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薄暗い屋敷の中に入ると、アルマは皆を奥の座敷へと案内した。
「一体、何が起こっているのですか?」
「わからないが、村の誰かが俺たちを殺そうとしていることは確かなようだ」
ハクトの言葉に、アルマは驚きのあまり声が出なかった。
「アルマさん、海がまた荒れてきた」
とウォルフが言うと、アルマは不安げに頷き、胸に抱えていた剣の柄をぎゅっと抱きしめた。
「私は本当に未熟者ですが、何も考えずにハクト様の剣が聖剣だと思ったわけではないのです」
アルマは剣の柄を腰紐にからませると、トシのための布団を敷いた。ハクトがその上にトシを寝かせる。トシの呼吸はずいぶん穏やかになってきていた。
「ハクト様が海に近づかれた時に、ひどく荒れていた海が静まったのです。炎が聖剣との再会を喜んでいる、私にはそう思えました」
「そういえばあの時、誰かが呼んでるって言いながら海の方へ走って行ったよね、ハクト」
ウォルフが言うと、ハクトは眉をピクリと動かした。しかし何も答えずに懐から手ぬぐいを取り出すと、トシの髪を拭いた。
「代わります」
最後に部屋に入ってきたシュウが、素早くトシの元へと近づいてハクトに手を差し出した。
「兄上も怪我をされておられるではないですか。何があったのですか?」
「ああ……この村の人々は、元からこんな過激なことをする性質なのか?」
ハクトがアルマに顔を向けると、アルマは首を激しく振った。
「いいえ。皆、とても気の良い人ばかりです」
「気の良い人間が、突然捕らえて引き摺り回したり、火をつけたりするとは思えないが……」
「きっと……私の意図がうまく伝わらなかっただけで……」
「アルマさんの言葉を皆に伝えているのって、ダイチさんだよね」
ウォルフの声は、珍しく機嫌が悪そうだった。その理由が、ハクトにはすぐにわかった。ウォルフとハクトは同時に部屋の入り口に目を移す。そこにはダイチが冷たい視線で座敷を見渡しながら立っていた。
「これは一体、どういうことですか、アルマ様」
ダイチは部屋を見渡すと抑揚のない声で言った。布団で寝ているトシやその横にいるシュウに冷ややかな視線を向けている。
「ダイチ、そちらはハクト様のお連れの方々です」
ダイチは少し驚いた表情を見せてから、フッと笑みを浮かべると、アルマに近寄った。
「そうですか」
「ダイチ……あなたは皆に何と言ったのですか?」
「それはもちろん、宿にお泊りの方々に失礼のないように、丁重にもてなすようお伝えしましたが。それが何か?」
「火を……燃やされたのです、宿が。まさかあなたが命じたのではないですよね」
ダイチはゆっくりと視線を下げると、アルマの腰紐に絡まった剣の柄を見つめ、あからさまに嫌そうな顔をした。
「そういうところですよ、アルマ様」
「え……?」
「あなたのそういうところを、私はいつもいつも尻拭いしてきたんです。くだらない……ただ島主の家系に生まれてきたというだけの、能力も魅力もないあなたに、なぜ私のように優れた者が仕えなければならないのか……ほとほとうんざりします」
「ダ……ダイチ?」
「その柄は、決して持ち出すなと先代から伝えられていたはずです。一千年もの間、祠から一度も出されることなく守り続けてきたものを、あなたはいとも簡単に持ち出してしまう。全くの愚か者だ。呆れてしまって怒る気にもなれない」
アルマは、非常に戸惑った様子で後退りした。大きく見開いた目には、あっという間に涙が溜まっている。
「あなたには無理だ。さあ、それを私に渡してください。あなたの代わりに、私がそれを守ります」
と、ダイチは手を前に出しながら、アルマに詰め寄った。
「嫌です」
と、アルマは剣の柄を胸に抱きながら部屋の隅まで走って逃げた。
「一体、どうしたの?いつものダイチではない」
「いつも我慢していたんですよ。あなたの補助をすることが私の生きる意味だと言い聞かされて育ってきましたから」
「我慢?いつも優しくしてくれていたのに?」
「あなたのお祖父様から、あなたのことを頼まれましたからね。仕方なく、ですよ」
ダイチはアルマにジリジリ近寄っていく。
「お祖父様はあなたのことを随分と買っていらっしゃったが、私にはあなたに才能があるとは思えない。十三年前、ご両親が犠牲になった嵐が止んだのは、あなたの祈りが神に通じたからだと、村の皆は信じて疑わない。しかしそんなもの、単なる偶然か、あるいはお祖父様が裏で操っていたに違いない。皆の信頼を後継者のあなたに集めるための画策だ」
「ダイチ!」
と、アルマは涙を流しながら叫んだ。
「お祖父様のことまで悪く言うなんて……」
ダイチはニヤリと笑った。そしてまた一歩アルマとの距離を縮めようとした時、ハクトがダイチの前に立ちはだかった。
「やめないか」
ハクトはアルマを守るように腕を広げた。
「なぜアルマさんを攻撃するんだ。それが島主に対する態度か」
ダイチはクックックッと、低い笑い声を出し始めた。可笑しくてたまらないといった様子で腹を抱えている。その異様な雰囲気にアルマは震え出し、ハクトは顔をしかめた。
その時、ウォルフが天井付近に視線を向けながら、あっと口を開けた。
「ハクト!」
そう叫んだウォルフの身体は浮き上がり、次の瞬間には反対側の壁まで吹き飛ばされてしまっていた。ウォルフは壁に身体を強打させた後、床に倒れた。
「ウォルフ!」
シュウはすぐにウォルフの元に駆け寄った。頭を打ったウォルフは気を失っていた。
飛ばされる前にウォルフが天井に視線を向けていたのを見ていたシュウは、同じように天井を見上げてみたが、そこに異変を見つけることはできなかった。
(また影なのか……僕には何もできないのか……)
シュウは下唇を噛んでダイチの後ろ姿を見つめた。
ダイチの正面にいるハクトは、ニヤニヤと笑うダイチを睨みつけている。
(影の気配はしない。だとしたら、このダイチがウォルフを……)
「ソルアだったのか」
ダイチはハクトの問いには答えずに、目を瞑って深呼吸している。
「そんなはずは……」
と、アルマが震えながら言った。
「ダイチの家系にソルアは一人もいないはずです」
「では、誰がウォルフを?」
「な……に……か…………」
と、うめくように言いながら、意識を取り戻したウォルフが顔を動かした。
「何か……いる……何かが入った……ダイチさんに」
「ん?」
と、ダイチが振り返り、見開いた目でウォルフを凝視した。そして嬉しそうに口角を上げた。
「ほう、非常に興味深い身体だ。一体どんな業を背負えば、そんな身体を手に入れられるのか。是非とも欲しいところだが、入り口は……」
ダイチは、フンッと鼻で笑うと「ないか、残念だ」と呟いた。
話し方や雰囲気がすっかり変わってしまったダイチにアルマが言った。
「あなたはダイチではない。あなたは誰?」
ダイチがキッとアルマを睨むと、アルマは見えない何者かに首を絞められながら天井に頭が着くまで持ち上げられ、そして床に叩きつけられた。そのはずみで剣の柄は跳ね上がり、そのままダイチの手に渡ってしまった。
「お前が愚か者で助かった」
と、ダイチは笑いながら、剣の柄をペロリと舐めると、それを懐に入れた。
「アルマさん!」
と、ハクトがアルマに駆け寄る。アルマは咳き込みながら、強打し傷ついた身体をぎゅっと抱えるように丸まった。
「なぜこんなことをするんだ!」
ハクトは聖剣に手をかけ、ダイチに向かって身構えている。その姿を見たダイチは嬉しそうに笑った。
「いいぞ、斬れ」
「何だと?」
「聖剣で斬ることができるのは、影と人間だ。いいから斬ってみろ。ダイチは死ぬが、私は死なない」
「死なない……?」
「ハクト様……ダイチを……ダイチを助けてください。ダイチは……ダイチは優しい人なのです」
と、アルマが痛みを堪えながら途切れ途切れにハクトに訴えた。ハクトはグッと歯を食いしばり、聖剣を握る手に力を入れた。
「優しい?さて、それはどうかな。ダイチはお前に対する不満を隠し持っていたが?入り口が大きくて、入るのが容易だった。所詮その程度の男だ」
「お前は一体誰なんだ?」
ダイチは「あぁ」とため息を吐きながら、顎を上にあげ蔑むような視線をハクトに向けた。
「まったく、父親によく似ている。顔も声も姿も、まるであの日がまたやって来たようだ。あの日は敗れてしまったが、それは不意を突かれただけのこと。お前たちは私には勝てない」
「父を……知っているのか?」
「ああ。知っているとも。忘れたことなど一度もない。いつか必ずあの男を切り刻むために、私は存在し続けているのだからな」
ハクトの身体が浮き上がった。聖剣を抜こうとするハクトに見えない敵が襲いかかる。まるで透明な手足で殴る蹴るを繰り返されているようだった。初めのうちは防御できていたものの、浮き上がった身体は踏ん張りが効かず、ハクトは地面に叩きつけられた。そのハクトの上にダイチが飛び乗り、両足でハクトを踏みつける。それらはほんの数秒の出来事だった。
「兄上!」
シュウとウォルフが助けに入ろうと構えたが、ダイチが二人を睨むと、二人とも瞬時に吹き飛ばされ、二人は壁際でうずくまった。
「さて……もうすぐだな」
ダイチは眠っているトシに目を向けた。
「早く来い、トシ。こちら側の世界へ。お前が目を覚ました時、本当の絶望を見せてやろう」
ダイチはハクトを踏みつけたまま、両手を天井に向かって上げた。
まるで床に貼り付けられてしまったかのように動くことのできないハクトは、その時天井に無数の針が現れるのを見た。そしてそれが、フオグ国で伝え聞かされてきたあのソルアの毒針の雨だと気付くのに、時間はかからなかった。
(皆、逃げろ!)
しかし、ハクトは声を出すことができなかった。




