それこそ目も当てられない。じゃあ、無難にアイスコーヒーを頼むよ。勿論ブラックでね。」
そんな会話をしながら、彼女はくすりと笑って、
「かしこまりました」
と去っていった。なんだ、人間味がある人じゃないか。僕のこの無愛想な注文に嫌な顔ひとつ見せないどころか、くすりと口を隠して笑っては去っていった。そう。去っていった。その後ろ姿はまるで或る日の彗星の尾の如く焼き付いて離れない。
彗星……と言うと、僕が見た事あるのはアトラス彗星のみである。去年の冬頃に僕は湖でその彗星を見た。それはそれは、綺麗であった。その綺麗さは、彼女の可愛げな後ろ姿とは違うが、それでも僕の目には同じに見えた。何事も、見る目がないのかもしれない。
「お待たせいたしました」
「どうも」
今度は体格のいいおじさんがやってきた。親子での経営なのだろうか……それくらいは推測させてくれよ、頼むからさぁ。
閑話休題。
彼は口数が少なく、手際も良く、その一言だけで、僕が「どうも」という暇だけを与えていなくなってしまった。それが、何やら寂しかった。あの彗星娘───まぁ同じもしくは上の年齢かもしれないし娘というのはおかしな話であるが、兎も角、あの彗星娘のような"尾を引く"姿ではなかった。その後ろ姿は、まるで、若くして失った父の背中のように、あっという間に消えていったのだから。
嫌な事を思い出してしまった。アイスコーヒーの苦味では、その嫌な思い出の"特有の苦味"を打ち消すどころか、助長させる。仕方ない、少し語ろうか。ミルクを頼まなかったことを後悔するくらいの話だ。なぁに、大した話じゃない。
二千十年四月一日に父は死んだ。僕はまだ三歳だった。だから、別によく覚えてる話じゃない。確か癌だったのだ。そんなことは、正味どうでもよかった。重要なのはその後だ。やはり、父が居ない家庭というものは、周りから見ると少し特異である。それは、興味に晒されるという点と、哀れみに晒されるという点の二つで、僕を苦しめた。特に、昔好きだったセイナさん、その人がよく僕の家に来ていたのだが、そのセイナさんは僕が父親を失っていることに対して気を遣っていた。家族の話なんてしてくれなかったし、僕の告白だって、それはあなたを傷付けるのよと言って、一蹴してみせた。僕はそんなこと、どうでもよかったのに。どうでもよかったのにさぁ、どうにかしてくるのを辞めてくれよな。 ……少し語らせてくれないか。ここまできたらさ、話したくなった。
忘れもしない。僕は或る晴れた日の午後に中学校の校舎裏で彼女に告白をした。その日は夕陽が綺麗に見えた。中二の春だった。セイナさんと僕は幼稚園から同じで、セイナさんの家は育ちが良く、僕の育ってきた、あまりに簡素な家とは縁もゆかりも無さそうに思うが、お母さん同士仲が良かったというただそれだけのゆかりで繋がれていた。それから、お互いの誕生日には相手の家に行ってパーティなんかを開いたり、プレゼントを渡したりして。そんな事も彼女が突然海を渡った中二の秋からはパッタリなくなってしまったが、今でも懐かしい、いい思い出だ。
僕は小四あたりから自我のようなものを持ち始め、小五にはセイナさんに惚れていた。なんというか、横顔が美しかった。それはそうだなぁ、春先の山々みたいだったんだ。そう言うと、セイナさんは決まってむすっとしてみせたが、間違いなく褒め言葉なのです。色白な肌に夕陽が差した時、まるで僕は何か壮大なものを見ているのではないかと、そう思ってしまう。奇しくも、告白をした当日も"そう"だった。だからか、振られた時も、悔しさよりも綺麗だって気持ちが勝っちゃってさ、涙なんか出なかったんだ。
それからセイナさんはアメリカに行って、今は少し困っているみたいだ。手紙を寄越してくれるのだが、締めの言葉は日本に帰りたい、の一辺倒である。僕はその手紙を読んでは捨てている。返したくないからだ。なんで返したくないのかは知らない。一度返さなかったらもう返したくなくなってしまったのかもしれない。そういう事にしておこう。決して、彼女のことを嫌いではないから、そう思っているから、そういうことにしておく。
……ストローを少し噛む。この癖は、子供の頃から抜けない。せっかくのいいカフェを、こんなつまらない思い出話で穢してしまってすまない。僕はそう思った。少し苦かったコーヒーは、少し氷が解けてマイルドになっていた。僕はそれをゴクンと飲み干し、皿を洗っている彗星娘に会釈して店を出た。彼女は丁寧に、
「ありがとうございました」
と、やはりお誂え向きな接客で僕を見送った。
僕は無性に、寂しくなった。
「どうも。」
小さく呟いた頃には、自分はカフェの外に出ていた。通りかかる人達は、誰も僕のことなんか目にもくれない。僕のこのささやかな感謝は、雑踏に消えた。ああ、このカフェインが切れてくる頃には、僕もこの"思い出"の半減期を迎えて少しは幸せになっているだろうか。
帰りの地下鉄で、先のフランス人らしき女性を見かけた。普通に、隣にいる黒髪の、いかにも日本人であろう人と、日本語で、つい最近読んだ本について語らっていた。
「なんだ、普通に日本人じゃないか。」
僕は肩を落とした。僕の適当な推論はやはり間違っていたからだ。ともすれば、僕の人生が否定された気がしたからだ。目線を下にやると、小汚くなった車両の床が見える。足跡が着いていた。その足跡を自分のこれまた小汚くなったブーツで擦ると、まるで滲んだように、車両の床をまた一段と埃の積もったみたいな色にする。誰の足跡かは知らない。でもなんだかその行為が誰かの生きた証を消しゴムで消してしまったかのような気分になって、僕は少し、やるせなくなった。僕の足跡はつかなかった。さっきのフランス人らしき女性は、流暢な日本語でこう言った。
「文字を書くと、記憶しきれないであろう事象すらも遺せる。それはつまり、私の脳の歩む"人生"よりも人生を人生たらしめるのではないかと、そう思うの。」
僕は同意した。きっと、そこの日本人だって頷いているだろう。でも僕は俯いているから、そんなことを知る由もない。次に僕が頭を上げた頃には、電車は終点、僕の目的地へ差し掛かっていた。
帰りのバスを待っている間、やはり、隣にはあのフランス人らしき女性が立っている。どうも、あの日本人らしき人物は途中で降りたらしい。最初から二人の最寄り駅が同じなら、こんな僕は俯くこともなかったのに。
次のバスは十八時の四十二分らしい。今が三十二分であるから、あと十分の時間がある。それでも、やることはない。バス停の前を通り過ぎていく車のナンバーで素因数分解をするくらいがせめてもの娯楽だ。そこに、トラックが通りがかる。ナンバーは79-19。
「なんだ、素数じゃないか……」
そんなこんなで、バスがゆったりやってきた。陸橋を通り過ぎる頃には眼下の街が仄かに赤く染っていて、やけに綺麗だった。自分の住む街がこんなに綺麗だと思えることが、少し誇りなんだ。
僕は今日一日で、どれだけの文字を書けたか。メモを開いてみた。すると、もう六千字あたりである。僕の人生のうちの一日は、おおよそ六千字から八千字程度で記述されることが分かった。いや、それはあまりに適当な推測だ。朝と晩は何も書いていないのだから。じゃあ一万文字くらいにはなるのだろうか?僕は、それならば短編小説が書けてしまうね、さしずめ僕の人生は短編小説集か!なんて、愚にもつかないことを思った。フィクションと人生の区別がつかないのなら、僕は狂人である。それも、やたらと文學的な。
僕はメモを閉じた。眼下に街は見えなくなった。もう、家に近い。これから家に帰ったら何をしようか。そうだな、晩飯についてまでメモを取ってしまったら、まるでそれは食レポみたいで嫌気が差してしまうだろう。そうするくらいならば、お母さんと僕の会話を面白可笑しく書いた方がまだマシである。もう、いいや。ここら辺でメモは止めにしよう。その代わり、僕は僕を今日一つくらいは捨ててみたいと思った。一つくらいは愛してみようかと思った。そう、彼女に手紙を書こう。セイナさんに宛てた、僕らしく酷く内省的な恋文でも書いてみよう。
あのね、セイナさん、僕は幸せだったよ。それだけは確かに覚えている。貴方を好きでいて良かったと、そう思っている。でもそれだけだ。今の人生に貴方はいない。例えば、今すれ違った女の人は貴方の目元と髪型に似ていました。でもそれは貴方ではない。貴方はアメリカに渡ってしまいました。僕は一人この街に残っています。やっぱセンチメンタルになってしまうね。バスの揺れも、匂いも。西陽も。
僕は帰路に着いていた。いつも帰りはバスを下りると坂道があって、少し面倒なんだ。その面倒を避けるには、追加で10円を払ってひとつ向こうのバス停で降りて、階段を登る面倒を被る必要がある。でも金を払って階段を登るなんて、馬鹿らしい。背後から茜が差し、少し汗ばむ。……ああ、嫌になるね。嫌になるのに、僕はここに住んで、残っているんだ。
セイナさんへ。
僕は貴方に告白をしたのですが、貴方は僕の告白を一蹴してしまいましたね。それからというもの、口数がお互い少なくなって、自傷気味になった僕は学校に通わなくなってしまいました。貴方が転校を皆の前で告げたその日、僕は校舎にすら居ませんでしたから、貴方のその寂しげな顔なんて知らないのです。それから、貴方が居なくなるのを知ったのはその日の夜でした。僕のお母さんが驚いた様子だったので、誰にも言わずに貴女方家族はそうすることを決めたのでしょう。やはり、金持ちがすることは突飛なのかもしれません。
あれからというもの、僕は僕の人生が厭になって、貴方のことを忘れられなくなって、こうやって毎日詩人かのように脳内に書き連ねてはいたのですが、貴方に手紙を返したことはありませんでしたね。それは、僕の意地悪です。ささやかな反抗心です。それを餓鬼みたいだと笑ってみせてください。それが僕の好きだった貴方ですから。なんて、振った相手にそんなことはしてくれはしないのでしょうが。
長くなってしまいました。今日は、こちらは晴れだったのです。酷く、あの日を思い出させるような晴れだったのです。コーヒーが僕の鼻腔にまだ残っていますから、その所為だということにしておいてください。今はP.Mの十九時になる所です。今日は斜陽が、綺麗に堕ちていきます。僕の恋が貴方の横顔に堕ちたあの日のように、綺麗に、空を赤らめながら堕ちていきます。今、僕の部屋は西向きなんです。貴方を家に呼んだ、あの時と違って。
じゃあ、お元気で。
読了ありがとうございました。
斜陽というタイトルは、かなり攻めているかもしれません。それでも、これが私の斜陽です。